51. 浮上
先程の休憩からまた二時間くらい経っただろうか。
日はもうすぐ青空の頂点まで登り切るくらいの時刻。
あたりに響き渡るのは土を勢いよく蹴って走る足音と、金属と金属が思いっきりぶつかる音だけだ。
いや、本当なら街の人々の喋る声や、風などの環境音も聞こえてくるはずだが、修也の耳に入ってくるのは前者の二つの音だけだった。
「はぁ、はぁ、おりゃぁぁあああ!」
カキンと乾いた音が響く。
計四時間の居合の修行を経て、このただうるさいだけに思えた音も、耳心地のいい音へ変わっていった。
しかし、もう一本っと思い居合の姿勢から戻ろうとした瞬間。
「あ」
自分の左隣で、ザシュっと何かが地面に突き刺さる音がした。
右手に持っている刀も幾分か軽くなっている。
「……折れたのか」
綺麗に地面に刺さっているのは、四時間の末にボロボロになって折れてしまった修也の刀の刃先であった。
ムサシが刺さった刃先をつまみ上げると、割れた断面をまじまじと見て、
「こりゃ、仕方のねえもんだがや。折れないように力の流れを受け流して逃がしとったが、短時間であれだけ打ち合ってれば、どんな名刀でも折れちまう」
短時間とはいえ真剣同士がかなりの回数ぶつかっていたのだ。
折れてしまうのは、どうしようもないことだったのだろう。
修行に夢中で気づかなかったが、修也の刀は所々刃こぼれしており、何かにぶつけたらそれこそもう一度折れてしまいそうだった。
「なんで師範の刀は刃こぼれ一つしてないんだ?」
「天邪鬼は普通の武器じゃねえがや。生半可な攻撃じゃ、傷一つつかん」
「へー……にしても、ここでおしまいか。もう少しやりたかったんだがな……」
「いや、これ以上は別にいいがや。居合の方は明らかにさっきより上達しとるし、あとは実戦経験を積めれば何も言うことはねえがや」
今の自分に圧倒的に足りないのは、確かにそこだろう。
なにせ、この世界に来て戦ったのが、師範とのあの一戦のみなのだ。
それも、まともにぶつかり合ったとは言い難く、むしろ試された、もしくは軽くあしらわれたと言ったほうがいい。
「実践経験って言ってもなぁ……なあ師範、人を切るってどう言う感覚なんだ?」
当たり前のことだが、修也はこの世界でも前の世界でも人を切ったことなどない。
前の世界でもそういう物騒なニュースなどは見たことがあるが、どこか絵空事のような、実感の湧かない事実という認識でしか捉えてなかった。
「綺麗に刀を入れることができれば、腕や足くらいはサクッと切れるがや。だが太刀筋がブレると、筋肉や骨に止められて引き抜くのがめんどくさくなるがや」
「いやそういう物理的な話じゃなくてだな……精神的な話なんだよ。俺は今まで人なんか切ったことない。精々牛肉や豚肉を包丁で切ったことがある程度だ。そんな俺が人を切れると思うか?」
「……それはおみゃーの覚悟の問題だがや。まあ、気持ち良いもんじゃねえってことだけは教えてやるがや」
そう言いながら、ムサシは手に持っていた折れた刃先をこちらに差し出してくる。
「切らないならそれに越したことはねえがや。だが、正義と正義がぶつかれば戦いが起こるように、曲げられない信念同士がぶち当たれば、必ず切らなきゃいけない時は来る」
「……ああ」
先駆者の言葉はよく耳に残る。
名言とでも言うべきか。それでも、その言葉でぶり返されるのは、自分の頭にこびりついた嫌な記憶だけだった。
「さて、折れちまったのなら買わなきゃいかん。今度はおみゃーもついてくるがや。気に入ったのがあったら買ってやる」
「師範さ、金ないんじゃなかったのかよ」
「引き下ろすのがめんどくさかっただけで、銀行に行けば稼いだ分がたんまりあるがや」
ニヤッとした笑みを浮かべながら、懐から取り出した窯口財布の中身を修也に見せつける。
その中身は、この世界の金の基準が未だに分かっていない修也にもわかるくらい潤っていた。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうか」
奢ると言われて断るのはいささか失礼というもの。
ここは師範のお言葉に存分に甘え、めちゃくちゃいい刀を買ってもらおうと算段をつけたその時。
「ムサシさん! ここにおられましたか!」
男性が一人、大急ぎで広間に入ってくる。
修也も見たことがない人だったが、この町の人だろうか。
カッターシャツにベルトで締めた紺色のズボン。名札のようなものを首から下げていた。
呼吸は浅く、額には汗を滲ませ、膝に手をついて地面を見ていた。その手は小刻みに震え、握り拳を作っている。
「はぁ、はぁ、大変……です……」
「落ち着くがや。深呼吸して息を整えるがや」
「師範、この人は?」
「町役場の人だがや。それで、一体何があった」
ムサシに言われるがまま深く深呼吸をし、浅く速い呼吸を無理矢理押し込める。
そして目の前の二人を見つめると、一呼吸置いたのちに口を開く。
「……クラーケンが、浮上してきました」




