風の花とフォルクローレ .2 **
エンマが荷台を壊してしまったこともあって、俺らは散乱させてしまった荷物を謹んで運ばさせていただいた。
箱馬車はエニスさんがのんびりと御し、アルマさんは荷物と共に俺らのお客様よろしく、席にお通しすると大層喜んでくれたからありがたい。
「そういえばアルマさん。どうして荷台なんかにいたんです?」
「ディオさん、今更言葉を改めないでくださいな。私に対して不要ですよ」
「そうよディオ。あんだが丁寧に話していると不気味だわ」
「え……」
アルマさんにはくすりと笑われて、気まずく思う。でもリテッタ、ちょっと俺の扱いひどすぎないか? お客様への対応と、素を晒してしまった後の対応と。まだ動揺が残っているのか、話す距離感が上手くつかめない。
ついまた浮かべてしまった苦い表情に、くすくすと笑われた。
「わたし、馬車の中で座っているよりも外の風に触れている方が好きなんです。特にここの風や草原は、時期によって少しずつ表情を変えて退屈しないんですよ」
遠くの水平線に視線をやる表情は、心底この景色を楽しんでくれているらしい。俺の失態どうこうはさておき、心地よさを感じてくれているのであれば御の字だ。
アルマさんの横顔を見ていると、眼下にてたなびく草原ののどかな景色に可愛い女の子という、完成した絵画を眺めているような気分になる。これはちょっと、役得じゃないだろうか。なんだか目が幸せで嬉しい。
不謹慎だって? 知ってる知ってる。
程なくしてたどり着いた関所に、どこかほっとさせられた。
「通行の確認を頼みます」
まあ言うまでもなく、目の保養と気持ちの安らぎは違うって話だ。これ以上長く一緒にいるのは正直気まずい。俺の精神安定のためにも、そしてリテッタのプチ攻撃回避のためにも、アルマさんにはエニスさんのところに戻って頂こう。
「やあエニス。それに今回も来てくれたんだね、アルマ」
「ご無沙汰しております! 今回も広場にお邪魔させていただきますね」
出迎えてくれたヒューマンと魚人系の番兵さんたちは、彼女たちと顔見知りらしい。エニスさんの声を聴きながら、アルマさんを下すべく俺らも遅れて降りていった。
「ディオさん、ラズさん、ありがとうございました」
「これくらいならばお安い御用だよ」
ぺこりと頭を下げた姿に、手を振って見送る。
彼女たちの手続きを待つ間に、関所の向こうに広がる街の方へと目を向けた。上空から見た時のままの、白黒の街が俺らを出迎えてくれた。
ふわりと吹き抜けていった風のあとに、水が流れる時のような――――あるいは木の葉が揺れた時のような、さわさわという音がここまで響いてきた。街の中だと言うのに、水源豊かな森に迷い込んだような気がして驚いた。これは……自然の音なのだろうか?
「きれいな音だろう?」
「あ……」
話しかけられてハッとする。慌てて声の主を振り返ると、魚人の番兵さんが俺らに対応してくれた。
「はい、とても。これって……海――――ではないですよね。何の音ですか」
「ああ、海じゃないよ」
にやっと笑う番兵さんは、説明することが出来て嬉しいのだろう。「これだよ」 なんて見せてくれたのは、そら豆と同じくらいの大きさの殻をもつ乾燥した何か、だった。
手渡されて振ってごらん、と言われるままに振れば、からからと乾いた音がした。
「それがマイチールって実でね。街中から聞こえているのは、それを殻ごと乾燥させたもので作った鈴の音なんだ。祭りの間は街中にある飾り物にこれが使われているから、風に乗ってここまではっきりと聞こえてくるんだよ」
「へえ……なんだか懐かしい音を聞いた気がします」
「単体だと、ただの中身のない堅果の実にしか思えないけどな!」
がはがはと豪快に笑った魚人の番兵さんは、その実をやるよと気前よく渡される。本当はもっとたくさん集めた状態で楽器にするそうだ。――――って言うか、使用用途が決まっているならば、その楽器に使ってくれればいいのになと思うのだけど、いいのか?
