風の花とフォルクローレ .3 ** (あるいは、リテッタの暴走)
「さ、もういいわよね? ディオ!」
嬉々とした表情で、リテッタは宣う。もう彼女の中では決定事項だろうに、それでもわざわざ聞いてきて呆れた。
「ああ。エンマの世話、だったな? 解ってる、頼むよ」
「ええ! 任せてもらうわよ!」
いいと言ったからには、自分のやりたい様にさせてもらうから。そういう風にしか聞こえなかった。
ここじゃあエンマ達が寛げないからって連れていかれたのは、街の外れにある宿屋だった。
平野を丸々抱えているその宿屋は、遠くから移動用のキャラバンを引いてきた牛馬だとか、俺らみたいな飛竜を連れた客でも泊まりやすいんだとリテッタは言った。
見た目は街中の一戸建てよりも少し大きい程度の建物が、ぽつんと建っているような気がしてならない。本当にここ、飛竜とかが泊まれるんだろうか? 少し疑問に思える。
街の外れのせいか人の通りはほとんどなく、遮るもののない空がどこまでも広く見えた。ぽかりぽかりと浮かぶ綿雲が、のんびりと流れていく。
リテッタはここの宿屋の店主と顔見知りのようで、俺らが店に入って彼女の顔を見るなり、いらっしゃいよりも先に『新しい獲物でも見つけたのかい?』 って笑われて驚いた。
「あら、獲物とは聞き捨てならないわね。ちょっとしたお世話よ、お・世・話」
「あっはは! そりゃ悪いな! 桶と水ならいつもの所にあるけど、他に何か必要かい?」
「おじさん、部屋二つお願いね。とりあえず三泊。あたしとこっちのとで飛竜が一匹ずつね」
「はいよ」
「それからあとで厨房も借してほしいの。料理するから。それと、柔らかい布とかスポンジとかって余ってたりするかしら」
人のよさそうな壮年のヒューマンの店主は、小難しい顔でバックヤードでも思い浮かべているようだ。
「使い古しで良ければあるがなあ……。何に使うんだい?」
「プリファラン達の鱗の手入れよ。汚れきってなければそれでいいわ。泥を落とすのに使いたいの」
「はいよ。あとでサフラに届けさせるよ」
「お願いね。あとは……そうね、買い物行くからその時に猫車貸してくれない?」
テキパキと話すリテッタに、店主も笑う。
「おう、解った。荷車の方じゃなくていいんだな?」
「あれ大きすぎてうまくあたしじゃ押せないのよ。そこのなよっちが押してくれるなら、話は別なんだけどねえ」
「う……悪かったな、なよっちで」
またそのネタか。撤回したんじゃなかったのかよ。全く。
それにしてもホント、飛竜が好きなんだろうなって解る。今までで一番……エンマに飛びついていた時並みに嬉しそうだ。
うん、その様子だけ見ているならば、俺もなんだか楽しくなってくる。その様子だけ、ならな。
この後来るであろうお叱りというか、小言というか、彼女のこだわりがどれほど炸裂するのだろうと想像すると、流石に気が重くなるけどな。
「部屋はいつもの場所がいいのかな?」
「ええ。あそこがいいわ。ディオ。部屋に行ったら最初に荷物、エンマから全部――――もちろん椅子も下ろしてよね」
「…………へいへい、了解」
そうなるんだろうなって解ってはいたけど、本当にそこまでするって言われると気持ちは複雑だ。カンタンに荷物下ろせって言ってくれるけど、椅子の設置もほいほい出来る程簡単じゃないからな?
一応、俺でも持ち運べるように作ってもらっているから問題ないからいいけど……エンマから椅子を下ろしたのって、いつぶりだ? あれ? もしかして街を出たぶり?
