碧黒音
ファンタジーは難しいです…。
いままで何度となく修羅場を共にくぐり抜けてきた二匹の相棒と私は、その日も害意を持って近ずく件の輩を薙ぎ払いつつ道無き道を。右に左に絡みつく食欲を制し、ただひたすら歩みを進める。
緑の魔境は喰うか喰われるか。ひと時も気を抜くことができない。毒虫達は暖かな肉の存在を察し、雲霞の如く私達の行く手を遮る。木々の枝から、葉から、或いは朽ちかけた落ち葉で覆われた地表から湧き出る害意は、所構わず喰らい付く。
魔境を育む降り注ぐ雨粒には気道を焼く瘴気が溶け込み、分厚いフィルター越しでないと呼吸すらできない。決して脱ぐことの出来ない防護服越しの世界は碧く豊かな生命で溢れているが、我ら人属の侵入を容易には許さない世界なのだ。
瘴気が溜まり水面に陽炎のような致死性のガスを湛える湖面を視野に捉えながら進むと、脚に絡みつき底無しの沼に引きずり込もうとする食人木が麻痺性の刺胞を皮下に打ち込むべく触手を絡めてくる。しかし、毒ガエルの体液を混ぜたグリスをたっぷりと塗りこんだ防護衣は彼らの攻撃を受け流す。
だが、体温を察し幾度となく執拗に舐めるように身体を這う植物が余りにも鬱陶しかったので、私は腰から蛮刀を引き抜くと。細かなガラス繊維の棘に覆われた蔓を力一杯薙ぎ払った。バネ板から造り出した無骨な鋼の塊は淀んだ瘴気を切り裂き、意思を持つ植物の腕を断ち切った。鮮血のような体液が霧散して、新たなる瘴気を加えるかの如く降り注ぐ。耳に届かぬ魔物の絶叫が響いたのだろう、騒めきが私ら目掛け四方八方から押し寄せて来た。
「あー、ついヤッちまったよ。グルー、モプシィ、頼んだぞ。」
早過ぎた仕掛けに反省しつつ私は、足元で既に臨戦態勢の相棒、グレートディーンのグルーとモプシィに声を掛けた。この森に漂う瘴気に耐性を持つ彼らは、防護服を着込まなければならない私より軽装で、素早く行動できる。彼らの俊敏な動きは、鋭い牙と毒の蹴爪を武器に、森の住人にとって脅威である事には間違いない。
視界の影で何かが蠢いた。グルーは瞬時に反応し茂みへとダイブする。彼の嗅覚が獲物を察したのであろう、右手の茂みでグルーの発する攻撃音が続く。彼にとってこの程度の森の深さでは、腹の足しになるような得物は居ないだろうが攻撃本能が彼の衝動を突き動かしたようだ。一方モプシィは、正面に向かって威嚇音を発し身構える。どんな時にもこのグレートディーンと言う仲間は、勇猛果敢に私らと闘ってくれる心強い仲間。グルーは元々血気盛んで…、まぁ並大抵に言うと喧嘩っ速く。モプシィはじっくりと相手の弱点を観察し、必殺の一撃を食らわすという冷徹さを持っている。謂わば動のグルー、静のモプシィと言うところだろうか。私は、彼らにどれだけ助けられたか、そんなモプシィが威嚇しているということは、其処に倒すべき相手がいるという事。
「退がれモプシィ、ブッ放つ!」
私は蛮刀の柄を二つに割ると、魔物の鮮血で染まった刀身を脇に挟み腰だめの姿勢をとり、根元に付けてある金剛石で柄の中程を叩く。地上最硬の強度を誇る鉱物の打撃により仕込まれた炸薬が発火し、火薬に練りこまれたオリハルコンのスラグを噴射する。竜閃石や角碧石を音響炉の中で熔かし精錬するオリハルコン。鞴の奏でる音波によって素性が変わり、武具の材料や宝珠の装飾に使われる。オリハルコンで造られた武具で国が一つ、宝飾で無尽蔵な富が約束されといわれるほどであるが、反面其の毒性も著しく。其の製法は村の鍛冶屋一軒一軒の秘儀であり、一子相伝の秘術なのである。精製の難しい金属であるオリハルコンはそれ自体素晴らしい素材であるのだが、様々な過程で練りこまれる魔法石の作用で、炉に沸き立つスラグは触れれば肌を焼き、体内に取り込めば組織を腐れせる程の毒性を有する。そこで魔境に向かう時村人は、散弾の代わりに火薬に練り込み幾つかの装備にして持ち歩くのだ。私も蛮刀の柄と野営用の道具に、仕込んでいる。
