第3話 人さらい
唐突に訪れた窮地に、少女の口元は痙攣したかのように、ピクピクとひくついている。
勿論、顔面は蒼白。
「こうなったら引き返すしかないんだけど……」
少女は恐る恐ると振り返る。
その視線の先には、まだ数十mほどの距離はあるが、確実にこちらに迫る2人の男の姿があった。
今から引き返していたら、確実にその2人組に捕まる。
かと言って、藪の中に逃げこんだところで、不利な状況はさして変わらないだろう。
あるいは追っ手との距離がある程度あいていたのならば、身を隠してやりすごすことも可能だろうが、既に隠れようにも相手から丸見えな距離である。
そして、ただひたすらに走って逃げるにしても、木の根や下草が多くて足場の悪い藪の中では、そうそう素早く移動できるものではない。
それは追っ手の2人も同じ条件ではあるが、やはり大人と子供の歩幅では移動スピードが全く違うし、スカートのような枝などに引っかけやすい物を穿いた少女ならば、なおさら速度は期待できないだろう。
このままではどうあがいても、少女が男達に捕まってしまうのは明白であった。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう、はうううぅぅぅーっ!!!!
って……どうしようもないの!?)
少女はこの危機を脱する方法を探す為、必死で周囲をキョロキョロと見渡し、しかし自らを救う為に役立ちそうな物も、アイデアも全く見つからず、ついにはパニック状態へと陥った。
あたふたとする少女の頭の上では、虎縞リスネコが迫り来る男達に向けて、なけなしの小さな牙を剥いて「フーッ」と威嚇している。
が、当然男達に対しては、何の脅しにもならない。
「ウエッヘッヘッヘ……」
どことなく芝居がかった下卑た笑い声をあげながら、男達は少女にゆっくりと――もう少女が逃げられないだろうと判断したのだろう――歩み寄ってきた。
2人の男は、共に30歳前後の中年であった。
どちらもみすぼらしい身なりではあるが、簡易的な革鎧や短刀で武装している。
ただの浮浪者ではなく、明らかに盗賊の類であるようだった。
その内の1人が、少女に向けて更に間合いをつめてきた。
「ヘッヘッヘ……大人しくしていろよ、お嬢ちゃん」
「ヒ……っ!」
少女は激しく脅えた。
それも当然のことであろう。
男の様子が尋常ではなかったのだから。
男は頭にバンダナを巻いていた。
しかし、それもファッション的なものではなく、どちらかと言うとまるで若禿を隠しているかのような印象があった。
実際、バンダナに覆われていない部分を見ても、髪の毛と名のつくものはモミアゲさえ1本たりとも確認できない。
しかも彼の体型はやや固太りで、顔も輪をかけたように無骨な目鼻立ちであった。
そんな彼の外見だけを見て取れば、いかにも女性とは縁遠そうな雰囲気であり、実際に縁は無かったのだろう。
大人の女性に無視され続けたからなのか、彼が少女に向ける目には、一般人が幼い子供へと送る視線とは根本的に違う感情が注ぎ込まれているようであった。
更に両手の指をワキワキといやらしく蠢かし、目も充血させ、鼻息を荒くして少女に迫る彼の姿は、変質者以外の何者でもない。
「…………お前、危ない奴みたいだなぁ(ちょっと引き気味に)」
あ、仲間にまで突っ込まれた。
しかし、盗賊の類いが言う台詞ではない。
お前が言うな、である。
「こ、来ないでよっ! あんた、あたしみたいな年齢の子供に手を出したら、どうなるか分かってるの?
すっっっごく罪が重たいのよ?
