表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sapphire Lagoon [サファイア・ラグーン1作目]  作者: 朧 月夜
【第四章】[寓話の鍵]
7/52

[恋] -2- (※)*

 それから更に五日が過ぎ、僕は幾つかの島々を経て、ルーラと再会したあの岩場の海域に近付いていた。


 今日は朝から晴れ渡り、雲一つ見えない。絶好の日和(ひより)と言えよう──そう、僕らの出発の。

 そしてルーラの「合図」を見つけるのにも、きっと最良の天気だ。


 僕は船員達に命ぜられ、昨夜詰め込んだ荷物を甲板で仕分けしながら、水面の様子を垣間見ていた。

 船底を擦らないように深い航路を探しながら進むので、蛇行を続ける船の上は大地震のようだ。やがて最も険しい領域に差しかかると、この大きな船は海面をジャンプする鯨のように、その巨体を一気に傾けて旋回した。


「やっぱりこの辺りは面倒なもんだぜ……おいっ、ぼうず! 一つでも荷を落としたら、お前の給料から天引くぞ」


 船室の壁にしがみついた髭面(ひげづら)の船長が悪態をついた。この荷箱を三つも落とせば、僕の賃金はゼロになるだろう。


 ──そろそろかな。


 僕は手を休めることなく、水面に目を凝らした。しばらくして船首の左手に太陽の反射とは違う、規則的に点滅する強い光を見つけた。


「……うっ、うわっ……」

「ぼうず!」


 それは一瞬のことだった。

 大きな荷物を両手に抱えた僕は、よろけながら甲板のささくれにつまずき、上体をのけぞらして頭から海へ真っ逆さまに落ちてしまった。


 いや、落ちたんじゃない。ダイブしたんだ。

 よっぽど運んでいた荷物を道連れにしたいところだったが、自分の身も危ないし、少なくともこの五年間僕を生かしてきてくれた船と人達だ。落ちる瞬間手前へと放り投げ、身体だけを放り出した。


 海は思っていたよりも冷たくはなく、静かだった。

 瞼を開いてみれば、自分の吐き出す空気の粒が、海面へと吸い寄せられるように上がっていった。こんな岩場にも信じられないほど深い所が在るんだな……徐々に暗くなっていく周囲を冷静に眺めながら、僕はパックリと大きな口を開けた怪物のような深海に堕ちていった。


挿絵(By みてみん)


 ──こうして父さんも何処かで眠っているのだろうか。


 やがて窒息という麻薬が僕を死へと魅了していった。

 けれど苦しさは感じない。このまま死んでしまうのも悪くないかもしれない。


 ──アメル。


 近いような遠いような……僕を呼ぶ声がする。──聞き覚えのある声。母さん? いや、これは……


「アメル!」


 僕はその声と、きつく掴まれた右手の感覚で我に返った。


「ルーラ! ……うっ、げほっごほっ」

「大丈夫? アメル」


 目の前で心配そうに見つめるルーラに応えるや否や、吸い込んだ海水にむせてしまった。

 でも……何故だろう。息をしている。


「ご、ごめんなさいっ、アメル。光の合図をした後、飛び込んだのもちゃんと見えて、すぐ助けに行こうとしたの! だけど、この子にじゃれつかれて……あー良かった、アメル死んじゃったのかと思った」


 ルーラは僕の右手を掴んだまま、身振り手振りでここまでの経緯を説明した後、ホッと胸を撫で下ろして落ち着いた。


 海流で揺らぐ金髪と紅いリボンは陸上とは違って、まるで水を得た魚のようだ。大きな瞳も整った鱗も、ルラと呼ばれた石に優るとも劣らぬが如く美しく輝き、僕の時間を止めた。

 そんな風に見とれていた所為か、僕はルーラの言い訳の意味も、彼女の背後の黒い影にも気付けずにいた。だがその影は徐々に大きく近付き、僕を圧倒した。


「この間話したでしょ? シャチのプシケよ。おてんばだけど本当は優しいから心配しないで。あたし達を結界の西の端まで連れていってくれるわ」

「……シャ……チ……」


 そう説明をして、鮮明に見え出した光沢のある肌に頬擦りするルーラに対して、僕はどんな形相で答えていたのだろう。知らず知らず後ずさりしていたが、依然繋がれた右手で引き戻され、


「ダメよ! この手を離したら、アメル息が出来なくなっちゃう。覚えていて、お願い。あたしと触れることによって、アメルの身体は空気の膜で包まれてるの。絶対ぜったい離さないでね!」

「あ……ごめん。えっと、ありがとう」


 と今までにない剣幕に驚いて、僕は謝罪と感謝を表したが、ルーラはそれくらい心配してくれたということなのだろう。確かに僕は息が吸えるというだけでなく、身体全体が水に触れず、陸上にいるのと何ら変わりがなかった。


「プシケ!」

「わっ!」


 ルーラの大声に反応して振り向いた途端、僕の目の前は真っ暗になった。海獣特有のつるんとした皮膚。僕の視界では両眼を確認出来ないほど接近され、思わず硬直した。

 この五年間の内に少なくとも何度か目撃したことはあるが、もちろんこんなに近寄ったことはない。プシケと呼ばれたそのシャチは、鼻先で僕の頬や腕をなぞり、揺らいだ空気の層から生まれた小さな泡を、面白そうにパクリとすると、大きな口の中は未知の領域だった。


「プシケ、あなたを気に入ったみたいね」

「え……?」


 そしてプシケは僕達の周りを何重にも泳ぎ回り、吐き出された沢山の泡が螺旋を描いて海上へと連なっていった。


 それから僕らはプシケの背に乗って、深く眠る結界の中へと向かった。ルーラはプシケを結界の外へ出したことを、内緒にするようにとウィンクしてみせたが、僕には結界の境目さえも見て取れはしなかった。


