ダウンバーストフォレストの冒険 .2 **
誰かと並行で空を飛ぶ日が来るとは、思ってもみなかった。……いや、現状誰かとっていうのは正しくないな。
彼女の飛竜に少し話を聞いてくると、ラズはあちらに便乗し、当の彼女は未だエンマに首ったけだった。
あの、ええと。自分の飛竜が居る前で他の飛竜に構うって、どうなの。
でも、まあ。プリファランは彼女の嗜好をよおーく知っているらしくて、特別気にした様子はない。むしろ温かい目で見守っているような、あるいは彼女に付き合ってくれとエンマを宥めているようにさえ見えたから不思議だ。
俺としては、まあ……。指摘された自分の落ち度に面白くない。
そういえばラズを着飾ってやったことはある。普通、その流れでよくよく考えたら、いつも世話になっているエンマにも何かしてやるのは当然のはずだ。それを気が付かせてくれただけ、彼女の申し出はありがたいものだ。けど……。
認めがたさと悔しさに、溜め息がこぼれた。
空をどれほど進んでいた時だろう。海岸沿いを半刻ほど飛んだ頃には海風が強くなってきている気がした。
あれほど晴れていたというのに、ふと見上げればどんよりと積み上げた積乱雲が広がっていた。まるで俺の気持ちでも写し取ったかのようだ。……なんて。
「嫌な雲だなあ」
「ちょっと荒れそうね」
「兄ちゃん、寒くない? 平気?」
ついそんな事をぼやけば、遠くからラズにそんな心配をされてしまった。……ああほら、レトさんが余計な事いうからこうなる。
ラズに心配されている俺がそんなに面白いのか、リテッタにはくすくすと笑われる始末だ。も、このコンボすごく嫌だ。
眼下を流れる景色は、依然として海岸線だ。レトさんたちの注意は守っている。
気になるのは森が随分南下して分布している事くらいだろうか。海辺の砂浜がなくなって、切り立った崖に変わったからこそ、際まで森が下りてきているのかもしれない。
さっきまで上から目で追う事が出来た街道も、今では高い木々に隠されて途切れ途切れになっているくらいだ。目印は、『海岸線をたどれ』って言葉だけになって不安に思ってくる、メイさんの案内だ。そこの心配はしていない。
「ホントに広い上に、でっかい森だな」
先ほどまで『眼下』に見えていた筈の森も、気が付けば随分と近くまでその枝葉の高さが上がって来ていた。
これだけ立派な木が立ち並ぶ森だ。未知のモンスターやら森に適応した身体の大きな生き物がいても不思議だとは思えない。
なんて思っていたら、リテッタがさらりと教えてくれた。
「そりゃそうよ。この大陸の森は前人未到だもの。森のどこかに妖精や小人が住んでいるって聞いた事あるくらい、不確かな情報が出回っているわ」
「へえ……。それこそ、冒険者が面白がって踏破しそうな気がするけどなあ」
「無理よ、無理! どれだけこの森、広いと思っているの。ここのモンスターはみんな、あたしたちなんかよりも大きいんだから! それに、小人の話だって、ヒューマンがそういう風に見えるって例え話よ」
「あ、なるほどね」
思わず感心していた。
ヒューマンの体格で小人に見えるだなんて、それだけここの広さが例えられている気がする。きっとエンマやプリファランたち、飛竜でさえも小さく見えてしまうのだろう。
それなら確かに、あれだけ気を付けてくれって言われた理由も解る気がした。
俺らも気を付けなくっちゃな。
なんて冗談めいて笑おうとした、その時の事だった。
「エンマ?!」
エンマが急に、進路を変えたのだ。驚いて咎めるが、知った事じゃないと、一目散に森の方へと目指していく。
どうして、なんて尋ねようとした、その時だった。
「兄ちゃん、あれ!」
風の匂いが磯臭いものから、湿った土のものに変わったなと気が付くと同時に、何かを見つけたラズが向こうから声を上げた。
「え?」
