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飛竜と義弟の放浪記 -Kicked out of the House-  作者: ひつじ雲/草伽
四章 ドラゴンタクシー、海を渡る
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屍姫は月下に舞う .5

 

 俺の前に立ちふさがったラズの姿に一瞥をくれ、悔しそうだった表情から一転、にっこりと笑った顔に違和感を覚える。

 何かが、来る。


「覚悟なさって、お兄さん方?」


 鋭く指笛を吹き鳴らされたかと思うと、彼女の背後に控えるように骨竜が降ってきた。

 ほとんどむき出しの、わずかばかり残っている筋肉をバネに着地すると、これでもかというくらいに背を伸ばしてこちらを見下ろした。


 ズン……と。地鳴りのように揺れたのは、おそらくあの骨が着地したせいではない。



 空が静かだ。エンマが減らしたとはいえ、カラカラとやかましい鳥も姿を消していた。

 ――――静寂。

 それは、戦場となっている今の街ではあり得ない。


 先程は俺もろとも下敷きにしようとしていたエンマは、すっかり暗くなり月明かり冴える空を見上げて唸っていた。


 何かを企む彼女から目を離すのも何だか怖いと思えたが、エンマにつられて見上げれば、明るい月が影っていた。そして街のいたるところから、たくさんの()()蠢くものが、立ち上っているのが見て取れた。


 『それら』はここ広場上空へと集約し、一点目がけて降りしきる。



 蠢いていたのはあの泥人形と同じものなのか。『それら』が落ちて行くのは、あの骨竜の元だった。


 みすぼらしい筋肉と骨の干物だった姿に、タールのような物体が落ちていく。染みこみ、巻き付き、取り巻かれる。

 骨を核として、汚泥のような物体をまとっていく姿は、当に朽ち果てた身体でも取り戻そうとしているのだろうか。線のようだった輪郭が、月光を透かすことのない中身を取り戻していくのだった。

 その光景は、過去に何かのアニメで見たような、メタモルフォーゼを彷彿とさせる。


 ……生き物に、起こり得る筈がない、早急の変化に唖然としてしまったのは無理もない。


「あら、ぼんやり眺めているなんて、随分と余裕なのね?」

「そっちこそ、おもちゃ壊されて泣かないでよね!」


 ぽかんとしてそれを見ていた俺が悪いだろうが、現実の変身場面に『待った』なんてものはなかった。


「お前なんか、相手にする価値もないもんね!」

「ええ、フェーニも同感なのよ、邪魔はさせない!」


 彼女は未完成のそれを守るようにこちらに向かって駆けだして、ラズは泥人形を纏う骨竜へと真っ直ぐ走る。カマイタチが汚泥の空を切り裂くが、一瞬だけ汚泥が飛び散るばかりだった。

 舌打ちが、ここまで聞こえて来た。



 間合いを詰めた彼女の方は、そんなラズの攻撃を止めさせようと日傘を振うも、難なくしゃがんで躱されて、逆に足元を攫われていた。

 コツッと一際強く踵を打ち鳴らすのは、彼女が石畳を勢いのままに踏み切った音だった。高くその足を振り上げて勢いをつけたかと思うと、ドレスの中身が見えてしまおうがお構いなしにバック宙でかわしていた。


「っえい!」


 飽き足らず、まくれたドレスの裾からクリノリンに仕込んでいた、本来ならば裾を広げる為に使われている、丈夫で鋭利な()を引きちぎり、ラズに向かって投擲(とうてき)していた。


