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第十四話 気持ちの変化

恋は盲目って言うけれど、盲目にも程がある!!


若い頃って、ちっぽけな男が素敵に見えるものなのよ。本当に不思議ね by イリエーヌ夫人

(『仮初めの恋人は幸福を夢見る』より)


 桜木さんは何も言えずに固まる私に近づき、にこりと微笑んだ。


「待たせてごめんね。帰ろっか」


 右手首を取られ、連れ出される。突然現れた第三者に、後輩も英二も真理子もあっけにとられていた。もちろん、私も。


「え? お前もう新しい男がいるの?」


 小さく呟く英二を桜木さんは一睨みすると、私の手首をひいたまま、無言でスタスタと歩き始めた。


「さ、桜木さん」


 呼びかけても桜木さんは立ち止まらない。力強く握られた手に引かれるがままに、私は桜木さんの後を追った。

 どれくらい歩いただろう。多分、時間にしたら5分もない。けれど、それは私にとって、とてつもなく長い時間に感じた。


「桜木さん!」


 何回目かの呼びかけでやっとこちらを振り向いた桜木さんは、ようやく私の手首を離した。ものすごく不機嫌そうな顔をしている。


「ごめん。痛かった?」

「いえ……、大丈夫です」


 私は無意識に自分の手首を触っていたけれど、特に痛みは無かった。桜木さんは「そっか」と呟いた。


「余計なお世話だったかもしれない」

「いえ……、助かりました。ありがとうございます」


 桜木さんの言葉を聞き、私は咄嗟に俯いた。どこから聞いていたかは分からないけれど、きっと桜木さんは私とあの人達の会話を聞いていたんだ。私はぐっと唇を噛み締めた。


「お見苦しいところをお目にかけました。英二は……元カレは前の会社の同僚で、後輩に寝取られるみたいな形で振られちゃって……」

「うん」

「私、バカなんです。腹いせに仕事を辞めたんです」

「腹いせ……」

「それで、イマディールに入社して……」


 もう、色々と言葉にならなかった。本当に、私は大バカだ。抑えていたものが溢れ出て、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。桜木さんは辛抱強く、話を聞いてくれた。またしても、沈黙が私達を包んだ。


「何があったのか、俺は当事者じゃないから完全には分からないけど……」


 桜木さんは固い声でそう言って、眉を寄せた。


「でも、あれは無いだろ。あの言い方は、同じ男としてどうかと思う。それに、隣にいたあの子も、失礼だし……。だから、うーん……、うまく言えないけど、彼とは別れて正解だと思うよ。少なくとも、先ほどの彼からは微塵も誠意が感じられなかった」

「はい……」


 返事をする私の涙は止まらない。次から次へと止めどなく涙が溢れ出てきた。桜木さんはそんな私を見下ろして、困ったような顔をした。


「ごめんね。藤堂さんにとっては好きな男なのに、ひどいこと言って」


 私は咄嗟に首をぶんぶんと振った。

 英二を好きという気持ちは既に無い。多分、引っ越しでマグカップを捨てたときに、僅かに残っていた恋心も全部捨てた。


 今私が泣いているのは、あんな人を2年以上も本気で好きで、しかも仕事を辞めてまで繋ぎ止めようとした自分の愚かさが情けなくなったから。それに、私のために桜木さんが怒ってくれて、嬉しかったから。

