屍姫は月下に舞う .4
建物に遮られて見えなかった先の広場には、沢山の戦士が、ヒトの姿らしきものと闘っているのが見て取れた。
足を引きずるようにして蠢くヒトカゲを、俺はそいつらのことを知っていると、咄嗟に思った。
沢山の松明に照らし出されたその影は、表情のない木偶の坊だ。土で塗り込めたその姿が、つい先日世話になったばかりの泥人形だと気がつくのに容易かった。
俺らが始めに入ってきた門から、そいつらは際限なしにやってくる。もちろんそんな奴らを易々と入ってくるのを街の防衛が許可する訳がない。塀の上の戦士が、或いは方々の道に立ちふさがる戦士が、やって来たその影を順序よく倒して、奥へと入れないようにしていた。
上がる怒号は戦士のものだ。這いずるように足を運ぶ姿に、声なんて物はない。
効率よく倒して、泥山を次々と作り上げていく街の者達の方が、ここからでは一見優勢に立っているものだとばかり思っていた。
「兄ちゃん、いいよ!」
「……待った!」
街から離脱しようとしてつい、俺はそれを差し止めていた。離れなくてはいけないって、頭では解っていても、目を離せそうになかった。彼女があの、泥人形の制作者なら、俺は、ただ逃げるだけではいけない気がしたせいだ。
目を引いたのは、広場をまっすぐに突き抜けた先の、中央の大通りだ。最も人員が割かれていないにも関わらず、一番優勢に戦っている。
そこには他の場所とは類を見ないほどに、土に還った泥人形によってあぜ道が作られていた。
五人ほどの体格のいいおっさん達が、互いを意識して間合いを取りながらも、抜群の距離感であのノコギリ剣を振って泥人形を狩っていた。おっさん達の背丈ほどに長いそれは、本来ならば振り回すだけでも周りを巻き込みそうだという事が解る。
横一線に振ると、鈎爪のような櫛の一本一本が泥を捕えてえぐって断つ。
縦一線に振り下ろしてやると、その重量が泥人形を叩き潰していた。力強さと武器の形状に物を言わせて刈り取り行く。だからこそ、大通りであると言うのにその少数で防衛が可能なのだろう。
そんな彼らの後ろで、彼らを抜けて行った極わずかな姿を狩る二重の構えの陣形だ。ここの様子ならば他も問題ないのだろう。
正体を失った泥は何の意思も存在していない。だが、やられることに意味がある。
不意に、泥人形を踏みつけて防衛していた戦士たちの足が止まった。注視すれば、彼らの足首程度に堆積した泥の山が、彼らの動きを止めていた。
……身に覚えがある。泥沼の中にはまった時のような、力任せでは脱出不可能なあの状態。
だが例え足を縫い止められたとしても、彼らはそれほど慌てていないようだった。聖水の力をもって、ただ泥人形を切ればいい。引き留めておけさえすれば、勝ち目すらあるとでも言うような、余裕すら感じられた。経験者は違うな、なんて痛感した。
その、刹那。追撃のように、不意打つように。彼らのがら空きの背後から、雨のように降り注いだ白の弾丸が、戦士を一人、二人と打ちぬいた。
「っ?!」
振り返れば、俺らを追っていた筈の鶏ガラ共がカラカラカラと嗤っていた。その向こうに、レトさんと戦火を交えながらもこちらに向かっている彼女と目が合ってしまった。遠目ながらも、不敵に笑われたのが解る。……ずぶ濡れのくせに。
「くそっ! ラズ!」
「うん!」
慌てて追っ手の撃破を頼むも、今の不意打ちで眼下の戦況が狂ってしまった。
余裕で泥人形を屠っていた陣形に穴が空き、そこから一気に後ろに控えていたものの雑魚処理量が増えてしまった。
おそらく手前で陣取っていた彼らよりも、後続は若輩者だったんだろう。
一人は泥の中に引きずりこまれて声もなく消えていった。一人は泥人形に食いつかれて、悲鳴を上げた。……ずきりと、耳鳴りがして、俺の耳から音が消える。
周りが崩れた陣形に対応しようと駆けつけるが、間に合わなかった。
泥の中に消えていった仲間に気を取られた者から順に、食われていく、消えていく。その様子がやけにゆっくりと目に見えてしまった。
進軍される。進みゆく。人の命が蹂躙される。
――――――嫌だ。
「……エンマ、頼む!」
