そこはあたかも地獄のような世界
人が通りかかるのを木の上から眺めていると、ガサゴソと茂みを何かが移動するような音が聞こえる。その音の方へと視線を移すと、そこには鎧に身を包み、大剣を背負った人たちがぞろぞろと森中を歩いて進む姿があった。
方角的には俺が処理した賊の拠点がある位置に向かっているが、分かっていたのならもっと早くに、それこそ馬車が被害に遭う前に動くはずだ。だとすると目的は別なのかもしれないが、その方角には何もないことを俺は知っている。
まさか目的もなく歩いているわけではあるまい。
足音に最大限注意して、一定の距離を保って追跡すると、やはり物々しい格好の彼らは慣れない森歩きに息が上がっているが、その行き先は明確だ。
迷いなく歩き進む彼らは、そこまで行くと周囲の警戒に当たる。
そこは賊の潜伏していた洞窟。
おそらくは、洞窟の存在は元々知っていて、商人か何かの賊の襲撃報告を受けて、この洞窟が怪しいと調べに来たのだろう。賊に被害を受けて被害届を出さない方がおかしな話だしな。
それにしても、どうして森中を鎧で移動なんてマネをしているのだろうか?あんな動き難い格好では戦えまい。
周囲の安全を確認し終えた兵士たちが集まり、彼らは隊列を組んで洞窟の中へと入っていく。俺はその後を足音を立てないように、というか壁を這ってさらに見つかり辛いように移動する。
賊は全て殺したので、洞窟内の松明の火は全て消えている。なので真っ暗で、明かりは数人の兵士が持つ松明のみだ。
この調査が終わったら彼らに街に連れて行ってもらえる。その前に賊から回収しておいたこの世界のお金(?)を取りに戻ろう。しばらく彼らはここを調べるだろうから。
そう思って引き返そうとすると、何やら物音がして、天井に張り付いて息を潜める。何かがいる。だが、あれは何だ?物音からして、人ではないし、狐や狸のような動物にも見えない。
シルエットだけだから判然としないが、すごく小さな二足歩行の……どこか人間っぽさを感じさせる足取りの生物。
そしてもう一つ。謎の浮遊する球体。あれもどうやら生物のようだが……
それらは俺には気付かずに、そのまま奥へと進んでいってしまう。臭いなんかで気付くものだと思うが、そういう生物ではないのか、それとも少し前から漂い始めた悪臭が原因で気付けないのか。
その先には俺を街まで連れて行ってくれる兵士たちがいる。
気になるな。
俺は地面に降り立ち、それらの様子を見に行くが、すぐにそれを後悔する。
それらは兵士に追いつくと、彼らを背後から襲い出した。その時兵士の手から松明が落ち、その小さな生物の全貌が明らかになるが、それはまるで小人だ。
小麦色の肌をしたそれらは、体の大きさに対して腕が長く、尖った耳や鋭い爪を持つ。
そして球体。それは顔の様に見えるが、そうだとしたら頭が浮いているということになる。肌は青みを帯びた醜悪な風貌をしており、その口と思われるものは歯茎が剥き出しで、そこから垂れる液体はひどい腐臭を放つ。唇がなく常に垂れているので、俺の近くにもその跡が残っており、そこからも腐臭がしている。
小人は兵士に飛びかかり鎧を何度も叩いているが、西洋風の鎧は身を守ることに重点を置かれたものだ。そんな攻撃ではビクともしない。
このための鎧だったのか、と感心していると、小人が鎧の隙間に腕を突っ込み、内側から血が漏れ出す。
これでは全く意味がないな。ただ動き難いだけの、最早枷として働いている。
大剣を引き抜いても、こんな狭い場所で振れるはずもなく、浮遊物体に頭から齧られている。こうして見ると、あの浮遊物体は人の頭に噛み付けるほどの大きな口をしているということだろう。中々の大きさだとは分かってはいたが、小人と一緒にいたから大きさの目安にはならなかったんだよな。
しかし、あの浮遊物体はあの鎧を噛み砕けるのか?
