第8話 じっとしてられない
爽やかな木漏れ日の光を浴びながら、エルミは森の中を進んでいく。
しかし、その表情は「のどか」とは言い難く、何やら焦りの色がある。
彼は時折周囲を見渡し、何かを気にしているようであった。
「エルミさーん!」
と、その時、エルミを呼ぶ声が聞こえた。
「え?」
しかし、エルミの回りには人影は見当たらない。
彼は首を傾げる。
「何してるのー?」
「うわあっ!?」
エルミは驚愕した。
目の前に突然、逆さまのサリアの顔が現れたからだ。
「サ、サリアちゃん!?」
エルミは顔を赤らめて、更に慌てた。
サリアは木の枝に足をかけて、鉄棒をするかのように逆さまにぶら下がっていたからだ。
もしも枝が折れて落下しようものなら、頭から落ちて命に関わる危険行為だ。
その上、逆さまになった所為でスカートがまくれ上がり、白い下着が顕わになっている。
別の意味でも危険だ。
「サ、サリアちゃん!?
早く降りなさい!
危ないし、ス、スカートが」
いや、子供相手にそんなに慌てなくても……。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよー」
そう言って、サリアは木の枝から飛び降り、しかもクルリと一回転してみせてから奇麗に着地して見せた。
その際にスカートがまたフワリとまくれたりするのだが、まるで無頓着である。
「って!」
遅れてペットのキャムが、木の上からサリアの頭に飛び乗り、その衝撃に彼女は小さく悲鳴をあげた。
「頭はやめなさいよ、痛いし髪が乱れるじゃない」
サリアはキャムに抗議しながら、ちょっと乱れた髪を手櫛で整える。
今日はポニーテールをおろして、頭の後ろで赤いリボンを結んでいた。
彼女はスカートのことを気にせず活発に動き回ることから、自分が「女の子」であることをあまり意識していないのかと思わせる一方で、意外と髪型には気を使っているらしい。
そんなアンバランスさは、やはりまだまだ子供だと言えるのかもしれない。
どちらにしてもサリアの行いは、見ている方が色んな意味でハラハラさせられる。
「で、エルミさん、こんな森の中で何してんのー?」
「何って……あなたを捜しに来たのですよ。
サリアちゃんはまだ謹慎中でしょう?
お父さんが怒っていましたよ」
と、エルミは少し諭すような調子で言った。
そんなエルミの言葉に、サリアは顔を露骨にしかめて、
「だって家の中にいても、何もやることないんだもの」
「本を読むとか、勉強するとか、色々やれることはあると思うんですけど……」
「それ、全然面白くない!」
心底嫌そうにサリアは言うが、
「そうですか?
本に囲まれて勉強するのって、凄く楽しいと思いますけどねぇ……」
エルミは夢見るような表情になった。
本当に楽しいと思っているらしい。
(やっぱり見かけ通り、勉強が好きなんだ……)
サリアはガックリと肩を落とした。
正直、身体を動かすことが好きな彼女にとっては、エルミの価値観は理解不能だった。
「大体本を読んだり勉強したりなんてことは、雨が降っている時や夜とか、外に出れない時にやればいいんだよ。
太陽が出ている時は外で遊ぶ。
これ、子供の基本でしょ?」
「まあ、確かにそうかもしれませんが……。
でも、やはり盗賊がうろついている時分に、勝手気ままな行動するのは危険ですよ。
また誘拐されそうになったらどうするんですか。
そのことをしっかりと自覚しないと、周囲の人間に心配と迷惑をかけますし、何よりも自分が後悔することになります」
「む~、お説教なんて聞きたくないもん」
サリアはリスのように頬を膨らませた。
「大体、あの盗賊達が悪いんだよ!
あいつらの勝手な都合で、あたしの自由を拘束しないでほしいわっ!」
と、サリアはかなり御立腹の様子であった。
頭の上のキャムも彼女につられたのか、尻尾の毛を逆立てていた。
「……騎士団はどうしているのですか?」
「駄目よ、全然歯が立たないもの」
「騎士団でも歯が立たない?
そんなに大規模な盗賊団なんですか?」
エルミは小さく驚きの表情を浮かべる。
地方領の騎士団とはいえ、その構成団員は少なくとも数百名以上からいるはずだ。
その全員が盗賊団の捜査にあたることができないとしても、数十名は投入されているはずである。
それでもまるで歯が立たないとは、相手がよほどの大人数か、それともかなり頭の切れる人物が騎士団の動きを読んだ上で、行動方針を決めているか……だ。
しかし、サリアは、
「ううん、確認されているのはたったの5人だって。
でも目茶苦茶強い奴が1人いて、手がつけられないのよ。
だから今、あの「王都守護兵団」の出動を要請しているらしいよ。
しかも「十二翼」クラスの人を」
「たったの5人!?