始まりは、ただの突風だと思っていた。積乱雲が海の方からじわりじわりとやってきていて、そのせいで風が強いのだ、と。でも、それだけではなかった。
俺らが見ている目の前で生じたのは、局部的な大雨、そしてそれに呼応し引きずり降ろされたような雲。直後に起こった竜巻のような下降流。ごうっ、という音を伴って、積乱雲の中心地にあった木々を、一瞬で圧縮して薙ぎ倒していた。
立ち上がったリテッタが叫ぶ。
「いっけない! 局所嵐だわ!」
「局所嵐?!」
なんだ、それ?! いや、言葉的に意味は解る。
この上空にまでその音が届いたんだ、その威力は半端ではない。直撃していたらどうなっていたか、なんて怖くて考えたくない。ぞっとした。
それはエンマたちとて同じ思いだったのだろう。我が姉御の危機管理能力の高さにホッと息をこぼした。
「っ……エンマ悪い、助かっ――――」
――――だが、それだけでは終わっていなかった。
「きゃあ?!」
第一波が通りすぎる。先に弾かれたのは、リテッタだった。ふわりと風に煽られた姿に、思わずその腕をつかむ。――――が。
「い?!」
直後に感じたのは、エンマもろとも横からとんでもない重さの何かにぶつかられたような感覚だった。何が起こったのか理解するよりも先に、俺は空に投げ出されていた。そして、その重たい風に身体が弾かれたのが解った。
第二波に、俺らはもろとも弾かれたのだ。
わずかに視界に見て取れたのは、同じくなす術もなく宙に投げ出されたラズやエンマ、プリファランのその姿。それは、あっという間に目で追っていられなくなった。
地上の筈の緑は頭上に、空に広がっている筈のどんよりとした空の色は眼下に。掴んだままだった腕をどうにか引き寄せたら、向こうも咄嗟の事で縋る様に抱き着いて来た。
そうして天地は混ざりあって、上も下も解らずに、落ちて、落ちる。
その後は何が起こったのか解る筈もなく、落ちる様子を見ているのが怖くって、俺は強く目をつぶってしまっていた。
俺、自力で空を飛んでいる!
……なんてアホな妄想をしたのは、かなり切羽詰まった現実逃避だったと思う。
――――どこか遠くでラズの叫び声が聞こえた気がした。
直後に、俺たちは背中から梢へと落ちていった。というか、気が付くとリテッタをかばう様にしていた。
「っ……」
背中の下で、細い枝がパキパキと断続的に小さな悲鳴を上げている。時折、僅かな抵抗とボキッという音がした。
……でも、俺らの身体の沈み込む勢いは止まらない。彼女を抱えたままの身体では、摩擦も抵抗も少ない上に、二人分の体重がかかっているのだから当然と言えば当然だ。
ガサガサガサっ! と、枝葉をさんざ揺らしながら、天井に開けた林冠の穴が遠ざかっていく。
つい先程まで見ていた筈の薄水色の空は、木々の葉に隠されてオールグリーン。彼女を庇っている腕は、肌が剥き出しの両手を中心に随分と切り傷を作ったと思う。
「ぅべっ……!」
最後に一際大きな衝撃を背中に受けて、つい身体が反ってしまった。手を放しそうになったが、仕方がない。
抵抗面積が広がった事でさらに減速し、絶妙なバランスで枝葉に受け止められたのが解った。
とはいえ、打ち付けた身体が反射で身を竦めたせいでまたそのバランスは崩れた。今度は尻から滑り落ちて、俺が手元にあった太い枝を抱え込むと同時にリテッタも俺と枝を掴んでくれた。
これ以上落っこちるなんて、たまったもんじゃない。
「は、はは……。生きてる……」
思わず乾いた笑みがこぼれた。抱えていたリテッタが、おずおずと頭を上げてこちらを上目に見ていた。
「ディオ、その……ありがと。お蔭で助かったわ」
「ああ……」
生きている事に驚きつつ、遅れてやって来た動悸にはあ、はあ……なんて息が上がる。
「いいや、お互い怪我だけで済んでよかったよ」
「うん。………………………………なよっちいって言ったあれ、取り消すわ」
ボソッと呟かれた言葉が地味に刺さる。ああ、気にしてないさ! ホントのことだもの!