そう思って注視していると、頭から兜が落ちた。その兜は噛み砕かれたとは思えないような壊れ方をしていて、その破損部にはろうそくから蝋が垂れるかのように、謎の液体がツーっと伝ってそして固まる。
まさか……溶けたッ⁉︎
あの唾液は鉄をも溶かすというのかッ⁉︎つまりは強力な酸のようなものなのだろうと予測できるが、そんなものを内包する生物が存在なんてするのかッ⁉︎
あまりの異臭と凄惨な光景に食道を熱いものが上ってくるが、それを出しては奴らに気付かれるかもしれない。なんとかそれを押し戻し、その様子を観察する。
もしかすると、あれらは森に生息しているのかもしれない。そうなると、俺が襲われることになる可能性も出てくる。その時対策法を知っていなければ、俺も彼らと同じ未来を辿る。
あんなのに殺されるのはごめんだ。
今すぐここから逃げ出したい気持ちはあるが、足の震えが収まるまでは動けない。今にも倒れそうだが、それはなんとか持ち堪える。
そうしてじっと様子を眺めていると、あることを発見する。それはずっと燃え続ける松明……から飛び散った火花。それは小さな火だが、黒いシミのようになっている場所へ落ちると、少し火が大きくなりその場で燃え続ける。
あのシミはあの化け物の唾液によるシミだ。つまり、あの化け物の唾液は可燃性で、あの化け物には火が効くのかもしれない。まだ断定はできないが、それがわかっただけでも儲けもんだ。
あの小人には何が効くかわからないが、兵士に体当たりで退けられているところを見ると、そこまで力は強くない。体が硬いということもないからナイフで殺せるだろう。
あの球体生物は火が効くのか、検証したいが動けないから彼らに任せたいのだが、ほとんど生存者はいない。すでに何人もやられて、残る数人も半分諦めているな。助けようとは思わないし、助けたいとも思わないが、死んでほしいとも思っていない。
彼らが死んだら動けない俺はどうなる?想像したくはないが、そういうことを想像してしまうのが人間という生き物だ。無駄に想像力豊かになりやがって。
しかし、困ったことばかりではない。そのおかげで、自分が今どうすべきかも想像できる。
あれの対処法があっている前提で行動する。失敗したら、死ぬな。
覚悟を決めると自然と体の震えが止まる。あの時俺は一度死んだ、はずだ。だからこそ、死にたくないという思いは以前より強くなっているし、だからこそ、この状況を俯瞰しているような、そんな感覚さえ覚える。
俺は水筒を球体生物に投げつける。俺の居場所を伝えるために。
そして、そいつは俺の思惑通りにこちらにフヨフヨと空中を漂い移動してくる。
壁を登り接近してきたそれに降りて、すぐに蹴って松明の方へと飛び降りる。そのまま転がって松明の下にたどり着くと、それを拾い上げてまとわりついてきた小人たちを追い払う。
体は硬い。やはりほとんどの攻撃は通じないか。ナイフの刃も通りそうにない。
その球体生物はくるりと向きを反転させて、こっちへと向かってくる。息を荒くしているので、きっと足台にされたのを怒っているのだろう。と予想したが……そんなに賢くないか。
口をずっと開けているのでそこへと松明を投げ入れると、内側から燃え上がってその生物は破裂する。
危ねえ!と、咄嗟にそばで倒れていた兵士を盾にする。俺はそれで助かったが、小人たちはその破片によって蜂の巣状態だ。
兵士たちは?そう思って生きていた兵士たちに目を向ける。無事ではないが生きている。
いま俺たちがいる場所は、球体生物の破裂によって飛び散った体液に移った松明の火によって照らされている。
小人はもう動かないな。破片だけでなく、体液によってところどころ溶かされていて、やはり全て絶命しているか。
兵士の一人が悲鳴を上げて地面を転げ回っているが、体液によって鎧が溶かされ体にかかっていたようだ。
俺は死体を壁にしたから、人間と鎧のかなりの分厚い壁のおかげで無傷だったが、彼らは鎧しか身を守るものがないからな。そうなってしまうのも仕方ない。
「君、さっきは助かったよ。彼らを代表して礼を言わせてくれ」
今更だが、言葉が理解できるのは何故だろう?
別の地域の人の言語が偶然一致する、なんてことはあり得るのか?
世界を見渡して、日本語を話しているのは日本民族だけだ。当然話せる人はいるが、ここで俺が言いたいことは、民族としてその言語を中心に話しているものはいない、ということ。ただ確認されていないだけかもしれないが、英語やドイツ語など、言語は祖語から変化していったと考えられるが、その結果いくつもの言語として世界に存在していたことになる。つまりは言語は遅かれ早かれ変化していくものだ。
それを踏まえた上で、俺は日本語しか喋れないが、彼らの言葉が解る。そしておそらく、彼らも俺の言葉が解る。
環境が変われば、信仰が変われば、言語は変わりそのものに対する表現方法も増えもするし減りもする。
あまりにも不可解で、俺の夢であればそれだけで説明できるが、この痛みを本物だと脳は認知し、これが夢であることを否定する。
俺は思考以上に人間『らしい』営みはないと思っている。
人間らしい営みって何?と、何も考えずに暮らす人々に聞けば、いったいなんと答えるだろうか?会話だろうか?仕事だろうか?お金によるやりとりだろうか?しかしてそれは思考無くして存在せず。
だから俺は思考するのだ。言語という世界の切り口を見つけたのだから。
そう思考を巡らせ続けていると、兵士は仲間の下へ走り、体液に焼かれた兵士に肩を貸して、もう一人と一緒に体を持ち上げる。
グチャリ グチャリ
