ダウンバーストフォレストの冒険 .1 **
前投稿時より、大きく変更しております。
夜の者率いる彼女が去って、激動ともいえる夜も明けた。地平線の彼方から登り、城壁の隙間から射した朱色の光が凄くまぶしい。
辺りが明るくなって初めに目が行ったのは、やはり破壊された灯台だった。
戦に出られない街の者たちも船で外から戻ってきて、愕然としていた姿の数々には申し訳なく思ってしまった。レトさんには『また皆に食事を作ってくれないか』と頼まれて、完全に気を使われたと思う。
まあ、その申し出は有難かったから、今度は女性陣に混ざって野菜を刻む事に没頭した。
海の街の女性陣はまたなんとも逞しいものだった。
確かに街の変貌には驚いていたものの、人的被害が大きくなかったことに喜び、そして亡き者の分もこの街を守らないと、なんて、かえって活気づいていた。
俺は……俺の背後で殺されたあのヒトの事を、しばらくは忘れられそうにない。でも、それでいい。俺は、忘れない。
「おはようございます、レトさん。今少しだけ時間、いいですか?」
瓦礫の撤去作業や大破した帆船の回収作業は、俺が思っていた以上に順調のようだった。だから、陽がすっかり登ってやる事もなくなったころに、俺はレトさんを捕まえて街を出る旨を伝えた。
「ああ、随分引き留めてしまっていたな」
周りのヒトに混ざって抱えるほどの瓦礫を忙しそうに運んでいたレトさんは、額の汗をぬぐうと手を止めてくれた。
ついでに一休みだと言って、片脇に抱えていた瓦礫をどかりと置いた。ずんっと、微かにその振動が伝わって来てビビる。……その瓦礫の質量、明らかに一人分じゃないだろう?! って思ったのは内緒だ。このヒトどんだけ力持ちなんだよ。
「いえ、俺が残りたくてやっていた事ですから。それに街のヒトの様子を見られて、かえって得しました」
「そうか」
ふっと笑みをこぼした表情は柔らかい。多分、街全体の被害に俺が一枚噛んでしまった、なんて微塵も感じていないからなんだろうなって、思い知る。
……うん。俺が気に病んだところで、何かが好転する訳ではない。決めたんだ、引きずっていても仕方ないって。
気を取り直して俺は今後の予定をレトさんに告げた。
「俺らはひとまず、この大陸の見られるところ見てから戻ろうと思います。せっかくここまで来たので、新規の顧客でも増やそうかなって思いまして」
「そうだな、それがいい。キナ臭いだけがこの大陸じゃないからな。だが――――」
「解っていますよ。北の帝都には近づかない、ですね?」
しっかりと頷いて先回りして言ってみたら、つい口元がにやけてしまった。何だかんだ言っておきながら人の事心配してくれるレトさんはホント、メイさんに振り回されてきた弟なんだなあ、なんてしみじみ感じてしまったからだ。
でもやはり、先回りは気に食わなかったのだろう。きりりと眉を吊り上げて、渋い顔をさせてしまった。直後に、深く溜め息までつかれてしまう。
「……こんなにも信用の出来ない『解っている』を聞いたのは、姉の教会入りを反対した時以来だ」
「え?」
「『お前が私の身を案じて心配してくれているのは解っている』って、昔自信満々にあのヒトはいったがな? こちらは教会の者が姉にしゃべり殺される方を案じたっていう事に、全く気が付いていなかった」
「あ、はは……」
俺はメイさんと同じレベルですか、なんて。つい、苦笑いしてしまったのは仕方ない。こればっかりは、今後、俺自身が意識して危険から回避を心がけていかない事には、レトさんに信じてもらえないだろう。
「大丈夫、兄ちゃんには僕も××××××もいるもん! ねっ?」
「おわっ……! ああ、頼むよラズ」
『無茶』に対して聞き捨てならないと、俺の背中に飛び乗って来たのはラズの他にならなかった。びっくりこそすれ、一歩たたらを踏んで支えきる。
お? 前よりかは力もついたんじゃないかって、ひそかに実感して嬉しくなる。
「……それで、リシリカに向かうのか」
確認するような表情に、俺はしっかりと頷き返した。
「そうですね、せっかくオススメされたからには是非行ってみようと思います」
「それがいい。リシリカから続く街道沿いに行けば、その先も比較的大きくて落ち着いた街を見ていけるだろう」
