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Sapphire Lagoon [サファイア・ラグーン1作目]  作者: 朧 月夜
【第十二章】[紅蓮の牙]
34/52

[仇] -1-2-*

母様(かあさま)があなたを連れて結界に戻ってきたあの日。あれから母様の奇行は始まったわ……毎日毎日、結界の中で最も水深の浅い海域へ出かけて、海面を見上げることをやめなかった。来る日も来る日も、病気になっても、私とあなたを連れて人間の世界に一番近いあの場所を目指すの……境界からうっすら映る波の煌めきを見つめて「この向こうにはあなた達と同じくらい大好きな人がいるのよ」って……」

「姉様……」

「でも本当はっ!「あなた達よりも」って言いたかったんだわ!! けれど結界の外には出られない……そんな母様にしてしまったのは、この人間の呪い以外考えられないじゃないの!!」

「そうかも、しれないな……」

「父……様……?」


 取り乱すのを我慢しながら叫び訴えるカミルと、呆然と聞くことしか出来ないルーラの間に割って入ったのは、ジョルジョの肯定するような言葉だった。


「無論……テラを呪ったことなどないさ。我が身の不幸は呪ってみたがね。彼女は別れ際にこう言った。私の記憶も消すことは出来ると。けれどそれは断ったよ……代わりに君の記憶を消してくれと私は頼んだ。しかしテラもそれはしないと言った。あの時……もしあの時、彼女をもっと説得していたら……せめて私という存在を忘れ去ってくれていたら……今でも君達の傍で、良き母親として暮らしていたかもしれない──私の所為でないとは……誰にも言えることではないさ……」


 船長の呟きにも似た声の繋がりは、後半涙に濁されて崩れていった。


 消される記憶──彼女の船長への想いも、記憶と共に消えるのだろうか? 消えぬのならば──それは一体何処へ行く?




「違うわっ!!」




 依然姉の尾びれを放そうとしないルーラの語気の強さに、其処に立ち尽くして身動きの取れぬ全員が一瞬にして我に返った。


「……ルーラ……?」


 怒ったような激しい妹の叫びに、さすがのカミルも(ひる)み、僕はその緊迫した空気の抜け穴を見逃すことはなかった──静かにカミルの背後に近付き、小刻みに震える指先からナイフを滑らせ、床を這わせて遠くへと押しやる。けれどカミルは振り返ることはなかった。


「違うわ……父様……自分でも分かっているのでしょ? 父様は母様に会えなくても、記憶を抜かれることを拒んだのは何故? それが父様にとって幸せではないからでしょ? それはきっと母様も同じ気持ち……母様だって結界から出られなくても、父様に会えなくても、父様との想い出と一緒にいられたあの一年半は幸せだったに違いないわ。……だから違うわ──母様は父様の所為で死んだんじゃない! あたし、この旅で色々なことを知ったの。大ばば様だって神様みたいに万能な訳じゃなかった、結界の中だって絶対なんて言えることばかりじゃなかった……姉様もきっといつか分かるわ……好きな人を忘れるなんて……忘れて生きていくなんて……ちっとも幸せじゃない。ね……そうでしょ? ……」


 ルーラの表情はカミルに隠されて僕からは見えなかった。しかし精根尽き果てたようなカミルの細い体が、ゆっくり僕に振り向いて視線を合わせた時、もう一組の熱い視線が僕を(とりこ)にして放さなかった。


 ──ルーラ。


 そんな台詞の後に、そんなに涙を浮かべて、微笑みを刻んで……どうして僕を見るの?

 もう……会えないってこと? 会えなくなるってこと? それでも……そうだよ。君のことを忘れるなんて……僕には死んだも同然のこと。君のことを忘れるなんて──。


 僕もまた涙を堪えて、口元に微笑みを浮かべて、やっとの状態でルーラに一つ、ゆっくり頷いてみせた。


 驚愕の表情で僕らの様子を眺めていたカミルの視線が再び妹へ戻る。その時も満足したようなルーラの笑顔は、絶えず僕に向けられていた。


 そして──。


 ルラの石と、おそらくテラが残したであろう翡翠色の輪状の石から、お互いの色の光が現れ合流し、淡いブルーグリーンの輝く膜が二人を包み込んだ。更にその一端がまるで腕のように細く伸び、ジョルジョを二人の元へと導いたのだ。