何か嫌な音が聞こえ、周囲を見渡すが変化はない。精神衛生上ここにいるのはよろしくないと判断した俺は、すぐに洞窟を出ようと出口へ小走りで向かう。
ガシャンガシャン、と何か鉄のような物が崩れる音に振り返る。振り返るのはダメなフラグだ。ホラー映画やホラーゲームでよくあるよな。
そう、ダメだったんだ。振り返らず真っ直ぐ出口へ向かうべきだった。
兵士たちはそれを見て言葉を失っていた。
二人に運ばれていた兵士。その兵士の兜が転がっていて、兜の取れた兵士の口から無数の触手が伸びていた。
すぐには理解が追い付かない。
それは見るからに奇妙で、異常で、狂気で満ちていた。
突然笑い出す兵士たち。立て続けにひどい景色を見てきたのだ。正気を保てる人の方が少ないだろう。
笑う兵士たちは、伸びる触手が絡みつき、骨の砕ける嫌な音とともに口の中へと運ばれる。
止まっていた震えがまた発症する。
走れ!走れ!走れ!そう何度も心の中で叫ぶが、体は震えて動こうとしない。
鎧が砕け、中からは人の原型を留めない化け物が出てくる。
大きく膨らんだはらに、体の内側で蠢いている触手。そして結び目の解けたヘソからは、いや、解けたではなく突き破られた、が正しいのかもしれないが、そこからはピョコピョコと動く触手の尻尾のようなものが出ている。
人間を二人も飲み込んだのだから、体が大きいのは当然だが、流石に大きすぎる。天井にも左右の壁にも体が密着している。いくら洞窟内は狭いと言っても、通路を塞ぐほどとなるとかなりの質量が必要だ。
それから触手が伸びる。足が言うことを聞かない。
死ぬ!そう覚悟した。
もう立っていられず、できれば触手からは遠ざかりたいと、後ろに向かって倒れ、そのままの勢いで背後へと転がっていく。
その直後、ひどく大きな音が響いた。
天井が崩落した。
さっきの化け物が天井に擦れていたので、それによって元々脆くなっていた天井が崩れた、といったところか。恐怖が去った、とは考えがたいな。だが、今のうちに離れておくべきだろう。
あれはどうして兵士の中から出て来たのだろうか?あれは寄生虫のように人の体内に潜伏していて、成長すると姿を現わすのだとすると、どこも安全とは言えない。
あの洞窟にいたのだとしたら、俺もすでに入られている可能性がある。しかし、それならあの賊たちがなっていてもおかしくはないし、そうならなかったから洞窟が原因ではないような気がする。球体生物や小人も、洞窟外から来ていたことだしな。
俺は洞窟から離れ、荷物を置いてある場所へと行き、持ち物を確認する。しかしそこには、特に変わったことはない。どれを見ても普通の食べ物だ。触手の化け物の子供のような生物は確認できない。虫の卵のようなものが付いているということもない。
全ての荷物を持って、道路の監視に戻る。
あの球体生物や小人は上にはあまり注意を払わないようだったが、木の上にもああいうのがいる可能性は拭えない。それに、人の手のほとんど加わっていない森というものは、虫や動物のテリトリーだ。蛇等危険な生物もいるだろうし、あまり登りたくはない。
できる限り早く人を見つけたい。
そういえば、彼らはどうやって来たのだろうか?
兵士たちがこの森に来た方法。それは間違いなく徒歩ではない。あんな格好では長距離移動なんてできない。だから、きっと足が用意してあるはずだ。
帰りも必要になるので待機させているに違いない。そう判断した俺は、彼らが通って来たであろう場所をなぞり、その先にあるであろうものに心踊らせる。
ようやく町に、ベッドで寝られる。
いくら浮かれているとはいえ、警戒は怠らないのが俺。そこには一台の馬車が停めてある。やはり馬車なのか。初めての馬車に興奮しながらも、まだ安全確認ができてないので様子見。
あれが御者か?
馬車の中から出ていたその男は、桶のようなものを持ち、たくさんのりんごのようなものが入っている。にんじんじゃないのか。馬といえばにんじんのイメージがあったが、他のものも食べていたかもしれない。そう考えると、この世界の馬も俺のいた世界の馬と大して変わらない生物なのかもしれない。
多分大丈夫だな。そう思って坂を下り御者に声をかけ歩いていく。
話しかけるのはやはり勇気がいるな。すっごい恥ずかしい。
「どうしたんだい?こんなところで?」
正直に話して信じてくれるはずがない。この設定は後に響くからしっかりと考えないとな。そうだな……
「記憶喪失でな。名前は思い出せるが、どうしてここにいるか思い出せないんだ」
「そうかいそうかい。それじゃ、町まで乗ってくかい?」
「いいのか?」
社交辞令の可能性を考慮して確認を取る。
「あったりめーよ!」
ここは厚意に甘えておこう。
「助かる」
こんな森、一刻も早く抜け出したいからな。
「少し待っててくれよ。兵士たちがそのうち返ってくるでな」
このおっさんは気前が良く、俺に食料をぐいぐい進めてくる。俺は大丈夫だと言うが、それでも進めてくるので、少しいただいておく。
俺はそれを口へ運ぼうとして、やめる。
「どうしたんだい?」
「……」
あんな光景を目の当たりにして、食料が喉を通るはずがない。
「兵士たちを見た」
俺の言葉が男に変に解釈され、どうしてか納得し出す。
「だからここに来れたんだな。アンさん、運がいいねぇ〜」
「運がいい?」
「そうだよ?この森は賊がいるし、危険な魔物もうじゃうじゃいるでな」
危険な魔物、おそらくあの球体生物や小人のことだろう。しかし、そんな生物がいる場所で護衛も付けずによく残っていたな。
「どうして護衛がいないんだ?」
そこを訊ねると、おっさんは少し困ったような表情をする。訊いてはマズかったか?
