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第六話 お引越し

古い恋心なんて、きれいさっぱり捨ててしまおう。

そうしたほうが、何かと身軽だしね。

 ゴールデンウィーク真っ只中、世間では出国ラッシュがなんとやら、とか、帰省ピークがなんとやらって言っている。そんな中、私──藤堂美雪は黙々と荷詰めの作業をしていた。


 2人暮らししていた1LDKから単身向け1Rに引っ越すのだから、当然部屋は狭くなる。そのため、家具の殆どは廃棄するつもりだ。洋服や鞄、食器などの日用品は持ってゆく。

 ベッドを買い直しするのは金銭的にきついけれど、この英二との思い出が詰まったセミダブルのベッドを持ってゆく気にはとてもなれない。


 使い慣れたお皿を新聞紙に包み、段ボール箱へ詰めてゆく。黙々と作業していると、ピンポーンという音が聞こえた。インターホンに出ると、前の会社で同期だった真理子だった。


「やっほー、美雪! 進んでる?」


 私がドアを開けると真理子は片手をあげて、にかっと笑った。

 真理子と私は前の会社に同期入社した、元同僚だ。地元の大学を出て田舎から出てきた私にとって、真理子は同じ歳の貴重な女友達であり、プライベートでもよく遊んでいた。今日は私の引っ越しの荷詰め作業を手伝いに来てくれたのだ。

 真理子は手土産だと言って水色の箱を手渡してきた。私はそれをテーブルの上に置く。


「それ、ちょっと前に駅前に出来たカップケーキ屋さんのだよ。いつも混んでるとこ。初めてだから楽しみー」


 真理子は箱を指さしながら、さっそく棚を開けてフォークを探し始めた。フォーク、段ボール箱へしまう前でよかったな。


「いつも混んでる? どこ? 知らない」

「えー? いつも並んでるじゃん。駅の向こう側」


 目的のフォークを見付け出した真理子は、水色の箱を開けてカップケーキを取り出すと、私に「はいっ」と1つ差し出した。そのカップケーキは、普通のシンプルなプレーンカップケーキの上に、これでもかという位に大量のクリームがのっている。しかも、そのクリームの色がピンク色と黄色で、なんとも不思議な色合いだ。私は恐る恐る、少しだけ口に含む。口の中に砂糖をぎゅうぎゅうに詰めたような甘さが広がった。甘い!!


「甘ーい! コーヒーが欲しい!」


 真理子が叫ぶ。真理子も私と同じ感想だったようで、あまりの甘さに悶絶している。


「コーヒー、無いの? カップしまっちゃった??」

「たぶん、まだあるよ。ちょっと待って」


 私は慌てて棚を探し始めた。奥から出てきたのは、使い慣れた赤と青のお揃いのマグカップ。私はそれを見て、手を止めた。

 赤地の水玉と青地の水玉のマグカップは私と英二のペアのマグカップだった。付き合い始めたばかりの頃、映画館デートした帰り道にふと立ち寄った雑貨屋さんで私が一目惚れして、英二がお揃いで買ってくれた。


「どうせ必要になるだろ? 美雪の家に置いておいてよ」

 

 マグカップを手に取ると、私にそう言って笑いかけた英二。あの頃はまだ同棲をする前だったけど、私にはそのお揃いのカップが自分達のこれからの幸せな未来を暗示しているように見えて、とても嬉しかった。

 私は目を伏せて棚の扉をパタンと閉じる。真理子へ怪訝な顔をして私を見上げた。


「カップ、無かったの?」

「全部しまっちゃったみたい。よくよく考えたら、コーヒー豆もないよ。私、ちょっとコンビニ行って買ってくるわ」

「わかった。じゃあ、このお皿を新聞紙で包んでおけばいい?」

「うん、助かる!」


 私はへらリと笑い、財布を持って家を飛び出した。

 コンビニまでは歩いて5分位。そこでも私は、今日の自分の運の無さを呪った。ガラス張りのコンビニの外壁越しに、見慣れた人影を見つけたのだ。後輩と英二だった。


 入ってすぐのところに陳列された日用雑貨品を見ながら寄り添う2人は、何かを話ながら商品をかごに入れた。休日に2人で会って、仲良く寄り添ってコンビニで日用雑貨品を買う。それだけで、あの2人の関係がどんなものであるかは容易に想像がつく。


