第二十七話 理想の家から見えるもの
お客様の望む理想の家からは、お客様の望む理想の未来がみえるのです。
それは自宅で1人鍋の準備をしているときのこと。
野菜を切っていると、チリンとラインの受信の音がした。鍋は独り暮らしの強い味方だ。ちゃんこ鍋、キムチ鍋、トマト鍋、チゲ鍋……味を変えれば何日だっていけちゃうんだから。長ネギを斜め切りしていた私は、この長ネギだけは切りきってからにしようと包丁を握る。作業を終えてスマホの画面をタップしてその画面を確認し、私は表情を強ばらせた。
表示名は『英二♡』となっていた。
♡マークを消し忘れるとは、なんたる不覚。英二からラインなんて来なかったから、すっかりと忘れていた。当時の自分の頭の沸き具合に半ば呆れかえる。
内容を確認して、私は何とも言えない気分になった。こんなこと今さら言ってくるなんて。別れてからもう半年以上経ってるんだよ?
──俺、やっぱり美雪じゃ無いと無理だ。
短い文章は、それだけだった。やり直そうとも、なんとも書かれていない。私からの反応を待っているのかも知れない。
「今さら、遅いんだよ」
スマホの画面を見つめながら、乾いた笑いが漏れる。本当に今更だ。これが、イマディール不動産に入社したての頃だったらまた違っただろう。でも、遅すぎる。
私は表示名の♡マークを消すかわりに、ブロックボタンをタップした。暫くすると既読が付いたのに反応が無いことを不審に思ったのか、今度は電話が鳴った。
「もしもし?」
「もしもし、美雪?」
「どちら様でしょうか?」
「え? 俺だよ、俺」
間抜けな返事に、呆れた。お前はオレオレ詐欺の一味か! とツッコミたい衝動に駆られる。
「何の御用でしょうか?」
「久しぶりだけど、元気にしてる?」
「用がないなら切らせて頂きます」
「ちょっ、待てよ。俺、お前じゃ無いと無理かも」
焦ったようにラインと同じ言葉を言う英二。なーに言ってんだかと、思わず失笑が漏れた。
「私とこれから先の人生を歩むのは無理だと確かに三国さんの口から聞きましたけど? 用は無いということでよろしいですね?」
「待てって! 俺らって、相性最高だったっしょ?」
どの口がいうのか? アホですか??
先に合わないと言いだしたのはあんただ。
思いのほか凪いでいた心は、急激に怒りに塗り替えられる。
「さようなら。永遠に」
「まって──」
ブチっと通話を切ると、その場で通話もブロックした。
ああ、なんか凄く嫌な気分だ。せっかく綺麗に整えた私室を突然土足で押し入った人間に引っ掻き回されたみたいな。今日の鍋は水炊きにしてポン酢で頂くつもりだったけど、予定変更して激辛キムチ鍋にしよう。汗と一緒にイライラもさようならだ。
***
昨日の今日で、この甘ーい雰囲気は目に毒だ。
接客室で向かいに座る若い夫婦──橋本様は、とても仲むつまじい様子でカタログに夢中になっていた。今、購入予定の物件のリノベーションの計画を練っているのだ。
「私、やっぱりカントリー風がいいなぁ」
「じゃあカントリー風にしようか」
旦那様が奥様に向かってふわりと笑う。奥様の鶴の一声で新居の内装の方向性はカントリー風になった。私は数多くあるカタログからカントリー風に合うものを集め、それを橋本様にお渡しした。
「ゆっくりとお選びになられたいと思いますので、こちらはお貸し出しします。次回までに壁紙やフローリング、バスルームなどをお選び頂けますか?」
「わかりました」
「はぁーい」
30代で落ち着いた雰囲気の旦那様に対し、まだ20代半ばの奥様は少しだけ子どもっぽい口調。でも、旦那様はそれが可愛くてたまらないご様子で、終始にこにこしていた。新婚さん独特の空気が狭い接客室を覆い尽くしている。心なしか白いはずの壁紙がピンク色に見えてきたのは目の錯覚だろうか。
橋本様はイマディール不動産が仲介した中古物件を購入予定だ。まだ正式な引渡しはしていないが、双方合意で内定しており、書類作成待ちだ。引渡し前は2LDKの間取りを大きく変更して3LDKに変える予定で、今は内装の検討をしている。リノベーションもイマディール不動産でやって頂けることになっているので、引き続き私が担当する予定になっている。
