ありふれた俺の日常は奴隷によって変わる.8
本日二本立て。
18時に番外編が投稿されます
「今朝ね、あのヒトが親切にもね、教えてくれたよ?」
まっすぐに先を見据える姿はこちらを振り返ると、きっぱりと言い切った。
「僕の殺処分のせいで、兄ちゃんが死ぬって」
「え? は? ……俺が?」
「うん」
切り出された言葉に驚く。なんでラズの殺処分が俺の死に繋がるのだろうか、なんて。
俺が不可解だと訝しんでいるのが解ったのだろう。微かに唇を尖らせて表情をニガくした。とつとつと語るその姿は、俺を気遣っているようにも見える。
「兄ちゃんは耐えられないから、って。僕の殺処分を目の当たりにすれば、きっともう使い物にならなくなるからって。だから……」
「ああ…………」
こぼれたのは、溜め息なのか。そこまであいつに見透かされていたのかと思うと、ホント、情けなくなってくる。
先の俺の言葉を拒否した時のラズとは違い、穏やかに聞こえたのは俺の都合のいい解釈か? まあ、そんな事はいい。
同時に解らない。どうしてそんな脱出を幇助するようなことをしたのか、が。……ああ、まあ考えるまでもないか。呆けた俺は店の利益に使えない。そして廃材はいらない。だとしたら、一時的に損害を出そうがまとめて放り出してしまえばいい。恐らくそんなところだろう。
どこまでも計算高いあいつに苦笑をしてしまう。まんまと目障り共を、ワイバンなんて高価な熨斗付き処分したと、そういう事か。
「ごめん。それで俺の為に、もう一度捕まるかもしれないリスクを負ってまで来てくれたのか?」
一先ず謝ってしまったが、なんか、本当に言うべきはそれじゃないなと気がつく。
「その、自分でもまさか助けに来てくれるとは思ってなかったんだ。ありがとうな」
「当然だよ! だって……さ、兄ちゃんはあそこの中でもいいヒトだって思っていたし……それに僕、兄ちゃんでいいって言われたとき、すごく、すっごく嬉しかったんだもん」
お礼を言ったら、やっぱり嬉しかったみたいで。ラズは得意気に笑った。
これでよかったのかなんて解りやしない。だけれども今は余計な気を使ってくれたあいつに、それから善意で動いてくれたラズに、感謝しようと思うんだ。
ただ、いいやつって言われても、素直に喜ぶことは出来ない。奴隷商の息子として仕事してたのはどーよって、自分で思うけど、それはいいのか?
まあいい。そう吹っ切ってしまえば、何だか周りの景色が輝いて見えて来た気がする。今更戻る事は出来ないんだ。ならば前を向いて行くしかないだろう?
危なっかしく腕一本で吊られている時とは違い、ワイバンの背中は滑り落ちそうで不安定ながらも、風が柔らかく感じられた。いつもより近くに感じる日差しが温かい。
「そうそ、いいこと教えてあげるよ、ディオ兄ちゃん」
俺がこの状況に徐々に理解が追いついてきた頃になって、ラズは何か悪いことを思い付いたようにクスクスと笑った。そこに何か含んだものを感じずにはいられない。
「僕これでも、二百歳越えているんだよねっ」
「は?!」
とんでもなく間抜け面を晒している自覚はある。それがなお可笑しかったのだろう。俺のリアクションに満足そうに満面の笑みだった。聞き間違い……でも、ないらしい。
「ラズ兄ちゃんって、呼んでもいいんだよ?」
「嘘だろ?!」
「嘘じゃないんだなぁ、これが」
おかしい、おかしい。竜人の寿命は確か、四、五百歳だったか? 兎に角、いくらヒューマンよりも長寿な種族の竜人とはいえ、二百歳過ぎたら立派な成人も良いところだろう。だけれども、ラズの姿はどこからどう見ても成人の『せ』の字もない。え? これで成人、なんて言わないよな?
