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第二話 イマディール不動産

今思い返しても、これは運命の出会いだった。

人生万事が塞翁が馬。

私を取り巻く全てのご縁に心から感謝!!

 ガタンゴトンと揺れる車窓の景色が、一戸建てが建ち並ぶ住宅街から、背の高いビルへと変わってゆく。広い空が段々と狭まり、目に入るのは人工的な壁。それすらも地下鉄に乗ったら闇に掻き消えた。


 乗り換えること数回、わくわくしながら降り立った初めての広尾駅で、あたりを見渡した私は拍子抜けした。

 想像より地味だったのだ。いや、地味というのは語弊がある。ただ、私が思っていたのとはだいぶイメージが違っていた。


 私は広尾を、表参道や銀座のようなお洒落なブティックが建ち並ぶ場所なのだと勝手に思い込んでいた。しかし、実際の広尾駅はもっと、地元に密着した雰囲気が漂っていた。

 改札口を出てすぐの場所に昔ながらの商店街があり、幹線道路の両側に大手スーパーなどが入った小規模なショッピング施設があった。そして、駅の改札出口に沿った大きな幹線道路沿いには、大きなマンションやビルが建ち並んでいる。


 どっちに行こうか迷って商店街に入った私は、入ってすぐの場所で見つけたコーヒーチェーン店で、今お勧めのサクラクリームのラテを頼んだ。甘くしたミルクコーヒーの上にたっぷりと絞った生クリーム。その上には桜色のチョコチップを乗せて。

 それを片手に駅前から続く商店街の中をぷらぷら歩く。両側に3メートル位の高さの街路樹が植えられた通りは、歩行者天国になっていた。さほど広くは無い通りに等間隔に建つ街灯には商店街の名称が刻印され、両脇には飲食店は雑貨屋さん、服飾品店が立ち並んでいる。


 人通りはあるけれど、ごみごみはしていない。店舗に入れば笑顔で接客してくれるけど、しつこい営業トークはしてこない。ちょうど居心地のよい他人との距離感。私はそんな商店街を道なりに歩き、しばらくすると大きな幹線道路にぶつかった。


「わあ、桜だ……」


 それを見た時、思わず感嘆の声を漏らした。

 幹線道路沿いには、見事な桜並木があった。まさに満開を迎えた桜の木は、私の頭上をピンク色に染め上げている。ピンク色の合間から見える空の水色が眩しく、美しい。風で散った桜の花びらは、アスファルトの黒い道路を水玉模様に彩っていた。


 しばらく桜に見惚れていた私は、自分の進行方向の先を眺めた。

 桜並木の続く幹線道路はずっと続いていたが、道がカーブしているので先は見通せない。両脇の店の数も減ったように感じる。

 私は少し迷ってから、もう1度駅の方向へ戻る事にした。途中にあったお店を素通りしてきてしまったし、脇道もあったので、そちらの方も見てみたいと思ったのだ。


 インターロッキングの歩道をきょろきょろしながら歩いていると、ふと一軒の不動産屋さんが目に入り、私は何となく足を止めた。ガラス窓には物件情報がお洒落に貼り出されている。テープでベタベタ貼るのでは無くて、展示用ボードにお洒落に並べられたそれを見て、私はセンスがいいなぁと感心した。


 今住んでいる1LDKのマンションは英二と2人暮らし用に借りた物件だ。1人で住むには少し広いし、何よりも1人で支払うには家賃が高すぎる。私は自分1人で住むのにいい物件がないか、その不動産屋さんの前で物件情報を眺め始めた。

 1Kもしくは1R。家賃は5~6万円くらいだと今までと負担額があまり変わらないので助かる。駅からは10分以内が有難い。その条件だと目に付くのは1Kでも10万円以上の数字ばかり。流石は日本有数の高級住宅地だ。完全に予算オーバーだった。


「高いなぁ。金持ちっているところにはいるんだねぇ」


 心の声が無意識に口から出た。ほんと、金持ちっているところにはいるんだなぁと思いながら眺めていると、不動産屋のドアがウィーンと開く。中から出てきたスーツ姿の若い男の人とばっちりと目が合った。


「物件をお探しですか? ご希望があればお探しをお手伝いいたします」

「いえ……」


 爽やかな笑顔で声を掛けられ、私は言葉に詰まった。

 これまでの不動産屋の窓口経験から、予算と希望物件が噛み合わない客ほど面倒くさい相手はいないと知っている。ここで本気で選ぶつもりなどなく、見ているだけ。いわゆる冷やかしだ。


「あの……予算オーバーなので、大丈夫です」

「え? そんなこと言わずに見て行って下さい。お客さまの理想の物件探し、お手伝いしますよ」


 男の人は私を見つめると、にこりと笑った。なんて爽やかな笑顔で笑う人なんだろう。まさに春にぴったりだ。

 うう、どうしようと、私は狼狽えた。今、私は自分が最も嫌厭する面倒くさい客なのである。


 と、その時、私は物件情報の端に他と違う色の紙が貼られていることに気付いた。


「こ、これ! 私、これに興味があります!」


 私はその紙を指さす。目の前の男の人は目をぱちくりさせて私の指す紙を見て、もう1度こちらに視線を戻した。


「えっと、採用希望?」

「はい!」


 こんなカフェラテ片手に普段着姿のくせに採用希望はないだろうって自分でも思うけど、私はうんうんと首を縦に振った。


―――――――――――――――――――――――

【正社員急募】

社名:イマディールリアルエステート株式会社

業種:不動産販売、リフォーム、リノベーション、仲介業

業務内容:不動産事業に関わる業務全般。営業職。

給与:月給20万円+インセンティブ有

特記事項:経験者優遇。家賃補助有。通勤費支給。年次有給休暇、その他福利厚生有。

―――――――――――――――――――――――


 これが私がこれから働くことになる、イマディールリアルエステート株式会社、通称『イマディール不動産』との出会いだった。


インターロッキング=道路の舗装用ブロック

1R=部屋に仕切りがなく、寝室とキッチンが一部屋になっている間取り。

1K=キッチン(K)+寝室の間取り。

1LDK=リビング(L)+ダイニング(D)+キッチン(K)+寝室の間取り。


ブクマして下さった皆さま、本当にありがとうございます!

とても励みになります。

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