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Sapphire Lagoon [サファイア・ラグーン1作目]  作者: 朧 月夜
【第十章】[時間の扉]
27/52

[夢] -2-*

 僕は既に広場の外にいた。


 未だ日暮れの時間には達していないらしく、ルーラとアーラ様は今でも魔法の特訓中だ。その死角になる位置で、僕はしばらく息を(ひそ)め佇んでいた。


 ルーラの真剣に取り組む姿・時々見せる笑顔・失敗して拗ねた表情……どれも大好きで愛おしい……けれどこれが最後となるだろう。だからせめて少しの間、遠くからでも胸の奥にしまい込みたかった。


「さて……行こう」


 鞄を背負い背筋を伸ばす。昨夜と同じように広場に足を踏み入れたが、案の定全く同じことが起きた──そう……逃げる、人魚。


「……見つかったのじゃな」


 アーラ様は少し離れた場所で、僕の姿を脳天から足の先まで眺め、にっこりと口角を上げた。


「はい……でも、十年前父にカケラを残すよう助言したのはアーラ様なのではないですか?」


 心は読めない・先のことは分からないと言ったが、この方は本当は分かっているのではないだろうか? 魔法使い──いや、もしかしたらアーラ様は『あのお方』なのかもしれない。


「……さあて、な」


 相変わらずの調子ではぐらかしてみせたが、当の僕も真相を知りたいとは欲しなかった。


「で……どうするのじゃ?」

「ルーラと話します」


 アーラ様もそれ以上は問わず、伏目がちに頷いて自室へ向かってくれた。僕に最後の時間を与えるために。


 鞄をテーブルに残し、ゆっくりと振り向く。ルーラを隠した赤い扉は変わらず其処に立ち尽くしていた。

 目の前まで進み、僕の視界は赤一色となった。ルーラのリボンの色。ホワイトゴールドの髪とその白い肌には良く似合う。


 僕は深呼吸をし、軽く二度ノックをして「ルーラ」と呼んだ。


「いやっ、来ないで!」


 間髪容れず発せられた叫び。

 ドア越しでも彼女の声は良く聞こえた。それでいい。僕の声も聞こえている証拠だ。アーラ様が戻してくれたのだろう。


「心配しないで……開けたりしないし、もちろん僕には入れないから。でも少しだけ話を聞いてほしいんだ」

「……」


 返事もないが、拒絶の言葉もなかった。僕はそれを了解と見なして、話を続けることにした。


「今日やっと父さんのカケラを見つけたよ。これで僕が此処にいる理由はなくなった……明朝発つよ。だから……さよならを言いに来たんだ、ルーラ」


 ガタンッ。

 何かがぶつかるような音がした。動揺しているのか? 喜んでいるのかもしれない。これで僕の姿を、『恐ろしい人間』を見ずに済むのだから。


「僕は父さんを探しながら、いや、見習いを始めて五年間ずっと考えていたことがあるんだ。僕は何のために船乗りになろうとしているのだろうって。初めは母さんのためだと思っていた。母さんの病気を治すにはお金が要る……船乗りの賃金は良いからね。それに船の上にいればいつでも父さんを感じられた……でも父さんを見つけて分かったんだ。僕は僕のために船乗りになりたかったんだって」


 去りゆく人間の言葉など、もはやルーラには小さな生き物の呟きにすら思えないのかもしれない。それでも悔いの残らぬよう話したかった──僕の想いを。


「僕は父さんに憧れ、父さんのような立派な船乗りになりたいと思っていた。でも内心そんなこと無理だって諦めていたんだ……ずっと叱られて罵倒されて、自分という者を否定され続けてきたからね。だけど今回の旅で、誉められるものを持つことを知った。君の父さんの船の皆やアーラ様から沢山のことを教わった。そして父さんは僕を認めてくれた……僕は……可能性が万が一でもあるなら、心の底から船乗りになりたいって思ったんだ」


 ルーラは変わらず無言を貫いていた。いや、もう部屋の隅まで逃げて、耳を塞いでいるのかもしれない。だけどこれが最後のチャンスだ。僕にはもう後がない。


「ルーラ……ありがとう。此処へ来て、この五年間は無駄じゃなかったって気付けたよ。僕は僕の道を進んで、そして母さんを守る。でも僕の夢はその先にあるんだ……」


 ──いつか一人前の船乗りになれた時、もし君が結界を出る道に進んでいたら、僕はまた、君を見つけるよ。何処にいてもどんな時でも、例え君に拒絶されても。そして君を見つけたら、ルーラ……君を──