あどけなさの残る表情は――――普通の子供みたいなふっくら感こそはないけれども、そこは食の貧しさの問題だと思う。背丈だってこれからが成長期と言わんばかりに、俺の腰より少し高いくらいだ。
俺の反応に満足そうに笑う姿は、まだ信じられずにいるこっちを振り返ると、またその笑みを深くする。ぞくり、と。その瞬間ばかりは『彼』の得体がしれなくて、悪寒が走った。
「ああ、あと、勘違いしているみたいだけど、僕、竜人じゃないから」
「はい? いやいや、だって、君には竜紋がちゃんと……」
「そりゃね、僕は正真正銘のドラゴン――――黒竜の血を引いているからね? 竜紋があるのは当然でしょう?」
「はあ?!」
いやいや、俺の耳がどうかしているのだろうか。どっからどう見たってヒト型の竜人にしか見えないのだが。いやいやそもそも、黒竜とか、S級冒険者とタメ張って倒せるレベルだぞ?
……けれどもまあ、百歩譲ってそのカミングアウトが事実としよう。そう考えると、ラズがあれだけ反抗的だった辻褄が合って来る。そりゃ、親父殿が生まれるよりも前に、人格形成は完了してるんだ。それを今更叩き潰すとか、端っから不可能の一言に尽きるだろう。
……ちょっと、今までにないくらいに泣きたくなってきた。俺にこいつをどうしろと?!
「いやいやいや、冗談キツいぜ? 第一ラズ、お前肌も髪も真っ白じゃないか。……髪は多少、青くも見えるけど。黒竜っつったら、ほら、不吉の象徴って言われるくらいに黒いって――――」
「むぅ。ディオ兄ちゃん、話は最後まで聞いて? 黒竜は黒竜だけども、僕はその中でも亜種。魔族の血も流れてるから、色が白いのも当然でしょう?」
「はいい?!」
え? ちょっと? 嘘、だろ?! 黒竜の亜種っつったら、もう、最悪の一言に尽きる。S級冒険者のパーティーですら勝てるか怪しいぞ!?
しかも、黒竜と魔族の混血?!
「えーと、…………マジ?」
「え? 信じてないの? めんどくさいけど……人の形とるの止めよっか?」
「いや! いい! 間に合ってる! ラズが黒竜亜種って信じる!」
多分……というか普通に今の俺は相当テンパってる。この子、目を離したらとんでもない事平気でしでかすんじゃないだろうか。
……俺の転生先のこの剣と魔法の世界にも、生前小説に読んだような魔族と呼ばれる種族を率いる魔王がいる。
ここ数百年魔族の頂点に君臨する魔王様は、幸いと言うべきか好戦的でないらしく。魔王に怯えたどこぞの国が攻撃を仕掛けても、赤子の手を捻るレベルであしらわれているらしい。――――それ、あんま煽って本気で反撃されたら、ヤバいんじゃねえかって思うんだけどな。
まあ、それよりも、驚異的に見られているのはその魔王の自由さの方か。ひょっこり近隣の国にお忍びでやって来たかと思うと、女引っ掻けて遊んでいるって噂は、行商人と話してるとよく聞く。
ああ、遊んでいるっつーのは文字通り、女遊びだ。
その地の『王様』が好色なれば、その国の住民もそうなのか。魔族と多種族との間の子が生まれた、なんて話はいい加減聞き飽きた話題だ。
まあ、その子供が幸せかどうかは知らないけど。
っていうか、なんだよその組み合わせ、最悪だろ! どこのバカ野郎がそんな傍迷惑な結婚したっつーんだよ!
「兄ちゃんも魔王って、知ってるでしょう? それがパパ、らしいよ? いつかこの手で丁寧にもぎって、磨り潰してやるけどね」
「は、い……?」
冗談……ではないのだろう。丁度そいつの事考えていたところだ、とは言えない。
誰か、頼む。これは悪い夢だと言ってくれ。俺はきっと、あの前世だと思っているあの場所で、今日も怠惰に引き籠もりしているだけだ。仕事が休みなのを良いことに、前日ゲームで徹夜し、昼間まで呑気に寝ている間に見ている夢だ。
……って、誰か言ってくれ。
黒竜と魔王の子供とか!
……確かに最悪の色狂いは、手を出していない種族を探す方が難しいくらいに長年ほっつき歩いているらしい。ならば竜に手を出していない方があり得ないだろう。
けど! けどよ! 世界が滅ぶかもしれない脅威を、ぽんぽん生むのはよしてくれ!
