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Sapphire Lagoon [サファイア・ラグーン1作目]  作者: 朧 月夜
【第九章】[追憶の罅]
24/52

[罅(ひび)] -2-

 翌朝。一歩も動けずに一晩明かした僕を退()かせたのは、ルーラの部屋から出ようと扉を押し開いたアーラ様だった。


「そなた……ずっと此処におったのか? まさか一睡もしておらぬのか?」


 こくんと首を縦に振った僕に、アーラ様は呆れた様子で扉を閉めてしゃがみ込んだ。


「ルーラは泣き疲れて先程寝ついた故、しばらくは起きてこぬじゃろう。そなたも自分の部屋に戻って休みなされ」

「眠くないのです……」


 深く息を吸い、溜息混じりに大きく息を吐いたアーラ様は、


「ならばこれを持って砂浜へ行くが良い……どちらにせよ、ルーラが落ち着くまでは会わぬ方が良かろう。余り心配すな……時が解決する」


 そう言って、掌ほどの革袋と布包みをよこした。


「そなたに必要な分の食糧と水が入っておる。天上の波が砂浜を背にして九時の方向に流れ始めたら、お主等の世界では日暮れじゃ。その頃部屋に戻るが良い」


 音もなく立ち上がったアーラ様は、僕の目頭をそっと撫で、再び切ない表情で一瞥(いちべつ)し、自身の部屋へ戻っていった。

 それでも小一時間は動けずに、扉に寄りかかって足元に置かれた二つの袋を眺めていた。


 何の音もしない──何物も存在しない──ただ『無』の時間。

 ルーラの部屋も、もはや平穏な静寂の空間に思われた。此処に、この清らかな水を湛える凪いだ寝台に、嵐のようなうねりを与えてはいけない──行こう。


 僕は立ち上がって自室に戻り、母さんが縫ってくれた肩掛けの鞄に食糧を突っ込んで、海上の光が差し込むには深過ぎる珊瑚の茂みへと足を運んだ。

 昨夜この世の物とは思えない見事な光景を見せてくれた礁は、ひっそりと寝静まったまま、まるで何事もなかったかのようだ。何事も──彼女を抱き寄せたことも……あの行為も今のルーラには、喰らおうとした野蛮な人間の一姿としか捉えられていないのかもしれない。


 無意識の内に小道を登り尽くし、気が付けば目の前にあの砂浜が広がっていた。けれど昨日までの眩しさは感じない──あれか? アーラ様が僕の目頭を撫でた仕草。薄いブルーのフィルムを貼ったようにトーンダウンしたお陰で、物の輪郭がはっきりと見える。


 僕はとりあえず海を背に砂浜を真っ直ぐ歩き出した。天上の海は青空のように輝いてこの世界を包み、今はアーラ様の言う二時の方向にそよいでいる。この海を上へ上へと泳いでいけば、僕達の世界なのだろうか? 泳いでいけば──逃げたいのか? 僕は……怪物を見てしまったかの如く恐怖の目をして、全てを拒絶したルーラから逃げたい?


「──」


 ふと足を止めて力なく膝を突いた。そのまま砂の上に突っ伏してうつ伏せになる。あの桃色の二枚貝を拾った時に嗅いだ砂の匂いがした。


「父さんを……探さなくちゃ」


 けれどどうしても起き上がることが出来ない。眠い訳でもなかった。瞳を閉じればルーラの絶望の眼が頭の中を巡り、刹那に瞼を開かずにはおられなかった。


 ──あたしを食べるため……? アメルも──


 違う! 違う!!


 僕は両手で耳を塞いで、苦しみに(あえ)いだ。どうしたらいい? どうすべきなのか? 結界を出て、人間と交わらなくてはいけない人魚。その人魚を殺めてしまった人間。


 答えが見つからない──いつか見つかるのだろうか?


「父さんを……父さんを……見つけなくちゃ──」


 今自分の成すべきことを自身に言い聞かせ、フラフラとよろけながら立ち上がったが、そう思えば思うほど、彼女の幾千幾万という眼が僕を取り巻いて離れなかった。


 まるで砂漠を彷徨(さまよ)う旅人のようだ……周りを飛び交う金色の魂達は僕に興味を持ったのか、「死」に足を突っ込んだ動物に群がる蝿の如く僕の後を追った。


 ──念を込めねば見つからないぞ。


 ふとアーラ様の言葉を思い出す。

 分かっている……でもこんな不甲斐ない自分が、父さんを見つけられる訳もなかった。


 倒れては砂に身を委ね、心の奥底の想いが再び使命を呼び起こす。立ち上がっては重たい足を引きずって歩を進める──この繰り返しを幾度続けただろう。僕は何十回目かの倒れた拍子にゴロンと回転して仰向けになった。


 もし自分が海岸から真っ直ぐに歩いてこられたとしたら、既に七時の方向へ波は流れている。此処まで飲まず食わずなのに、身体は何も欲しなかった。


 ルーラは目覚めて落ち着いただろうか。心穏やかにアーラ様から魔法を学んでいるだろうか。

 僕が戻ったら再び恐怖を取り戻し、半狂乱で逃げようとするのだろうか?