……まあいいや。
「今ってお祭りやっていたんですね。ヒト伝手にこの街をお勧めされて来たもので知りませんでした」
「お! そりゃ兄ちゃんたちいい時期に来たな! 相手さんもきっと、あんたたちを驚かせたかったんだろ!」
白い歯を輝かせて、これ幸いとまた声を上げた。
番兵さんは、白黒の街を振り返る。
「祭りの期間中は、旅の冒険者や音楽家たちが外から大いにやって来るからね。それに混ざって、風の神様を連れた巫女様が来ているらしいから、鈴がよく鳴るんだ」
「巫女様?」
またやけに聞き慣れた単語が出るから首を傾げれば、首肯が返って来る。
「ああ、噂だけどな。大気と調律の巫女様がいらっしゃっているって話だそうだ」
「へえ……! 巫女様が来るお祭りだなんて、それはまた盛り上がりそうで楽しみですね」
大気と調律の巫女様……、か。
咄嗟にソアラさんやメイさんを思い出して、ドキッとしたのは言うまでもない。彼女たちが来ている可能性もあるんじゃないか? って思ってしまった。
メイさんが紹介しておいてここに来る事は無いものだと思っていたが、もしかしたらソアラさんの無駄に有り余る行動力は侮れない。
俺らがここに来るから、来てみましたー! なんて。平気で言い出しそうだから嫌だ。
いや、酷い言いがかりだって自覚はある。でも同情の余地なんてないさ。もういい加減学習しているからな、客として来ていない以上、関わりたいとは思わない。
……あれ、でも待てよ?
よくよく考えてみれば、ここの大陸に来たのは初めてだって言っていたな。そもそも祭りが行われている度に来ているらしいって、有り得なかったか。
ごめん、ソアラさん。
でも、そう考えてしまった事を悪いとは思えないからつい、苦笑してしまう。
「楽しんでいくといいよ。きっと退屈しないから」
「あっ、はい、ありがとうございます」
おしゃべりの間に書類一式をまとめてくれたらしい番兵さんは、最後に身分証のパスだけ確認するとあっさりと通行の許可を出してくれた。後続のリテッタに、ちょっと待ってろと釘を刺されて待たない訳にはいかない。
それにしてもお祭り、か。どんなものが見られるのかって、自然と心も弾んでくる。
「あの、ディオさん」
取りあえず関所は抜けてしまおうと思ってエンマの手綱を引いていたら、もうエニスさん共々行ったと思っていたアルマさんの姿があって驚いた。どうかしたのかと問えば、伺うようにこちらを見上げてくる。
「もしよろしければ、皆さんで夕方頃にこの道に沿った先にある中央の広場に来てくださいな。そこでわたし、詩吟をお披露目させていただく予定なので……」
どこか恥ずかしそうにしていながらも、やっぱりパフォーマーとしてヒトに見てもらいたいところがあるのだろう。その一生懸命な様子が何だかおかしくて、くすりと笑ってしまっていた。
「そうなんだ。是非、行かせてもらうね」
「ありがとうございます!」
俺が笑ったのが意外だったのだろう。一瞬きょとんとした後に、ぱっとその表情を輝かせていた。
「……あの、荷物を本当にお任せしてしまってよろしいのですか?」
「俺らのせいだからね。ちゃんと届けるよ、安心して?」
「はい、ありがとうございます。それと――――ようこそリシリカへ!」
素敵な笑顔と共に告げられた言葉に、何だか嬉しくなってくる。
「待たせたわね、行きましょうか」
さてリテッタも合流したところで、この荷物を責任持って彼女たちの宿屋に届けなくてはいけない。リテッタも早くエンマの世話をしたくてうずうずしているみたいだし、早く所用は片づけた方がいいだろう。
俺らも行こうかと声をかけようとした、直後にだった。突然背中に来た衝撃に、前につんのめり顔面から転びそうになった。腰のあたりに体当たりしてきたそいつのお蔭で、一瞬腰がどうにかなりそうになる。
「いっ……」
――――多分、ほったらかしにしたせいなのだろう。いじけたラズが、背中にぐりぐりと頭突きかましてくるから、さすがに参った。骨が痛い。
「ちょ、ラズいたい、痛いって」
「…………ふんだ。痛くて良かったね!」