そっと空を見上げれば、随分と遠退いてコイン程度に見えた空にげんなりした。
……今は、随分と落っこちたけれど、木々のお陰で助かったと喜んでおくべきなのだろう。
「それにしても……」
なんで俺らがこんな目に合わないといけないのか、なんて不平を零したくなったのも仕方ない。
ラズたちは無事だろうか。……まあ、向こうはそろいもそろって竜だ。あいつらに限って無事じゃないって事もないだろうが、自然相手ならば何かあっても不思議はない。
「……どうするかな」
「そうね……」
上を見上げれば、天井は遥か頭上だ。俺の力では木登りを地道にしたところで、俺の体重でも折れるような枝しかない木を登りきるなんて不可能だ。
「登れる?」
「無理って解ってて聞いてるなら怒るわよ」
「ええと、そういうつもりじゃなかったんだ。ごめん」
また、怒らせてしまった。
さすがに申し訳なくなって肩を落としていたら、すぐ近くでくすりと笑われた。
「気にしてないわ。それよりも降りましょう? こんなところにいても仕方ないわ」
「ああ、だね」
確かに素直に森の中に降りて、森の切れ目や外を目指した方が合理的だろう。
でも、ここからでは下の様子が見られない。やけに高いこの木々に嫌気を感じながら、深く溜息を零していた。
――――思えば、ちゃんと忠告は受けていた筈なのになあ。なんて。
後悔先に立たず、だ。開き直るしかない。
……あと、ここだけの話。ようやく、やっと気持ちに余裕が出来た途端、女の子抱え込んで俺、なにしてんだよって身が竦んだのはナイショだ。
* * *
遥か頭上で突風に煽られた梢がざわめいている。時折、風に折られた枝の音が、それに混ざって聞こえてくる。先の風の勢いを語っているかのようだ。
そんな風もここまでは欠片も届いてこないから、森の深さを教えられた。……俺たち、生きて出られるのかな。流石に不安になる。
痛む体に鞭打って、どうにか下の枝に、下の枝にと足を伸ばす。体重をかけても沈み込まなかった頃、かなり安堵した。そっと、そっと、身体を引き下ろす。
受けた衝撃のせいだろう。全身がキシキシ痛んで物凄くだるい。衝突事故食らったようなもんだ、当然と言えば当然か。むしろホント、どうして生きているのかって、そちらの方が驚きだよ。
「あー……いってえ……」
両手を返してみれば、俺の柔い手にしてはびっくりするくらいの切り傷が出来ていた。
どうも痛いと思ったら、枝のカスまで刺さっている始末。苦笑交じりにそれを引っこ抜いて、皮の中に残っていないか念入りに確認した。ひりひりして痛い。
「大丈夫?」
「ああ」
上から降って来た声に、ひらひらと振って見せた。「そう」 と、そっけない返事だが、向こうだって降りるのに必死だ。
木、そのものが苔むしていなくて助かった。これでもし苔むしてべっちゃりしていたら、とてもじゃないが登り降り出来なかっただろう。
アリや蜘蛛といった、木に這っている系の虫がいなかった事も大きい。これから腕の力を込めて降りようって時に、腕を虫に這われてみろ。ぎょっとして落っこちるところだ。
枝の上で落ちないようにしっかりと足を絡めて体勢を整え、バランスを取る。そこで漸く懐やポケットを探って、使えそうなものを改めた。
……まあ、どんなに探しても身に着けているものなんて、たかが知れているけどな。
ハンカチ代わりの粗布を引っ張り出して、溜め息をこぼす。まさか本当にこういう使い方をする日が来るとはなあ、なんて、世の中何が起こるか解ったもんじゃない。
ベルトに止めていた、手の平にすっぽりと収まってしまうような小さな折り畳みナイフでそれを細く裂いていった。びーっ、と、か細く布が破ける音が、妙に大きく聞こえた。
はるか上空の方で風を受けた木々がざわめく、静かな空間。
「よし。こんなもんか」
「あたしを庇ったせいで怪我させてごめんね」
隣に降りて来た重みで微かに枝が揺れる。流石に申し訳なさそうな表情を向けられて、苦笑せずにはいられなかった。
「そっちに怪我がないならさ、それでいいんだ。これくらい、すぐ治るよ」
実際、引っ掻き傷の数がちょっと目につくくらいだ。ぎゃーぎゃー騒ぐ程ではない。
とはいえ、こういう森にはどういう感染症の菌や毒を持った生き物がいるかは解らない。気を付けるに越したことはないはずだ。
