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[2] 過去*

「良く来たね、アメル、ルイーザ……随分元気そうじゃないか」


 重厚な扉のベルを鳴らす。いつになく優しい微笑みのジョルジョが、軽々と扉を開いて僕達を招き入れながら、母さんにそう声を掛けた。

 療養所を出て、買い戻した我が家に暮らすようになってまもなくのことだ。


 此処までの経緯に幾度となく力を貸してくれたジョルジョは、既に母さんとも懇意の仲で、命の恩人ともいえる彼に、母さんはこれ以上ないほどの感謝を込めて挨拶をした。


「まあまあ、気楽にして……こちらに掛けなさい、アメル。葡萄はどうだね? ルイーザ」


 僕達は、樹齢百年は越えるであろう我が家をずっと見守ってきた無花果(イチジク)の実を手土産に渡して、いやに愛想の良いジョルジョに戸惑いながらも席に着いた。


 彼の家は海に近い僕達の家よりも、一山奥の町外れにある。

 船乗りとしての成功が物語るように、小じんまりとしながらも立派な造りだ。この町も少なからずその恩恵を受けているとの話だった。


 二、三ヶ月の長い航海の後、数週間で再び次の仕事へ向かう彼の代わりに、妹夫婦がこの家を守っているのだそうだ。奥から葡萄と香り高い紅茶を運んできてくれた妹さんを紹介され、好奇心に任せてキョロキョロと見回していた僕は、少々慌てた様子で会釈をした。


挿絵(By みてみん)


「ごゆっくり、どうぞ」


 そう言って僕達をもてなした優しそうな女性は、にっこり微笑んだ目元がジョルジョにそっくりだった。彼女は静かにテーブルを離れ、台所へ戻るその扉の隙間から、今度はこちらを窺う小さな影に気付いた。


「妹の娘のラウラだ。ラウラ、こちらに来て挨拶をなさい。お前が待ち焦がれていたアメルと、母さんのルイーザだよ」


 とジョルジョはその視線の先に手招きをした。

 ルーラという名に発音が似て、一瞬ドキッとする。


 ジョルジョはルーラの母さんテラへの愛を貫いて、これまでの人生を独身で通してきた。故に伴侶どころかルーラ以外の子を持たないが、つまりこの子はルーラの従妹(いとこ)に当たる訳だ。六、七歳だろうか、腰まで伸びた長い髪はジョルジョや妹に似て焦茶色をしているが、僕に向けられた好奇心の瞳は、ルーラを思い起こさせるくらい真っ直ぐだった。


「初めまして、ラウラ。僕、アメルです。どうぞ宜しく」


 僕は席を立ちゆっくり彼女の前にしゃがんで、握手を求めるように右手を差し出した。けれどそのつぶらな瞳の持ち主は、僕から目線を外さないまま、はにかんだ表情でスカートの両端をつまみ、おしゃまな挨拶をするや、無言で逃げていってしまった。


「ルーラと違ってとてもシャイでね……いや、彼女のことはいいんだ。今日お呼び立てしたのは、他でもない君のことだ、アメル」


 再び促されて席に着いた僕は、一瞬不思議な錯覚を覚えた。裏手に広がる森の木々を、揺らしながら吹き抜ける風。そう、まるで自分の家にいるのかと思う、淡い緑の匂い。


「僕の……ことですか?」


 もちろんジョルジョが用もなく僕達親子を呼び出すとは考えていなかった。

 だからこそ余計に気になる「彼女(ルーラ)のことはいいんだ」。


「ああ。君が私の船に乗って、もう二年が過ぎたね……君はルーラの──娘の支えとなり良く頑張ってくれた。だが以前にも言った通り、そういったことで君を雇った訳ではない。君の五年間の下積みと、本能的に持つ船乗りとしての才能を見出したつもりなんだ、私としては」


 本能的に──船乗りだった父さんの血を言っているのだろうか。


「ありがとうございます」


 こんな回りくどい話し方をするジョルジョを見るのは初めてだった。いや、きっと本題に入り辛いのだろう、こちらを見つめる目が時々泳いでいるのは、どう切り出したら良いのか考えているからだ。


「君もまもなく二十歳(はたち)になる……ルイーザも無事退院を果たし、普通の生活に戻った。だが私も君も仕事で長いこと家を空けなければならない。その間母さんを独りにしておくのは心もとないだろう」

「……はい」


 隣に座った母さんをチラと視界に入れてみたが、自分の所為で解雇されるのではないかとヒヤヒヤしているのが見て取れた。僕は心配しないでと言うように母さんの手に手を重ね、冷たかったその甲は一気に僕の熱を吸い取っていった。


 そんな様子に気付いたジョルジョは、


「いや……もうこんな君の気持ちを探るようないやらしい会話はよそう。ルイーザ、君は気を病む必要はない。君の子息は良くやってくれているよ。この話はむしろ君にとって良い話だ、ルイーザ」


 どうやら腹を(くく)った様子で母さんに弁解をし、僕の顔を真正面から見据えた。

 何を言いたいのだろう──母さんにとって良くても、僕には言いづらいこととは?