 ──君を、守る。


 とても大切な言葉だった。むやみには語れない、僕の宣言。


「いつか……」


 カタン。

 再び聞こえた物音は意外なことにとても近く、ほとんど扉の真裏だった。ありがとう、ルーラ。聞いていてくれたんだね。それだけでいい。これで僕は、此処から退()ける。


 僕は言葉を続けることをやめにして、再び「ありがとう」と告げ、小さく「さようなら」とも呟いて自室に戻った。


 ──君を、守る。


 今は言うべきでないかもしれない。いや、今は言う必要がない。

 これ以上ルーラにプレッシャーを与える必要などないのだから。


 マットを深く沈めベッドに横たわる。やがて一切の疲れが現れて、身体の中心から末端へじわりじわりと移りゆき、消え去ろうとしていた。残ったのは深く眠りたいという想い。やっと眠れる。そしてルーラも、少しは気が紛れるだろう。


 君を、守るよ──。


 今出来ることは、君の前から消えること。それが唯一君を守れる行為と信じるよ。そしていつかまた会えることを信じて──僕は濃厚な眠りに支配され、その誘惑に身を委ねた──。




 ◇ ◇ ◇




 どのくらい眠ったのだろう?


 微かに瞼を開いても視界は真っ暗だった。ルーラに別れを告げた時、まだこの部屋は明るかったのだから、今はきっと真夜中なのだろう。朝になれば此処を出ていかなくてはならない。それまでの僅かな時間、この部屋の匂いを全身で感じられるだけ感じて、そうだ、母さんへの土産話にしよう。


 僕は枕元にある筈の小さなオイルランプを探そうと手を伸ばして、けれど自由になったのは左手だけだと気が付いた。

 誰かが僕の右手を握り締めている。いや、誰かだなんて分からない筈がない。何度この手を繋いできたことだろう! この温もり……ルーラ!!


 僕は左手でランプを小さく灯し、振動が伝わらぬようにゆっくり右手の方向へ身体を向けた。炎の明かりでオレンジ色に輝いた肩が小さく波打っている。良く見ればその身はベッドに触れず浮かび上がり、その美しい鱗で覆われた下半身は、水の膜で包まれている。こんな魔法も使えるようになったんだね──いやこれはきっと幻影だろう。アーラ様が最後にくれた僕へのはなむけに違いない。


「……ん……ア……メル……」


 やがてその幻は、小さく寝言を零して目を覚ました。

 寝起きの一言が僕の名前だなんて随分出来すぎた話だ。けれど次に放たれた言葉は幻にはふさわしくなく、その瞳にはありったけの涙が溢れ出そうとしていた。


「ごめんなさい……アメル……ごめんなさい……」


 何を謝っているの? 何故謝るの?


 僕は空いた手で、彼女の次から次へと零れ落ちる涙を(ぬぐ)い去る振りをして──しかしそれが真似事に留まらないことに気付いた。僕の指を濡らす涙──幻でないルーラ?


「どうして謝るの? ルーラ」


 戸惑いを隠せなかったのはほんの一瞬の内で、僕はすぐに平常心を取り戻し、優しくルーラに問いかけた。謝らなければならないのは僕の方だ。人間はこれまでどれだけ酷い仕打ちを人魚に施してきたのか──それが例え僕自身の手でなくとも。


「アーラ……ばば様に、言われたの──今まで……アメルや、父……様や、船のみんなが……あたしを……魚として扱ったことが……あったかって──あたしを……食べる対象として……見てきたかって──」


 益々泣きじゃくるルーラの言葉は途切れ途切れで、それでも意味は心に届いた。ふんわりと小さな肩に腕を回すと重力を得たように引き寄せられて、彼女の細い身体は僕の胸の中にピッタリと収まり、泣き声は嗚咽へと変わった。


 ──僕達を許してくれるんだね、ルーラ。


 彼女の泣き声が止むまで、僕の左手は絹のように滑らかなその髪を撫でていた。きつく握られた右手の感覚とみぞおちに響く鼓動だけが、今という世界を現実と知らしめ、生きている喜びを与えてくれていた。


「ちゃんと……ちゃんと分かってたの……アメルは悪くないって」


 ──いいんだよ、ルーラ。


 再び浮き上がったルーラは僕の顔の真正面に自分の顔を近付けて、弁解の言葉を並べ立てようとしたが、今の僕達にそんな物は無用でしかなかった。


「ね、ルーラ。これ見て」


 代わりに父さんの時計を開いてみせる。カチコチと時を刻む音が、心地良くこの狭い空間を取り巻き、心のリズムを変えた。


「これが……父様のカケラ?」


 うんと頷き、裏蓋に隠された貝殻を示す。


「そしてこれが僕と父さんの宝物、だよ」


 ルーラの瞳が大きく見開かれ、小さなピンク色に釘付けになった。彼女と僕の時間が再び流れようとしていた。


「ルーラ、来て」


 彼女の額を僕のそれに寄せる。眠ろう、やっと心からの眠りにつける。


「おやすみ、ルーラ」

「うん……うん……」


 ルーラは何度かそう呟いて、小さい寝息を立て始めた。僕も安心して深く息を吸い込み、次の瞬間には意識が遠のいていた──。




挿絵(By みてみん)




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