魔王と勇者
「――状況を報告させていただきます。現在勇者達は城内に入り、この玉座の間へと向かっています」
暗く、ひどく殺風景な大広間。その最奥にある玉座に座り、そばにいる女性の声を聞き続ける。今この場にいるのは彼女と、自分だけ。
「勇者を支援する部隊は外で陛下のしもべと交戦中。こちらは足止めに成功しており、決戦の際に邪魔になることはないと思われます」
「敵とこちらの被害状況は?」
質問に、女性は少し間をおいて、
「敵軍に負傷者は多数いるようですが、死者は皆無の様子。陛下のしもべが足止めを優先した結果のようですが……」
「わかった。まあ計画通りといったところか」
その言葉に彼女はチラリとこちらを一瞥してから、
「……続いて勇者一行です。人数は三人。しかし玉座の間へ繋がる通路で仲間の二人は勇者を先へ進ませるべく、押し寄せるしもべ達と交戦しております」
「ここに来るのは勇者一人……だな?」
「はい、それは間違いありません」
「よし、事は成った」
そう告げた直後、彼女はもう一度視線を投げる。そこで、
「……メリス、言いたいことがあるなら言ってみろ」
「私は、今回の作戦に反対です」
「その言葉、聞き飽きたな」
「なぜ……陛下が直接戦う必要があるのですか?」
「昨夜話したはずだ。この城にいる私の部下で勇者を止めることはできない……だからこそ彼をここに通し、最終戦力であるこの私……魔王が、相手をすると」
――思えば、決戦が始まる時点で勝負はついていた。
圧倒的な兵力差に加え、人間側はこちらの勢力を研究し戦術を組み立てていた……迎え撃った部下は攻撃を受け早々に退却。この城を脱し、今残っているのは自らの手で生み出した悪魔型のしもべだけ。
「メリス、必要な情報は得た。お前もこの城を離れろ」
「嫌です」
「私を心配するのは理解できる。だが、ここに残ることは許さない」
首を向ける。そこには肩にかかる藍色の髪を持った、美しい女性がいた。幼さも見え隠れする彼女は、正しくこの城に残る一輪の可憐な華だ。
見た目的に彼女が悪魔の血を所持しているなど、到底思えない――黒い瞳はこちらを見て今にも泣き出しそうで、何か言いたそうな顔をしていた。
「……私は、自分自身よりもお前達部下が心配だ」
そうメリスへ告げる。
「私のために死ねると、戦いの前に部下から幾度となく聞いた。だが私はそれを望まない。負けてもいいから生き残れ……そう私は命令した。メリス、お前もそうだ」
「しかし――」
「そしてもう一つ……私が負けると思っているのか?」
問い掛けに、メリスは一時沈黙した。
「……いえ、陛下は絶対です。勇者に負けるとは、想像もつきません」
「そうだ。万が一にもそうした可能性がないからこそ、私はこの策を実行した」
「そう、ですよね……出過ぎた真似、申し訳ありませんでした」
「謝らなくていい。メリス、お前には助けられているし、その助言もまた嬉しく思う」
「陛下……」
わずかに、嬉しそうに微笑を見せ――けれどすぐに引き締めた。
「ご命令、承知致しました。これより私も城を脱します」
「わかった……ふむ、そうだな」
ここで少し考え、
「メリス、お前にはずいぶんと苦労をかけた。このような状況であるため礼の一つもできないのは申し訳ない」
「そんなこと……礼などいりません。人間の襲撃から助けていただいたこと……私の方こそ、礼を示しお仕えしなければならないのです」
「そうか……だが私としては礼がしたい。勇者が来るまであと少しだろうから、してやれることは多くないが……何か望みを叶えよう。もし城に残っている物が欲しければ、逃げる際に持って行け。私が許可する」
「いえ、それは……」
「では何を望む? こんな状況だ、遠慮はいらんぞ」
メリスは一時沈黙した。ほんのわずかな時間だったが、今の自分にとって恐ろしいほど長い静寂だった。
沈黙を破ったのは城内を揺るがす振動。勇者が魔法を使ったのだろう。そして、
「……それは再会した際に、述べさせていただきます」
「それでいいのか?」
「はい。ですから、絶対に勇者を倒してください」
彼女なりの激励なのかもしれない。だから「わかった」と応じ、彼女は玉座の間から立ち去る。
やがて、
「……すまない、メリス」
息をつき、左手を前へかざす。それにより空間が歪み、鏡のようなものが生まれる。
それを覗くと、自分の顔――銀髪で黒い目を持つ、青年が映った。
「正直、魔王というには威厳がないな……まったく、なんで俺はこんなことをしているのか」