「実は……君に会わせたい女性がいるんだ……それで……なんだ、出来ればその娘を嫁に貰ってほしいんだよ」


 ──!!


「あ……いや、あの……」


 バツが悪そうに髪を掻き乱す彼に、驚きと戸惑いとで言葉にならない自分。


「アメル……これはルイーザだけでなく、君のことも思っての話だ。君も分かっている筈だ……人魚とは一緒になれない。シレーネの階級を得たなら尚更だ。……君を私の二の舞にはしたくないんだよ、アメル。君は既にシレーネと二年以上会っていない。忘れるきっかけさえあればもう今なら……シレーネの引退を待っていても、その頃にはもう私達は灰になってるんだ」


 分かっています……もちろん分かっている、頭の中では。


 落ち着いた低い声でそう説いたジョルジョの言葉には、否が応でも説得力があった。

 でもルーラが持ち去った心のカケラは、今でも戻ってきていないんだ。


「あの……でも、船長……」


 僕はジョルジョの目を見られなかった。

 そして余りに冷静さを欠いていたその時の僕は、思えば何故彼が『ルーラ』ではなく『シレーネ』と『人魚』という言葉を選んで話したのか、理由どころかその選択にすら気付けてはいなかった。


「彼女は君の留守中家を守り、母さんの面倒も看ると言ってくれているんだ。年の頃もちょうどいいし、悪い話ではないと思うがね……異議はあるかい、ルイーザ?」


 話を急に振られた母さんは、目を丸くして押し黙ってしまった。

 直接僕から聞いた訳ではないが、今でも僕がルーラのことを忘れられずにいることは、母さんも重々分かっているのだ。


「──」


 同じく二の句を継げなくなった僕は、唇を噛み締めて俯いてしまった。

 心の中では「分かっている──でも……分かっている──」と繰り返し言葉が舞う。

 ジョルジョはそれを見て、呆れたようなそれでいて少しホッとしたような溜息を一つついて、


「君の気持ちは分かったよ、アメル。しかし扉の向こうでその本人はずっと君を待っているのでね。会うだけ会ってはくれまいか……きっと気に入ると思うがね」


 驚きでハッと顔を上げた僕と目を合わせたジョルジョは、先程までの強ばりのない、いつも通りの彼に戻りウィンクを投げた。


「船長……?」

「ラウラ! ……ラウラ、もういいよ。連れておいで」


 彼の声に合わせて静かに扉を開いたラウラの向こうに、その女性は立っていた。

 細身の中背で、長袖と長めのスカートから覗くスラリとした指と足首から、とても色白なことは見て取れる。

 しかし既に花嫁かと見(まご)うようなヴェールに隠されて、髪の色も表情も僕の角度からは分からなかった。


「あの……えっと……」


 先程のラウラのような挨拶をして、無言のまま扉を抜け、真っ直ぐ歩み寄ってくる彼女に気圧(けお)され、思わず僕は立ち上がった。


 ──あれ? この香り……。


 彼女は僕の目の前で止まり、僅かに見える口元が微笑みを湛えた。そして──。


「つかまえ……た!」


 ──金色の草原……?


 僕の目の前に広がったのは、紛れもなく金色の草原だった。一瞬今何処にいるのか、何をしていたのか全て忘れ去られたが、この僕を抱き締める感覚、視界を埋め尽くす金色の波、そしてこの甘い香りは……


「……アメル、背伸びたのね」


 懐かしい声。


 そうだよ。出逢った時それほど変わりのなかった僕の身長は、今では君を見下ろすほどになった。抱きついた勢いでヴェールを取り去られた彼女の黄金の髪は、僕の鎖骨の辺りを漂い、その下から覗く以前と変わらない大きな瞳は好奇心で輝いている。


 ──ルーラ。


「アメル!」


 僕は腰が抜けたように、さっきまで腰かけていたベンチに尻もちをついてしまった。

 情けないことにはらはらと大粒の涙が零れ落ちて、視界がぼやけ何も見えない。目の前にいるのは本当にルーラなのか。一瞬はっきり見て取れたのは、僕の背が伸びたように彼女の表情も少し大人びたということ。

 座り込んで止め()なく涙を流し始めた僕に驚いて、ルーラであろう彼女は僕の足元に(ひざまず)き、以前のように、


「アメル……大丈夫? 怒ってるの、あたしのこと? ずっと会いに行かなかったから……ごめんなさい、アメル……あのっ」


 と心配そうにまくし立てた。

 彼女の上気した頬に、僕の右手を当てる。


 怒ってるさ……怒ってる。この二年半のこと、僕はどう伝えたらいい? 辛かったこと・哀しかったこと……でも今君がこうして此処にいるのは、同じ想いだったからなの?