いえ、実質1人で騎士団を相手にしているのですか。
……それは、「王都守護兵団」の出動を要請するのも、無理はありませんね。
しかし、まさか「十二翼」とは……。
いや……確かにサリアちゃんの話が本当なら、守護兵団の一般兵では少々分が悪い相手かもしれません……」
「ね、凄いでしょー」
サリアは何故か、我がことのように平らな胸を張った。
そんな相手に狙われる自分も凄い……と、言いたいのか。
「確かに凄いですねぇ……」
エルミは難しい顔をして唸る。
王都守護兵団――彼らは王都を守護する為に、大陸中から集められた屈強の精鋭達だ。
その強さは、地方に駐在する並の騎士団とは力量の桁が違う。
そんな彼らの中において、なお群を抜いた実力を誇る精鋭中の精鋭の12人を、かつてこの大陸に高度な魔法文明を築く手助けをし、更に魔法文明の暴走によって大陸が亡びるのを食い止めたと伝承の中に語られる、偉大なる守護天使の翼の数に合わせて「十二翼」と呼ぶ。
彼らは王都守護兵団の者ですら「あの者達は人間ではない」と畏れる者がいるほど、神がかった戦闘能力を有していた。
その「十二翼」でなければ手に負えない相手とは、その者もまた「人間ではない能力の持ち主」であることを示している。
「サリアちゃん、やっぱりすぐ家に戻ったほうがいいですよ。
今度そんな相手に狙われたら逃げようがありません」
しかしサリアは、
「どこにいたって同じだよ……」
沈鬱な表情で項垂れ、消え入りそうな声でそう言った。
「…………サリアちゃん?」
そんなサリアの様子を、エルミは訝しんだ。
どうもサリアの行動はただの我が儘ではなく、何か理由があるようだ。
「……だって、あいつら、この前は屋敷に直接乗りこんで来たんだよ?
その時は騎士団の人があたしを隠してくれたから、あたしはなんとも無かったけど……。
迎撃に出た騎士の人には、後遺症が出るかもしれないような大怪我をした人もいるって……。
あの時、あいつらが何のために屋敷に乗りこんで来たのか、それは聞かされていなかったけど……。
狙われていたのはあたしだったんだって、昨日分かった」
と、サリアは目を涙で濡らしながら語った。
自らの為に沢山の人間が傷ついたことは、まだ幼い彼女にとってかなり重い現実であったに違いない。
「サリアちゃん……」
「あいつらが本気になったら、屋敷にいたって意味無いよ。
それどころか、また、沢山の人が傷ついちゃう。
それに狙われているのはあたしだけじゃなくて、お父さんやお母さんでもいいのかもしれないし……。
この前の襲撃の時には、たまたま留守にしていたけど……。
留守じゃない時にあいつらが攻めて来たら、今度はどうなるか……。
それならあたしが森に出てあいつらの注目を集めていた方が、誰も傷つかなくていいんじゃないかなって気がするの」
「………………」
エルミは押し黙った。
周囲の人間に危険が及ばないようにする為に、あえて自身を危険に晒すサリアの行為には、確かに尊ぶべきものがある。
しかし同時に――、
「感心しませんね……」
「エルミさん……」
「確かにサリアちゃんの考えも一理あるとは思いますけど、誰も傷つかない?
それは違います。
サリアちゃんが傷つくでしょう。
それに、もしもあなたの身に何かあれば、お父さんやお母さん、そしてあなたを守るべき立場にあった騎士達、他にも沢山の人の心が悲しみで傷つきます。
人は、たとえ手足を全て失うような傷を負っても、心が傷ついていなければ生きて行けますが、心の傷は簡単に人の生きる意志を奪うことができるのです。
心の傷が肉体の傷より軽いなんて思わないで下さい。
だから、誰も自分の所為で傷ついてほしくないという、そんなサリアちゃんの想いは立派ですけど、あなた1人が犠牲になればそれで済む問題ではないのですよ。
場合によっては、より結果が悪くなる……」
「……………………」
サリアはエルミの言葉を受け、わずかに頷いたように見えた。
今回の話の中で出てきた「天使」は、今後別の作品にも出てきます。