「もう一台くるはずなんだがね。どうやら遅れているようで。そこの兵士の何人かが護衛として残る手はずなのだ」
困っているのはもう一台の到着が遅いことだったか。それなら、訊いてもとくに迷惑がられている様子もないし、俺の言葉の選択ミスじゃないな。
そういえば、あの触手の化け物、人間から出てきたあれは何だったのだろうか?
「触手の化け物。触手の化け物もこの森にいるのか?」
俺が何を指しているのか少し悩み、思い至ったのだろうか顔を上げて怪訝そうな顔をする。
「ディモシードのことかい?」
俺が首を傾げると、そうだったなと何度か頷いておっさんは説明を付け足してくれる。
「ディモシード。かつて存在した魔王が倒された時の魔王の残骸一つ一つが、生物として行動しだした。それらはどれも強力な魔物となったが、その中で最も厄介とされるのが、ディモシード。人に巣食いて力を貪る。倒しても残骸があればそれがまた人に巣食い、成長すればまた暴れる」
魔王なんてものがいたのか。この世界は俺のいた世界とは随分と違うらしい。
あの化け物は、たしかに人から出てきた。説明されたディモシードと特徴が一致しているらしい。
倒してもまた復活する。そんな情報があるということは、かつて倒されたことがあるということ。
あの化け物を倒す?馬車が走るこの世界で?いったいどうやって?
ガタガタと音を立てて走ってこちらに向かってくる馬車がある。それは俺たちが待つ馬車の横につけると、中から兵隊がぞろぞろと降りてくる。
「おっといけねぇ。忘れてた忘れてた」
外の様子を眺めていた俺の横を通って、馬車の御者さんが降りていく。どうしたのだろうと様子を眺めていると、今止まった馬車の御者さんに挨拶をしに行ったようだ。
今更だが、名前を聞いていなかった。
兵士たちが俺が来た方角へと向かっていく。それは、時間をずらして送り込むことで、有事の際の撤退をしやすくするためだろう。しかしそれは、撤退する場合に活躍する部隊なわけで、彼らには緊張感はない。
俺は御者たちが話しているところへと向かう。
「アンさん、どうしたんだい?」
「話の続きだ。そのディモシードとかいうのはどうやって倒されたんだ?」
ディモシードがあの程度で死んだとは思えない。生きていると仮定して考え、そして、現代日本で洞窟の崩落事故が起きた際にその中に人がいると推定される場合どうするのかを考える。当然瓦礫撤去を行う。
この話が有名なものなら、彼らも倒し方を知っているだろう。だが、もしあまり知られていない話であれば、彼らは岩を片付けディモシードを助け、そして食い殺される。俺は善意で人助けはしない。だが、情報くらいは提供する。
「ああ。それなら、国が集めた何十人もの腕利きの魔法使いが一斉に魔法を放ってようやく倒したんだ。でも、その魔法使いの一人が寄生されて、またそれで魔法使いが集められてって、そんなことの繰り返しでさ。倒したって言っていいのかどうか……」
たしかにそれは怪しいところだな。寄生しまた復活しているなら、倒せてないってことだからな。完全に殺すのは至難の業だろうし、現代日本の技術があればと思ってしまうな。
しかし、俺にはそんな専門知識はないし、この世界では馬車が使われている。それほどまでに技術が遅れている。例え俺に知識があったところで、この世界の技術では製造できないだろう。
魔法があると言っているが、それは俺には使えるのだろうか?
ディモシードを倒さないにせよ、魔法は覚えておいた方がいい。他の魔物も恐ろしいものばかりだからな。
「お、おい!アンさん!どこに行くつもりだい⁉︎」
おっさんの声を無視して、俺は兵士たちを追いかける。
あんな装備だ、森を歩くのは遅く、俺はすぐに追いつけた。そして後ろから呼び止めるが、鎧から発せられる音で掻き消される。これだけ鎧の兵士がいれば、聞こえなくなるのも仕方ない。一人くらいは気付いてくれてもいいと思うけどな。
俺は木々を飛び移り、兵士の前へと降り立つ。
「なんだね君は」
先頭の兵士が兜の下で睨んでいるのが分かる。しかし、怯んでいる場合じゃない。
「ここから先へは行かない方がいい」
俺は本気で睨み返す。これでこの先の危険性が理解できるだろ。
「そうか……貴様、何か隠しているな?」
おっとそうきたか。それならもう止めはしない。だがもう一つだけ情報をあげておこう。
「お前ら以前に兵士たちが来ていたが、洞窟内で魔物に襲われた。小人と謎の球体生物、そしてディモシードに」
ここまで言えば止まるだろうか?それとも俺がけしかけたと思われるだろうか?どちらでもいいか。俺は正直に情報を伝え、その俺の善意をこいつらは疑っているわけだからな。
「俺は伝えた。後はお前らに任せる。ただ、この先の洞窟は崩れているから、兵士の死体が回収したいなら、岩を片付けてぐちゃぐちゃになった死体を掘り起こすんだな。まあ、そうなればディモシードが顔を出すこと間違いなしだがな」
嫌味ったらしくそう言い捨てて、俺は木に登り、飛び移って兵士たちを森に残していく。
「たしかに、俺のようなやつは信用できないよな……」
そう小さく言葉を溢す。
馬車の中で兵士たちの帰りを待つ。
どれだけ帰りを待ったところで、そう思うのは俺だけだ。御者の二人は兵士たちの帰りを待つと言って聞かない。それで俺まで危険に晒されるのは嫌だな。そもそもどうして魔物が多いはずの森道に護衛も付けずに馬車だけで待機なんてしているんだ?