「何故……」

「え?」


 何故──何なのだろう? 何から訊いたらいい? 沢山知りたいこと・話したいことがあった。

 右手の甲が急に温かくなった。ルーラの柔らかい頬と滑らかな両手で、僕の右手は包まれていた。


「恋に落ちたから──」

「あ……」


 覚えていたの? 人魚姫の物語。

 恋に落ちたから──彼女はそう言って、恥ずかしそうに僕から視線を外し、瞳を閉じてしばらく僕の体温を感じていた。


「おかえり」

「アメル……」


 再び視線を戻した彼女の瞳には、僕に負けないくらい大粒の涙が光っていた。


「おかえり、ルーラ」


 ──おかえり、僕の人魚姫──。


「ただいま。ただいま、アメル!」


 元気良くそう答えて僕の首に飛びついたルーラは、抱き上げても軽々としていた。

 ああ……でも、これだけは訊かなくちゃいけない。


 ──何で足があるんだ!?


「あの……ルーラ、その足は……本物?」


 微笑ましく成り行きを見守っていたジョルジョと母さんが吹き出した。先程まで一言も喋らなかったラウラまでが、口を押さえて笑いを堪えている。


「え……あ、いや、でも……」


 それじゃ何て訊けばいいのさ。


 周りの反応に動揺を隠せない僕に構わず、ルーラは床に足を着けて、一回りターンをしてみせた。


「半年前からあたし、あなたの船に姿を見せなくなったでしょ? もう一度サファイア・ラグーンへ行っていたの。アーラばば様に頼み込んで足をもらったのよ……正確には鱗を取ってもらったっていうのかしら。半分人間・半分人魚のあたしは、足を作る素を持っていたのよ!」


 聞けば初めて僕達がサファイア・ラグーンに着いた時、既にルーラはその問いかけをアーラ様にしていたのだという。それよりも驚いたのは、僕が半年前まで彼女の気配に気付いていたという事実を彼女が知っていたことだ。


「人魚姫のように言葉は失くさずに済んだんだね」

「失くしたのは長ーい命と、シレーネの階級だけ。アメルがおじいさんになっても、あたしがこのままだったら困るでしょ?」

「いや……そんな……それで本当に良かったの、ルーラ? それにシレーネの階級だって……」

「もーう、そんな話は後々(あとあと)!」


 そう言って僕の質問をはぐらかしたルーラは、安堵して腰かけている母さんの足元に跪き、彼女の両手を取った。


「アメルのお母様……ルーラです。私をあなたの娘にしてくださいますか?」

「もちろんですとも。誰が嫌だなんて言うことでしょう。でもあの子がいない間、私と二人きりでいなくちゃいけないのよ」


 微笑んだ母さんは、ルーラからチラと僕の方を見上げ、ちょっと悪戯(イタズラ)めいた顔をしてみせた。


「私、十八年海の底にいたんです。サファイア・ラグーンから戻って三ヶ月、こちらで地上の勉強をしましたがまだまだです。お母様には沢山教えていただかなくては……帰ってくる度アメルを驚かせるためにも!」


 と、今度は振り返ったルーラが全く同じ表情で舌を出した。


「さぁっ、そうとなれば結婚式の準備だ! 明日には森の教会で式を挙げるぞ。ルーラ、父さんにお礼のキスはないのか? もうこんなお芝居はこりごりだ」


 此処までのいきさつを静かに見届けてきたジョルジョが、待ち切れない様子で大声を出した。やはりジョルジョの不可思議な言動はルーラによる演出だった訳だ……でも、それより……結婚式だなんて!


「ルーラ」


 ジョルジョに抱きついてキスの嵐を贈るルーラに、僕は背後から声を掛けた。


「アメル……?」


 今度は僕が片膝を突いて、彼女を見上げる。


 テーブルに飾ってあったペーパーデイジーを一輪拝借して、それを彼女へ向けて差し出した。

 先日の航海で南半球から持ち帰った、ルーラの髪色の花。

 英名は『Everlasting』。意味は“永遠に終わらない”……だ。


「ルーラ……ルーラ、僕と結婚してください」

「アメル……」


 驚きで言葉を失った彼女は、優しく肩を叩く父親の顔を見上げ、そして僕を振り返った。


(つつし)んで、お受け致します……アメル」


 そう言って手に取った花を髪に飾ったルーラの笑顔は、以前の(かげ)りのあるものとは違い、その花のように一心に光り輝いていた──。




挿絵(By みてみん)




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