ま、反論なんて恐ろしくて出来ないからいいや。聞かれない事には黙っておこう。
「ほかに何かあるかい? リテッタ」
「今のところは特にないわ。ありがとう、おじさん。早速水回り使わせてもらうわね!」
「ああ。ゆっくりしていくといいよ」
お兄さんたちもね、とおまけながら見送られて、お世話になりますと答えるのがやっとだった。今は兎に角、『荷物どうやって下ろしていこう』って事で頭がいっぱいだった。
「ほらディオ、さっさと行くわよ」
こっちこっち、と。今にもスキップでもしだしそうなリテッタの手招きに案内されて、宿屋の裏側に回ると建物の脇から草原に小道が引かれていた。
道なりにたどって目線を遠くに向けていくと、ぽつり、ぽつりと石造りのロッジのような建物が見受けられて、なるほどと納得した。
牛舎や厩の代わりなのだろう。これなら確かに、馬よりも圧倒的に体格のあるモーセも、ワイバンでものんびりできる。……維持管理が大変そうだけどな。
リテッタは余程ここが慣れているようで、プリファランに乗り込んでいた。多分、ぽつぽつと点在しているロッジに歩いて向かっていたら時間がかかるのだろう。彼女に倣って、俺らもまたエンマを頼った。
五つ六つと、厩と並列していた一番近いロッジの群れを抜けると、そこから先は少しずつ建物と建物の距離をあけていた。
リテッタが降りたのは、おじさんのいた母屋から二百メートル程の事だった。近くに湧水を引いた小川が流れていて、いかにも『お世話しやすいベストポジション』のように見える。湧水は向こうで池を作っていて、大型の生き物でも思う存分水浴びが出来そうだ。
「じゃあディオ、あたしはプリファランの沐浴してくるから、その間にあんたはエンマからちゃんと、荷物下ろしておいてよね」
「そう何度も言われなくても解ってるって」
「そりゃ悪かったわね」
そっけなく言われて遣る瀬無い。
楽しみなのは結構なのだけど、いい加減うんざりしてしまう俺の気持ちを誰か解ってくれないか。ぽんっと、珍しくなだめるように無言のラズに背中を叩かれて、今度こそ俺は言葉をなくした。
諦めろってか。やれやれ。
* * *
久方ぶりに荷物を下ろしたエンマは、名一杯身体を起こしてのびのびと羽を広げた。
普段、どれほど気にになる重さじゃないって思っていても、何か所も固定されたままというのは流石に窮屈だったらしい。そこまで気を回してやれなくてごめんなって謝ったら、今更だと鼻で笑われた。
我ながらうだつが上がらない。
少しの間自由にしてもらっている間に、ロッジの中に俺とラズとで運び込めそうなものを運んでいたら、途端、エンマが驚いた様子で声を上げた。
「エンマ?!」
まさか、やっぱどこかしら不調でもあったのか?! って、焦って駆け付けたら……うん。エンマはリテッタに襲われていた。思わず顔面からずっこけそうになったのは不可抗力だ。
リテッタはというと、まずは状態確認だって、角の先からしっぽまで、なめるように眺めていた。……これ、俺がやったらただの変態だと思うんだ。
性差って悲しいよな。うん。
「うそでしょ、信じらんない!」
そして黄色い声通り越して絶叫していた姿に、俺らはドン引きしてプリファランは呆れた様子でそっぽを向いていた。我、関せず。そんな感じ。
…………ちなみに絶叫した理由はこれ。
「ちょっとディオ! あんたエンマに椅子乗っけるのはいいけど、もっと鱗に傷つかないように配慮しなさいよね!」
叱るような言い方に、流石の俺だって反論した。
「いや、ちゃんとクッションは当ててるって。なんなら椅子、見るか?」
「椅子なんてどうでもいいわ。あたしはエンマを見たいの。大体、偉そうにほざいているんじゃないわよ。どうせ毎度おんなじ場所で固定しているんでしょ。鱗が変形したり剥がれたりして痛い思いするのはエンマなんだからね! 少し考えればわかるでしょう?!」
「ぐ……」
反論も空しいかな。言ってる事は正しいから、それ以上何も言えなくなった。
俺を見て、リテッタは頭が痛いと言いたげに頭を抱え出す。