そういえば、兵士たちの後からあの化け物どもは来た。いったいどこから……
馬車が大きく揺れる。そこでハッとして気付く。
おっさんの悲鳴。なぜ気付かなかった……最初の馬車の護衛は2台目の馬車と兵士が来ることが分かっていたから兵士を残さなかった。しかし、その2台目の馬車の到着は遅れ、そしてその馬車から降りた残るはずの兵士まで、森の中へと向かってしまった。それはきっと御者が何かを兵士たちに言ったから。
馬車の外を覗くと、それは洞窟内にいたような魔物たちが。そしてそいつらは俺に気付く。不用意に顔を出すんじゃなかった。
おっさんの他もちらりと様子をみたが、後から来た馬車の御者の口に運ばれているところだった。そんな景色を一日で二度も目撃することになるなんて。
吐き気を堪えながら、思考を巡らせる。
荷台の壁が球体生物が飛ばした唾液によって溶かされる。厄介な球体生物は一体のみ。それなら……松明の予備にマグネシウムの棒とナイフを擦りつけて着火する。その松明を持って他の樽を蹴って中身を確認すると、火のついた方が前を向くように槍投げのように持ち、それを全力で投げつける。
引火性がかなり高いので火花でも簡単に燃え移る。それを利用し、口の中に放り込むことはできなくてもぶつかりさえすれば、垂れ流しの唾液に引火して、そのまま口内まで火が移り、爆殺できる。
俺は慌てて樽に身を隠す。馬が動き出さないのは、おそらく最初に揺れた時に殺されたから。俺が様子見した時にはすでにいなかった。
つまり、馬車の前方にはディモシードのみしか存在しない。そちらに背を向けるのは少々あれだが、あれの爆発はディモシードも無傷では済まないだろう。
案の定荷台の屋根が剥がされディモシードが中を覗き込むが、それとほぼ時を同じくして球体生物が爆発する。その唾液や破片を受けて怯むディモシードだが、反対に俺は樽で身を守り、すぐに次に行動を移せる。小人も全滅したかな?
俺が立ち上がろうとすると、馬車が傾き俺はバランスを崩す。時が止まったような感覚。あの時俺は死んだ。その時に近い感覚だが、あの時とは明らかに違う。一度死を経験したからか、スーパースローの映像を見ることができるようになったのか?バランスを崩したがそのまま腰を下ろして荷台を滑り降りる。
「悪いな!飯代も乗車代も払わなくて!」
そうやって死んだおっさんに詫びて、荷物を持って全力で坂を登り、森の中へと逃げていく。
途中で振り向き馬車の様子を確認すると、片方の車輪が壊れてしまっていた。壊れてしまったから傾いたのか。
そして、小人は数匹生き残っていたが、ほとんどが死んでいるな。この数なら敵じゃない。一番の問題はディモシードだ。なんとかしないと生き残れないよな。
森の中を木々を飛び移りながら方策を巡らせるが、当然見つかるわけがない。
かなり距離を引き離したはずだが……
木の上で休憩していると、木々が薙ぎ倒される様子が見える。やっぱり追ってきているよな。だが、俺は森の中にいて、居場所は特定されていないはずだ。
そうして冷静に分析していると、反対側でも似たようなことが起きていることが見える。俺は無意識によく知った道を使っていたようだ。その方が逃げやすいのはその通りなんだが、その道はあの洞窟に通ずる道だ。それなら兵士が掘り起こしたディモシードとかち合うのも当然のことだ。
兵士が何人も逃げてくるがその先にもディモシードがいるんだよな。それは気の毒だが、俺の忠告に従っていればディモシードが出てくることは、おそらくなかった。俺はもう助けてやらない。
俺はどちらとも違う方向に木々を飛び移り、二体のディモシードから逃れるようなルートを通る。こっから先の道は知らないが、腕時計と照らし合わせて方角を確認しながら進めば、同じ道をぐるぐる回ることはない。
再び逃げて、逃げて。
川が見えてきた。俺は地面に降りると、ディモシードが追ってきていないことに気付く。
「つ、疲れた……」
自分が持っていた水筒は洞窟内に置いてきたので、賊から貰った水筒の水を乾いた喉に注ぎ込む。
川ならそれに沿って進めばきっと町があるだろう。しかし、上流に行っても辿りつけはしないのでは?一番確実なのは川を下ることだが、それにはディモシードがいる場所を通る必要がある。逃げる方向を間違えたな。
背後で茂みが人為的に動いたような音がする。
「誰だ!」
そう呼びかけると、兵士の内の一人が俺について来ていたようだ。全く気付かなかった。
「お、おい、あんた……あれがいること知ってたよな……」
「そうだな。だったらどうした?」
一度あれに打たれたのだろう。兜をかぶっていない。
頭を切っているな。バッグに入れてある布を一枚取り出し、巻きやすいようにナイフで切って渡す。手当ての仕方なんて知らないので丸投げだが、このまま放っておくわけにもいかない。こんな状況だからな。
「あれの倒し方、何か知らないか……」
腕利きの魔法使いを複数集める、なんて倒し方にはならない。ここに集めれるはずもないからな。
「そんなこと知るか」
俺のその答えを聞くと、兵士が舌打ちする。
「使えないやつだ……」
使えない?ふざけるなよ!