この数分間で、俺の寿命がごりごり削れてくのが解る! もう、メンタルポイントも瀕死だ! 体力もとっくにゼロ、今なら戦闘不能で目の前が真っ暗になるのも実行できる。
「……母親は?」
「ママ? ママは僕がお腹にいるようになって十ヶ月くらいの時に、僕がお腹食い破って殺しちゃったからいないよ」
つい、無意識のうちに視界を覆って仰いでしまったのは仕方ない。せめてものストッパー……。なんて思ったが、ストッパーは不在でした、とさ。
竜の母親の愛情は空よりも広くて海よりも深い、そう聞いたことがあったから、息子の暴挙にひと肌脱いでもらえるんじゃないかって、期待したのに!
これ以上何か起こる前に、どうにか予防線を張りたい! けど、新米冒険者以下の力量しかない俺には、どうにも出来ない!
無理だあー! 誰か助けてー!!
「だから、さ。僕の事助けようとしてくれた兄ちゃんの事、今度は僕が守れるんじゃないかなって、思ったんだ」
「ええ?!」
……ちょっと待て。ずっとスルーしてきていたのだが、何かがおかしい。俺とラズの間で何か、言語理解の仕方に齟齬があるような気がしてならない。
「なんで、そこまでしようって思うのか、聞いてもいいか?」
その真意が知りたくて訊ねたら、俺の服の裾を掴む手に力が入るのが解った。
「僕、ずっと、他の子が持ってるみたいな家族が欲しかった」
ぽつり呟くその言葉は、二百年という俺にしては途方もない年月が重みとなって聞こえた。確かにそれだけの時間を、この小さな体でさ迷えば、そう思うのも仕方のない事なのかもしれない。
「………………そうか」
「だから僕、兄ちゃんでもいいって言われたとき、ホントは凄く嬉しかったんだよ!」
「ああ、お前も、寂しかったんだな」
ぽんぽんとその頭を撫でてやったら、嬉しそうに笑った。その表情は、やっと見た目相応な笑い方をしたように思う。
やっぱり、そういう意味の兄か、なんて納得してしまう。頼られて悪い気がしないって思ってしまうのは、元来の性質故にだろうか。
……店を出てしまった以上、俺に生きていく術はないのだから、使えるものは使ってやる。……なんて計算から来ていない事を祈りたい。
ただ同時に、その笑顔を見てふと思う。
言えないけどな。
言えるわけがない、この言葉。
……俺が追い出された理由が、専らラズのせいにある! なんてこんな言葉! 言える訳がない!
俺は事なかれ主義の平和主義者! わが身が一番可愛いんだよ!
雰囲気台無し? 知ってる、知ってる!
けれどもな? こんな爆弾の塊、一体俺にどうしろと? それ以上、返す言葉が思いつかなかった。
「だからね、僕が兄ちゃんを守ってあげられるって解った時、例えあのヒトのあらすじに乗らないといけないって解っていても、絶対助けようって、思ったんだ」
ああうん、そうだよな。カミュのシナリオでこうなった、なんて。例えラズの気持ちが本物だったとしても複雑だよな。
そこまで思ってくれるなんて嬉しいわあ~。残念、嬉しくないぞ。
むしろ正直戸惑った。ふつー、兄ならしっかりして欲しいだろ。って、俺は思うけど。
「えっと、ラズ。気持ちは嬉しいよ? ……けどさ、お前の兄としてそれってどうなの?」
「あっはははは! 凄い! ××××××の言った通りだね!」
それを聞けば、何故か腹を抱えて笑われて。その表情を見ているだけならば、俺はきっと嬉しく思っていたことだろう。
けどそれ以上に、気になったのは聞き取れなかったラズの一言。俺の気のせいなのだろうか?