場合によっては死刑にだってなるんだから。
今なら未遂ってことで見逃してあげるから、さっさと何処かへ消えなさいよ!」
少女は精一杯の強がりで男に告げた。
しかし血の気の失せた顔の青さと、身体の震えは隠しようがない。
隠せるはずがなかった。
今、彼女は女性として最悪の状況に置かれている。
貞操の危機であった。
しかも、下手をすれば命まで奪われるかもしれない。
いや、相手の顔を見ている以上、その公算の方が高い。
この状況で脅えを隠せるほど少女は大人ではないし、修羅場をくぐった経験も無いのだ。
そんな少女のなけなしの虚勢は、男達には通用しないようであった。
「オラ、こっちへ来るんだっ!」
バンダナの男が少女の細い腕を掴み、強引に引いた。
「いやあぁぁぁぁ~っ!
はなしてぇぇぇ~っ!
犯されるぅぅぅぅぅっ!?」
少女は甲高い絶叫をあげた。
こらこら、女の子が「犯される」なんて、下品な言葉を使っちゃいけないよ。
「輪姦されるぅぅぅぅぅ~っ!?」
……それはもっと駄目。
少女の叫びに対して、男は大声で怒鳴り返す。
「誰が輪姦すかっ!?
……残念ながら、今回はそういった用件じゃないんだよ、お嬢ちゃん」
「……残・念・な・が・ら?」
再び仲間の男が突っ込みを入れた。
そんな仲間の声をバンダナの男は無視して、
「今回はお嬢ちゃん自身じゃなく、その肩書きに用があるんだよ」
「肩書きに……?」
少女はハッとした。
なるほど、そう言うことか──と。
「俺達は、ファント領々主の御令嬢、サリア・カーネルソンに用があるんだ。
なぁに、身の代金の払いさえよければ、無事にお家に返してやれるかもしれないぜ」
つまり、これは性犯罪ではなく、誘拐事件なのだ。
「……誘拐するなら、もっと大貴族のお子様の方がいいよ?
だって家のバカ親父って実直で要領も悪いから、地位の割には私腹肥やしてないもの。
だから、あたしを攫ったって実入りは少ないよ?
そんな訳で、あたしはすぐに解放ってことで……ね?」
少女――サリアは男をなるべく刺激しないように、明るい調子で言った。
だが、最後の方は懇願に近かったかもしれない。
まあ、その気丈さと、それを持続できない儚さの入り交じった健気な姿には、「同情を引けるかもしれない」という計算もあった訳だが……。
末恐ろしい娘だ。
しかし――、
「それでも俺ら宿無しよりは、金持ちだろ」
サリアの作戦は無駄に終わった。
「それに……まあ、金だけが目的じゃないって、兄貴も言っていたしな」
「お金だけが目的じゃない……?」
サリアの顔には、不安の色がありありと浮かんでいた。
男達の目的は「金だけではない」。
これは彼女にとって、非常にまずい材料だと言えた。
なぜならば、この男達が身の代金を手に入れても、サリアは解放されない可能性が高いからだ。
彼らが一体金品以外にどのような目的があって彼女を誘拐しようとしているのか、それは現段階では分からないが、例えば身の代金以外にも政治的な要求を出すのかもしれない。
そうなれば、サリアの父である領主が身の代金を用意しただけでは、問題は解決しなくなる。
そう、こと政治的な要求であれば、領主の一存で決められることばかりではないからだ。
間違いなく事件は長期化するであろう。
また、この誘拐が領主などの権力者に対する怨恨が原因で計画されたものならば、サリアの命はまず助からない。
見せしめとして殺される可能性が高かった。
たとえ助かったとしても「死んだほうがマシだった」、と言うような目に遭わされることだってあるかもしれない。
そもそも、テロリストの要求に応じないのは、政治に携わる者の鉄則である。
安易に要求を呑めば、模倣犯が続出することになりかねないのだから、ここはサリアを見捨てでも誘拐犯には厳しい処断を行うという、冷徹な態度が領主には求められる。
それは娘の目から見た父の性格を考慮しても、決してありえない判断ではなかった。
(あの頑固親父ならやりかねない……)
――と。
つまり今のサリアは、これから死を覚悟する準備が必要な状況に置かれている──という訳である。
夜の方が読者が多いと思って、予約掲載設定を使ってみたけど、設定をミスって即更新されてしまったので、また明日挑戦してみます……。