 それでもあの広場へ戻りたい自分がいた。せめてアーラ様からルーラの状況を聞くことが出来れば──。


「もど……ろう──」


 魂達に話しかけるでもなく小さく独り言を呟き、難儀そうに身を起こして自分の足跡を辿り始めた。

 まるで(きぶす)を返したように方向転換した魂達は、金色に輝く僕の影みたいだ。

 帰ろうと思い立つと復路はあっと言う間だった。それだけ僕の歩みは大して進んでいなかったということだ。明日はもっと遠くまで探しに行けるだろうか。


 小道を真正面とするあの海岸へ到着したのは、ちょうど天上の波が九時の方向を指し示す頃だった。けれど急に僕の足は(すく)み、足元の波に身を浸すことを怖れた。


 ──臆病だな、僕は。


 そう思って自分を嗤えるまで、また一時間ほど掛かってしまったに違いない。十時の方向に流れを変えた海を見上げて、大きく深呼吸し瞳を閉じた。ややあって足元の波の音が鮮明に聞こえ始め、僕は意を決して、自分の黒い陰影が恐怖の闇を映し出す海面に、その身を沈めていった。


 躊躇しつつも真っ直ぐ小道を降りていき、徐々に暗くなる風景の中で、あの広場はまるで道標(みちしるべ)を示す一点の星のようであった。近付くにつれ星は満月のように大きくなり、次第にあの赤と青の扉、中央に白いテーブルが浮かび上がってきたが、ルーラの姿はないように思われた。もし其処にいたとしても、こちら側の暗さを思えば、僕の姿を捉えるのは容易ではないだろう。良く目を凝らさなければ──アーラ様?


 そんなことを考えながら僕自身が目を凝らして見た先に、白いテーブルに同化したローブのシルエットが浮かび上がった。


「ようやっと帰ってきたかの……」

「す、すみません……アーラ様……」


 僕は一度辺りをキョロキョロと見回した後、広場に足を踏み入れ、椅子に腰かけて待つアーラ様の元へ向かった。


「安心なさい。ルーラはもう部屋の中じゃ。こちらの声も聞こえぬよう配慮もした」

「すみません……」


 再度謝罪をして昨夜のように並んだ途端、まるで時間が(さかのぼ)ったような錯覚を起こしたが、アーラ様の深い溜息がそれを打ち消すように僕を現実へと引き戻した。


「あの……ルーラの様子は?」

「うむ。あれから三時間ほどして恐る恐る起き出してきおったよ。何もしないでおると考え込んでしまう自分が怖いのじゃろ……がむしゃらに魔法を学んでおった。あの調子ならあと四日ほどで教えたいことは熟知するじゃろが、昨夜のこと・そなたのことは一切口に出さんかった……しばらくはそなたも辛抱することじゃ。折を見て我が(あやま)ちを正そう」

「……はい。お願いします」


 四時間ほどしか寝ていないのであれば、もう休んでいるのかもしれない。こちらの声が届かないとは言え、静かに立ち尽くす赤い扉を見て、安堵する自分が情けなかった。


「そなた……一口も腹に入れておらぬのじゃろう」


 無造作に置かれた手提げ鞄の膨らみを見て、アーラ様の呟きにドキッとする。


「あぁ……はい」

「その調子では幾ら砂浜を歩いても、見つけたい物は目に入らんぞ。父親のカケラも、そなたの未来も──」

「えっ……?」

「その食糧と水は明日も使える。自分の部屋の窓が明るくなったら、また砂浜へ行くが良い。では……おやすみ、アメル」


 そう言って立ち上がったアーラ様は音もなく去ってしまった。


 ──僕の未来……?


 独り残された広場の明るさと広さが落ち着かなくて、ゆっくり青い扉へと向かう。手前に佇む赤い扉の前を通過した時、胸の奥がズキッと痛んだ気がした。


 けれど今の僕に何が出来る? 何が言える?

 あんなおぞましいことがあっただなんて──ルーラの姉さんもルーラも、人を(いや)しんで当たり前だ。人間である僕ですら、悪に染まったあのギラついた幾つもの眼に、遭遇し(おのの)いてきたのだから……でも今は軽蔑すべきその者達と、僕は同等にまで堕ちていた。

 彼女を守る──そう決意した僕こそが、彼女の脅威となってしまっていた。


 ──ごめん……ごめんよ、ルーラ。


 自室の扉を開く。其処には闇が漂っていた。

 僕の心を突き刺すような、冷たく黒々とした小さな闇。

 あの金色の魂達のように、それはこの身に吸い付いて、更に暗黒の陰を造り出していた。

 このままこうして身を浸していたら、この闇は身体中を締めつけて、息の根を止めてはくれないだろうか。


 ──まただ。


 僕はベッドの上で大の字になり、我が身を(あざけ)った。

 僕にとって逃げ場所は『死』しかないのだろうか。

 死ねない──死んではいけないことは重々判っている。僕が死んだら、母さんさえも死を選ばざるを得なくなるのだから──。


 ──父さん、僕はどうしたら……

 

 身体を横に向け、一筋の光を近くに見つけた。──ルーラの落とした金色の髪?

 ブランケットに残る微かな香りは、既に自分には届かない幻だった。


 ──ルーラ……ごめん。


 今この時が止まってしまうことも、明日という時が来ることも、どちらも恐ろしくて自分には受け入れられない気がしていた。それでも明日は来る。


 そして僕は再び一睡も出来ぬまま、混乱した心でそれを迎えていた──。




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