「ごめん、ラズ。今、なんて?」
「へ? あ、そっか。兄ちゃんじゃ××××××の声も名前も、聞き取れないもんね……」
笑ったかと思えば、どこかしょんぼりと肩を落としたその姿。せわしない。自分だけが浮かれて申し訳ない、と。正にそんな表情を浮かべられて、見ているこっちが申し訳なくなってきた。
個を示すための名。確かに俺だってちっせー頃は、下手に前世の記憶があるせいでそれを気にしていた時期があった。誰も本当の自分の事を知る人がいないってだけで、泣いた夜もあった。だから前の暮らしに戻りたくて、帰りたいと喚いたものだ。
でも、今の俺はディオで、親父殿の息子で、他の何者でもない。そう思ったら、少しこの世界を受け入れられたっけ。
もし、こいつらもそういう思いをしているのであれば、俺なんかでいいなら。昔、親父殿にして貰った事を、こいつらにもしてやれるんじゃないかって、思う。
まあ……その名前が聞き取れない俺が、偉そうに言うことじゃないけどなぁ。そもそもこのワイバンが男の子なのか女の子なのか、から教えて欲しい所なのだが。聞いて呆れられないだろうか。
何か話している風に見えるラズとワイバンの姿に、一人で勝手に申し訳なくなって、勝手に自分の憶測に打ちひしがれる。そんなしょうもない事をしていたら、伺い立てるような表情がこちらを見上げていた。
「――――エンマ、なら、兄ちゃんも聞き取れる?」
「エンマ?」
予想外の提案に、二人に伝わる筈もないのに笑いそうになった。魔王の息子のペット(?)が、大魔王! 笑わないでどうしろと?
ラズはきらきらの表情で笑い、エンマはやはり喉を鳴らしている。甘えるときのような、それだ。
「そう! そうだよ! よかったね、エンマ!」
心底嬉しそうに笑ったラズに、それに応えるように唸るエンマ。彼らにとって、そんなささやかな事でさえも嬉しく思えるという事なのだろうか? ……だとしたら、本当に今まで俺がラングスタでしてきたことって言うのが、重荷に感じてしまう。
そう思ってしまう事も、今更過ぎるだろうか? ……落ち込んでいる場合じゃないな。
向かっているのは多分、セリーア草原を山脈に向かって横切った先にある雑木林地帯。あそこなら見通しも悪いし、旅人や冒険者だって滅多にやってこない。だからそこなら、落ち着いて話すことが出来そうだと思って、エンマにはそちらに進路をとってもらった。
その間に、背中にずっと負っていた荷物をそっと開けた。
真っ先に確認したのは、今の貯蓄。本当に慌てての用意だったが、ひとまず俺の全財産はある事にホッとした。
それでも早急に生活の手立てを見つけないと、あっという間に金銭が尽きるだろうと言うことだ。
さてと、これからどうするかなあ、なんて、一人ごちてみる。
「親父殿に払うために一応、ふたりの分の金は――――追々用意するとして、今は生活の方だよな」
まあずっと逃げていた現実がこれだ。少ない金が飛ばされても困るから、まともに数えてはいない。けれども多分、一ヶ月くらいは何もしなくても食っていけるかと思った。
――――が、……うん。子ども養うのって、物入りだったわ。
ただ、ラズには俺の言葉の意味が解らなかったらしい。「え、なんで?」 と、こちらを見上げる姿につい、溜め息をつきたくなる。
「ディオ兄ちゃんが今更気負う必要ないでしょ?」
「ただ単に、俺の気持ちの問題だよ。多分、受け取って貰えないだろうけど、それが俺に出来る親父殿への感謝だから」
「ふうん……」
あまり納得していないらしい頭を、ぐりぐりと撫でてやる。その手の下でうーんと、唸ったかと思うと、また屈託ない笑みを向けてきた。
「よく解んないけどそれって、あのくそったれ共の四肢をもぎって来れば、そんなことしなくてもいいって事?」
ことり、首を傾げてきらきらにっこり笑うその姿。一瞬考えていたことが飛んで、思考停止してしまっていた。
「……いや却下! ってか、かわいい顔して物騒なこと言うのをやめろ!」
「大丈夫、大丈夫。ディオ兄ちゃんには被害が及ばないようにしたげるから! …………まあ、僕をこんな目に合わせた街は、半分くらい一緒に吹っ飛ぶかもしれないけど」
いやその表情は、俺らに威嚇していたところからは想像つかないくらいにかわいいけども! 後半なんか、本当に物騒なこと呟いちゃっているよ!
っつか、バッチリ仕付けの為の成果出ちゃっているよ! 親父殿の……カミュの大馬鹿者!