「お前が!お前たちが俺の注告に従っていれば、ここまで悲惨なことにはならなかった!それを、使えないやつだと?ふざけるな!俺は言ったよな!ディモシードがいるってさ!それを無視した愚か者は誰だ!その指示に従ったのは誰だ!」
なぜ俺が悪く言われなければならないのか。これだから人付き合いは嫌いなんだ。
俺は荷物を片付け再び移動を開始する。
「お前も移動した方がいいぞ」
再び俺は木々を飛び移ることに専念する。
ダメだ。これ以上は動けない。
かなりの大回りをして、俺は洞窟の傍まで来ていた。
足が痛い。もう逃げられない。
「あ、あなたは……」
そこには足を痛めているらしい一人の兵士がいた。兜を脱いでいるその人は、ここらに身を隠してやり過ごしたのだろう。
「無事な兵士がいたのか」
「こ、こんなことをして、心は痛まないのですか!」
心は痛まないのかだと?なんのことを言っているんだ?
「あなたが、あなたがあの魔物を呼んだのでしょうが!」
何それ?言いがかりにもほどがある。俺だって生きるために必死に逃げてるところなんだがなあ?
ディモシードは今はここにはいないが、いつここに来るか分かったものじゃない。
森も静かになったし、木々が薙ぎ倒された場所は見通しが良く、通ればすぐに気付かれる。そしておそらく森に潜んでいるディモシード。今はどこも危険地帯だ。そんな場所を移動するような勇気を俺は持ち合わせていない。
何か弱点があれば……あったとしてもそれを実行できなければ意味がないだろ!
こうして異世界に来てみてようやく分かったことがある。魔物に対抗できるほど人間の力は強くない。アニメや漫画は魔物を人間の力で倒せる都合の良い世界なんだ。現実は非情だ。チート能力の一つでもなければ、生きてなんていけない。強力な魔物相手では、人間がどれだけ束になっても、烏合の集に過ぎないのだから。
人間は数人では無力だから、社会を築きお互いを守り合っていることを再認識する。
人間の武器は知恵だ。しかし、それを相手が持たないと考えるのは早計だ。今回のはディモシードによって仕組まれていた。明らかに知恵がある。
そしておそらく、ディモシードの目的は兵士を殺すこと。だからといって俺を見逃してはくれないだろう。
はあ〜〜〜
これなら聖剣の一本でもつけてほしかったよ。
どうせ死ぬなら今度はもっとマシな死に方が良かったな。
そんな弱音を吐いていると、背後の森の木々の隙間からディモシードが顔を出す。ん?顔?なぜ俺はそう判断したんだ?
もしかすると、魔王の体の一部がこれになったが、その一部が今も健在で、それがこいつの力の源となっているのでは?
そしてそれは頭のようになっている場所にあるだろう。触手に覆われ攻撃できないように思えるが、目のように見える場所は触手で覆われていない。
ディモシードは俺が今まで見てきた中でも最大になっているが、その大きさは二体のディモシードを足してプラスαした大きさ。おそらく二体が合体した。そして頭部も大きくなっていることから、本体は二体ある?
それらが左右の目を形成していると考えるなら……
「つ、ついに来た……ッ!」
「動け!動けよ!」
痛む足を叱咤して、振り下ろされた触手をなんとか躱す。兵士が狙われていたら兵士は死んでいただろう。しかしディモシードは俺を狙った。兵士がもう動けないと分かっているのか?