 しかし、彼女が予測を立てて投げ込んだ場所に、ラズの姿はなかった。

 彼女に構うつもりは無い。そう言わんばかりに、振り返る事もなくまた、作りかけの骨竜に向かって行っていた。



 彼女の方だって止まらない。

 ラズを深追いしなかったその姿はくるりと振り向き、乾きかかっている髪が舞う。ドレスという動きにくさを感じさせない速度で、俺との間合いを詰めて来た。


「なら貴方は、フェーニのお相手してくださる?」

「っ?!」


 一人で息を呑んで動けずにいれば、彼女のえぐるような()()が眼前にまで迫り来ていて、俺が咄嗟にできた事は、両腕で頭を守る事くらいだった。



 刹那。

 大きな背中が割り込んできて、突き飛ばされた。俺と彼女の間に差し出された刀身が、リィイイイン! と金属音を鳴らしていた。

 見れば彼女の日傘に添わせる形で滑らせ、受け流したレトさんの片手剣が音叉のように震えていた。


 あわや串刺し、視覚情報が脳に伝達されるまでに、随分とタイムラグが生じた。後になってやっと、自分の危機を理解した。

 ぶわっと、急に嫌な汗が噴き出てくる。



 状況を理解したからと言って、事態が止まってくれるわけではない。


 首根っこを引っ張られて、張り付けられていたのは俺だけだったと思い知る。見上げれば、エンマが俺を子猫よろしく、首根っこをくわえて宙に放り投げてくれた。


 一瞬目が回りかけるも、飛び上がって来た姿にあわせて、どうにか全身をつかって着地してみせる。衝撃にエンマの背中に手を叩いてしっかりと膝をつけば、じん、としびれが手足に走って泣きそうになった。


 ほんと、何もできない自分が情けない。



 再び戦況を眼下に見ると、街の様子も見えてきた。

 同時に驚愕する。俺らが戦火を交えるここ以外に、ヒトの姿が消えていた。

 その理由に、俺は最悪を想定してしまう。


 いつの間に、戦士たちの姿が消えていたのだろう? 遺体すら、あの泥人形たちに持っていかれたというのだろうか? あんなに善戦していたって言うのに、か?


「ウソ、だろ……!」


 青ざめる思いって、きっとこういう事だろう。

 さらに、悪循環は止まらない。



 真空で物を断つカマイタチも、漂う泥の塊を刻むことは叶わなかったらしい。例え汚泥を捉えたとしても、泥の塊でしかなかったそれらは、空中でバラけながら骨の元へと集うだけだった。