 やがて暗闇の中に、青くぼおっと光る遺跡のような館が見えてきた。


 ──ウイスタの東の館。


 既に大ばば様のいないこの館で、誰が待つというのだろう。


姉様(ねえさま)!」


 プシケの背を勢い良く降りたルーラに引っ張られ、半開きの扉をすり抜けた其処には、蒼い蝋燭に照らされた数人の人魚がいた。


「ルーラ……準備が出来たのね」


 そう言って真ん中に佇んでいた一人の人魚が、僕達の前に歩み寄ったが、彼女がルーラの姉さんだというのだろうか。


 まるでルーラとは正反対のうねりのない銀色の長い髪。細長い涙型のペンダントは藍色で、更に(ぎょく)のような輪状の石も添えている。胸元を隠す濃紺の布は、その美しい髪を惹き立て、背中に小さく纏められて、何もかもが対照的であった。

 只、深いブルーグリーンの瞳と、鱗の碧い色はルーラに良く似ている。その刺すような鋭い眼差しを除けばだが……となると、どうも僕は歓迎されていないらしい。


「姉のカミルです。妹が随分お世話になったようですね」

「いえ……あの、僕の方が助けてもらってばかりで……えっと、アメリゴと言います」


 僕を紹介しようとするルーラを制して、カミルと名乗ったルーラの姉さんは、冷たい表情を変えぬまま、ゆっくりと眼を伏せ会釈をした。

 僕も慌ててお辞儀をして返したが、蛇に睨まれた蛙の心境でしどろもどろだ。更に次にぶつけられた言葉は、相当衝撃的なものだった。


「私は貴方を信用した訳ではありません。シレーネ様と同行させるのも、ウイスタ様の遺言あってのこと。もしシレーネ様の身に何か遭ったとしたら、結界の外でも私は貴方を殺しに参ります」

「姉様っ……」


 隣で姉と僕を交互に見つめておどおどするルーラの気が移らないように、僕は彼女の左手をギュッと握り返した。


 ──“シレーネ様”か……。


 その言葉が僕に冷静さを忘れさせなかった。ルーラの身に何か遭ったとしたら。殺しに来る理由は、(あが)めるシレーネのためか。妹であるルーラのためか。


 僕は空いた左手で、自分の首に掛かった銀色のネックレスをシャツの下から引っ張り上げ、強ばった表情のカミルに手渡して、


「今、自分の持ち物で大切な物は、このペンダントだけです。無事ルーラと戻ってくるまで、どうかお預かりください。必ずルーラを連れて、取り戻しに参ります」


 と薄く笑んだ。


 僕は敢えて彼女に同調して“シレーネ様”とは呼ばなかった。第一にルーラがそう呼ばれるのを好まないこと、そして僕の守るべきは『シレーネ』ではなく『ルーラ』だからだ。


「……分かりました。その約束だけは信じましょう。貴方がお帰りになるまで、これは大切に保管致します」


 言葉は丁寧だが、決して目は笑っていなかった。カミルに目配せされたがたいの良い別の人魚が、奥から透明な球状の器を運び、僕のペンダントは水から遮断され、その球の中に吸い込まれた。


「シレーネ様、皆で作りました。しばらくはこれで凌げるでしょう。重たいですが、プシケもおりますしお持ちください。お身体気を付けてくださいね」

「ありがとう、マルタ」


 カミルに圧倒されていたルーラも、隣の人魚にそう声を掛けられ、気を取り直して差し出された荷を受け取った。代わりに持つよと受け取ったが、なかなかの重量だ。中身は食糧だろう。


「食べ過ぎてお腹壊すんじゃないよ……と、食いしん坊もホドホドになさいませ、シレーネ様」


 そのまた隣の人魚がおどけたお陰で、一気に場の雰囲気がほぐされた。


「そんなに食べないわよ、ヘラルド! トロールもあたしが帰ってくるまでに、また太るんじゃないわよ!」


 そう笑って大きな二人を抱き締めたルーラは、よっぽど左手を離したかっただろう。僕の荒れた硬い掌に包まれた、小鳥のように柔らかく白い華奢な手──守らなくちゃいけない、絶対。


「姉様……行って参ります、姉様。心配だろうけど、信じていてあたし達のこと。ちゃんと魔法を勉強して帰ってくるから」


 最後にルーラはカミルに優しく抱きついた。降り注ぐ銀の雨。その髪に隠されて表情は分からなかったが、ルーラを抱き締め返す手が震えていた。──本当は優しい人なんだろう。


「じゃあね、みんな!」


 こうして僕達は西へと向かって旅立った。何処(いずこ)とも分からないサファイア・ラグーン目指して。魔法使いアーラの棲む、サファイア・ラグーンへ──。




挿絵(By みてみん)




 此処までお付き合いくださいました皆様、本当に有難うございます。


 ふと「何故私の中では、セイレーンでもシレンでもサイレンでもなく『シレーネ』だったのだろう?」と疑問に思い、シレーネをネット検索したところ、古い記憶に触れる歌が出て参りました。昔学校で習いました「帰れソレントへ」です。


 その中の歌詞に「シレーネ」という言い方で登場する為、私の小説ではそうなったものと思われます。但し今回の検索で別の方の翻訳歌詞もある事が判り、そちらでは「シレン」を用いていますので、その歌を聴いていたならばシレンになっていたに違いありませんでした(苦笑)。


 ちなみに今章のイラストはカミルです。名前の表示もしないで失礼しております。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