屍姫は月下に舞う .6
広場に立ち尽くしていたレトさんの姿は、目の前で砂になりゆく物体を眺めた後に、難は去ったと判断を下したらしい。その手にしていた剣を鞘に納めると、初めて辺りに目を向けていた。
見ていれば、退避していた戦士たちが広場に、あるいは海岸沿いにわらわらと集まっていた。レトさんの指示を仰ぎ、各々が沖に出ている船の救出や、壊された街の巡回が始まっている。
さらに言えば海岸では、まだ波が高いというのに、武器を浜に捨て置き海に飛び込む者までいるから驚きだ。
「レトさん」
「……ああ、結局巻き込んでしまいすまないな」
エンマに降りてもらいその姿の元に向かうと、こちらに視線をくれると同時に謝られてしまった。
そういえばそうだった、って思うよりも、むしろ首を突っ込んだ事を謝りたいくらいだ。あんなにも『出ろ』って言われたのに、戻ったのは俺のわがままなのだから。
「いえ、こちらこそすみません」
「いや」
首を振られた後に、レトさんが見上げていたのは破壊された灯台だった。思うところがあるらしい。
「――――姉からこの街の事を、どの程度聞いている?」
不意にそんな事を訪ねられて、俺も流石に戸惑った。
「ええと、メイさんの弟さんがいるから届け物を頼まれて欲しいって事くらいしか」
「そうか」
頷くだけの端的な返事に、流石の俺だって戸惑う。
何と答えれば良かったというのだろうか。歩き出した背中を見送りそうになって、慌てて追った。
問いかけは、それだけでは終わらなかった。
「あの女の事は」
「あ……いや、さっぱり」
「…………なら、知っておけ。お前は少し、周りに気を付けた方がいい。特にこの大陸のずっと北にある、帝都とその周辺には近づくな。今あの辺りはキナ臭い」
こちらに向き直って言われた言葉は、どういう事かすぐに理解することができなかった。
そもそもこの世界で『キナ臭い』だなんて、正直のところ初めて聞いたのだ。驚かない訳がかなかった。
レトさんの言う彼女の話と繋がってこなくて、少し戸惑う。
「ひょっとして、戦争でもあるんですか?」
訪ねてからおかしさに気がつく。
戦争ならば、相手が必要じゃないだろうか。でもレトさんは帝都とその周辺に、って言った。相手があるのであれば、『帝都とどこが』って言うはずだろう。
……もしかして、帝都とその周辺の街が敵対しているって捉えるのが正解だろうか。だとしたら、今度こそこの大陸の北は近づくべきではないって意味なのだろう。戦争なんて、怖すぎる。
レトさんは首を振っていた。
「戦ではない。表立っては平和そのものだ。動いているのは、水面下。だからこそ、それは目に見えづらい」
「あの、水面下って、一体その帝都で何が起こっているって言うんですか?」
気になって訪ねると、眉間の皺を深くさせてしまった。言うべきか、言わざるべきか、迷っているのだろう。
「…………一言で言ってしまえば、帝都の機能を潰そうとしている輩がいる」
「機能、ですか」
機能と言われても、よく解らなかった。
ただ単純な戦争って言ってくれれば、まだ領土の拡大や何かの権利や資材の争奪、宗教の違い等々想像する事は出来る。けれど、機能って、何?
