圧倒的な力
俺が魔王のいる場所へ向かうべくさらに足を踏み出した矢先、カチリという音が聞こえた。
何を、と思った直後足下が突如なくなる。落とし穴――
「ずいぶんと古典的だな……!」
呟きながら反射的に浮遊魔法を使用。空中で体の動きが止まり、事なきを得る。
真下は漆黒が広がっているが……底なしというわけではないだろう。ちょっと興味もあったが今は無視して進もう。
そう思った直後、暗闇から何かが来る……それは、巨大な漆黒の腕。
こちらをつかみ地の底へと引きずり込もうとしている。だから俺は浮遊した状態で手をかざした。
そうして放ったのは、雷撃。青白い光が暗闇の空間を満たすと、その腕全体に取り巻き、弾けた。
どうやら落とし穴用の魔物らしく、巨大な腕が本体のようだ……魔法が途切れる前に魔物は消滅。とりあえず面倒なことにはならなかった。
とはいえ、ここに来て大きい時間のロス。廊下に戻った時、メリスが魔物の群れをすり抜け魔王のいる部屋の扉を、蹴り開けた。
「――ずいぶんと強引じゃないか」
ネズミが追随していたので確認できる。その部屋は……大広間とでも言うべきか。豪華絢爛な装飾品が所狭しと並べられ、そうした物に囲まれて広間奥に存在する玉座の上に、魔王はいた。
灰色の髪と黒い目を持った魔王は、人間と言われても違和感がないくらいの容貌。だがその視線は大広間に来訪した者を射抜き殺すような気概を含んでいて、メリスに対し殺気を強く滲ませる。
「まあいい。さて、こうして相まみえたのだ。自己紹介くらいはしておくか。我が名は――」
悠々と語っている間に、メリスが問答無用で突っ込む。その動きは神速という表現が似合うもので、気付けば魔王の眼前に彼女が立っていた。
勢いを殺さぬまま剣を振り抜く。刀身には魔力を集中させ、ここまで戦ってきた魔物相手ならば例外なく両断する剛胆な斬撃。
だが、魔王はそれをどこか眠たそうな目で見据え、
「喧嘩っ早い女性だ」
手をかざす。直後メリスの刃が触れ――動かなくなった。
「もう少し落ち着くといい。時間はたっぷりあるからな」
にこやかに語る魔王に対し、メリスは息を飲む。全力の一撃が効かない――
そこで俺はネズミを通して魔王の力量を理解する。神族を相手にしてなお余裕を見せる魔王だが……なるほど、その実力は本物みたいだ。
メリスはなおも剣戟を繰り出そうとする。一度剣を引き戻しさらなる攻撃を仕掛けようとして、
「やれやれ」
小さく魔王はこぼすと、手の先から風を生み出した。それは突風――破裂音と共に生じたそれは、メリスを吹き飛ばし床を倒れさせるくらいの威力があった。
「ぐ……」
「君のことは知っている。勇者メリス……最近ずいぶんと暴れ回っているようだな」
魔王はメリスを見下ろしながら語り出す。
「確かに今の剣、私でなければ滅んでいたに違いない……だが残念だ。どれだけ力を持っていようとも、私には通用しない」
ギリッ、と奥歯を噛みしめ立ち上がるメリス。戦意は失っていない。それどころか、どのように相手へ剣を当てるかに集中している様子。
「まだやる気か。しかし残念だが――」
その時だった。後方にいた魔物が弾け飛ぶ。原因はアレシアを始めとした神族達だ。
「遅れてしまったが……無事だったようだな」
そして先頭に立ち優雅に広間へ入ってくる、アレシア。後方の神族は、数人がアレシアに追随し、残りは広間へ向かってこようとする魔物達を抑える役割を担うらしい。
「勇者メリス、ここは任せてくれ」
「神族のお出ましか。よほど自信があるようだが――」
アレシアは駆ける。魔王、とことん喋らせてもらえないな。
彼女もまた、メリスと同様途轍もない速度で間合いを詰め、魔王へ肉薄。当然相手も腕をかざし防ぎ――刃が激突し、双方が止まる。
