第4話 地中より
「う……」
サリアの目には涙が滲み、口からは小さく嗚咽が漏れ始める。
無理もない、今まで泣き出さなかったことこそ称賛に値する。
「泣いたって許してやらねーぞっ!
さあ、来るんだっ!」
グイっ、とバンダナの男はサリアの腕を引いて、強引に身体を引き寄せた。
「いやあああぁぁぁーっ。
お家へかえしてぇぇぇぇーっ!!」
サリアが、首をブルンブルンと振りながら絶叫をあげたその瞬間――、
ボコッ!
と、彼女の背後――崖下の地中から、突然に人の頭が現れた。
まだ若い、眼鏡をかけた長髪の青年だ。
「な……?」
「ち、地中から人が…………?」
あまりにも非常識な事態に、その場にいた全員が凍り付く。
そんな誰もが唖然とする状況下で、真っ先に我に返ったのはサリアであった。
「ハッ!」
(地面から出てきた人に気を取られて、あたしの腕をはなしているっ!)
サリアは慌てて男から身を離した。
そして次に彼女が取った行動は――、
「いや~、まさか土砂崩れに巻き込まれるとは……。
そう言えば土地の人が2~3日前に、大雨があったって言っていましたものね……」
「お願いっ、助けて下さい!」
「ハイ?」
サリアは地中から現れた青年に駆け寄り、助けを求めた。
どちらかと言うと、この男の方が誘拐犯よりもヤバイ相手のような気がしないでもないが――なにせ、地中から出てきた訳だし――もう背に腹はかえられない。
藁をも掴む思いであった。
「あっ、テメーっ、いつの間に?」
今更のようにサリアが逃げ出していることに気付いたバンダナの男は、驚きの声をあげた。
かなり鈍い。
「いつの間にって……勝手に手をはなしたんじゃない……」
「う、うるせぇー!
とにかく、そんなガリガリの兄ちゃんに助けを求めたって無駄だぞ。
怪我人を増やしたくなかったら、大人しくついてこい」
「おう、そうだぜ。
場合によっちゃあ、お嬢ちゃんの所為でその兄ちゃんが死ぬことになる。
そう言う訳だから、兄ちゃんも大人しくていた方が身の為だぞ」
2人の誘拐犯は凄みをきかせた。
2人とも無骨な顔のつくりなので、凄まれると結構怖い。
片方は左の目のところに大きな傷痕があるのでなおさらだ。
ただ、その脅し文句がいかにもありきたりで、そこら辺のチンピラの域を超えていないところがなんとも情けなくて少し笑える。
……が、それは傍目から客観的に見た場合であり、今まさに誘拐されようとしている当事者のサリアにとっては、これまで生きてきた中でもトップクラスに怖い思いをしていた。
ちなみに、「怖い思いワースト1位」は、家宝の壺を誤って割ってしまった際に、激怒した父に思いっきり折檻された時である。
それは苦い敗北であった。
その時のサリアは、「児童虐待」として法の場に訴え出ようかと本気で思ったものだ。
しかし、こんな状況になってしまうと、その憎たらしい父親にもう1度会いたいとサリアは思う。
そう、もう1度会ってあの時の復讐をするのだ……と、とんでもないことを考えていた。
しかし、それはもう叶かなわないかもしれない。
そう思うとサリアは、何だか無性に泣けてきた。
そんな彼女へ、
「なんなんですか…………?」
状況をよく理解していないのか、青年はとぼけた調子で問う。
全く緊迫感が無かった。
「あたし、誘拐されそうなんですっ!」
「へ…………?
あ~誘拐! そうですかぁ、誘拐ですかぁ。
へえぇ~、初めて見ますよ、私」
状況説明を受けてなお、青年はまるで何も理解していないかのように、呑気な口調で感嘆の声をあげる。
何だか全然頼りになりそうに無い。
むしろ状況が悪くなったのではないか、とさえサリアは思った。
(…………………………助けを請う相手を間違えたか)
絶望のあまりサリアは白く燃えつきた。
だが――、
「ふむ、誘拐とは見過ごす訳には行きませんね……」
と、青年は男達の方へ歩み寄って行く。
「ンだぁー?
てめぇ、やるのかぁ?」
「いえいえ、私は腕力には自信がありませんから……。
ここは話し合いましょうよ、ね?」
「ふざけてんのかぁ、コラぁっ!」
青年の全く脅えを感じさせない態度を受け、自らが舐められていると感じたバンダナの男は、激昂して青年に殴りかかった。
「うわっ、危ないじゃないですか!?」
しかし、青年は「ヒョイ」と男の拳をかわす。
「この――っ!」
バンダナの男は更に殴りかかった。
しかし、何発打ち込んでも拳は1発も当たらない。
ヒョイヒョイと青年は逃げ回る。
そんな状況に業を煮やしたのか、目傷の男も青年に襲いかかってきた。
だが、2人がかりでも青年を捉えることができない。
「くっ、ちょこまかと……」
「おおっ!?」
サリアは目を見張った。
(頼りない人だと思ったけど、実はけっこー強い?
緊張感が無かったのも、その強さに裏打ちされた余裕があったからなんだね!?
これは助かる……?)
サリアは安堵の吐息を漏らす。
「全く、しつこいですねー。
こんなの疲れるだけだし、引いてくれませんか?」
しかし、青年は男達を説得するだけで、一向に反撃する様子を見せなかった。
また、男達も聞く耳を持たず、攻撃の手を弛めない。
これではいつまで経ってもラチがあかない。
時間が経過するにしたがって、サリアはだんだん不安になってくる。
「お兄さーん! 早くその人たちを黙らせてよ。
このままじゃ逃げられないよ~!
できるんでしょ?」
「むう……暴力は好かんのですが、仕方がありませんね……」
サリアの急かすような呼びかけに、青年は険しい顔をして頷いた。
「とうっ!」
何処となく間の抜けたかけ声と共に、青年は男達の延髄に手刀を叩きこんだ。
男達の動きが止まる。
「やったっ!?」
サリアの歓声――。
しかし青年は、怪訝そうに首を傾げている。
「あれ……?
おかしいなぁ……。
確かに本に書いてあった方法では、今ので人を気絶させられるはずなんだけど……?」
「……………………え?」
男達は一向に倒れる気配を見せず、ただ震えていた。
もう初夏なので、寒いのではないだろう。
顔が紅潮しているのでたぶん怒っている。
「舐めてるのか、コラぁっ!?
痛くも痒くもねェぞぉっ!?」
「む……効いてませんか。
何故だろう……?」
先程、「腕力に自信が無い」と言っていたのは誰だ。
(た、只の……お、大ボケだ……)
サリアは絶望のあまり、ヒクヒクと痙攣しながら地面に突っ伏した。