七百年前の魔王
七百年前に調査に入った国の名はフェブロン王国という名前だった。それから百年くらいで王朝は滅亡してしまうのだが、ディリオンが顕現した島へ調査に入り、なおかつその中には王族の姿もあった。
『名はキサラ。調査に赴くくらいに行動派の女性であり、なおかつ遭遇した私を見て警戒しながらも話し合おうとするくらいに聡明な女性だった。ただ彼女の部下がこちらに攻撃してしまい、やむなくこちらも応戦してしまったんだ』
「その結果、どうなった?」
『まずキサラ王女が崖から落ちて隊とはぐれてしまった。卓越した魔法使いだったので落ちて死亡とはならなかったのが幸いか。私としては彼女のことが気になって追ったんだ。そして二人きりで彼女と顔を合わせた』
そう語った後、しばしの間沈黙が生じる。
『……結論から言うと、彼女と私は意気投合した。フェブロン王国の王族は常人より魔力に秀でており、魔力を見て私に敵意がないと彼女は判断したようだった』
「意気投合、か……魔王とわかっていながら王女は心を許したのか? ずいぶんと変わり者だな」
『ああ、私も同意見だ。ただ彼女としては、例え魔物であろうとも戦う意思がなければいがみ合う必要はないと語っていた……ある意味理想論的な博愛主義者ではあったが、私が穏健な性格であったため上手くいったようだ』
「その後も関係は続いたってことか? ということは彼女を基点にして、上手く人間達とやろうとしたわけか」
『そういう風に物事が進めれば良かったのだけれど、ね』
苦笑するディリオン。どういうことかを言葉を待っていると、驚きの内容を口にする。
『実際のところは逆になってしまった』
「逆?」
『……話している内に彼女は私に好意を抱いたようで、それこそものすごいアプローチだった』
「へ……!?」
マジで!? 今も昔も魔王なんて存在は害悪であり、いくら博愛主義者だからといってその前提は崩れるわけがないと思うのだが……!?
『けれど事実だよ。彼女としては、私を魔王としてではなく一個人として見ていたようで』
「そ、それでどうなったんだ……?」
これは俺としても予想外。俺だって例えばメリスとか――好意を持たれる相手は同胞に限定されていた。さすがにその展開では――
『私としては魔王と人間では、と思ったよ。仮に私が魔王という身分を捨て暮らすことができたとしても寿命などの問題がある。悲劇的な結末にしかならないと思った』
ディリオンはなおも語る。俺としても同意見だが、
『けれど、いつしか私も彼女のアプローチに当てられてしまってね』
「つまり、それは」
『受け入れた……だから逆だ。彼女を基点として人間達との関係を構築するのではなく、彼女との関係を認めてもらうために、人間達と関係を築こうと考えた』
――無茶苦茶である。そしてどのような展開になるのかは、容易に想像できる。
『とはいえ、だ。正直なところ私が魔王として彼女と一緒になることは不可能だと受け入れた時点でわかっていた』
「そ、そうだな。仮に人間と良好な関係を結べたとしても――」
『人間側としては、私に害意がないとしても王女を連れ去ったとみるだろう。王室と良い関係を構築したとしても、確実に政治利用される。いくら私が温和な魔王だとしても、人外の存在だ。王室の権威が揺らぐ可能性もあるし、私が足を踏み入れていい領域ではなかった』
「……単純に夫婦になるだけなら、例えば王女がどこか調査に向かっている時に行方不明になるとか、そういう手法をとればいいだろう」
俺は口元に手を当て、考えながら話す。
「そうして島でかくまう……これなら誰にもバレず、暮らすことはできる。けれどそうした手法を彼女は――」
『拒否した。なぜ正しい恋愛を隠さなければならないのか、とね』
「その先に待っていたのは悲劇だろ?」
『私にもその結末は見えていた。けれど王女は、それをやろうとした……いや、彼女は知らせたかったのかもしれない。魔王という存在は必ずしも、悪ではないと。自分の愛したものが、悪であるはずがないと』
「だがその結末は……」
俺の言葉にディリオンはまたも沈黙を置いた――もしかすると、目を伏せているのかもしれない。
『彼女の活動そのものは、それなりに上手くやっていた。彼女は島の調査を幾度となく行い、この私が無害であることを証明するところから始めた。そもそも人間にとって魔王は信用度で言えば突き抜けたマイナスだ。よって信用を得るための行動も少しずつ、人間側が理解した上で行わなければならない』
「地道な活動が必要、というわけか」
『まさしく。島の調査において主導的な役割を果たした王女の意見により、王族や重臣達も少しずつ恐怖が氷解していったらしい。この段階では無論のこと私と王女の関係について話をしたわけではないけれど……年単位は必要だが、この私が人間と何かしら交渉ができる……そんな可能性も感じていた』
「けれど、それは失敗に終わった……か」
『そうだ。要因としてあげられるのが、私の活動に便乗し大暴れした魔族達だ』
ここから伝承にもあった展開になっていくのか。
『私が無害であったとしても、私の影響で暴れる魔族達がゼロだったわけではない。今思えば、ああした魔族の登場はどこか恣意的なものを感じるな』
もしや、これにはヴァルトが関わっているのではないか……そう思わせるには十分な要素だろう。
『ともあれ、少しずつ得てきた信頼性も魔族の登場により瓦解した。そこからは……紆余曲折あったけれど、私は王女を追い返すことになった。どうやら彼女は私と共にいるという決意をしていたらしいが……残念ながら、それは叶わなかった』
「そこから、滅びの道を選んだのか」
『その通りだ。私は勇者によって倒された。その後、王女がどうなったのかについてはわからないから、それだけが心残りか――』
「調べてみようか」
『……え?』
俺の意見にディリオンは驚いた様子。
『調べる? 可能なのかい?』
「この砦には魔王ディリオンに関する書物がいくつも存在する。対策として重要なのは当時の能力はどのようであったか、だ。よってヒントが得られないかと、当時の資料や記録なども存在している」
『なら――』
「調べることは可能だ。とはいえ、七百年前の話だ。国も滅んでいるし、収穫がない可能性だってあるが……」
『いや、わずかな可能性があるなら……お願い、できるかい?』
「貸し一つだぞ」
『ああ、わかった』
あっさりと答えるディリオン。その軽さに苦笑しつつ、俺は資料探しに向かうことにした。