気が付くと俺は、鳥に向かって行こうとするラズを引き留め叫んでいた。
「骨は、大人しく火葬されて灰になっとけ!!」
いつまでも揶揄するように嗤っている骨がうるさい。エンマが意を汲んで宙を反転した。ゆらり、エンマの炎が視界の先でちらついた。やがて目標を明確に捉えたエンマが――――熱風を伴った業火が、海の街の空を焼いた。
バラバラとまだ火がついたままの、骨の原型の残る燃えカスが街に降る。それはダメだ。火事の元になってしまう。
だからその燃えカスまでもを焼き尽くすように、再びエンマの劫火が空を蹂躙すると、今度こそ燃え残した骨は灰塵となって風に消えた。
ぱっと辺りが明るくなったことに、一体何人が気を取られてしまっただろうか。ならば、俺が――――俺らがその穴を埋める。
心に一つ、生まれたばかりの芯が言う。目を反らしている場合じゃない、と。
「兄ちゃん、いいの?」
俺の腕を引き覗き込んだのは、どこか不安げに伺ってくるようなラズの表情だ。
心配してくれているのだろう。俺が選ぼうとしているのは、かつての自分と同じものなのだから。
何の力もないくせに、同じことをしようとしているんだから当然だ。でも、何十年とそうして生きて来たんだ。今更根っこの部分が変わる筈もなかった。
あの時の俺には、口ばっかりの理想論しか持ち合わせていなかった。でも、今の俺にはラズが、エンマがいてくれる。
他力本願なのは……仕方がない。今はこれが精一杯だ。
……だから。
「ああ、頼む!」
力強く頷き返してやると、花が咲くようにラズは笑ってくれたのだった。
「了解、兄ちゃん!」
今度こそエンマから飛び降りていったその姿は、降り立つよりも先に、空に魔術式を一閃させて風を呼んだ。蛍のような淡い光が灯ったかと思えば、一瞬のうちにカマイタチとなって泥人形の首を狩る。堆積した泥の山を吹き飛ばした。
襲われていた人たちが、突然の姿に驚いているのがここからでも解る。
地に軽く降り立った姿は、いきいきと笑った。
「さて、っとー? 君たちの気配、僕知ってるよ? 前に兄ちゃんのこと、いじめていたよね? あの時は相手をしてあげられなくて、ごめんねっ?」
ことり、首を傾げて可愛く言うのは言うまでもない。我が義弟のあざとさは、先の彼女といい勝負だと思う。
「でも今日はほら、兄ちゃんに頼りにされちゃったんだもん。張り切ってもいいよね? 張り切っちゃうしかないよね!」
とんとんと、軽く足場を確かめるように踵を踏み鳴らした後、ふっとその場からラズが消えた。刹那には、皮の伸びきった大太鼓でも蹴ったような、鈍い音があたりに響く。
音をたどっていけば、蹴られた反動で泥人形は踏み締められて、柔らかかったはずのそれがまるで岩のように砕けていた。そのまま即座に風を放って、草刈りのように数を減らしていく。
……うん。ラズはすごい。
なら俺だって、ぼんやりとここで見ている訳に行かないさ。
「エンマ、あのあたりに降りてくれないか」
再びお願いすると、こちらは了承しかねるように唸られてしまう。心配してくれているらしい。それは、非難するようにこちらに向けた表情からもありありと読み取れた。
……十分に解っている。俺が行ったところで戦えるわけじゃないから。
「エンマ、頼むよ。あのヒトたちの中に怪我人がいるのであれば、俺だって手を貸したい」
はっきりとそう告げたら、俺の意思の強さを感じてくれた。むしろ諦めたと言った方がいいのだろうか。きっと、エンマの言葉が解ればやれやれって、溜め息をつかれていた事だろう。
声には出来なかった。でも、自然にお礼が口をついて出てしまっていた。
多分それは、言葉として聞こえていなくても、エンマにはっきりと聞こえていたのだろう。呆れたような視線だけが返ってきながらも、傷ついた彼らのもとへと降り立ってくれた。
「大丈夫ですか!」
エンマが完全に降り立つ前に飛び降りてしまったのは、完全に気持ちだけが先走っていたのだろう。着地に転びそうになりながらも体制を立て直しつつ、未だに泥に囚われて倒れたままのヒトの元へと駆けつけた。
通り過ぎていった幾分かの泥人形の背中を気にしながらも、戸惑いを隠せていない表情がこちらを見返す。
