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第十話 リノベーションの極意

まずは水場と玄関だ!

とにかく、手を抜いてはならない!! 

あとは大したこと無くても…(以下、略)


 私は今、桜木さんにくっついて例の神谷町の物件のリノベーションについての打ち合わせに参加している。

 桜木さんは会議室のデスクの上に置かれた図面と色々なサンプル画像を見比べながら、社長と上司の板沢さんに熱弁をふるっていた。


 今回手掛けるマンションは専有面積が60平方メートル。これは2LDKにするのが一般的な広さだけれども、桜木さんが出した結論は1LDK+WIC、つまり広めの1LDKに大容量のウォークインクローゼットが付いた間取りだった。 


「あの場所であのグレード、この広さのマンションだと、購入層は富裕層の単身者か共働きで子供がいない夫婦、もしくは投資目的の資産家です。子供がいる家庭にはこの広さはやや狭いですからね。となると、高級感を出した方がいい。高収入の人達の購買意欲をくすぐるような、ハイグレード物件です」


 桜木さんの説明を、社長と板沢さんは真剣な顔をして聞いていた。

 ハイグレードな内装を施すには、当然、リノベーションにかかる費用も高くつく。万が一にも売れずに値引きすることにでもなったら、会社に与える損害も計り知れない。

 都心のマンション購買層の分析結果などを見比べながら、桜木さんの説明は30分以上も続いた。

 

「あー、緊張した」


 社長と板沢さんが会議室を出たあと、桜木さんはデスクの上に両手を伸ばし、ホッとした表情をした。私はそれが意外に思えた。


「桜木さんでも緊張するんですね?」

「そりゃあ、そうだよ」


 桜木さんは苦笑する。

 私からすると、桜木さんは自信満々に提案しているように見えたけど、実際は違うという。彼なりに色々と悩んでプレゼンの方法を考えているようだ。

 先ほどの熱弁のかいあって、社長は最終的にゴーサインを出した。頬杖をついてデスクの上に置かれた間取り図を眺めていた桜木さんは、しばらくすると私の方を向き、ニヤリとした。


「藤堂さん。社長の許可も出たから、今からリノベーションの内容を考えるんだけど、一緒にやろうか」

「リノベーションの内容? はい、やりたいです!」

「よし。じゃあ始めよう」


 桜木さんは立ち上がるとすぐ近くの戸棚を開け、中からカタログと見本帳のようなものを取り出した。

 まるで辞書のように分厚いそれは、開いてみると壁紙のサンプル集だった。白系の壁だけでもこんなにも種類があるということを、私は今日の今日まで知らなかった。その後も桜木さんは次々にカタログを持ち込んでくる。


「基本的にはデザイナーさんと考えるんだけど、話し合う前に、こちらもどんなイメージのリノベーションをしたいのかを考えておかないと、話が発散する。今回、ターゲット層はそれなりに収入のある単身者もしくは夫婦だから、俺はかっこいい感じがいいと思ったんだけど。藤堂さんはどう思う?」

「かっこいい感じ?」

「うん。例えばこんな感じ」


 桜木さんは雑誌のを捲り始め、とあるページを開いて私の前に差し出した。そこには、白と黒と銀の金属色が目を惹く、クールでスタイリッシュな雰囲気の部屋が載っていた。

 確かにこれはかっこいい。


「カントリー風とか、シンプルモダンとか、リゾート風とか、色々あるんだけど、最初にイメージを固めた方が細部までこだわれるだろ? 特に効いてくるのが水回り。玄関と水回りがお洒落だと、内覧したお客様へ与える印象が全然違う。水回りと玄関は絶対に手を抜いちゃダメだ」


 桜木さんが次に開いたページには洗面所の写真が写っていた。確かに、洗面所がお洒落なだけでぐっと高級感が増す。これには目から鱗だった。

 例えばお風呂に関しても、だだのクリーム色のよくあるユニットバスを、1面は濃い木目調のタイプにしたり、シャワーのフックを金属のスライド式にするだけで、全く違うものに見えた。


「わあ、お洒落ですね!」


 私は思わず笑みをこぼした。

 備え付けのクローゼットの柄は木目調にしたいとか、こんな風にリノベーションしたら素敵じゃないだろうかと考えるのは、思った以上に楽しい。玄関から廊下にかけては本物の石タイルを使いたいとか、キッチンの作業台は御影石調にしたいとか。

 もちろん、デザイナーさんと話せば変更は入るし、内装工事会社の見積額を見て削るところも出るだろう。でも、その作業は私にとって、とても楽しかった。


「同じ不動産会社なのに、全然違うなぁ」

「え?」


 思わず漏らした独り言に、桜木さんが怪訝な顔をする。私は慌てて胸の前で両手を振った。


「あ、何でもないんです。ただ、前にいた不動産会社とは仕事の内容が違いすぎて」

「前の不動産会社と仕事内容が違って、がっかりした?」

「いいえ! すっごく楽しいです!!」

「そりゃあ、よかった」


 目を輝かせる私を見て、桜木さんはクスクスと楽しそうに笑う。


 前の会社で、私は賃貸住宅の仲介窓口をしていた。お客様が選んだ住宅にご案内して、気に入ってもらったらなら仮契約の手続きへ。毎日それの繰り返し。

 同じ不動産業なのに、全く違う仕事内容に驚いた。そして、それと同時に、もしあの時に桜木さんみたいにお客様のニーズを深く探るよう努力していたら、もっとよい接客になっていたのかもしれないと感じた。



 ***



 自席に戻ると、前の席に座る尾根川さんがホクホクの笑顔だった。いつも人当たりのよい笑顔を浮かべている尾根川さんだけれども、今日は特に嬉しそうだ。


「尾根川さん、機嫌いいですね?」

「まあね。栗川さんの物件が今日成約したんだ」


 尾根川はにこにこしながらそう言った。『栗川さん』と言うのは、確かイマディール不動産の神様的なお客様だと以前に綾乃さんに教えられた。


「へえ。よかったですね」

「うん、ありがとう」


 ニッと笑う尾根川さんの頬にえくぼが出来た。なんか、可愛い。新発見だ。この喜びようは、かなりの高額物件だったのかもしれない。


「今日、成約祝いに飲みに行こうか?」


 隣に座る飲み会好きな綾乃さんは、飲み会開催のいい理由が出来たとばかりに早速お店の検索を始めた。営業チーム全体に明るい雰囲気が漂う。


「藤堂さんも、もう少ししたらぼちぼちひとりで営業担当して貰うから、頑張ってね」

 

 少し離れたところに座る上司の板沢さんが、私を見て意味ありげに口の端を持ち上げた。

 ひとりで営業担当。いつまでも桜木さんにおんぶに抱っこ状態でいるわけにはいかないけれど、やっぱり緊張する。私に出来るだろうか? でも、やるしかない。


「はい、頑張ります!」


 私は片手をおでこの上にビシッとあてて、敬礼のようなポーズをとる。そんな私を見て、営業チームの面々はクスクスと楽しそうに笑った。



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