 だが、ラズだってバカじゃない。先の効果がないと解るや否や、中の核でもある骨ごと(ほふ)ろうと方法を変えていた。



 月明かりが戻って来た。かと思うと、天から集まっていた汚泥が止んだ。


 相も変わらず、みずみずしさのない関節をゴキゴキとすり鳴らして、骨竜は座りの悪い首をこちらに向けてくる。

 随分と距離は有る筈なのに、間接を鳴らす音がここまで聞こえてくるから嫌になる。無意識に、忌避感から腕をさすってしまっていた。


 落ちくぼんだ目は当然意思なんて見られないのに、貪欲にすべてを内に飲み込もうとしているようなうすら寒さを感じてしまう。


「ラズ……」


 つい、不安になって口にした。高みの見物しか出来ない情けなさに、その小さく見える姿に注視した。



 当のラズの周りを取り巻いていたのは、真っ赤に発光していた光だ。それがまさにいくつもの炎の槍となって、泥土で武装した骨竜を貫きハリネズミにした。


 追撃にと、ラズは飛び上がり一際太い炎の槍を形成する。その脳天に向けて、たたきつける様に突き立てた。


 手ごたえはなかったのだろうか。ラズが即座に飛び退いた様子に、まさかと思わされてしまう。



「ああ、残念だったわね。中身の解らないお兄さん?」


 くすり、愉悦を滲ませてラズを嗤ったのは、ドレスの少女だ。まるで、そんなものが効くはずがないだろうと言わんばかりだった。


「あらあら、お兄さんは知らないのかしら。土になるまで砕いて叩いて、ぎゅっと、ぎゅっと集めれば、どんなものだって寄せ付けない、硬い鎧になるって事を、ね」


 得意気に言われて、ラズの表情がまた、苛立ちから消えている。

 空気が冷え込む。それは、エンマもひしひしと感じたのだろう、空を旋回しながら身震いしたのが俺にも解った。



「フェーニの勝ちよ、お兄さん。諦めてくださいな」

「ああ、こちらも準備が整った」



 止めのような彼女の一言。それに応えたのは他でもない、レトさんだった。


 彼は走る。彼女を見据えるラズの気迫をものともせずに、その首根っこをむんずと掴んだ。そして、走った勢いのままに振り回していた。


「うわっ?!」


 不意を突かれたラズは、珍しくもそのまま振り回される。何をするつもりなのかと思いきや、遠心力を存分に奮って、ラズを俺らの方へとぶん投げていた。


「街を出ろ!」


 叫ばれたのは、たったその一言。ラズをぶん投げた姿はこちらに目もくれずに、彼女の方へと向かっていく。まさか、ひとりで戦うつもりなのではないか。

 そんなの、ダメだ。


「逃がさないわ!」


 彼女も駆ける。ラズを投げた直後にも関わらず、スタートダッシュを決めたレトさんの姿を迎え撃つように。



 そしてかつての面影を取り戻した骨竜は、存在しえない肺にいっぱい空気を取り込むように立ち上がった。

 あの動作を俺は知っている。エンマがブレスを吐く直前にみせる、その所作。レトさんが危ない。


「エンマ……っ?!」


 だからこそ俺らもレトさんに加勢をしないと。

 そう思ったにも関わらず、俺の考えなんて関係ないと無視するように、街の外へと飛んでいた。エンマがラズの下に回り込んでくれたので、俺は意見を通すよりも先に、慌ててその姿を空で拾った。


 どうして、なんて言葉が口をつくよりも、天井の月明かりが揺らいだ気がして空を見た。


「………え?」



 そんなバカなって、思ったのは仕方がない。

 だって空が、昼に河の中で見た水面(みなも)のように、月光を遮っていたのだから。



 濃紺の背景にきらめくのは白い柔らかな光だった。街を覆うような水面の膜に、何が起こるのか理解してぞっとした。


 あれらが、ここに降ってくる、のか?


「っ……兄ちゃん、頭下げて!」


 ザパンッ……と、波が岩にぶつかり砕けたときのような音が、静寂の中やけに大きく聞こえた気がした。

 いや、港町であるこの地では、始終聞こえていた筈の音だ。今更聞こえてもおかしくはない。


 だが、それが聞こえたのが上空ならば、異様と言ってもいいだろう。



 初めに肌に感じたのはぽつぽつとした雨だ。たとえ夜であっても、雲のない雨は狐の嫁入りって言えるだろうか。

 べたりと感じたそれは、どうやら普通の雨ではなく、磯臭さから海水だと理解する。


 何よりも、断続的に降りしきる霧は異様に質量を持っていて重い。



 次に見えたのは塊といっても過言ではない量の水だ。文字通りバケツをひっくり返したような雨が、この港町を襲い来た。

 ……いや、違う。降りしきっているのは不自然すぎるくらいに、この街の上空だけだ。


 滝の中を潜り抜けた時のように、一瞬でずぶ濡れになる。濡れながらも、エンマが堀を超えてくれたので振り返ると、その全貌に驚愕せずにはいられなかった。



 水の膜のように感じたのは、気のせいではなかったらしい。街を覆いきろうとするそれは、今にも底抜けでも起こして街を浸水させてしまいそうな、大きな大きな水の塊だった。


 同時に、堀の上にてその様子を見守っている戦士の姿に気が付いた。それで、ようやく理解した。

 皆がやられてしまったのではない。これのために、避難していたのだということを。



 雨のように感じていたのも、本当に初めだけだった。意図的になされた滝、そう表現するのにふさわしい。


 あり得ない量の水は落ちてゆき、巻き上がった水しぶきが高濃度の霧となって、こちらにまで迫ってくる。あまりの水飛沫の濃さに、空気すらも逃げ出して息苦しさを感じるほどだ。