 ずっと、自分の魅力が無いから、とか、自分が悪かったから振られたって自分を責めていた。だから、『別れて正解』と言って貰えて、凄く気持ちが救われた。


「桜木さん、ありがとうございます」

「いや、俺は何もしてないよ」


 桜木さんは、やっぱり困ったような顔をしたまま、少し顔をかしげた。


「こんなところで立ち話もなんだし、どっか飯食いに行く?」


 私達が今いるのは、外苑西通りの歩道だ。確かに、通行人の目が若干気になる。私は小さく首を振った。


「行きたいけど、私こんな顔だし……」


 きっと、今の私の顔は酷いことだろう。鼻水だらだらだし、涙腺決壊だし。


「ところで、なんで桜木さんはあそこにいたんですか?」


 不思議に思った私は桜木さんを見上げた。


「俺の家、この近くなんだよ。藤堂さんのマンションから、北里白金通りを白金高輪駅方面に歩いたあたり。今日は見ての通り、ランニング」


 確かに、桜木さんはランニングウェアを着ている。北里白金通りとは、恵比寿駅から白金高輪駅を結ぶ通りの事だ。通り沿いにある大学の名前から、そう呼ばれている。

 桜木さんは喋りながら自分の格好を見下ろして、顔を上げると苦笑いした。


「よくよく見ると、俺、飯食いに行く格好じゃ無いな。しかも、今気付いたけど財布持ってなかった」


 バツが悪そうに首の後ろをポリポリと掻く桜木さんがちょっと可愛らしく見えて、私は吹き出した。


「じゃあ、飯はまた今度で……」

「桜木さん! よかったら、うちに食べに来ませんか?」


 この時、私はふと思い付いて、気付いたときにはそう口走っていた。普段だったら、彼氏でもない人を家に誘ったりなんて、絶対にしない。たぶん、相当気持ちが弱っていたのだと思う。


「藤堂さんの家に?」


 桜木さんは驚いたように目をみはった。そこで、私は自分が口走った言葉の意味に気付いて慌てふためいた。


「あの、私、料理が趣味なんですけど、1人だとなかなか食べきれなくて。よかったら、消費してくれる人がいたらいいのになぁと思って……」


 ああ、と桜木さんが納得したように小さく呟く。


「確か、料理が好きって言ってたもんね。……でも、いいのかな?」

「いいに決まってます。私が誘ったのに」

「そっか。じゃあ、お言葉に甘えようかな」


 桜木さんは一旦言葉を切る。そして、私の顔を真顔で見つめた。


「藤堂さん。あんまり男を不用意に自宅に誘ったりしちゃ駄目だよ? 悪いやつもいるし……」

「はい、誘いません。桜木さんだからですよ」

「うーん。すごく信頼されてるのは嬉しいけど、ちょっと複雑と言うか……。まぁ、いいや。行こっか」


 桜木さんが、私にふわりと笑いかける。胸の奥に、なんとも言えないむず痒さを感じて、私は咄嗟に目を逸らした。



 ***



 その日の夕食は、何の変哲もない生姜焼きとサラダ、味噌汁とご飯だったけど、桜木さんは凄く喜んでくれた。


「本当に料理が得意なんだね。美味しい!」

「口に合ったなら、よかったです」

「すっごい美味しいよ」


 久しぶりに作ったものが全部無くなり、冷蔵庫がすっきりとすると気分もすっきりとした。やっぱり、ご飯を作ったときに、それを『美味しい』って言って食べてくれる人がいるっていいな。


「藤堂さん、大丈夫? だいぶ元気になってよかった」


 帰り際、玄関で私を見下ろした桜木さんは少しだけホッとしたようにそう言った。


「大丈夫ですよ。桜木さんのおかげです」

「またまたそう言うことをいう。じゃあ、戸締まりちゃんとしてね」


 ドアが閉まるとき、照れたように桜木さんが笑うのが見えた。私はドアが閉まる隙間から、小さく手を振った。


 何に1番救われたかって、桜木さんがあの2人に対して本気で怒ってくれたからだよ。

 もしもそう伝えたら、桜木さんにはやっぱり冗談だと流されて、笑われてしまうだろうか。


 真理子から『あのイケメン誰?? 聞いてない!』と大量のラインが入っていたことに気付いたのは翌朝のこと。





 


「女の子の家にお呼ばれして、何も手を出さなかった? このヘタレがー!!」by新木彩乃


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