だが、と続いた言葉に、つい苦笑してしまった。対するように、レトさんの眉間の皺が深くなる。
「ホント、お前の目にはすべてがほんわかと映っているのだろうな。いいか? 海沿いを必ず行け。間違っても大森林地帯に入るな。あそこは広すぎる上に、ヒト一人では対応するのが厳しい生き物がごまんと生息しているからな」
特にお前みたいな能天気は一溜りもない。
釘刺しに釘刺しを食らって、何もそこまで言わなくてもいいのになあ、なんて拗ねた気持ちになったのは、この時ばかりは仕方がなかった。
「俺が太刀打ち出来ないのは、今に始まった事ではないので解りますって。最大限気を付けます」
「そうしてくれ。お前は見ていて危なっかしい」
俺には散々釘刺して、さらにはラズに『兄のお守はしっかりしてくれ』だなんて言ってくれるから、レトさんもなかなかのお節介だ。
そんな事言えば、ラズがその気になってしまうのが目に見えているからやめて欲しい。エンマの耳に入ったら、それこそ尻に敷かれて行動の自由がなくなってしまう。ぞっとしない。
「それじゃーあ、レトさん! 俺らはこれで失礼しますね」
だからそれ以上余計な事を言わせまいと、俺は会話をぶった切って、背負ったままのラズを攫うように踵を返した。
多分、俺が逃げ出したのはバレバレだろう。
「ああ、気をつけて行け」
背中を追って来たのは、呆れながらも送り出してくれる声だった。
「それと、助かった。ありがとうな」
「はい!」
そして不意打ちでもらったお礼が嬉して、振り返った姿に笑顔で返してしまった。そしたらまだ物言いたそうな表情に瞬間的に変わったから、慌てて街の外れにて待つエンマの元へ急いだ。
* * *
空は快晴、街を飛び出した俺らの幸先はこの上ないくらいに心弾むものだった。
飛び出した街を振り返ると、弓なりの海が向こうの方まで続いていた。グラデーションのように色を深くしている海は、波が揺れる度に白い波を立ててきらきらと輝いていた。
ぽこりぽこりと浮かぶ綿雲が、時折影を落としている。
先へと広がっているのは、同じく弧を描く広大な大地だ。
俺らの街があるレーセテイブとは違って、豊かな自然に恵まれているらしい。眼下に見える景色は海の色と森の色とで兎に角碧い。そして同じように青い線を引いているオルトーリオ河は、本日も海との区別はつきそうにない。
広がる景色の中に、時折街と街をつなぐ街道が細々と見受けられる。平野に刻まれた茶色の線は、恐らく自然に踏み固められて街道になったのだろう。整備や舗装こそはされていないが、それだけたくさんの人の往来がある証拠だ。
北の方に目を向けると、話に聞いていた大森林がどこまでも広がっている。確かにこれでは、迷い込んだら出られない気がする。
そしてもう一つ。見えるものなら見てみたいと思っていた帝都の場所についてなのだが……とてもじゃないが確認出来そうになかった。……でも、灯台の光は向こうまで見えるんだよな? 原理はよくわからないけれど、不思議でならない。
それはさておき、俺らが進むのは海岸沿いだ。波打ち際よりも随分と内陸に街道が見受けられる。
普通であれば、足元に見えた森の際に添うようにして続く道を利用して、森のはずれを超えた向こう側にあるリシリカに向かうのだろう。
ここからでは山なりの森に遮られてその街を拝むことは出来ないのが残念だ。でも、この先に次の知らない街があるんだなって思うと、自然に口元が緩む。
どんな街だろう。期待に自然と胸が弾む。
――――それも、彼女が現れるまでは、の話だったけどな。
綿を大きくちぎって浮かべたような雲が、太陽の光を時折遮りながら流れていく。風がなんとも心地よい。
あたたかな陽気に誘われて、ついついうたた寝してしまいそうだった。
昨日の疲労が今更来ているのかもしれない。こっくり、船を漕いだら、隣にいたラズにくすくすと笑われた。
「兄ちゃん、少しだけ横になったら?」
「んー……」
提案されても、是とは言い難い。エンマが森に入っていく事は心配していないけれども、何かあった時にちゃんと対応できるように、出来れば起きたままでいて、心の準備をしておきたいもんだ。
けど……これは……すこぶる眠い。ラズの体力が心底羨ましい。あとぬくい。
もういっそのこと諦めて、眠ってしまおうか?
