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第二十五話 お客様の期待に添うために

お客様の期待に添うために、出来ることはないか。

頑張って考えろ、私!

 11月に入ると、朝晩の気温はぐっと下がる。ジャケットを着るだけだと少し肌寒いけれど、コートを着るにはまだ早い。毎年毎年、この季節になると着る物に迷う。一体全体、去年の私は毎日なにを着ていたのだろうかと、毎年同じようなことに悩んでいる気がする。


 そんな肌寒い中、リノベを終えた物件の確認から戻ってきた私は、駅からオフィスまでの道を足早に歩いていた。なぜ足早かって、それは寒いからですよ。風が吹くと首や袖の隙間から冷気が入り、その冷たさにぶるりと震える。

 大急ぎでオフィスに戻ってきた私は、到着直前、オフィス前の物件案内を眺めている中年の男性の後ろ姿に気付いた。男性は物件案内を見ながらも、チラチラとガラス張りの中を窺っているようにも見えた。


「こんにちは。物件をお探しですか? ここに出ていないものも沢山あるので、よろしければご紹介しますよ」


 私はその男性に声を掛けた。男性はハッとしたようにこちらを向き、私の顔を見た。年齢は40代後半位だろうか。眼鏡をかけた、中肉中背の大人しそうな雰囲気の男性だ。


「あの……、希望を言えば探して貰えるんですか?」


 男性はおどおどとした様子で、そう言った。私はにっこりと微笑む。


「もちろんです。お客様の理想のおうち探し、お手伝いさせて頂きます」



 ***



 私はアンケート用紙に目を通しながら、先ほどの男性──久保田様と接客室で向き合っていた。


「ご家族4名様で住まれるマンションご希望ですね? 間取りは3LDK、ご予算は5000万円……失礼ですが、場所はこのエリア限定ですか?」

「はい。子どもが学校を転校したくないと言っていますし、妻も一から新しい土地で近所付き合いするのは煩わしいと言っていますから」

「つまり、エリアは譲れないということですね?」

「はい。そう考えています」

「なるほど。承知いたしました」


 私は承知したことを伝えるためにしっかりと頷いて見せる。

 久保田様がご希望されたエリアは広尾から恵比寿にかけての、まさにイマディール不動産があるあたりのエリアだった。先日のハロウィンでお子さんが持ち帰ったイマディール不動産の広告を見て、散歩ついでに店前で物件案内を見ていたと言う。

 今現在、久保田様は勤務先の社宅に入居しているものの、社宅取り壊しのため今年度中に退去する必要があるため、物件を探しているそうだ。


「畏まりました。ご希望にあう物件がありましたら、ご連絡させて頂きます」

「お願いします」


 久保田様は何度か頭をぺこぺこと下げ、イマディール不動産を後にした。私は笑顔でその後ろ姿をお見送りする。


 ──が、しかしだ。

 接客業なので一見すると私は柔やかに微笑んで受け答えしていたはずだ。しかし、内心では相当焦っていた。


 この辺りで予算5000万円で家族4人が住める3LDK。はっきり言って、非常に厳しい。その場で『無いです』とあからさまに表情に出さなかった私は、以前に比べたら相当成長したと思う。しかしながら、これはいわゆる、『予算と物件の希望が噛み合っていないお客様』と言わざるを得なかった。


「どうしましょう。学区があるから、郊外は駄目なんですよ」

「3LDKで5000万円? 確かにそれは厳しいねー」


 自席に戻り、隣に座る彩乃さんに相談すると、彩乃さんも私と同じように感じたようで眉を顰めた。


 今回の久保田様の何が1番ネックかと言うと、ズバリそれは希望エリアだ。3LDKで5000万円の物件は、世の中的には沢山ある。しかし、ここは日本有数の高級住宅街だ。当然ながら、物件価格も日本有数の高さなのだ。