いや、うん。隣がまた不貞腐れてしまったのは不可抗力だった。
俺、何かしたか? さっき褒め足りなかった? 結構痛いのだけど。
訳が解んなくって困っていれば、呆れた様子のエンマにさっさと行くぞと急かされる始末。俺の扱いがそろいもそろって酷いと思う。
泣いてもいいだろうか。
……いや多分、そうしたとしても対応が変わる事がないのは目に見えているから、余計な事はやめておこう。
* * *
連れ立って向かうのは、この街の中央広場に続いているらしい大きな道だ。エンマと歩いても閉塞感を感じさせず、なおかつ何とも様々なヒトに溢れる。
「相変わらず賑やかな街ね」
どうやら街と街との中継として機能しているだけでなく、多くのヒトが住み着いたことで街の規模が大きく拡大したのだろう。
魚人――――海の民はもちろんの事、ヒューマン、獣人その他諸々、見るヒト全て違うと言えば大袈裟であるが、すれ違う人種は様々だった。賑やかしい街に、自然と足取りも軽くなるってもんだ。自然と、賑やかさに飲まれた気がした。
「ラズ、はぐれたら困るからさ。手、繋いでくれるか?」
ひとまず愁いを減らそうと手を差し伸べれば、じとりと睨まれて苦笑してしまった、やっぱりそんなにお手軽じゃないよなあ、なんて。……仕方がない。
「だめ、か? 出来れば俺がはぐれないように手をつないでくれると嬉しいんだけど」
「……しょうがないから、いいけど?」
あくまでこちらが頼りないから、ってスタンスで頼めばその通りにしてくれるからありがたい。現に、腕をへし折る勢いで抱き着いてきて手を握って来るから、結果はオーライだ。
……いやもちろん、腕は折られたくはないけど、このはぐれてもおかしくない状況で迷子は、捜すのが大変だから勘弁してほしい。
そしてなんとなく不機嫌の理由が解った。アルマさんに俺がデレデレして構っていたのが面白くないのだろう。……うん、自分で言ってみて情けなくなった。
「ほら、大きな迷子ー? おねーさんが案内してあげるからさっさといくわよ」
リテッタが呆れた様子で何か言っているが、気にしたら負けだと思う。
うん、そうに違いない。
通りはたくさんの店がひさしを広げて盛大に客引きしていた。中には道にテーブルと椅子を出しているカフェなんかもあって、祭りの為か席は埋まりきっている。
露店は祭り関連のものを扱っているのだろう。葡萄のように例の鈴を集めたものや、子供のおもちゃみたいな手に持てる小さな打楽器がところ狭しと並べられていた。
時折聞こえてくる涼やかな金属音は、前世で時々聞いた玄関につけるようなウィンドチャイムのような音がした。それが風に揺られたマイチールの実の飾りと相まって、サラサラ、チリチリと和音を作って賑やかしい。
「リテッタはここ、来た事あるのか?」
「ええ、何回かね。小さい頃はパパが連れて来てくれたのよ」
「……あのおっさんが?」
そう言ってしまったのは、本当に不可抗力だった。だって、あのおっさんが子供の面倒を見るために祭りに来るって姿が想像つかない。
「あら、何か言いたそうね?」
「……うん、ごめん。ちょっと想像つかなかった」
「ま、そうだと思ったけど、その通りよ。パパの目当てはあたしそっちのけで、お祭りに出されたお酒を浴びるほど飲むんだもの。いっつもべろべろに酔っぱらったパパをエドラに運ばせてたのよね」
「えーと。ごめん、すごく想像出来た」
でしょうねって顔のリテッタも、そればっかりはどうしようもないと思っているらしい。ジーズーさんも居るととんでもないわよって、そんな情報いらなかった。
でも、浮かれていたのは俺だけではない。言うまでもなく、気が付けば興味津々と言わんばかりに、手をつないだ姿がキョロついていた。
ホント、手をつないで正解だと思う。気が付いたらどこにもいないって事態になっていたことだろう。
つい、にやにやと生暖かい気持ちで見ていれば、それに気が付いたラズから恨めし気に見上げてきた。
「何、兄ちゃん」
何が言いたいか解っているだろうに、わざわざ聞いてくるところが可笑しい。