睡魔に抗う事を諦めて目を閉じ、ラズに寄りかかった時、不意に目蓋の向こうで太陽がちらついた気がして目を開いた。
「あ、兄ちゃん―――――」
「……今なんか、空が陰った気がしたんだけど……」
雲でも通り過ぎただけだろう。そう解っていても欠伸を噛み殺しながら重たい目を開け、ぼんやりとしてしまう。
なんだろう、この感じ。ものすっごい既視感があるのだが……。
「うん、多分あれじゃない?」
頭上で輝く太陽を指差されたところで、既視感が確信に変わった。雲の流れは確かに早いが、それだけじゃない。
「うーわ。あれってもしかして……」
「もしかして~かも?」
苦笑いしているラズ的には、特別嫌に感じていないらしい。けど、悪いが俺は同じように迎えられない。
昨日の今日で、またあのおっさんたちかよ?! なんてげんなりしてしまったのは仕方がない。
頭上で影をちらつかせていた姿が旋回したかと思うと、こちらを目がけて矢の様に降りて来た。その勢いは、むしろ落下しているようにも見える。
「エンマ、振り切れないか?」
「兄ちゃんそれ、多分無謀だと思うよ……」
出来れば振り切って欲しいと願うような気持ちで口にしてみたものの、ラズのリアクションはなんとも冷たかった。
エンマが素知らぬ顔で目的地を目指そうとしてくれたが、それもやはり無意味だった。俺らを追い越し、下方で旋回して前に回り込んできたワイバンの姿によって、エンマの進行は遮られていた。
「う……あれ?」
そこに乗っているであろう姿に身構える。だが、目の前に現れたワイバンに、ヒトの姿はなかった。
一瞬、首を傾げてしまう。そのほとんど同時に、すとっと背後で誰かが降り立った音がした。
音に釣られて、振り返ったら、膝をついて着地を決めたヒューマンの女の子が、そこにはいた。
「ふう!」
シンプルな茶色のつなぎに大きなゴーグルをしている様子は、まるで昔の映画に見た飛行船の乗組員を彷彿とさせる。オレンジ色のショートヘアは、背景の空色にとてもよく映えていた。
「貴方たちが、ワイバンでヒトを輸送してるって人たち?」
踵のあるブーツのお蔭で、俺と同じくらいの高さで目が合った。
俺らがあっけにとられている様子なんて、まるで知った事ではない。そう言わんばかりに、ゴーグルを外した勝ち気な表情がにやっと笑う。
出会い頭にまさかそれを聞かれると思っていなくて、俺は数瞬、聞かれた言葉を考えてしまった。
「ええとまあ、そうだけど……」
「そう! 見つかってよかったわ!」
同意を聞くなり、彼女は嬉しそうに笑った。ぴょんぴょんっと器用に跳び跳ねてまでいる。
「はじめまして? なよっちそうな兄のディオと、お兄ちゃんっ子のラズ。それから――――ああ、ほんとに綺麗な子ね! うんうん、パパに聞いた通り!」
「ええ……?」
今、地味にひどくなかった? 出会い頭にまさか『なよっちい』なんて言われるとは思わなかった。
……嬉しそうにしてくれるのはいいのだけど、俺らは本気でどう対応したらいいのか解らない。だから、「ええと、どちらの娘様?」 なんて、間抜けとしか言いようのない質問をぶつける事しか出来なかった。
「ああ、自己紹介が遅れてごめんなさい? あたしはリテッタ。パパから貴女の事を聞いて、会いに来たよのよ!」
「え、ちょっ?!」
バッと腕を広げた姿は俺らの間を割ってすり抜けると、その首根っこに飛び付いた。
「会いたかった~!! エンマ!」
俺らの存在は邪魔にされて、俺もラズも所在なく互いを見合わせてしまったのは仕方がない。
いやいや! ええと、そもそもだ。ここ、一応空の上なのだが。
落っこちるかもしれない可能性に構わず、エンマの背中に飛びつくってすごい神経してる。
「きゃあ~っ!! つやつや! うっとりするほど滑らかな鱗ね! 色も素敵!! ね、そう思わない? プリファラン!」
あ、よくよく考えたら、そもそもエンマの背中に飛び乗っているんだっけ?