自分の顔をそう評すと、傍らの台座に置いてある兜を手に取り、かぶる。全身もれなく鎧で覆われ、軽く咳払いをして声の調子も整える。威厳、恐怖……そういったものを備えなければならない。
やがて、玉座の間の扉が開いた。重々しい音と共にゆっくりと開かれ、奥から一人の男性が姿を現す。
年齢は二十歳くらいだろうか。一目見てため息が出るほどのオーラと、顔立ちを持った青年だとわかった。金髪と真っ直ぐな黒い瞳に、手に握る白銀の剣の刀身には複雑な紋様が刻まれ、光り輝いている。身につける鎧もまた白銀で、こちらも複雑な装飾と紋章が刻まれ、彼自身を守っている。
威風堂々とした佇まいと、玉座に坐す俺を見上げるその顔つき……一片の恐怖もない。あるのはただ、俺を倒そうという強い烈気だけだ。
「魔王……ヴィルデアル」
その名を聞いた瞬間、俺は兜の奥で声を出さず苦笑した。
古語で『支配』の意味を持つその言葉は、自分自身が魔に属する者達を文字通り支配し、守ろうという意志を込めたもの。だが今は違う。人間にしてみればこの世界を支配、蹂躙しようとする存在……そんな風に感じることだろう。
「貴様の暴虐、ここで終わりだ」
そこで、俺は否定したくなった……人間に襲い掛かったことなどない。ただ魔族――人間に弾圧されていた同胞を助け、大陸の片隅にあるこの城に住まわせていただけだ。
人間に危害を加えない同胞ですら、魔族というだけで狙われた。だから俺は彼らを救い続けた。人間に戦争を仕掛ける気なんてなかったし、そもそも俺は平和を望んでいた。なのになぜ、こんな状況になったのか――
『私の暴虐……それは一体どういうものだ?』
重い声音が響く。自分の発したものだが、あまりの変化に笑ってしまうくらいだ。
「貴様が魔物を使役し多数の村や町を襲ったこと、人間は忘れていないぞ!」
『この世界における魔物達の仕業だ。歴史的に見ても時折大量に発生する故、私がいたこの時代にたまたま野に魔物が溢れたまでだ』
「この状況において、まだ詭弁を言うか……!」
勇者の怒りが膨れあがる。
「謀略により一国を滅ぼそうとした罪も、貴様の仕業だと確定している!」
『それは私の名を勝手に利用した魔族の仕業だ。私が手を下したのではないし、その魔族とは交流すらない』
「そうまでして罪を認めないとは……いや、激高させ、俺に突撃させようという魂胆か」
正直に答えただけだが、結果的にそういう形になったようだ。
今述べたことは真実……だが、到底勇者は納得しない。
同胞に望まれて俺は魔王を名乗った。そして魔族と共に平和かつ穏やかに暮らしていた。魔王という存在により人間も不用意に攻撃はしてこない。そしてこちらから攻撃しなければ、畏怖を抱いたりはするが向こうから攻めてくることはない……そう思っていたし、攻撃されないよう配慮もしていた。
けれど、俺の名を勝手に利用し暴れ出す魔族が現われた。俺はそれを止めるべく動いたが……気付けば国々が俺を討伐すべく動き始め、引き返せない所まで来てしまった。そして残されたのはこの覆せない戦況だ。
「今この時……全てを終わらせる」
剣を構える勇者。それに対し俺は玉座から動こうとしない。
それを相手はどう解釈したか……勇者が握る剣が輝く。鬱屈とした玉座の間を照らし、人間に希望をもたらすような光。
直後、勇者は雄叫びを上げ突撃を仕掛ける。俺は動かない。何もせず、ただ勇者の姿を目に焼き付け、
――気付けば彼の剣は、俺の体を刺し貫いた。
「……な」
勇者が呻く。こんなにも簡単に……そう思っているに違いない。
『……勇者よ』
俺は刃の感触をしっかり受けながら、口を開いた。
『私を倒し、その功績で英雄になるといい。それが、ここまで到達した私からの報酬だ』
「なぜ、お前は……」
『本当は私の命と引き替えに私の部下を殺さないでくれ、と言いたいところだが、そちらにも事情はあるだろう。そこまで無茶は言う気はないさ』
兜の奥で俺は笑う。動揺を見せる勇者を見ながら、どこまでも笑う。
俺が滅ぶことでこの戦争が終結し、同胞に対する攻撃も少しは和らぐだろう。なおかつ部下には俺が消えても大丈夫なよう備えをしてある。俺の命令――人間に手出しするなという命令さえ守っていれば、襲われることもないはず。気に掛かる部分ではあるけれど、部下達を信じよう。
滅ぼされるというのに、なぜこんな風に笑ってしまうのか……自分でもよくわからなかったが、彼の剣により俺の体は崩れ始める。
『――さらば』
そう言い残し俺は……魔王は、この世から消え去った。