っていうかカミュ! お前絶対知ってただろ! 否とは言わせねぇ! 知っていた上で散々手を上げていたって、バカなの?!
「えっと、それはパスで」
俺の笑顔、多分というか、確実にひきつっている自信がある。店でのことは忘れてくれって言ったとしても、多分無理があるんだろうな、って。
今は奴隷魔法の主従があるから、その対策は考えなくても大丈夫だろう。それよりも考えるべきは、三つ。
一。どうやって、ラズとエンマの分、プラス生活の金を稼ぐか。
二。ラズが自立して離れていった後も安定して暮らすには、どうすればいいか。
三。そうなるまで、どの街に身を置くか。かな?
そこで思うことがある。ラズたちの金を稼ぐのに、当人らを使わない手はないということだ。
と、なるとだ。安易に思い付くのは冒険者、だけど……。仮に、俺とパーティー組んだ状態でラズとクエストに行くとしよう。ラズは、S級冒険者、複数人に匹敵する強さ。対して俺は、新人冒険者にも殺られるようなゴミ。
……うん、無理だな。この時点で決した。
ああ、そうだ。竜使いとして、エンマに頑張ってもらう? だがなあ……やっぱり、戦闘のイロハも知らない奴が、どう戦え、なんて、指示が出せる訳がない。
そんな見栄を張って冒険者になってみろ。絶対、俺がお荷物になって、悪くするとモンスターの群れの真ん中に置いて行かれる、かもしれない。ヤダヤダ! 怖すぎる。
と、なると、何か真っ当な商売を考えるしかないな。それなら、ラズに護衛としてついて貰えるし、人件費がかからない点はでかい。
後は……ラズとエンマが邪魔にならない仕事を考えないとだなあ、なんて。
……ああ、そっか。カンタンな事だ。荷運び用に躾られているのなら、そうすればいいのか。
「なあ、ラズ。店をやろうと思うんだけど、どうかな?」
「え? だからそれをわざわざ僕に聞くの? 僕は、兄ちゃんの奴隷だよ?」
俺を伺う姿は不思議そうに首を傾げていた。……ああ、そうだったな。今は。
もう一度言おう。今の内は俺の奴隷、と。
「お店って、どういうことやる場所かあんま知らないけど、物を売ったりしてるとこでしょう? 売るものなんて、なんかあるの?」
「ああ、それにはラズとエンマにも協力して貰わないとらなんだけど……」
ビジョンは俺の中にある。けど、それを上手く説明できるだろうか? きょとんとしているラズに何処まで伝わるか解らないけど、まあ、やるだけやってみるさ。
「何処か大きな街に拠点を定めて、そこで、目的地までヒトを運ぶ運送屋みたいな事をやろうかな、って思うんだけど。どうかな?」
街から街へと、在来のワイバン使った運送よりも格安にして、人を運ぶ。名付けて、ワイバンでタクシー商法!
……うん、イマイチだな。体力は諦めるから、せめてネーミングセンスくらいは欲しかったわ。
この世界の街の間の移動というと、商業旅団にくっついていくか、個別に冒険者を雇っていくかって程度だ。だから、あまり旅行とか、隣街に買い物って概念はあまりない。それこそ、冒険者にならねぇとな。
その街で生まれて、一生出ることなくその生涯を終えるヒトだっているくらいだ。安全が保証されていて、しかも、陸路よりも早ければ、十分に客は掴める! 筈だ!
少々人を乗せる為に座席や落下防止の何かを、エンマの背中に設置してやらないとだけど。それくらいなら、有り合わせでも十分に用意できる。
本当は、既にある物流商業に乗っかってもいいんだけど、それじゃあな。面白みないし。
それらを用意しちまえば、費用は生活費くらいだ。ラズやエンマに給金はいらない、だろう! 生活費は全面持つからな! ふふふ。従業員に給金払わないとか、とんだブラック企業じゃねえか。
ああ、すごく儲かりそうだ。だがこれで、設定料金次第だろうが、比較的早く親父殿に金を返せるかもしれない!
この計画だと、ラズやエンマが俺の元を去った後は稼ぎの手立てがなくなっちまうけど、それまでに荒稼ぎさえできれば! どっかの街に小さな家買って、優雅な余生を過ごせばいい!