灼熱の噴流が私の前方にいる敵意を、隠匿する緑のベールと共に消去する。嘗てバベルの民が眼にしたような火球が周囲を舐めた後は、伽藍堂な空間が生まれた。
地響きを伴う轟音が、周囲にこれ以上の干渉を拒むメッセージになったのだろう。騒々しいまでに私達に向けられた剥き出しの敵意は、この一撃で鳴りを潜めた。
気がつくと2匹の相棒が私の両脇に陣取り、さらなる警戒姿勢を見せていた。グルーの口元が黒く汚れている、多くの敵を切り裂いて来たのだろう。私は背負い袋から取り出したクロップの種子を彼らに噛むように勧める。このクロップと言うものは日向の斜面に生えるイネ科の植物で、食べても大して美味くなく人には利得の少ない物なのだが、彼らグレートディーンにとってはこの上無い強壮薬なのだ。日に数粒取るだけで筋肉の疲れや心の傷みを癒やすことが出来る品物。元々彼らの犬種は狼に近く、彼らの有する歯列も尖頭が鋭く、その食性は肉食であるはずなのだが。何代と村で世代を重ねて行くうちに村で穫れる穀物を摂り始め、遂にはこのクロップをも消化吸収出来るようになったと聞く。
私は2匹の仲間を労わると、蛮刀の柄に火薬を詰め直し、刀身に絡みつく粘液質の体液を足元に千切れ跳んだ葉で拭うと、さらなる狂気が渦巻く魔境の奥へと歩みを進めた。
そもそも私が住む村には竜閃石の鉱床があり、オリハルコンの交易で栄えていた。だが、ムラ長は他国で使われ始めた黄金に輝く武具の噂を聞きつけると、白銀に輝くオリハルコンに変わる交易品を創るように命じたのだ。村人たちは代わる代わる森の奥に分け入り、様々な素材を試してた。しかし、古から伝承されるオリハルコンを超えるものなど、そうそう簡単に鍛造できるものではなかった。
「まったく簡単に長は言ってくれるけれど、新しい魔法石なんてそうそう簡単にあるわけないんだ。」
魔境で道無き道を切り開きながら奥地へと進むにつれ私の口からは、不平不満がついて出る。その度に2匹の連れは心配げに見上げ、ゴーグル越しであるのにも係わらず私の瞳を覗き込もうとし、私の言葉の真意を見極めようとする。
「心配するなよ、単なる愚痴さ。長のことをどうこうしようなんて思ってはいないさ。」
「さあ、ここじゃあ野営は出来ないから、もう少し開けた所まで進もう。」
それから2時間ほど緑の壁と格闘し、竜閃石の露頭がある岩壁前に半エーカ程の乾いた大地を見つけた。岩肌には黒い煤けた火を焚いた跡があるので、きっと村の誰かが此処で過ごした事があるのだろう。体力的にはまだ先に進めたが、初日の今日からそんなに飛ばす必要も無いので、藪コキを早々に切り上げることにした。
私は前泊者と同じように岩壁で簡単な炉を作り、渇いた焚付けに火の属性の魔法石を一欠片加えると、荷の中から小型の鞴を取り出し、二、三度軽く握る。鞴の先からは、仕込まれた音響弁により軽やかな音楽が奏でられる。すると、魔法石が流れる音波に反応して眩く光り、小さな炎が炉に発った。私は空かさず瘴気をたっぷりと含んでいたが、樹海で拾った植物を焚べる。炎は更には大きくなり、安定して光りと熱を発し始める。
ここが普通の森であるならば、これで煮炊きをしたりして休息を十二分に取れるのであろうが。瘴気溢れる魔境では防護服を脱ぐわけに行かないので、この炉の目的は仲間への労わりであり、夜になると盛んに活動し始める不埒な輩への警告でもあるのだった。
「近ずく奴は薙ぎ払うぞ。」