「さすが神族だが……この私を滅するどころか傷つけるには至らない」
「――我らが同胞を傷つけた罪、ここで償ってもらうぞ」
「できるものなら」
挑発的な言動に対しアレシアは剣へさらに力を込めることで応じる。刀身に白銀の光が生まれ――どうやら魔王の防御を崩しその体に斬撃を叩き込むつもりみたいだ。真正面からの正攻法であり、アレシアはその自信があったはずだ。
けれど結果は――どれだけアレシアが魔力を注いでも、変化は一向に生まれない。
「な、に……!?」
「神族を破ったこの力、思い知らせてやろう」
魔王が宣言。それと同時に腕に力が集まる。
メリスであれば退かずに対抗したかもしれないが、アレシアは下がった。それと同時、魔王から放たれたのは雷撃だった。
それも、広間全体を覆う激しい雷鳴。それが魔王の手先から放たれ、神族達やメリスは即座に防御に転じた。
全員が魔力を高め、体を保護する――直後、雷撃が全員を飲み込んだ。ネズミを通して激しい魔力を感じ、なおかつ閃光と甲高い雷鳴音が俺の頭の中に入ってくる。
……俺はこの時点で一つ察した。この城にいる魔王は強い。ただ魔物達の能力は神族達を圧倒する魔王にしては強くないように思える。この魔王が魔物の生成が苦手という可能性もゼロではないが、これだけの力を持って魔法を行使する以上、別の可能性がある。
すなわち、わざと魔物の強さを抑えここに誘い込んだ。
「……ほう、素晴らしいな」
そこで魔王が呟いた。同時に魔法が終わり、メリス達が姿を現す。
まず神族達だが、アレシアの傍にいた部下は片膝をついていた。防御に精一杯だったようで、疲弊しているのが目に見えてわかる。
一方でアレシアだけは超然としているが……肩がほんのわずかに上下している。防御自体は全力で応じ、こちらも疲労したか。
そしてメリスはゆっくりとアレシアの隣に立つ。よくよく見れば防御仕切れなかったのか衣服のあちこちが損傷している。けれど痛みなどを押し殺し、魔王を討つべく剣を構えている。
「二人で、どうにかしようという気か?」
魔王が問う。余裕の態度にメリスは相手をにらみ、
「その余裕が、どこまで続くか見物ね」
「その言葉をそのまま返そう。今の魔法で虚勢を張れるだけの余力を残したことは褒めてやるが、それだけだ」
魔王の顔には笑みが……何となくこいつがやろうとしていることがわかったぞ。
それこそ魔法を乱発でもすれば、メリス達はどうにもならず退却せざるを得ない。そうなったら人間側も退却して、策を用いて対処しようとするだろう。魔王としては勝てる戦いでもそれは面倒。よって、まだ希望があると思わせて攻撃させ、返り討ちにしようというわけだ。
なおかつ魔物の能力を意図的に下げて、強い人物をここへ寄越す……神族が来るという情報を聞きつけ、彼らを迎え撃つ態勢を整えていたということか。神族側としては被害を最小限に抑えたい。それがわかっていたからこそ、魔物の強さを調整して彼らだけ来るよう仕向けた。
メリスがここにいたことはたぶん誤算だと思うが、魔王は問題ないと判断。必殺の戦法を実行に移そうとしている。
二人がやられれば味方側の士気は下がりに下がる。そうなったらこの戦い勝ち目はない――
それと同時に、俺はもう一つ理解する。圧倒的な力でねじ伏せるより、こんな回りくどいやり方なのは……たぶん、神族や人間に絶望を与え、屈服する様を見たいからだろう。俺は穏健な魔王だったけど、なんとなくわかる。
うん、俺としてはムカつく相手だ……しかも俺の名を勝手に利用していた。ただ叩きつぶすだけでなく、魔王に絶望を与えて、倒してやるか。
そう結論づけた時、俺はようやく広間へと辿り着き――魔王と視線を重ねた。