取らぬ狸の皮算用って、こういう事だろうが知ったものか!
「えっとディオ兄ちゃん? やりたい事はなんとなく解ったけど、僕は何をすればいい訳?」
「ラズには、俺の護衛になって欲しいかな。乗せようとしている客が、必ずしも上品とは言えないかもしれないし、空路だから絶対に安全、とも言えないかもしれないからな」
ぽんぽんとその頭を軽く叩いてやっていたら、ぱっとその表情を輝かせた。うん、文句ないらしい。
「エンマには、俺や客を乗せて飛んでもらう事になると思うけど、大丈夫かな?」
ぐるる、と微かに唸る声は、別に怒っているようには聞こえない。むしろ、賛成してくれている気がする。
「エンマもそれでいいってさ」
お、なんか、種族の隔たりとか、その内越えられそうじゃね? ちょっと嬉しい。
漸く見えてきたのは、平原から山脈の麓にかけて広がる青々とした雑木林。一番近くの港町の住人が柴を利用するらしく、うっそうとし過ぎていないのがここの特徴とも言えるだろう。
雑木林に混ざって立派な竹が混ざっているのを見ると、ここが異世界だって事を忘れてしまいそうだ。きっと、港町の住人の漁業に使われる籠か何かになっているのだろう。伐採されて放置された太すぎる根元が、あたりにいくつも転がっている。
降り立てば、森林に立った時の清涼感と、折られた竹の匂いが心地よい。故郷の匂い、故郷の空気、そんな気がしてしまう。
ここから、ってのもおかしな話だが、俺たちの商売は始まるのだ。
いよっしゃあ! 俺はやるぞ!
「ラズ、エンマ! 頑張ろうな!」
「じゃあさ、兄ちゃん! 景気づけにこれ! これ飲んでみてよ!」
天に向かって鬨の声を上げようとすれば、ひょこりとこちらをのぞきこんできたにこにこ笑顔の幼い姿。そしてなんか手にしているコップは、そこらの青竹を割って作ったのだろうか?
っていうか、決起して乾杯ってどこのパーティー?
「え? えーと、ありがとう?」
それに加えて、じゃあって何? なんて。
いろいろと疑問は浮かぶが、さっきとは別に嫌な予感が脳裏をかすめる。
まあ、疑っていても仕方がない。この後やらなければならない事は山積みだ、乾杯の一つや二つ喜んでしよう!
何も考えずにそれに口をつけようとして、あまりの鉄臭さにはっとした。
……って! 何カンタンに飲もうとしちゃってんの俺! ここは蛇口捻れば綺麗な水が出る日本とは違うっつの!
つとその手元に視線を落とせば、山葡萄とかブラックベリーを潰した時みたいな、どす黒いような赤黒い色合いの液体。けど匂いが、ベリー系の甘酸っぱいものではない!!
血! 百パーセント血だよ! これ!!
え、どういうこと?! これ、なんの血だよ?!! 何かのまじない?! 呪われちゃうのか、俺!
それとも毒?! それなら確かに、奴隷魔法の範囲外で殺す事も可能だけども!
ちらりとラズの表情を伺うと、俺がそれを飲むのを今か今かとわくわくしながら見ている気がする。この毒らしきものを飲んだ俺が、もがき苦しむ様がそんなに楽しみか?
……駄目だな、それは被害妄想だ。多分。
「えっとー、ラズ。これはなんの飲み物か、聞いてもいいか?」
まあ、想像はつかなくもないけど、一応、な。
「え? 何って……僕の血だけど、足りなかった?」
「いや……」
なんでそんなものがあるのか、聞いてもいいだろうか?
いや、言われてみればラズの腕には真新しい傷。……こいつ、人が傷つくところ見るの嫌だって、散々知っているくせに、平気で自傷なんて良い度胸していやがる。
「ラズ、その怪我どうした?」
「え? えーと、さっきちょっと転んだ!」
どこでだよ。……こいつ、どれだけ追求してもしらを切るつもりらしい。覚えとけよ。
……竜の血っていや、冒険者の間で不老不死の妙薬と噂されている代物。まあその本質は滋養強壮にいいだとか、竜の血を獲ることが出来るのは強者の証だとか、その程度の物だ。多分ラズが俺にこれをくれたのは、そういう事だと思う。
それはさておき。真意を確かめない事には、毒の可能性がある以上、ちょっと怖くて口にできない。
「うん、そうじゃなくてな? なんでこれを、俺に飲まそうと?」
「だって、兄ちゃんの身体が弱いのは、ヒトだからでしょう?」
「いや、まあ、そうかもしれ、ない……が…………」
どうしよう。ちょっと、ますます口にするのが怖くなってきた。
え? まさかと思うけど、あの噂って、本当だったのか?! え?? やだよ、不老不死とか。化け物の類いだよな?