「いいや? 楽しいなって思って。ラズもそう思うだろ?」
「べっつに!」
ついくすりと笑ってしまえば、容赦ない頭突きが脇腹に飛んできて、危うく転ばされるところだった。いや、それ以上に地味に痛いから勘弁してほしい。頭上でエンマが笑った気がした。
最近、弟が暴力的で困っています。マジで。
……いやうん、今のところは俺が悪いって、解っている。からかうのも命がけだ。
「さ、そんな事はさておき、さっさと荷物引き渡しちゃいましょ」
「ああ」
ようやくたどり着いたのは、大通りに面した一角から奥の方へと軒を連ねている宿屋だ。その広さはここらでは一、二を争う程の良質な宿屋だとかなんとか。
リテッタ的には、ここよりも街の外れにある宿屋の方が、飛竜を十分に預けられてしかも世話もしやすいからそちらの方がお勧めらしい。まあ、そうだろうなあ。俺らみたいな大型の生き物連れた奴と、馬車移動の奴とでは、便利に思う基準が違うだろうに。
リテッタは飛竜特化でこだわるけど、普通の女の子なら、セキュリティがしっかりしている宿を選ぶのが普通だと思うんだ。
「いらっしゃい! 宿泊のお客様かい? それとも食事かい?」
ラズと連れ立って先に恐る恐る中に踏み入ると、恰幅のいい猫の獣人のおばちゃんに出迎えられた。ふかふかしていそうな白色の毛並が、恰幅の良さを助長していることは黙っておこうと思う。
「あ、すみません。ここに宿泊予定のアルマさんから預かった荷物を届けに来たのですが……」
つい勢いに負かされて後退ってしまっていたら、たいそう大笑いされてしまった。
「そうかい! わざわざ届けに来てくれるとはありがとうねえ!」
「いや、彼女たちが賊に襲われていたところを割って入って、俺の方が荷台壊してしまったので、これくらい当然です」
それを苦く思いながらも素直に告げてやったら、大きな金色の目が驚いてまん丸になる。
「おやまあ、あの子が賊に? 大丈夫なのかい?」
「それは、はい。全然問題ないです。でも寄るところがあるから、先に行って荷物だけ置いといてくれって言われまして」
「ああ、それはきっと岬にある祭壇に行ったんだろうねえ」
言われてすぐに納得されて、ポロリと尋ねかえしてしまう。
「祭壇、ですか」
「そ。お祭りでパフォーマンスする者たちはこぞってお祈りに行くんだよ。自分の舞台の成功を祈って、ね。あとは旅の無事を感謝しにいくヒトもいるよ。最近帝都の人間がここまでうろつきに来ているって専ら噂だからね。みんな不安なんさ」
「帝都……?」
「北東の街のことかしら?」
溜め息混じりに教えてくれて、まさかここでその単語が出るとは思ってもみなかった、宿屋のおばちゃんには、そうさ、と頷かれる。
「ああ。あんたも大気と調律の巫女様がこの街のお祭りに来てくれているらしいって話は、門の親父に聞かされたんじゃないかい?」
「あ、はい」
「そんな事言ってたわね」
「その巫女様が、帝都から来ているらしいってお話は聞いたかい?」
「いえ、そうなんですか?」
「ああ、旅の商人から聞いた確かな話だよ」
驚いて言葉を失った俺に構わず、おばちゃんは喋る。
「困ったもんさ。巫女様はきっと、この音祭りを楽しみにされているだけだろうにねえ。あの地は良い噂を聞かないから、きっと巫女様だってさぞかし窮屈な思いをしているだろうねえ」
「その、帝都ってどんなところなのでしょう」
「さあね。あたしゃこの街から出た事ないから知らないけど、奇妙なところだって聞いているよ。平和なところだって話も聞くけど……まあ、こんな遠い街には関係のない話さ」
自己完結するかのように、おばちゃんはひょいと肩を竦めると既におしゃべりに満足したらしい。
「さて、荷物はどうしようかね。あの子たちが泊まるって言うなら、ちゃんと用意してあげなくちゃ」
「あ、ええとすぐに持ってきますね」
釈然としない部分があるのは否めない。後でリテッタに聞いてみようか。
それでも今は、任された仕事を完遂しようと、慌てておばちゃんをエンマの元へ案内した。