 ああ、本当に今日はツイてない。後輩と最寄り駅が一緒なのは知っていたけれど、コンビニで鉢合わせするなんてこれまで1度もなかったのに。

 後輩がふいに振り返ったのを見て、私は慌てて踵を返した。


 なんて惨めなんだろう。

 あの2人は仕事も今まで通り続けていて、寄り添って幸せそうで、何も変わらずに暮らしている。なのに私は、恋人を失い、仕事を失い、家も引っ越し、こんなふうにコソコソして。


 何がいけなかったのかな。

 そんなこと考えても、もう仕方がない事くらい知ってる。

 けれど、自分がとても惨めな存在に思えて、涙がこぼれ落ちそうになった。それが悔しくて、私はぎゅっと目を瞑ってから空を見上げた。


「遅かったねー。どっか寄り道してたの?」


 家に戻ると、真理子はすっかりお皿を包み終えて調理器具を仕舞い始めていた。私は真理子に買ってきた缶コーヒーを手渡す。


「うん。散歩がてら向こうのコンビニまで行ってきた」

「そっか。もう、この辺歩くこともなくなるしね」


 真理子は深く追求することもなく、私から缶コーヒーを受け取るとパキンと蓋を開けた。


「お。このカップケーキ、ブラックコーヒーと合わせるとなかなか美味しいよ」


 真理子に促されて、私もカップケーキを食べて缶コーヒーを一口含む。カップケーキの強烈な甘さとコーヒーの苦みがいい具合に混じり合って、凄く美味しい。


「本当だ。美味しい。真理子、ありがとう」

「どういたしましてー。美雪の今度住む所なんて、近くに美味しいお店がたくさんありそうだよね。いいなぁ」

「引っ越ししたら、遊びに来てよ。ワンルームマンションだけど、詰めればお布団敷けると思うから、泊まりに来てくれてもいいし。ちょっと古いけど、すごく素敵なの」

「本当? 行く行く!」


 真理子は私の誘いに嬉しそうに笑った。

 真理子が手伝ってくれたお陰で、荷詰めの作業はあっという間に終わった。あとは明日、引っ越し屋さんが荷物を運び出したらこのマンションともさようならだ。


「ねえ、真理子。私、何がいけなかったのかな?」


 ボソリと呟いた私の言葉に、ゴミを纏めていた真理子は怪訝な表情をした。


「可愛げが無かったのかな? それとも、毎晩ご飯作って待ってるせいで飲みに行けなくて重かったとか……」


 私が続けた言葉を聞いた真理子は顔を強張らせた。


「美雪! 美雪は悪くないよ。三国が見る目が無いの! あのぶりっ子にまんまと引っかかるなんて、ネズミ取りに引っ掛かるネズミレベルだわ」


 少しだけ声を荒げた真理子は、すぐに落ち着きを取り戻すとふぅと息を吐き、私を見た。


「ねえ、美雪。今日はうちに泊まりにおいでよ。そうすれば、布団も今日のうちに片付けておけるし」

「え、いいの?」

「いいよ、大歓迎。来て来て」


 真理子にお誘いされて、私はお言葉に甘える事にした。なんとなく、今日はあのベットで眠りたくない。

 段ボール箱しかないがらんどうの部屋を見渡し、忘れ物が無いことを確認すると私はドアに鍵を掛けた。


「あれ? 何かゴミ袋に入れ忘れてた? 全部一纏めにしたつもりだったんだけど」


 エレベーターに乗り込むとき、真理子は私が大きなゴミ袋と一緒に持つ、小さなスーパーのレジ袋を見て怪訝な顔をした。


「うん、ちょっとね」


 私はそれを不燃ゴミのボックスに捨てる。ボックス中で他のゴミとぶつかったのか、カシャンと陶器のぶつかり合う音がした。


 レジ袋の重みが手から消え、心まで軽くなった気がした。

 





 



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