「あ、ああ……君たちは……?」
「俺たちは、その、レトさんに頼まれてここに……!」
「レト様に……?」
疑問に眉を顰められ、承知に目を見開かれた。
「頼む!」
次の時には起き上がるのもツラそうなその人に、胸倉を掴まれていた。一瞬、引っ張られるままに倒れそうになって、踏ん張って堪える。驚いて動けずにいたら、揺さぶって訴えられた。
「奴らを止めてくれ! 頼む! あのまま進まれれば、灯台に奴らが……! あの場所を奪われる訳にはいかないんだ!」
「っ……解っ、落ち着いて下さい!」
あまりにも必死に掴んでくるその手を一度振り払って、慌てて一歩下がった。申し訳ないような、俺に構っていられないような焦った表情が見上げていて、同じように明かりを灯した塔を見上げる。あれを守るために彼らは戦い守ってくれと言うのであれば、俺らはそのように動くべきなのだろう。
「エンマ、いいよな?」
伺い申し立ててみると、フンと鼻を鳴らされて首をもたげた。見据えている先は灯台で、やってやるよと、そういう事らしい。ほんと、頭が上がらない。
ラズが蹴散らしたお蔭で十分に立て直せるから、あちらを頼む。そう彼らに言われてしまえば行くしかない。
「ラズ!」
「うんっ」
エンマの背中へとまた戻りながら端的に呼ぶと、最前線を吹き飛ばしたラズが駆ける。俺は一足先に戻ろうとしたその時だ。
「あら、良い事聞かせてくれて感謝しますわ? お蔭で探す手間が省けたもの♪」
ぐしゃっ、と。潰れたのは何の音か。跳ねた飛沫が、降って来たドレスにまだらのシミを作っていた。
彼女から滴ったのは、聖水の混ざった酒なのか、返り血なのか。なんにしても、血の生臭さよりも先に、酒臭さが俺の鼻孔に香って来た。……なんだ、これ。
先まで俺が話していた筈の人がいたその場所に、日傘を杖のように地に突き立てて屈んでいた淑女の姿があった。
慌てて探す。レトさんの姿は、遅れて広場の向こうから駆けてきていた。その顎からしたたる汗以外に別状はないようで、現実を見ないようにほっとしている自分に気が付く。
彼女の姿を辿るままに目線を落とそうとして、慌ててその姿から視線をそらし、踵を返して逃げに徹した。
「あらあらヒューマンのお兄さん? レディに恥をかかせておいて、逃げるなんてあんまりではなくて?」
背後から追って来るのは挑発するような声で、それに一瞬でも構えば串刺しにされるのが解った。背中の真ん中がざわざわとして狙われているのが解る。
正面だけを見据えて走ったら、事に気が付いたエンマがその場で飛び跳ねて宙返りしたのがどうにかこの目に見えた。
「いっ?!」
慌てて脇に全力で飛び退くと、同時に、ついさっきまで俺がいたところにエンマの強固な尻尾が降ってきて石畳を割っていた。着地の事なんて何も考えずに飛び跳ねたりしたから、片足で着地してしまい、危うくひねって転びかけたのは言うまでもない。
当然追尾していた筈の彼女の姿はそこにはなくて、カツッと音がしたのは、遥か後方の事だった。
「全く、躾けがなってないのはどちらかしら。野蛮ねえ」
ふうと溜め息をついて落ちて来た髪を払いのけるのは、酒臭いドレスの少女だ。本来ならば緊迫しそうなところも、酔っ払いの戯言に聞こえたからすごく不思議。……不謹慎だから口にはしないけどな。
「今度こそ貴方には、汚れたドレスの償いをさせてあげ――――っ!」
「そっちこそ。黙ってって、さっき言ったよね?」
彼女自身の主張としては真っ当ともいえるのに、それすらも、駆け戻って来たラズが放ったカマイタチが言わせなかった。
もちろんながらそれも、空振りに終わる。急ぎとはいえ焦った様子もなく彼女はターンとステップを決めて、カマイタチの軌跡外へと外れていく。
俺はその隙にエンマの元へと戻ったからいいものの、いささか不憫に思えた。
疲れたように一息ついたその姿は、ダンッと、一際強く日傘を突き立てた。びしり、ひび割れた石畳が、彼女の心境を体現する。
「ああっ! もう! フェーニは本当に怒ったのよ、お兄さん方!! みんなしてフェーニの邪魔して! もう、もう!!」