つまり、勘違いした冒険者に殺される可能性大、だろ!
あ、れ? けど不老不死なら、殺されても死なない、のか?? ……首はねられても生きてるような最期は、ちょっと嫌だなあ。
「えーと、ラズ? 気持ちは凄く嬉しいけど、身体が貧弱なのは、俺がちゃんと鍛えなかったせいだから、ちゃんと自分の尻拭いは自分でしたいんだ」
だからこれは受け取れない。そういってコップを返そうとしたら、うなだれた姿があった。申し訳ないなぁと思っていたら、なんか舌打ちが聞こえた。
「ちぇっ……こんなとこまで当たんなくていいのに」
なんか、ものすっごく、ものすっっっっごく不穏な空気を出し始めたよ、この子! ヤバい、ヤバい気がする! そしてエンマは笑ってる気がする! ええい、構っていられるか!
ここはどうにか乗り越えなければならない山場! そうに違いない!
「えっと、ラズ。節が二つある竹、落ちてるだろ? それ、取ってくれるか?」
「…………うん」
本当はそのまま捨てて欲しいところだけど、そうもいかないだろう。はい、と。不満そうにしながらも探してもらったのは、木端のように打ち捨てられていた竹の切れ端。それの上端に穴を二つ開ければ簡易の水筒が完成だ。
それにほとんど無理やりながらも流し込んで、穴に見合う枝を差し込んで、きっちりと栓をした。たぷん、と、振れば重たげな音がした。作業の合間、ラズが恨めしそうに俺の事見ていたのは、多分気のせいだ。ああ、気のせいだ。
「気を使ってくれてありがとうな、ラズ。もし、俺がこれ飲んでもいいかなって思える位に強くなったら、飲ませてもらうな?」
ふっ。ラズには悪いが、凝固するまでこの中で眠ってもらう。
悪どいって? そりゃ、親父殿の息子だからな! 対人相手に駆け引きが成功した試しはないが、保身がかかっているなら話は別だ! 俺の全力を持って、のらくらかせてもらうさ!
なーんて態度はおくびにも出さず。マダムキラー(と、近所の露天のおっちゃんは言ってた)の笑顔で、サービストークしきって見せる!
それでもいいか、と訪ねれば、仕方無さそうに頷いていた。直後に、涙目でエンマを睨み上げた。え? 何?
「もおーっ! さっきからバカにして、いい加減怒るよ!」
まるで、ラズの文句に答えるように、丸まっていたエンマがまた唸る。何を言ったのかはさっぱりだけれども、ラズを憤慨させるには十分事足りたらしい。
「そりゃ、兄ちゃんの反応はことごとく××××××の言う通りだったけど! だからと言って、君がそれを言っていい訳ではない筈だよ」
何なら、挽き肉になる? と、にっこり笑うラズは、笑っているのに先に見たひやりとした空気を醸し出していた。ちょっと、ここでスプラッタは勘弁して欲しい。
「えっと、ラズ? 申し訳ないんだけど、状況を説明してくれる?」
俺がおいでおいでと手招きすると、迷ったようにエンマと俺とを見比べる。やがて大人しくこちらに来た所で、腕を広げてここにおいでーと誘ってみた。いわゆる抱っこ、肩車でもいいけどな。今日は抱っこでいいだろう、なんて。
多分小さな子供であれば、ある程度これで怒りも収まり満足する、はず!
なーんて打算を立てていたら、ラズは大人しく飛びついてきた。ふっ…………。こんな所で、幼い奴隷達を手懐けていたスキルが役立つとはな! 抱え上げてやれば、子育て中のお父さんの気分、なんて。
いやいや、あくまでこれもお仕事! 奴隷の『品質管理』の一環として行っていた事に過ぎない!