「おい!お前!俺の言葉が解るか!」
見逃してもらえるならそれが一番楽だ。しかし、そんな申し出を魔物が受け入れてくれるはずがない。だが話してみないことには分からない。まあ、信用してやるつもりはないが。
「我に話しかけるとは、なかなか見所のある人間よ」
人間に寄生していたからか、元々魔王の一部だったからか、言葉は通じるらしい。
「偉大なるお前に!俺たち人間なんてちっぽけな存在でしかない!違うか!」
わざと人間を卑下してそう言う。愚かな存在であるのは確かだしな。
「ほう?それでは人間によって倒された魔王は、そのちっぽけな存在よりも矮小な存在だと言うのだな?」
これは交渉決裂っぽいな。残念だが、俺はここで死ぬかもしれないな。覚悟を決めて突っ込むか。
「いやいや。魔王を倒すなんて、そんなのもう人間やめてるから。今の人間にそんな力はない。だから、どうか見逃してほしい」
「ふむ?それが貴様の本音であったか。なんとも矮小なものよ。魔物に助けを乞うとは、落ちぶれたな人間よ」
なんと言われようと構わない。俺は死ぬのが怖い。生きたい。だから魔物だろうと助けを乞うさ。まあ、それで見逃すと返ってきても俺はこいつを殺せるかもしれない唯一の可能性に賭けるけどな。
「よいぞ。見逃してやろう。貴様など、食らう気が失せたわ」
「有難き幸せ」
兵士は信じられないものを見ているような表情だ。
俺は足を引きずりながらディモシードの横を抜けようとする。すると、予想通りディモシードから触手が伸び、俺を殺そうとする。
ディモシードの言葉だと、食らうのは見逃すとも取れる。だから、俺を殺そうとしている可能性は捨て切れない。そうなれば、常に動く準備はしておく。
足をわざと引きずって歩いて、足は使えないと思わせておいた。知恵はどうやら俺の方があるらしい。
伸びた触手を躱して、木を蹴り枝に手をかけそのまま遠心力でディモシードの頭まで飛び、袖から出したナイフを触手のない目の部位に突き立てる。ナイフを引き抜くと同時に、ディモシードが頭を振り回す。
効いてるようだな。俺の予想は当たっていたようだ。
素直な感想を述べるなら、こんなことはもうやりたくない、だな。生きた心地がしなかった。
触手の数が漸減していく。これは本体がやられた影響だろうな。ボロボロと落ちていき、やがては半分ほどの体積にまで縮んでしまう。
触手が俺を狙って何度も振り回されるが、片方目を失いその攻撃は狙いが雑だ。俺に当たりはしない。
しかし、今の行動で木々が薙ぎ倒された。これでは頭に攻撃が届かない。
俺は後一度、同じことをしなければならないのに、ディモシードはその対策法が分かってしまっただろうな。また森に逃げて同じことをしようにも、対策で木々を倒されては手も足も出ない。
元々逃げる体力は残ってないから、ここで決めなければ死ぬわけだが。
クソッ!兵士のくせして使えな過ぎる!俺は限界だってのに、俺に期待の眼差しなんて向けやがって!
「き、貴様ァアアア!よくも、よくもやってくれたなア!」
不意を突いたから攻撃が通った。もうそんなチャンスはないだろう。そして頭に攻撃を通せない。さらに兵士は俺に頼る気でいる。
誰か通りかかって助けてくれないかな?なんて、そんな都合よくはいかないよな!
拾った小石を投げつける。ナイフかも、と思い触手が頭を覆うが、ナイフを投げて狙った位置に飛ばせるわけ無いんだよなぁ。だから小石を放ったわけで、元々近くにいた俺は、静かに死角に回り込む。
足が動かないからと転がって逃げると、うーむ、やはり長距離移動はできないな。
こんなの一人でどうにかできるわけがない。だがあの兵士が動く様子はないし、万策尽きた今、俺はただ死を待つのみだ。
「これで終わりか?人間?ならば、その命を摘み取ってやろう」
俺を見つけたディモシードがその触手を叩きつけようとする。その時だった。
何かがディモシードの頭に直撃し、爆発した。そしてディモシードが仰け反る。その隙に俺はディモシードの下から抜け出し、その攻撃の主を確認する。
それは、頭に傷を負った兵士。俺が布を渡した兵士が魔法を放ったのだろう。
助かった。俺に任せ切りのクソ兵士とは違うな。しかし、あいつは既に息を切らしているし、何度も使えないだろう。
「どうしたディモシード!俺はこっちだぜ!」
ディモシードの本体の残骸を見つけた俺は、それを力強く踏み付けながらそう声をかける。
踏まれていたディモシードの本体が灰と化す。これで復活はないだろう。というか、ここまでしなきゃ倒せないのか。どうりで倒せてなかったわけだ。
触手を切り離すことで倒せたと勘違いさせていたのか。そこまでの悪知恵を働かせていたとは、賞賛に値するな。
「き、貴っ様アアアアアアアア!!!」
この動揺、これで完全撃破という予想は、どうやら当たっていたようだ。
俺は意味ありげに適当な方向を指差す。その方向を腰抜け兵士とディモシードは素直に向くが、何かあるわけねーだろ!バーカッ!!!
布兵士が魔法、おそらく炎の球、を放ち、それがディモシードの側頭部にクリーンヒット。全力だったのだろう。それで布兵士は倒れたが、それでいい。
ディモシードが俺の方へと倒れ、頭の触手の隙間に、俺はナイフを突き立てる。
このナイフはちょっと高いやつでね、切れ味は最高クラスだ。
グリグリと押し込み、触手がなくなるまでナイフを押し込み続ける。触手が崩れ落ちると露出した本体は、やはり小さくこんなのがあれになっていたなんて思えない。それにナイフをもう一度突き立てると、そこがら消え入りそうな声が発せられる。
「ま、待ってくれ……わかった。見逃す。だからこの場は帰るが良い」
こんな状況でも上からか。誇りは捨てないと言えば聞こえはいいが、人にものを頼む態度だからな。
「そうだな……」
「それでは……!」
「死ね」
ナイフの刃をねじ込むとそれは灰になる。
倒せた……
そう思うと足から力が抜けて、足を痛めていたこともあり尻餅をつく。
荷物から水筒を取り出し水を飲む。残りを、靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、腫れ上がった足にかけて冷やす。氷が欲しいところだが、こんなところにあるわけがなく、簡単に冷やせないのは辛いな。
布兵士が俺に駆け寄ってくる。
俺はその間、ナイフに付いた血を布で拭い、左袖に潜ませていたナイフで、血で汚れた布を切り落とし、汚れていない方の布に新しく出した水を染み込ませ、腫れた足に巻きつける。
靴を荷物にしまい、俺は地面に寝そべる。
「お前が勇敢な兵士で助かったよ」
俺は空を見上げながら、布兵士に言葉を投げかける。
「勇敢なのはあんたの方さ。倒し方を見つけ、兵士でもないのに立ち向かった。あんたすげーよ」
確かに俺は立ち向かったが、生き残るためだから当然だ。
「俺は生き残るためにとった行動だが、お前は俺が戦っている間に逃げることくらいできただろ?それでもお前は戦うために戻ってきた。あんたは立派な戦士だ。俺だったら逃げてたからな」
俺では足がこんなだから、逃げ切ることはできなかっただろうけど、この兵士は疲弊してはいるが足に傷を負っているわけではない。俺のように足が腫れ上がっているわけでもない。だから逃げ切れる可能性は充分にあった。
「俺はあんたに助けられたからな。そんなあんたを置いて逃げるなんて、俺が俺を嫌いになっちまう」
臭い考えだが、俺はそのおかげで助かった。今の俺にとっては有難い信念だったな。
俺は疲れている様子の兵士に、荷物から取り出した水筒を渡す。ついでに果物を渡すと、兵士は礼を言ってそれらを飲み込む勢いでばくばく食べる、飲む。
疲れでほとんど動けない。町までは歩けないな。都合良く馬車が通りかからないかな?