「灯台」
ポツリとこぼされた一言を、俺は危うく聞き逃すところだった。何処か哀愁さえ感じた声に吊られて見上げると、真剣そのものの表情が壊された灯台を睨んでいた。
「灯台は目印だ。それは大海原だけじゃない、街の外に広がる陸でも同じ事」
「はい」
「だから、この街は流れの者が立ち寄り、そして新しい場所に向かう街として存在している。だからこそ、あの灯台の光を断つ事であの地の希望を断ち、燻っていた火を煽る」
戦争ではないとしたら、その街の行政への不満だろうか。何にしても、関わればロクな目に合わないらしい事だけは解った。
「あの女は末端でしかないが、その思想は十分狂っている。知らなかった内ならば隠し通せると思っていたが……甘かったようだ。目的の為ならば、手段なんて選ばない」
つと、視線を感じてそちらを向けば、まっすぐにこちらを向くレトさんに射止められてどきりとした。神妙な様子に、俺まで瞬間的に緊張してしまう。
「お前は知ってか知らずかなのかは解らないが、平気で渦中に向かっていくみたいだからな。忠告だ」
深刻な顔をするから何かと思えば、今回の事を踏まえた釘刺しだった。
まあ、ぐうの音すら出る訳がない。完全な独断をした上で足を引っ張ったんだ。悪いのは俺の方だ。
「……すみませんでした」
「同じことを繰り返さなければそれでいい」
謝るならば態度で示せ、そう言われた気がしてつい苦笑いしてしまった。
怒鳴ったところで俺の考えが改善されないって見透かされたような気がして、つくづくこの姉弟には頭が上がらない気がする。
おもむろに広場の外へと足を向けるレトさんを、俺は追った。何も言われなかったから、ついて行っても大丈夫なのだろう。
レトさんに言われたからではない。せめてここで出来ることくらい、手伝ってから街を出たいと思った俺の意思だ。それにはラズからもエンマからも異論はなかった。
壊れた灯台の頂上にレトさんを運んで、俺は言葉を無くしていた。
塔内部は汚泥によって酷い有様だった。衝撃に破壊された壁は見事にふっ飛ばされて、内部の機関構造をむき出しにしていた。
本来ならば油を燃やして火を灯しているのであろう、中心部に据え置かれていた証明装置は、すっかり泥をかぶって正体不明だ。聞けば、遠くに光を届けるレンズもあったようなのだけれども、それらしいものも見受けられない。恐らく吹っ飛ばされた拍子に砕けてしまったのではないか、とのことだった。
深く溜息をついている姿にかける言葉が思いつかず、つい、視線を外へと向けてしまう。破壊された壁の向こうに、波風に削られてできたこの街の内湾がよく見えた。
月の光が冴えている。先の騒動も、まるで嘘みたいに穏やかな夜だ。
海岸には、ずっと沖のほうにあった筈の帆船が、救援に勤めていた戦士たちの力で、内湾まで引っ張り込まれているのが見えた。帆船から降りてきた姿が女子供かと思いきや、魔術師然とした者たちがぞろぞろと降りてきた。
「避難船じゃないからな」
「そうなのですか?」
俺が注視していたせいで、レトさんには余計に気を使わせてしまった。それでもつい聞き返してしまえば、首肯が返ってきた。
「あれはこの街の主砲。魔術師達には苦労させてしまうが、大洋の力を借りるのが、この地に根差す我々にとっては一番都合がいい」
そのたった一発の主砲も、膨大な魔力が必要な為にヒトの頭数と時間がかかるとのことだ。
魔術の展開速度は、個人の魔力の保有量や扱おうとしている魔術式の複雑さに比例する。それが、本来の魔術ってものだ。
ラズがひとりで即座に術式を立てて組み替えて、その場で応用を効かせて戦いに使うなんて芸当、本来は出来る筈がない。規格外だから出来るんだよなあ、なんてしみじみと思う。
「あちらに塔や帆船を壊されたのは予想外だったが、思っていた以上に人員に被害は少ない。協力、感謝する」
「あ、いえ……」
謝られると、余計に申し訳なくなってくる。だから。
「レトさん、俺にも救援の手伝いさせてください。雑務か炊き出しくらいしかできないですけど……」
「いや、助かる。お言葉に甘えよう」
自分が一番出来ることで役に立つ、それが今の俺に出来るレトさんへ示せる行動だ。
もう口ばっかり、なんてことはしやしない。はっきりとやらせてくれとお願いすれば、灯台から降りた後に、レトさんは周りにお願いして場所を取り計らってくれた。
「兄ちゃん、僕は何をすればいい?」
「ああ、そうだな。それじゃあ――――」
当然のように名乗り出てくれたラズに、指示を出す。
さあ、久しぶりの炊き出しだ。こんなにたくさんのヒトに腕を振るうのはいつぶりだろう? 広場に特設されたキャンプファイアーレベルのかまどに大きな鍋が用意された。
戦闘に疲弊し腹を空かせた戦士が相手だが、望むところだ。量が量だから大変なのは目に見えているが、なかなかに腕が鳴った。
絶対に皆を満足させてみせるから。そんな意気込みとともに、夜は更ける。
俺にも出来る事がひとつ、ここにもちゃんとあった。