空中のアクロバットに慣れているのか、何なのかは知らないけれど、エンマの首元で頬ずりまでしてる姿に少々ドン引きした。エンマには悪いけれど、正直見守る事しか出来そうにない。
はしゃぐ彼女とは裏腹に、エンマは迷惑そうに首を反らしていた。いつの間にか並走していたワイバンの方が、『いつも通りながら仕方がないご主人だな』 って顔をしている。
っていうか、パパって誰。
「ええと、リテッタ? エンマも困っているからその辺で勘弁してあげてくれるか? というか……、その、君のお父さんに心当たりがないんだけど…………」
「そんなはずないわ。パパとエドラと、フラッグの奪い合いしたでしょ?」
「エド……ラ……」
覚えのある名前に、本気で思考が停止する。
直後、鼻の下が延びきった飛竜の顔がぽんっと浮かんできて、叫ばずにはいられなかった。
「ああ?! 嘘だろ?!」
え、ちょっと?! パパってあのおっさんか?! 全く似てないぞ?!
あのおっさんはどこからどう見ても、山男にしか見えなかった。面影を探せという方が無理だ。強いて言うなら……変人度合いは似てる気がする。
「嘘とは失礼ね。そんなつまらない嘘なんてつく暇があったら、飛竜の世話している方が有意義だわ」
「あ……、うん。その、ごめん」
エンマの首に抱き着いたまま、こちらに顔を向けてぷうと頬を膨らませた姿は、本当に心外のようだった。流石に申し訳なくて謝ると、満足そうににんまりと笑った。なんだろう……嫌な予感しかしない。
「ね? 今あたし、あんたの言葉にとっても傷ついたの」
「あ、うん……。ごめん」
「お詫びにエンマの世話させてほしいの」
「……うん、え?」
「貴方があたしの心を傷つけたお詫びに、あたしにエンマの世話、させてよ!」
…………どうしよう。言っている意味がさっぱり解らない。
戸惑う俺の事なんて本当に知った事ではないらしい。
「どうせ貴方、ろくなケアをエンマにしてあげてないんでしょう? 沐浴は? ブラッシングは? ちゃんと角は柔らかい布で磨いて上げている? 牙や爪の細かいお手入れは? 飛竜の最大の得物なんだから、ちゃんと定期的に異常がないか見てあげなくちゃ。その様子じゃ、食事の方も気になるわ! こんなにきれいな飛竜なんだもの、少しくらいは何かしてあげてるのよね? 何もしてないなんて言ったらひっぱたくわよ? ねえ、どうなの?」
あくまでエンマに頬ずりしながら、こちらにはものすごい剣幕で尋ねてくる。
あ、やべえ、この子。
そう判断するのは容易かった。
この子どうしようもない飛竜バカだわ。……なんて。
だが悲しいかな。彼女の言い分はとてもわかる。何故か、ではない。俺も似たような事した覚えがある。……奴隷に、だけど。
種類は違うけど同族だあ。なんて理解した途端、激しく頭を抱えたくなった。
申し訳なさで。
というか、なんかもう、ここまで来るといっそ顔向けできない。思わず顔を覆ってしまったのは仕方ない。ラズが心配したような声をかけてくれるが、違う。違うんだ。
やばい。
俺、ひっぱたかれても文句言えない。
今まで多分、エンマに対して自由行動くらいしか、させていない気がする。
「ええと、リテッタ? そのお詫び、喜んでさせて? もらうよ……」
この場合、俺がお詫びをする側なのだが、お詫びを『する』のか『される』のかもはや訳が解らなかった。だが、俺のどうでもいい苦悶なんて知った事なくて、「決まりね!」 と嬉しそうな声が上がったのは言うまでもない。
「じゃ、次の街まで一緒に行かせてもらうわね!」
「お好きにどう……じゃなくて、よろしく……」
諦めって、ホント大事だと思うんだ。
「ま、貴方に酷い事言われなくたって、丸め込んでお世話する気だったけどね」
「……あ、さいで」
そんな事だと思った、なんて。言える訳がなかった。
そして、そういう自分は飾りっ気のないつなぎなのか。
――――という事も、言える訳がなかった。
いや、うん。飛竜第一ならそうなるよな。解ってる。