「あんた、どうしてこんなところににいたんだ?」
口に物を詰め込んだ兵士に訊かれる。
訊かれるだろうと思っていた質問。その返答は当然便利な記憶喪失だ。
「わからない。記憶がないんだ……かろうじて、自分の名前くらいは思い出せるが、それ以外は何も……」
「そうだったのか。それでは自分の家もわからないのか。なら、我が国に来るがいい。それなりの地位を与えられるよう進言しよう。何せあんたは、あのディモシードを倒したんだからな!」
ガハハと笑う兵士だが、気まずいことを訊いてしまったとか!そうしたはからいはないのか。日本とは文化が大きく異なるようだ。鎧も動きやすさが軽視された作りになっていたし、剣は両刃で刀とは異なる形状だからな。
謙遜する文化や相手を気遣う文化ではないのだろう。
だが、そのおかげで俺の行き場は確保できそうだ。野宿は厳しいからな。家をあてがってくれるのは有難い。
「地位はいらない。住める場所さえくれればそれでいいよ」
地位があるとなにかと面倒だろうしな。
俺が欲しいのは住居と社会による俺という存在の承認のみ。住民票のようなものさえ作れれば十分。最悪、家は自分で探すさ。文字が読めるかはわからないけど。
「謙虚なやつだな。まあいいか。ほら、立てるか?」
兵士が手を差し伸べるが、それに対し俺は足を指差す。それで兵士は気付いて、しかし俺を担ぐほどの気力はないらしく、それで困ったような表情をする。
腰抜け兵士は気まずいのかずっと視線を逸らしているので、布兵士が手を振っても気付かない。
「おーい!」
そう布兵士が呼びかけると、やはり気まずそうな表情をしている。足を負傷しているから運べないと思うが、歩けはするのか。それならディモシードとの戦闘時に少しでも逃げる素振り見せろよ。まさか本当に腰が抜けてたのか?
すっごい嫌そうな顔をする腰抜け兵士。布兵士の横に立つと、二人して頭を下げてくる。
「ど、どうした……?」
「すまん!俺はあんたに酷いことを言った!」
「わたしも、あなたに言ってはいけないことを言いました。そのことを深くお詫びします」
たしかに言っていたが、気にしてないで済ませるべきかどうか……
「あー……そうだな。お前らは酷いことを言った。だが、お前に限っては、戻ってきてディモシードに挑んだ。それでチャラだ」
「チャラ?」
おっと通じない。そうか、これは俺のいた世界で口語として生まれた言葉だから、こっちの世界では使われていないのか。
「そうだ。今回ので無礼は相殺。お前は不問とする」
「そうか。それは良かった」
布兵士はそれで済ませていいだろう。しかし、俺を犯人だと言いやがった腰抜け兵士は、ディモシードと戦わなかったからな。
「お前は戦わなかったから許さん。さあ、俺を運べ」
これでこいつは俺を運ばざるを得ない。足の怪我?そんなものは知らん。
兵士は鎧を脱いで、武装は剣を腰に刺すのみとなり、それで俺を背負う。すっごい汗臭いわ、ガタガタ揺れるわで乗り心地最悪だな。
「さあ、町まで出発だ」
「よし。まずは道に出よう。我々を乗せてきた馬車がある」
その馬車が止めてあった方角からディモシードが襲ってきたのを忘れていないか?まあ、道に出るのは賛成だがな。
俺の荷物は俺が持つので、腰抜けにかなり負担がかかっているが、人間死ぬ気になればなんでもできるさ。
「俺はゴルガー。お前は?」
布兵士に名乗られる。こんな会話いつぶりだろう?
「俺は夏月候嘉。コウカと呼んでくれ」
「変わった名前ですね。わたしはソル」
こっちからしたらお前の名前の方が珍しいがな。
よし、それじゃあ行こうか。