そんなメッセージのつもりなのだ。しかし、時としてその警告をも無視し、炎目指して襲って来る不届者がいるのだ。そもそも私は森に足を踏み入れる時、防護服の裏打ちに不眠の呪詛と不食の印呪を掛けているので、そんなに多くの時間休息を取る必要が無いのであるが。夜は火を焚き、押し寄せる食欲を制御した方が、効率的なのだ。言い換えれば、夜行性の奴らの方が手強くはあるが、やり方さえ間違えなければ与し易いのである。
私は炉の中心から五芒星を描き、各頂点に各々を補完する方向に、オリハルコンのスラグをタップリと装着したクレイモアを配置して時の移ろいを待った。
東の空が白み始めると再び森がざわめき始めるものなのだが、何かが違う面持ちであった。
「モプシィー、グルー。来るぞ…」
仲間に声をかけた時、崖上に設置していたブービートラップが爆ぜた。
「上か…。」
身体を抉られたのであろう絶叫と共に、黒い塊が轟音と共におちてきた。大地に叩き付けられ、体液を噴き出す魔物は納屋の大きさを優に越える大物であった。当然の事だが、相手は初撃で討ち取れるような獲物ではなかった。痛みと安易に接近した自分の杜撰な考えを後悔するかのような咆哮を一声あげると、私に向かい威嚇の姿勢を取った。まぁ、彼は私に威勢を張るような行為などすべきでは無く直ちに反撃に出るべきであったのだろうが、紅く怒りに燃えあげる瞳が刹那に曇り仔羊のような怯えた表情を湛えた。立ち上がるまでの間に残りのクレイモアが総て、彼に向かって作動させていたのだ。小さく息を大きく裂けた口から漏らすと魔物はもんどり打ち息絶えた。
「上からか、竜族か?」
衝撃と毒素で焼かれた身体を調べながら私は呟く。予想の通り其れの背中には破れかけた翼の残骸が有った。
「こんな浅い森に竜族がいるなんて…。」
森に何かの変調が現れているのか、あと一週間ほど分け入らなければお目にかかれない不釣り合いな獲物に私は疑問を口にした。
連れの二匹も思わぬ大物に、不安げな表情を浮かべた。私は念のために黒い肉塊とかした最恐の生物にとどめの一撃を加え、手早く竜族の腹を裂きたっぷりと血を湛える肝の中を弄った。柔らかな内臓に右腕を全て突っ込み、温かな組織の中にお宝を求めた。痙攣と共に急速に弛緩していく肉の海の中、指先にお目当ての物が触れた、竜丸だ。竜族の肝に巣食う蟲が竜の生命力で封じ込められたものだ。村ではこの竜丸を丹念に磨き、儀式用の宝剣を飾る宝玉としているのだ。今回の物はこぶし大で、可もなく不可もないというべきサイズであった。物入れに納めるため、血糊に濡れた球状の物体を腐った毒気を湛えた魔境の葉で拭っていくと、私は異変を察せざるを得なかった…。
竜丸の色が…。
これまでも何度か竜族は仕留めたことがあり、その都度竜丸は手に入れていたが。今回の奴は今までのものと勝手が違っていた。免疫反応の産物であるので多くの場合竜丸と呼んで入るが不定形であり、謂わば凹凸がある球状のものなのであるが…。奴の胸元に仕込まれたものは真球であり、鈍くではあるが光沢さえ放っていた。炉の明るみに当てると、真球のフォルムの内側に呪文のような文字が浮かび出てきた。
「旧い文字のようだけれど…。読めるか…。」
もうその時には、私は玉から発せられる聴こえぬ言葉に魅入られていたのだろうか…。モプシィーの発する威嚇音を無視し、浮き出る文字を口に出していた。
「チカラが、欲しいなら、呉てやる、我を、受け入れよ。」
竜丸から無尽蔵な漆黒の波動が溢れ出し、私の身体を包み込んだ。私は、黒き魔装を纏う者となり緑の魔境を力の限り踏み立つと、瘴気溢れる大気を背中の翼で孕み翔び立ち、喉が張り裂けんばかりの咆哮と共に天空へと駆け登った。
おわり
発行が滞ってしまった同人誌用の原稿です。
青、黒、音をキーワードにして書くことになっていました。
ファンタジーは難しい。。。。。