「凄いラブラブで、新婚さんって感じです」
手を繫いで寄り添い歩く2人を見送ってから自席に戻る。綾乃さんに先ほどの様子を伝えると、綾乃さんもガラス越しに見ていたのか笑っていた。
「でも、新婚さんの相手って楽しいわよね。幸せオーラが凄くて、こっちまで幸せになる感じがする。2人が相談する様子から、こんな家庭にしたいんだろうなって想像がつくって言うか」
「なるほど。確かにそうですね」
私はポンと手を打った。
綾乃さんの言葉は、目から鱗が落ちるようだった。確かに先ほどの橋本様の場合、通常よりリビングダイニングルームが大きくとられている。きっと、家族で集まるその場所を大事にしたいという2人の意思の表れなのだろう。
「藤堂さんは結婚したらどんなお家がいいの?」
「私ですか?」
私は綾乃さんの質問に少し戸惑った。結婚の予定なんてない──と言うより、恋人すらいませんが──から考えたことがない。一体どんなお家がいいだろう。ちょっとだけ考えて、とりあえず最初に頭に浮かんだのはやっぱり趣味の料理に欠かせないキッチンだった。
「うーん。3口ガスコンロとガスオーブンは譲れません」
「ガスオーブン?」
「はい。火力が全然違います。今は電気オーブンも進化しましたけど、やっぱり1番いいのはガスオーブンですよ。設定温度まで到達する時間も短いですし。それで、鳥の丸焼きを焼くんです!」
綾乃さんは目をぱちくりとさせてポカンとしてから、クスクスと笑い出した。
「間取りじゃなくて、キッチン設備が気になるなんて藤堂さんらしいねえ。広い寝室と大容量の収納スペースとかじゃないんだ。ふふっ──とりあえず、料理上手な奥様が毎晩腕を奮う家庭になることはわかったよ」
パソコンを打ち込む綾乃さんの肩は笑っているせいで揺れている。けれど、たかがオーブンと侮ってはならない。近年の家電メーカーの努力の結果、高級電気オーブンの進化は著しい。スチームなんたらだとか、油を使わず揚げ物だとか、人工知能が付いていて今日の料理を提案するだとか。しかし、やはり火力勝負ならガスオーブンに敵うものはない。鳥の丸焼きを作るときも、中に肉汁を閉じ込めたまま、皮はパリパリになるのだ。
クリスマスにはそんなのを私が焼いて、奮発してシャンパンなんか買って、ケーキも用意して家族皆でテーブルを囲んで。目の前に座る人が桜木さんだったら嬉しいなぁ。カツンってシャンパングラスを鳴らして、さっきの橋本様に負けないくらい甘ーい雰囲気で……。そんな光景が自然と脳裏に浮かんで、急に気恥ずかしくなってキャーってなる。
おっと、いけない。
会社だというのに妄想を広げすぎたと、私は慌てて顔面筋を総動員して大真面目な顔を作った。しかも、ふと気付けば斜め前方の桜木さんがこちらを見ていた。目が合ったらすぐ逸らされてしまったけれど。
私、まさか独り言を言ってないよね?
私はさっと『私、何も疚しいこと考えてませんから』という風情を装って笑顔で綾乃さんに話しかけた。
「橋本様はリビングが広いんですよ。きっと家族みんなで過ごす時間を大事にしたいんじゃないですかね」
「そうかもね。最近は子どもをリビングで勉強させるのが流行ってるから、そういうのも見越してるのかもね」
「子どもをリビングで勉強させるんですか?」
「うん、そう。そういう子の方が成績がいいって研究結果が出たとかで、流行ってるよ」
「へえ……」
私は橋本様のリノベーションプランを改めて見返した。
65平方メートルの広さに対し、リビングダイニングキッチンが15畳とかなり広めにとられている。リビングインで繋がった主寝室は6畳半あるが、2つの寝室はそれぞれ4畳しかない。私には少しバランスが悪いように感じたけれど、橋本様はそれをご希望された。学習机を置かないなら、将来生まれてくるかもしれない子ども部屋も4畳で足りるのかもしれない。
あの2人はあのマンションで、これからどんな家庭を築くことを望んでいるのか。それを少しだけ垣間見れた気がした。
そして、その幸せな未来を形作るお手伝いをさせて頂いている事を、とても光栄に思った。