ふははははは! 保身の為ならば、俺は悪にでもなろう! なんたって俺は、平和主義者!
「それで、何に怒ってたんだ?」
「…………別に、もう忘れた」
「兄ちゃんに、甘えたっていいんだぜ?」
とんとん、と、宥めるようにその背中を叩いてやる。兄ちゃんに、という部分を強調するのを忘れてはならない。
そしてぎゅうと、抱きついてくるのは構わないのだけど如何せん、圧倒的にラズの方が力強い。勢いに押されて倒れそうになれば、丸まって羽を休めていたエンマに寄りかかってしまった。ついその頭を見上げれば、何だか楽しそうに唸ってる。
うん、多分そういう訳ではないのだろうけど、やっぱり俺には唸ってるようにしか聞こえない。
「じゃあさ、兄ちゃん。さっきの飲んで?」
「ごめん、それは無理」
この期に及んで我が弟は諦めが悪いらしい。いやいやきっと、仕事を始めさえすればそんな事も忘れられるって、信じている。
ならばもう、やることは決まりだ。
「さあてと、それじゃ。ここら一帯で必要なものを揃えますかね」
先ずはエンマを、ヒトが乗れる仕様に変えて。それから、周辺各国の地図か。拠点を定める前に、それに相応しい街を探して回らないとだし。
仕事始めに、ヒト乗せる運送屋だって、宣伝しないとなんねえ。……それこそ、冒険者ギルドにでも行ってみるか? やだなぁ。冒険者ってみんなおっかない顔してんだもんなあ。…………あそこにはジジイがいるし……。
やるけど! 宣伝やるけどさ!
あと、ラズがどれくらい、俺を守りながら立ち回ってくれるのかって言うのも、知っておかないとなんねぇし。エンマがどれくらい連続飛行出来るかも、確かめねえと。
あれ? よく考えたらこれ、行き先自由なのはタクシーだけど、空の移動手段だから飛行機じゃないか?
ま、いいや。そこは、柔軟に対応しよう。
ああ、やる事だらけで暫くはバタバタしそうだ。でも俺にしてはいいアイデアで期待が出来る。
さー、稼ぐぞー!
そして待ってろ、俺の新たな寝城!
絶対、手に入れて見せるからな!
◇ ◇ ◇
――――――奴隷商会ラングスタ。
騒がしかった窓の外は、まるで何事もなかったかのように静まった。
その書斎を支配しているのは、ペンと紙が擦れる音とカンテラが軸を燃やすじじじという音だけだ。その静寂も、来訪者によって破られる。
「ルディス~、逃げられちゃったよー……」
ふらりとその扉を開いたのは、長身糸目のその男。心底疲れたと言わんばかりに、ソファに崩れうつ伏せた。
「そうか」
「まあでも~、別にいいよね? すぐ同情しちゃって割りきれないし~、交渉もヘタクソで押しに弱いし~、理由つけてはっきりしないし~、自分の身すらも守れないし? 足りてないところばっかだもんね?」
ぱっと頭を上げた姿に、部屋の主は一瞥した。
「そうだな」
「あれあれ? ほんと、ディオって持ってるもの少ないよねぇ」
くすくすと肩を震わせて、思考を廻らせるように天井を眺める。そしたらさぁ、と続けられた言葉を、沈黙が待った。
「俺が持っていなくてディオが持っていたのって、奴隷魔術くらいだよね?」
ことり、首を傾げた長身に、鷹の目がじっと見つめた。はあ、と溜め息をこぼしたのは部屋の主で、呆れたように椅子を引く。
「あれがお前より劣っているから。それだけでお前が、あのバカを追い出すフリして逃がしたとでも言うのか?」
「あははっ、やっぱりバレちゃってた? ごめんね~ルディス。だってさあ、あのまま居られても使い道ないと思うんだよね?」
「違うだろ」
「違くないよー? だって、奴隷魔術持っている以外に――――」
「……はぁ。ああ、そうだな」
ころころと笑っていた表情は、遮られて唇を尖らせた。そんな拗ねた表情すら見せる相手に、部屋の主は溜め息をついて、また、書類に向き合うのだった。