地球にだってジャングルに新種の生き物は付き物だ。虫なんて分類しきれていないって聞く。毎年何十、何百種類もだったか、新種が見つかるって聞いた気がする。
なら、異世界で未踏破の森ならもっとだろう。
気休めにしかならないが、傷ついたまま晒すよりかはマシだろうと思って、きっちり両手に巻いていった。さあて、これで小さなとげを気にしないで木から降りられるかね。
地面まで一体どれほどの高さなのかは解らない。落ちて来た高さを考えれば、地上までもうすぐなんじゃないかしらと期待する。
足元の枝に抱きついて下を覗き込むと、予想通りに地面らしき場所が枝の向こうにわずかに見えた。
「どうにか降りていけそうだよ、リテッタ」
「本当? よかった。いつもプリファランの背中に乗ってるとはいえ、流石に不安定な枝の上って同じように歩けなくてちょっと参っちゃうわ」
「あははっ、ほんと。俺もそう思うよ」
地面が近いと解った途端、お互いに少し安心したのか軽口を叩いていた。風当たりの強い飛竜の背中よりも、大木の枝が怖いって何だか可笑しかった。
正直、リテッタが居てくれて良かった。俺一人だったら多分、とっくに参っていた事だろう。
先程みたいに、一つ下の枝に足を延ばしてしっかりと踏み込み、枝が折れない事を確認して漸く身体を引き下ろす。まどろっこしさを感じてしまうほど、どれくらい時間をかけてモタモタと降りた事だろうか。
目測の高さはおおよそ三メートルまで降りてきた。まあ、もしかしたらもう少しあるかもしれない。
だが、ここまで下りてきてしまえば、下に堆積している落ち葉のクッションを頼りに、飛び降りても問題なさそうな気がした。
…………飛び降りて着地失敗、落ち葉の山に下りたらバランス崩して、倒れこむところまで想像することが出来た。うん、まあその通りにはしないけど。
「リテッタ、もう跳べそうだから先に降りるよ。下が安全か見たら呼ぶから、慌てないでね」
後続に一声かけて、腕だけでぶら下がる。もう飛び降りても平気な高さとはいえ、出来るだけ落下距離は減らしておくべきだろう。
「え、あ、ディオ待って!」
「へーきだって。置いてったりしないから」
「そうじゃなくて……!」
置いていかれると思ったのか、リテッタの焦ったような声が引き留めようとする。でも、俺だってこれくらいの高さは怖くない。
彼女の制止は受け流して、降り立つ場所を見定める。少しだけ枝の反動を借りて、思いきって飛び降りた。
幹よりも少し離れたその場所ならば、落ち葉に隠れた根っこを踏んでバランスを崩すこともなく着地!
「よっ、と――――」
さくっと軽い音を立てて、落ち葉を踏んで、続けて膝を曲げて衝撃を和らげる。手まで付けば転ぶことなく地上に見事帰還した! どーよ、俺だってこれくらい出来る!
「あ! バカっ!」
――――なんて喜んで彼女を見上げようとした、その瞬間だった。
地面が俺の体重を受ける事を拒んだかのように、落ち葉の天井が底抜けした。
「ぅっそお?!」
みしみし……と、細い枝と大量の落ち葉で出来た落とし穴を踏んだ時のように、ゆっくりと床が沈む。
「えっ、ちょっと、待…………」
「ディオ、落ち着いて! 急に動いたら余計に――――!」
焦ってしまったのは仕方のないことだった。
慌ててそこから飛び退こうとして、早急に足を引き上げたのが失敗だった。勢いよく出ようとしたから、その分ただでさえ抜けそうになっている床を強く踏み込んでしまった。
「う、わ?!」
「ディオ!」
そんな事をすればどうなるか、そんなの言うまでもない。
空回りした踏ん張りに足を取られて、腰まで一気に落ちて転ぶ。ばたばたと足を動かして引っかかりを求めて動かしてみるも、空を切るばかりで逆に深みのはまっている気がした。
慌てて近くにあった根っこに手を伸ばしてわずかに掴む事は出来たが、だからと言って手を乗せられた程度で身体を引き上げられる筈がなかった。
リテッタが幹を伝って急いで降りてきてくれる。だが、完全に焦ってしまった俺は、落ち着いて助けなんて待っていられなかった。
すなわち。
「わっ……!」
「ディオ落ち着いて! すぐ行くから動いちゃダメだって!」
はい、暴れて大失敗!
ずるっとまた滑った俺は、落ち葉の中に埋もれていた細枝を掴んだまま、階下に頭まで沈み込んで驚かされた。