 レトさんは無事なのだろうか。いや、あの人は水中こそが本領だろうから大丈夫だろう。

 ならばあの少女はどうだ。土と骨の肉体ならばこの水量に耐えられることもないだろう。



 ――――そう安堵したのだけど。


「逃がさないって、言ったでしょう? お兄さん♪」

「なっ……」


 無情に思えてくるほどの弾んだ声は、とても近くから聞こえた。傘を開いてふわふわと舞う姿は、滝をものともせずに回避したのだと容易に知る。

 驚いた俺に、ご満悦な彼女は続く。


「それに、こんなことだって出来るのよ?」

 

 ちらりと視線を落とした先は、今もなお滝に飲まれている街だ。レトさんの姿は見えない。不安がないと言えば嘘になる。



 そんな中、変化が見られたのは俺らがさっきまでいたと思われる広場のあたりだった。

 水力が弱まりつつある水の中で、何かが動いたような気がした。刹那。


 どろどろのタールのような物体が、弱まっていた滝を割るように、下から高圧力で放出された。汚泥のしずくがあたりにまき散らされ、エンマは回避に身をそらす。


 再びラズが放ったカマイタチを、やすやすと半身で躱した彼女はころころと嗤うのだった。


「きゃはははは! ねえ、驚いた? 驚いてくれたかしら! あれしきの水、あの子には効かないのよ?」



 天井の水の膜が、破られる。


 断続的に降らせるためにあったと思われたその水の膜は、断ち切られた場所から今度こそ底抜けはじめていた。垂れ下がり、バランスを崩し、しまいには街を押しつぶしてもおかしくない量の水が、広範囲に落ちていく。


 その水圧は、計り知れない。

 街からあふれた大量の水が海岸線から一気に海へと流れ込み、高波となって沖を目指した。水しぶきの霧に閉ざされた視界が、急速に晴れていく。


 そうしてようやく見えたのは、一面水浸しではあるものの、何事もなかったかのような街だ。最早津波や土砂崩れに遇った後、廃墟のようになってもおかしくないほどの水をかぶったにしては、あまりにも当たり前のように小奇麗に見える。


「ホント、可愛げのない街よね? でも」


 ようやく見えてきたのは、広場には、あの黒々とした骨竜の姿が見て取れた。対峙するように、立ち向かっていくレトさんの姿を見つけてホッとした。



 一太刀、二太刀、技を駆使して剣を振るうも、聖水の効力を失った剣では、刃すらも立っていないようだった。


 そんなレトさんに全く構うそぶりを見せず、パカリと口を開けた時には、俺らに出来る事なんてありはしなかった。


 黒の一閃。


 また一筋、あたりを威嚇するような汚泥の柱が空に放たれ、灯台の頭半分をふっ飛ばした。滝のような水を受けても消えなかった灯台の明かりが消えて、あたりが闇に閉ざされる。がらがらと、瓦礫か落ちる音だけがやけに大きく響いてきた。


 月明りだけが輝きを増した。


「こうすればほら! ふさわしくなったでしょう?」

「ふざけ……!」


 食ってかかろうと振り返れば、そこに彼女の姿はいなかった。


「ほら、もう一息」


 からかうように、また背後から聞こえてくる。同時にドンッという音ともに、何かが割られ、水辺へと落ちる音がした。

 見れば、沖にあった巨大な船を、汚泥が貫いたところだった。


「てめぇ! 何てこと――――」

「きゃはははははっ! ではでは、フェーニのご用は終わりましたもの。お暇させていただきますわね?」


 「ごきげんよう、みなさん」 なんて。どこからともなく聞こえた声は、その声の主の所在を明らかにはしてくれなかった。



 同時に、支配を失ったらしい、汚泥にまみれていた骨竜が頭から崩れて地に伏せた。

 ぐしゃり、操り糸が切れたそれは、タールに戻った汚泥を、まるで溢れた血液のようにあたりに撒き散らしていた。剥き出された骨は正体を失って、空気に触れた場所からさらさらと砂に変わっていった。


 ……難は、去ったというのだろうか?



「レトさん……。っ……エンマ、降りてくれ!」


 やりたい放題やって、あっさりと消える。その質の悪さに戦慄してしまいながらも、俺らは呆然としているレトさんの元へと急ぐのだった。

 

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