第十二話 バーチャル内覧
仕事にやりがいがあると、毎日が楽しい
先日、尾根川さんが担当していて契約が決まった超高額物件が無事に新しいオーナーさんに引き渡された。販売価格1億4000万円というこの超高級マンションの新しいオーナーさんは、投資目的の外国人の方だという。
イマディール不動産のお客様は、自分が住むための物件を探す方がもちろん多いけれど、それと同じくらい多いのが投資目的の購入の方だ。
そういう投資目的の富裕層を更にイマディール不動産の購入者に引き込むため、我が社も新しい取り組みの立ち上げをすることになった。桜木さんが社長に掛け合って実現と相成ったそれは、ずばり、バーチャル内覧だ。
バーチャル内覧とは、インターネット上に動画を掲載し、まるで本当に自分で内覧をしているような体験が味わえるようにしたサービスのことを指す。会社によってはウェラブル機器を装着し、4Dのバーチャルリアリティ体験がきるようだが、イマディール不動産では流石にそこまではやらない。あくまでweb画面上のサービスになる。
しかし、それでも室内外をくまなく動画で撮影し、見たい場所を拡大したりも出来るようにはする。都内物件を中心に取り扱うイマディール不動産なので、これにより超高額物件購入者を都外からの取り込む作戦だ。
通常、このバーチャル内覧のための撮影のやサイト作成は専用ソフトを購入して自力でやる方法と、プロの業者さんにお願いする方法がある。私達は初めてと言うこともあり、プロの業者さんにお願いした。
この場合、撮影は業者さんが行うが、発注者側も撮影に立ち合う。場所毎に色々なコメントを入れたり、例えば、ここのクローゼットは開けた所まで撮影して下さいとか、細かい指示を行うためだ。
今日は、そのバーチャル内覧のための撮影が行われるため、私は桜木さんと一緒に立ち合いにやってきた。
「こんにちは。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
マンション前で待ち合わせした大きな荷物を抱える業者さんと挨拶をすると、早速マンションの中に入る。あの大きな荷物が撮影機材なのだろう。
業者さんはもう何ヶ所もバーチャル内覧の撮影を手掛けたことがあるようで、テキパキと設営と準備を行うとあっという間に撮影を始めた。
「なんか、凄い早いですね」
「だね。お金はかかるけど、プロに頼んでよかった。これを始めから自分達でやろうと思ったら、1日がかりだ。そもそも編集できないし」
あまりの素早さに呆気にとられる私に、桜木さんはニコリと頷いた。うまく撮影出来るかとどきどきしていた私の胸の内などいざ知らず、イマディール不動産初のバーチャル内覧用の撮影は、設営から撤収までものの1時間もかからずに終わったのだった。
編集に関しては、ほぼ完全に業者さんにお任せする事ができる。しかし、細かい部分は発注者側の確認作業が入る。
1週間ほどすると、まず撮影された動画が初校として業者さんから届く。それを桜木さんと2人で確認し、ここはもっと寄りの映像を残そうとか、ここのこの映像はいらないから別に画像だけ入れようとか、ここでこんなコメントを挿入しようとかを決めてゆく。
そのフィードバックをまた業者さんにメールで戻し、1週間程でそれらを反映させた第2校がくる。それを私達はまた確認して、最後は業者さんと打ち合わせしながら修正する。
そんなやり取りを経て、イマディール不動産の最初のバーチャル内覧映像は完成したのだった。
「へえ、凄い! こんなに細かく確認出来るんだ」
「本当だ。凄い」
完成して実際にホームページにはめ込まれた映像をみて、イマディール不動産の営業チームメンバーは大盛り上がりだった。
「キッチン回りは結構細かいところも入れたんだ」
「はい。料理する人は見たいかなと思って」
隣の席で映像を確認していた綾乃さんに聞かれ、私は少しだけ微笑んで頷いた。今回の物件は85平方メートルの3LDK。購入者は恐らくファミリーだ。子供のいるファミリー層なら、きっと料理をする。だから、キッチン回りをしっかり見たいはずだと思ったのだ。
「営業チームメンバーの評判は上々だけど……。新しいお客様、来てくれるといいね」
「そうですね。それなりにお金がかかったし、効果があるといいのですね」
私と桜木さんは目を合わせて小声で囁きあった。そう、このバーチャル内覧の撮影にはそれなりの費用がかかった。効果がないと、困ってしまうのだ。最悪、バーチャル内覧はこの1件でお終いになる可能性だってある。
***
バーチャル内覧の映像を公開し始めてから3週間ほどしたある日、お客様をご案内しに行った尾根川さんに「藤堂さん!」と声を掛けられた。
「今日、例の物件にお客様をご案内して来たんだけど、即決で決まったよ。事前にあの映像見て、いいと思ってくれてたみたい」
「本当ですか?」
「うん。海外赴任から戻ってくるお客様で、あれがあったおかげで離れた場所でもイメージが分かって凄く助かったって言ってたよ。藤堂さんが言ってくれたおかげで、キッチン回りとか風呂回りもかなり細かく映像を載せたんでしょ? 奥さんの方が褒めてたよ。『ありがとうございました』って」
「よかったー!」
イマディール不動産に入って、私がお客様に褒められるのは初めての経験だった。前の会社でも、『窓口の方が親切でした』と褒められたことはあった。けれど、今回のように自分の仕事の結果出来上がった成果物を誰かに褒められたことは、初めてだ。まさに、社会人になってから初体験なのである。
やったぁ! と、私の中で達成感のようなものが生まれる。今まで感じたことがないような、目の前の山を登り切ったような、或いは難しい数学の問題を解ききったような、なんともいえない満足感。
「やったじゃん」
後ろからポンと肩を叩かれ、斜め後ろを見上げると桜木さんがこちらを見下ろしていた。私と目が合うと、桜木さんの口の端がにんまりと持ち上がる。
「ありがとうございます!」
私もなんだかとても嬉しくなって、口の端を持ち上げた。
「今日、2人の初バーチャル内覧成果祝いで飲みに行こうよ」
隣に座る綾乃さんは早速飲み会の計画を練り始めた。
「お前、飲んでばっかだな」
呆れたように桜木さんが綾乃さんを見る。綾乃さんはあっけらかんと「いいじゃん。桜木も主役の1人なんだから、行くでしょ?」と言った。
「まぁ、行くけど」
桜木さんがボソリと言うと、チームメンバーからどっと笑いが起きた。
私は今まで、仕事はお金のためにするのものだと思っていた。けれど、初めて仕事の成果を誰かに褒められた体験は想像以上に甘美な味がした。仕事が楽しい。
──私、この会社に入ってよかったな。
自然にそう思えて、私は口元を綻ばせた。