 久保田様は子どもの通学圏内を考えており、しかも下のお子様はまだ小学生。越境通学するにしても、限度がある。つまり、非常に狭いエリアで物件をご希望されている。

 そもそも売り出し物件が出るかも分からないし、尚且つそれが5000万以下で3LDKかなんて分からない。私の予想では、恐らくそんな物件は出てこない気がした。


「エリアが譲れないなら、予算は増やせないのかな?」

「うーん。普通のサラリーマンの方ですし、お子様も2人いらっしゃいますし、なかなか厳しいんじゃないかと……」

「そう。困ったわね」


 彩乃さんは眉間に皺を寄せた。

 彩乃さんの言うとおり、困った。希望をお受けしたからには、こちらからも1件位はご紹介したい。しかし、今のところそのアテが1つも無かった。

 エリアがもう少し広く、例えば学校から半径5キロ以内と言われればまだなんとか探せる気もするが、現状では厳しい状況だった。


「私もそういう物件が無いか、気にしておくわ」

「はい。ありがとうございます」


 私は綾乃さんにお礼を言うと、見落としが無いかイマディール不動産の物件情報を見直した。希望エリアに売り出し中の3LDKは2件ある。しかし、一方は7800万円、もう一方は1億超えと完全なる予算オーバーだ。そして、希望エリアで5000万円以下の売り出し中物件は3件あった。しかし、いずれも3LDKではないし、1番広い部屋でも58平方メートルしかない。佐伯様が売却を希望されている、あの物件だった。


 私はふぅと息を吐く。まだ半年位は猶予があるから、もしかしたらいい物件も出て来るかもしれない。私はそんな淡い期待に一縷の望みをかけて、物件案内を閉じた。



 ***



 その日、私はオフィスで桜木さんの後ろを通りかかり、桜木さんが読んでいたものにふと目を留めた。大手不動産会社が出版している、自社ブランドマンションの広告を集めた雑誌だった。


「どうしたんですか? こんなの読んで」

「参考にしようと思ってさ」

「参考?」

「うんそう。大手不動産会社の広告って、不動産業界の最先端のトレンドが詰まってるんだよ。モデルルームのイメージ写真からわかるフローリングとか照明もそうだし、間取りもそう。今じゃメジャーなウォークインクローゼットやアイランドキッチンとかも、昔は無かったんだから」


 桜木さんは雑誌から顔を上げると、私の顔を見た。

 桜木さんと目が合うとちょっとだけ嬉しい。そんな風に感じるようになったのは、いつからだろう。私は口の端を持ち上げて、同じように少しだけ微笑んで見せた。


 桜木さんによると、不動産の内装や間取りには流行があるのだという。そして、その流行をいち早く取り入れて牽引するのはやはり大手不動産会社なのだという。桜木さんは仕事をする上でその流行に敏感に追随出来るように、定期的にこうやって情報のアップデートをしているそうだ。


「へえ……。私も読もうかな」

「うん、読みなよ。色々と勉強になるよ。こういうの、今度からチーム内で回覧した方がいいね。気が利かなくてごめん」


 桜木さんは片手を顔の前で合わせるとごめんなさいのポーズをした。

 私は桜木さんから渡された何冊かの雑誌を自分のデスクの上に置いた。大手不動産会社の広告雑誌もあれば、様々な不動産会社の住宅情報を集めた雑誌もあった。1番上に見える表紙には『年収別! 購入した物件全部見せます!』とその雑誌の特集記事のキャッチコピーが大きく書かれていた。


 不特定多数の人を対象にする住宅情報雑誌なので、当然ながら掲載されているマンションも千差万別。掲載されているのも都心の超高額物件から、郊外のお手頃価格物件まで幅広い。


 それを見ていて、私はあることに気づいた。物件の中には()()()狭い占有区画を細かく区切る間取りが一定数混じっているのだ。

 イマディール不動産では都心部の中古マンションにリノベーションを施し高級感を出すため、狭い部屋の壁を抜いて広くすることが主流だ。しかし、その雑誌に載っている物件は販売価格を抑えるために、狭い占有区画を工夫して区切り、部屋数を確保していた。


「これ、いけるかもっ!」


 私はそれを見て、僅かな光明が差すのを感じた。

 


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