「はーあ? なにこれ、ホント信じらんない。何でこんなにきれいな飛竜の持ち主がこんなにも愚鈍なの? バカなの? それとも無能? カミサマ、あたしを試してるの? 信じらんない。からかってるなら真っ先に絞めてやらなきゃ気が済まないわ」
ぶつぶつと何か末恐ろしい事呟いていたような気がするが、それもわずかな時間の事だった。
気を取り直したのか解らないけれど、ふっと表情を緩めてエンマを見上げた。まるで恋人でも見つめるかのような柔らかい表情と情熱的な視線を向けているから、傍目で見ていた俺としては、なんだか部外者が見ていてはいけない気持ちになって来た。
そして、リテッタの本領がここからなのだと思い知る。
「大きな声を出してしまってごめんなさい、エンマ。まず沐浴して、そのあとに鱗や爪を磨いていこうと思うんだけどどうかしら? それからプリファランの使い回しで申し訳ないんだけど、翼膜や角とか鱗のないところはあたしがつくったオイルで手入れさせてもらうわね。鱗は……そうね、本当なら柔らかい布で一枚一枚磨いてあげたいんだけど、多分時間的に足りないと思うからブラッシングで勘弁してね。ああ、それから今日のご飯はあたしが腕を奮うから、是非ともご馳走させて? 貴女に絶対食べて欲しいものがあるよ! ここの街は流通が盛んだから、海産物だけが主流じゃないの。楽しみにしてて?」
うん。最初の時点から想像していたけどリテッタが止まるはずなかったわ。
「あ、そうだディオ。もう邪魔だから祭りでも見てくるといいわよ」
「ん……?」
そして、今さら思い出したというか、俺らの存在そっくり忘れてたと言わんばかり、リテッタは告げた。
「だから、あんた邪魔だからどっかその辺で時間潰してきていいわよって言ってるの。あたしこれから忙しいから、あんたに構ってられないわ」
つと、視線を反らされる。俺と話していてもらちが明かないと思ったのだろう。
ラズを手招きして、手を出させた。
「ラズ、お小遣いあげるから、これでディオとおいしいもの食べてきてくれるかしら」
「はあい」
さすがのラズも、そこに反論しようとはしない。大人しくお小遣いを受け取ると、とびっきりの笑顔で「ありがとう!」 って言っていた。
……まあ、いいさ。
「ええと、うん。エンマをよろしくな、リテッタ……」
「もちろんよ」
俺には、そう言うしか他に解らなかった。
状況に追い付けないというか、何というか。リテッタから本当にお小遣いもらっている義弟が切なくなってくる。……おいラズ、お前はそれでいいのかよ。
俺が勢いに押される形で頷いたら、もう、彼女の意識はエンマにしかないようだった。水辺にエンマを誘導して、躊躇うことなくつなぎを着たまま、共にその中に飛び込んでいく。
そして、まるで彼女が動き出すタイミングを待っていたかのように、母屋の方からかごを持った、オウムのような黄色い鳥がこちらに向かって飛んできた。
「サフラ、丁度いいタイミングね! ありがとう、お利口さん。これ、ご褒美よ。おじさんには内緒ね?」
そのオウムからかごを受け取ったリテッタは、つなぎの胸ポケットから油紙で個包装されたビスケットを出すと、中身を開けてやっていた。
……そういうの、持ってるんだな。生き物と俺との扱いの落差に、そろそろ涙が出そうなのだが。
いや、確かに俺相手に笑顔向けてくれるリテッタは想像つかないけどよ?
でもさ、でもさ? 邪魔って言い方、あんまりじゃないか?
バッサリと言い切られてたのは別にいいのだけど、何だか切なくなって水浴びしているエンマを見たら、ゆっくりして来なと言わんばかりに首を振られただけだった。それでも未練がましくしていたら、鬱陶しいと鼻先で向こうを示された。少し……切ない。
唯一、隣にやって来たプリファランが申し訳なさそうにしてくれて、少しだけ慰められた。
完全に部外者にされて、頬をかく。
困ってラズを見下ろしたら、待たされている子犬が、まだ行かないのかと不満そうに見上げていた。
「折角だから行くか」
「うん」
そして、俺らは追い出される。