「テーベの石が……母……様?」


 ルーラはそう呟いて驚きを示したが、そのテーベと呼ばれた石を持つ当のカミルはわなわなと震えて、今にも泣きそうな面持ちで、


「母……様……母様っ……ごめんなさい、私……ごめんなさいっ」


 何とか振り絞った言葉は、母親への謝罪であった。


「テラは怒ってなんかいないよ……」


 歩み寄ったジョルジョの温かく大きな手が、カミルの肩に触れ、途端に萎縮する。


「私……怖かったの……自分もいつか命を受ける時、母様のようになってしまうのではないかって。だからそれを人間の所為にして……だからっ」

「大丈夫よ、姉様」


 立ち上がったルーラもジョルジョとは逆側の肩に寄り添って、彼女に笑顔を向けた。


「だって母様の想いを理解した父様とあたしがいるのだもの。姉様はきっと大丈夫! 出来るわ……姉様とあたしで大ばば様と母様の意志を継ぐの。この光はきっと母様があたし達を応援してくれている証拠よ。だから、ね。姉様、父様と仲直りをして」


 両手で顔を覆い泣き始めたカミルは、妹の言葉にようやくそっとジョルジョの方へ顔を上げた。


「カミル。テラの娘である君もまた、私の娘同然だ。私はルーラと君のために精一杯の努力を惜しまない。テラと私の想いにどうか応えてはくれないか?」


 ジョルジョの穏やかな優しい声と眼差しは、カミルの凍てついた心と表情を徐々に溶かしていった。


「よろしく……お願い、します……父様」


 涙でびしょ濡れになった右手が小刻みに震えながらも、ジョルジョの胸の前まで伸ばされて、船長もその勇気を受け取ろうと、両手でしっかり彼女の白い手を握り締めた。


 そして再び──。


「母様!!」


 ルーラとカミルの叫びが重なった。


 ルラとテーベの石から発する光は、輝きを増して小さな星のようになり、三人の周りをクルクル回った後、ジョルジョの目の前で静止した。


「テラ……ありがとう。私は君の宝物を二つも受け取ったよ」


 船長の瞳には、その光の玉はどんな風に映ったのだろう。

 在りし日のテラの笑顔? それとも──?


 ジョルジョの表情はまさしく愛する人を見つめるものであった。やがて光は弱まり輪郭が薄れて、あたかも泡のように消えていく。


 一瞬の静けさ、けれど次の瞬間には、三人の笑顔と船員達の喝采が沸き起こっていた。


 良かった──。


 僕は遠巻きにその光景を眺めながら、心の底から安堵するその気持ちに、満ち足りた心地良さを感じていた。


 これできっと、これから始まる全ての第一歩が無事踏み出されることとなるだろう。

 ルーラの、シレーネとしての第一歩が。


 自分のことのように嬉しかった。ついに彼女にとって最大の障壁が取り除かれたのだから。

 (きびす)を返して向かった右舷から、船に寄り添って海面を走るプシケが見えた。


 そして──風。


 潮の香りを運ぶ爽やかな空気が、僕の肌を転がっては飛んでいった。


 これでいいんだよね? 父さん。


 ルーラは立派なシレーネとなって、人魚とこの海を統括していくのだろう。それを僕はこの船の上から見守り続けよう。


 煌めく水面(みなも)に目を細めて、遠くを望むこの『僕』という小っぽけな存在は、けれど不思議なほどの充実感に満たされて、今在るべき場所に立っていることを自覚していた。

 透き通った涼しい風が様々な(わだかま)りを連れ去ってくれる。本来の『僕』、真っさらな裸の自分が、やっと生まれ出でたような新鮮で爽快な気分だった。


「アメル」


 背後から掛けられた甘い蜂蜜のようなその声に、僕は一瞬瞳を伏せ、そして微笑みを湛えて振り返った。


「ルーラ」


 僕の左手が彼女を招き入れる。「いつものようにして」──君はそう言ったけれど、言われなくてもするよ。これがきっと最後になるから──。


 抱き上げた彼女が視界に入ったのか、プシケが大きくジャンプしてみせた。


「アメル……?」

「ん?」


 何も話さないで海を見つめる僕の横顔を、彼女は不思議そうに見ていた。

 何も──言葉は要らない。そんな充足感。それでも──。


「アメル。……ありがとう」


 視線をルーラへと戻す。彼女の大きな瞳の中の僕は、初めて見たと思えるほどの自信を(たずさ)えた姿をしていた。


「ありがとう……ルーラ」


 そして僕もお礼を言うよ。心の底から──そして、大好きな気持ちも沢山添えて。


 僕はそっと自分の左頬を彼女の反対の頬に寄せて優しく触れさせた。すると互いの体温が伝わり通じ合うほどに、まるで一つの個人へと混ざり合ったかのような一体感を感じ、周りの全ては無となった。


「ありがとう……ありがとう……アメル……──」


 それから何度、ルーラはその言葉を繰り返しただろう。

 その度に頷く僕の鼓動が彼女と重なる。そして重なった気持ちは今という時を永遠にしてくれた。


「ありがとう……──」


 瞳を閉じて。


 其処には父さんの海の波の音。人魚の自由な歌声が木霊し、人と人魚が共に紡ぐ新しい物語の始まりが、大海の如く横たわっていた──。




挿絵(By みてみん)




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