魔帝の出現
闇が空を支配して以降も、山に特に変化はなく、どうやら魔帝ロウハルドが来ることはなさそうだった。
だからといって警戒を緩めるわけにいかないので、神族達は山を監視し続けている。
「さて、と」
一方で俺は休むよう言い渡され、テントで横になっていたのだが……深夜に入ったくらいで頃合いだと判断し、テントを出た。
近くにいた神族に声を掛けられたのだが、トイレだと適当に誤魔化して森へと入る。そして誰にも見咎められない場所で魔法を使って姿を消す。音も遮断し、これで見つかる可能性は低いだろう。
「とはいえ山道を真っ直ぐ進んでいては気配で悟られるかな……野営地から見えない場所から山に入るか」
テントの中で寝ているように細工は施してあるし、ロウハルドが動き出して騒動にならない限りは気付かれることもないだろう……よし、行くか。
森を少し進むと急な斜面が現れる。俺は足に少しばかり力を入れ、跳ぶように山を駆け上り始める。
「相手は神族から攻撃を受けて、多少なりともダメージを受けている……というのは楽観的かな」
色々と呟きながら俺は懐からアレシアから渡された薬を取り出す。それを飲んで瓶を投げ捨て、山頂へ向かうべくさらに速度を上げる。
「うん、急速に回復していくな」
減った魔力が一気に戻っていく……余裕があると思っていたが、実際のところ連戦により多少なりとも消耗していたようだ。
回復し、俺は一気に山頂へと向かう。このペースならそう時間は掛からない。道中でロウハルドがこちらに気付く可能性もゼロではないけど……気配を探ってみても動きはない。
「人間一人来るだけだから、大したことないと考えているのか?」
疑問はあったが足は動かす。山の麓から魔力が動いている様子は観測されなかったので、間違いなく山の山頂付近にいるはず。
それと同時に俺は別に意識を集中させる。テント近くにネズミを配置し、俺がいなくなったことがバレていないかを確認。まあ山に入った時点でどうしようもないだろうから、大丈夫だとは思うけど。
もし気付いてアレシア達が山に踏み込んだら……どうだろうな。さすがに部下達に止められるか?
色々と疑問を挟みながらも俺の足は止まらない。程なくして――山頂付近に辿り着く。そう時間もいらなかったな。
「……間違いなくここだな」
俺は明かりを生み出して周囲を見回す。岩などが破砕し地面がでこぼこになっている。戦場はここだったらしい。
明かりの照らす範囲は全て平地が広がっており、戦う分には問題ない。穴ぼこに少し気をつけないといけないが……。
で、肝心のロウハルドが見当たらない。ねぐらでもあってそこに引っ込んでいるのか?
俺は辺りを見渡しながら歩を進める。といっても気配がないためどちらに歩けばロウハルドに会えるのかわからないけど。
どうしたものか……思案していると、
「――また愚かな輩が現れたかと思ったら、今度は一人。しかも人間か」
若い男性の声が聞こえた。正面方向で、そちらに目を移すと砂を噛む足音が聞こえた。
そうして明かりの下に姿を見せたのは、ボロボロの外套を着た黒髪の男性だった。綺麗な顔立ちをして、気配を発していない今だと、単なる人間と言われても違和感がない。
「ここに何用だ? まさか何も知らずに来たわけではあるまい」
冷厳な声音。とはいえ人間一人であるため魔力なども発していない。
「……あんたが、ロウハルドか?」
まずこちらは問い掛けた。それに対し相手はせせら笑い、
「神族共に協力していた人間、といったところか? いかにも、私がロウハルドだ」
――口上からどうやら俺がレドゥーラやザガオンを倒したことについては知らない様子。部下の動向を観察する暇がなかったのか、それとも元から興味がなかったのか。後者かな。
「人間一人で来るとは何の用だ? まさか、貴様一人で相手するというわけではあるまい」
「そのつもりだが?」
剣を抜く。ロウハルドから見て俺の行動はたぶん、頓狂なものに映っただろう。憐れみを込めた視線を送ってきて、
「神族ですらはね除けた私をたった一人で相手する気か? 愚かを通り越してその無謀さに称賛を贈ろう」
「それはどうも」
油断しているし、ここはさっさと終わらせることができる……俺は相手に気取られないよう魔力を剣に込める。
――神族でさえ太刀打ちできなかった存在に対しどうするのかというと、一応攻略法が存在する。というよりこいつの能力は他者の魔力を吸収し延々と自己強化できることにあるわけだが、逆に言えばそれしかできない。
まあその一つがあまりに突出しており、力も膨大であるため例えばレドゥーラやザガオンにしてみせたような魔法とかは効かないんだけど……加え防御能力も高く普通の剣では刃が通るどころか切ったそばから折れるくらいの硬度がある。
よって、斬る場合も工夫しなければならない。
「……よほど自信があるようだな。まあせっかくだから付き合ってやろう。今の私は気分がいい」
「神族を倒して、か?」
こちらの問い掛けにロウハルドは笑みを浮かべた。
「そうだ。過去にも神族と戦った経験はあるが、その時よりも圧倒的な力を示すことができた。今の私を止められる者はいない。いるとしたら、この私を破った勇者くらいか」
……ロウハルドは人間の勇者によって倒された。もちろんただの勇者ではない。あらゆる魔法、武具により強化し、さらに強力な技法を習得した上で挑み、ロウハルドを打ち破ったのだ。
あいにく俺には強力な武具は存在しないけど……まあ、そういう物を所持していたらロウハルドも少なからず警戒したかもしれないな。
「一撃だけ、猶予を与えてやろう。それで圧倒的な力の差を認識し、さっさと帰れ」
「ずいぶんと甘いじゃないか」
「戦うのも面倒だからな」
ふむ、俺のことは虫か何かを思っている様子。まあそんな風に解釈してくれた方がやりやすいし、このままでいいか。
俺はゆっくりとロウハルドに近づく。相手は笑みを浮かべたまま俺の行動を見守る。
そして剣が届く間合いまで到達すると、ロウハルドはわざわざ手招きした。
「遊んでやろう、さっさと来い」
――余裕綽々な態度。まあそれでもザガオンとかに抱いたような殺気はない。
というのもこいつは俺の名を利用して暴れ回ったわけでもないからな……ただ、一つ気になることがある。
「……お前は、勇者に倒されたはずだ」
「ああ、そうだ。しかし復活した」
「それは自発的に、か?」
「もちろんだ」
……俺が知る限り、ロウハルドが自発的に復活できるとは思えない。誰かが手引きした可能性が高いと思っている。しかしそれは誰なのか――
色々と思案したが推測しかできないので、直接本人に訊くとしよう。
俺は剣を掲げ、それを振り下ろす。といっても全力どころか速度もない。言うなれば刃をロウハルドの体に「置いた」という表現が近い。
「……どういうつもりだ?」
その問い掛けに俺は何も答えないまま、魔力を発し――渾身の一撃を、放った。




