千年の果て
「どうやら……最後の手を打ってきたってわけだね」
チェルシーがその光景を見据えながら呟く。刹那、魔力が――戦場を駆け抜けた。
魔王軍における本陣付近……そこから多大な魔力を感じたかと思うと、一気に拡散した。俺はすぐさま防御魔法を構築。人間や神族達も同様に防御し……その直後、魔物や魔族がその魔力に触れた。
「が、あ……!!」
魔族の誰かが声を上げる。直後、その体が一気に霧散していく。魔力の塊となって、魔王の本陣へ吸い込まれていく。
「……捨て身の作戦だな」
俺は改めて呟く。メリス達は消えゆく魔物や魔族の姿を見ながら、沈黙する。
「神族の構築した結界を壊すことはできない。ならば、今存在している魔王軍側の魔物や魔族……それに加え、自らが作成した結界」
進軍を阻んでいた、魔王の結界もまた分解され、その魔力が本陣へと吸い込まれる。
「そうしたものを全て統合し、一つにする……千年魔王という器を利用して、魔力を最大限に吸収。その力で俺達を倒すという方法だ」
「勝てるの……?」
メリスが呟く。呆然としながらも魔力の強大さに身震いしているようだ。
「最大の脅威であることは間違いない」
それに対し俺は、極めて冷静に応じる。
「厳しい戦いであることは容易に想像できる。おそらく、今まで遭遇した魔王の中でも最強……だが」
俺はイルフのことを思い出す。楔は遙か昔に打ち込まれていた。だから、
「それでもここで決着をつける……必ず、ヴァルトを葬る」
明言した直後、魔力が渦を巻き始めた。それは竜巻のように変じた後、魔王の本陣へ一挙に収束し――凝縮された魔力が、突如弾けた。
一気に吸収しようとした結果、魔力の方に負荷が掛かり、轟音を上げ拡散する。それはあたかも爆発のようであり、衝撃波が周囲の大地を抉った。それでも俺達は防御魔法を維持して耐える。もはや魔王軍を率いていた魔族や人々が恐れた魔物の姿はない。その全てが魔力となり、魔王へ吸い込まれようとしている。
拡散した魔力がもう一度、魔王軍の本陣へ収束する。今度は爆発することなく一つなり……やがて、俺達の前に人影が現われた。
「元に戻ったか」
俺はそんな声を放つ。真正面に顕現したのは、魔王ヴィルデアルを模した姿ではなく、ヴァルトが人間だった頃と同じ姿だった。
「お前と決着をつける以上、もう余計な小細工は必要ない」
ヴァルトが告げる。魔力は充足し、腕を振るだけで大地が弾け飛ぶほどに力を持っているに違いなかった。
「こちらのやり口は既に理解しているはずだ。千年魔王……その器を利用し、世界を蹂躙しようとしていたが、それもできなくなった」
「俺達が障害となっているからな」
告げながら歩き出す。遅れてメリスやチェルシーが追随し、さらにノルバを含めた神族がついてくる。
「あえて訊くが……おとなしく捕まってもらうことはできないか?」
「そんな気もないだろう? あり得ない話を持ち出すような真似は無意味だな」
切って捨てる物言いだった。
「俺は世界を手にするべく魔王という存在を生み出し続けた。それに対しアスタ、お前は世界の秩序を維持するために奔走した……話し合いで解決するなど、最初から不可能だ」
「……ああ、そうだな」
剣を構える。いよいよ――世界の趨勢を決める戦いが始まろうとしている。
「ああ、ただヴァルト。一つ言っておきたいことがある」
「何だ?」
「アスタという人間は既に死んだ。そして、魔王ヴィルデアルも滅んだ。今の俺はフィス……勇者と呼ばれるようになりつつある、ただ一人の人間だ」
「それは重要なことか? アスタという人間の意識をいまだに持ち続けているのだろう? 例え生まれ変わり生に連続性がなくなっているとしても、本質的にお前が何者なのかは変わらない」
「そうかもしれないが、今の俺にとっては重要なんだよ」
「ふん、くだらないな……器の方が重要などというのは、本当に意味がない」
「そうか? それがお前と俺の違いだと思うが……お前は偽名を使おうとも、ヴァルトであるということを崩さなかった。そして俺は、名前そのものにはこだわらなかった。だからこそ、勇者フィスという境遇を受け入れているわけだが」
ヴァルトは沈黙する。俺を凝視し、言葉を待っている。
「そうやってヴァルトという存在にこだわり続けていたのは理由があるのか? 自分という意識を保たなければ、創り出した魔王に飲み込まれていたかもしれないから? それとも、ヴァルトという名前を、世界に刻みたかったのか?」
「証明する必要があった。ただそれだけだ」
ヴァルトの答えが明瞭だった。
「精霊の研究……不死の研究。その全てが正しかったことを、この世界に示すためだ。そして力を……俺の力が完璧であることを、示すためだ」
「それで千年以上か……執念の一言だな」
「お前は、俺の生み出した精霊と一緒にいたな?」
「そういえば、その辺りのことは伝えていなかったか……ああ、そうだ。とはいえ精霊はお前の手から離れてまったく別の存在となった。生みの親であることは事実だが、精霊の成長については、むしろ俺の方が詳しいな」
「……今も後悔している。研究所を離れ、再会した時……あの時に気付いていればこんなことにはならなかった」
「それはいくら考えたって無意味さ。なぜなら――」
俺は呼吸を整え、いつ何時ヴァルトが攻撃してきてもいいように構える。
「どれだけ研鑽を積んでもお前はあの時の俺に勝つことはできなかった。それは今も同じだ。千年以上……策を用いても俺には勝てていない。何一つ、野望を成し遂げることはできていない。結局、どんなに多大に力を抱えていても、この俺には勝てない……そして今回も、同じ末路を迎え、今日で終わりだ」
「なら、千年の果てにどちらが勝利者か決めようじゃないか」
ヴァルトの魔力が高まる。身震いするほど莫大な量だった。
「最後に勝てばそれでいい。そして今度こそ、お前を仕留める」
「ああ、やれるものなら」
ヴァルトが吠えた。獣同然の雄叫びと共に、突撃を仕掛けてくる。
それに呼応するように魔力を高める。最後の戦い――それが今まさに始まろうとしていた。