古代の記憶
「――おい、アスタ」
ふいに、後方から呼び掛けられる声。振り返れば俺と同じ白衣の男性が、資料を抱えて立っていた。
「ん、どうした?」
「お前、例の話は聞いているか? 第二研究所にかなりすごいヤツが入ってきたってさ」
――エルーラント聖帝国。それは魔法という技術を極めに極めた、まさしく超大国と呼ぶにふさわしいだけの力を持った、広大な領地を持つ帝国だった。
世界に覇を唱えるだけあったその国の軍事力は他国の追随を許さないものであり、誰もが永遠に繁栄し続けると思っていた。そう夢想させるほどに力を持ち、また莫大な予算を魔法研究に注ぎ込んでいた。
この俺……後に勇者フィスとなる存在……アスタ=プロフェンもまた、そんな夢想を抱く研究者の一人だった。学院を卒業して、ひたすら魔法に関する研究の毎日。俺自身が所属していた場所は地味な作業が主体ではあったが、これが魔法の発展に役立つとなれば、やりがいは感じていた。
「ああ、そういえば他の研究者が話をしていたな」
男性と同じように資料を抱えながら俺は話す。そして並んで歩き始めると、
「ただ、詳しい話は何も……ジェン、そっちは何か知っているのか?」
ジェン――俺の同僚であるその男性はニンマリとなった。癖のある黒髪が特徴的であり、街に繰り出しナンパすれば結構な女性が引っ掛かるくらいには、顔立ちも良かった。
「ああ、もちろん。だからこそこうして話を振ったわけだ」
「なんだかもったいぶった言い方だな……」
「名前はヴァルト=グオン。北部出身の研究者で、そっちで色々と成果を上げて、この帝都へはせ参じたらしい」
「珍しいな、地方からの研究者がここに来るなんて」
「滅多にない栄転の研究者だ……一度顔を合わせてみたいもんだ。どういった研究をしているのか」
――俺のような白衣を着た研究者は、人間の三大欲求である食欲、性欲、睡眠欲など知ったことではないと言わんばかりに、知識を欲していた。言わば知識欲のバケモノであり、そのくらいの貪欲さがなければ出世もままならないほど、この場所は競争も激しかった。
魔法研究にはかなりの部署が存在しており、当時俺が勤めていた場所は第五研究所。全部で十あるこの研究所だが、どれもこれも規模が大きく、また研究するテーマなどは研究所の所長が決めるケースもあったが、大抵は放任状態だった。
しかしただ漫然と研究をしていれば、良いというわけではない。貪欲に、それこそ睡眠を削ってなお研究し続け、結果を出さなければならない。しかもその結果は他者の功績を上回るような内容であることは必須。そうでなければ、研究所から追い出されて地方へ転属になる。これはかなりマシな方で、場合によっては研究所を裸同然で追い出されるなんて事例すらあった。
帝都における魔法研究は熾烈を極め、だからこそ地方からやってくることは稀だった。帝都の研究者は帝都にある学院を卒業して研究者となる。そこから果てしない、どこまでも続く研究の道へと放り出される。成果を出さなければ一ヶ月でたたき出される……いや、もっと早いケースもあった。研究所はそれぞれ他の場所よりも成果を上げなければ予算が削られる。だからこそ、必死になっているわけだ。
俺やジェンについては、そうした熾烈な研究の中でもどこか地味な分野……動植物の魔力について調べる部署を担当していた。これが何に生かされるかというと、実験などをする際にどのような植物や動物を用いれば効率良くなるか。あるいは魔法の触媒にする場合にどれがいいのか……といった研究をさらに効率的にするにはどうすればいいのか、といった貢献を果たす。
研究内容そのものに正直派手さはない。そのため多大な功績を上げたとして表彰されるようなこともない。けれど、過酷な競争社会となっているこの魔法研究において地味ながら確実に功績を積むことができる……そういう場所で、実際にここで働く者達が追い出されるようなことはなかった。
つまり、俺は堅実な場所で仕事をしていたわけだが……その当時、帝都に響き渡る派手な功績を上げる研究者を見て、羨む気持ちだってあった。自分だって檜舞台に立ちたいと思ったことは、一度や二度ではなかった。
「そのヴァルト、という人物の研究テーマは?」
自室へ戻ろうとする間にジェンへ尋ねる。それに彼は、
「あー、生命の研究だ」
「生命……ずいぶんとざっくりしているな」
「実を言うと詳しいことは俺もあんまりわかっていない。ただ、評判の内容ではあるらしいけど」
「そうか……生命、となれば動植物を研究している俺達と少しくらいは関係しているかもしれないな。機会があれば話をしてみたいけど……第二研究所に所属をしたなら、顔を合わせる機会はないか」
そう告げながら俺はふと思い出す。第二研究所……施設によって研究する内容なども少し違うのだが、この第二研究所というのは少々いわく付きの場所だった。
というのも、魔法の実験により死亡事故なども散見されるくらいの場所。どういった研究をしているのか断定できるわけではないのだが、死亡事故まで生じていることを踏まえれば、よほど実戦的なのか危険なものなのか……ただ、功績を上げる場合は他の研究所の追随を許さないような成果を出していた。とにかくやることなすこと派手な研究所であったことは間違いない。
――その時は、ヴァルトという名前を聞いたとしても大した反応はなかったし、栄転したという噂により多少の期間彼についての話が出回るかもしれない。しかし、所詮それだけだ。
噂が途切れれば、他の研究者の中で埋没するだろう――そんな風に思っていた。
「ま、死なないように頑張ってくれって感じかな」
ジェンはなんだか縁起でもないことを言う。けどまあ、俺としても同じような見解だった。死亡事故が起きるような場所だ。見込まれて栄転してきたにしろ、死んでは元も子もない。
ま、頑張って欲しい……などと他人事のようにその時は思っていた。だから、この時に誰一人として、この出来事が帝国の崩壊に繋がるなど、予想することはできなかったのだ――




