我らの愛しき姉御 .2
「よおーし、ご両人用意はいいな?」
如何にも楽しそうなドワーフのおっちゃんの声。この笑い上戸、まだ笑い足りないと言わんばかりに声が上ずっている。
「ああ」
「いつでもいいぜ」
ちらりと隣に立つその姿を盗み見れば、どこまでも自信に満ち溢れた表情がある。俺がこっそり溜め息をついたのは言うまでもない。
今更ながら思えば、このおっさんらが得意としているから、こんな事持ちかけたんだよなあ、なんて。数十分前の自分を罵りたい。
「――――対岸までの速さを競う?」
大河の半ばに出来た中州に降り立ち、俺らは競技の内容を話された。首を捻るのに、十分な提案だった。
対するおっさんはまた心底楽しそうに笑う。
「おうよ! ワイバンの最大の魅力といや、その力強さ、飛行の速さの他にねぇだろ?」
「速さ、ね」
「そこでこの競争だ」
山男のおっさんはただ笑っているだけなのに、それが悪巧みしているようにしか見えないのは、一体全体どういう事か。
疑って見ていたら、横からウサギのお兄さんが割って入ってきた。
「飛竜と騎手。この両方で対岸を目指してくれ。このフラッグを、私が対岸にて用意している。先に手にした方が勝ち」
そう言って見せてくれたのは、棒に布切れついた程度の本当にありふれた旗だった。ぱたぱたと振って、一度渡してまで見せられたそれに、不安が過った俺は悪くない。
つい、じっとウサギのお兄さんを見ていれば、安心させるかのようににこりと微笑まれた。
「心配しなくても大丈夫だ。勝負事に、ズルはしない」
「だっはっは! そんなことしなくとも、俺の圧勝だろうがなぁ!」
「…………他のルールは」
このいちいち人の事煽ってくるおっさんは無視だ。まだ好意的に見えるウサギのお兄さんに尋ねたら、苦笑が返ってきてしまった。
「ないさ。揉め合いになった場合には、フラグを手にして先に掲げた方が勝ち。そんなもんだ」
「適当なもんだな」
ついぶっきらぼうに告げてしまう。やっぱりお兄さんは苦笑いのままで、俺の気持ちが伝わってしまったようだ。まあ、知ったことじゃないからいいけどな。
ルールのおおよその説明はそれっきりらしい。なんかテキトー過ぎて、かえって不安になる。まあでも、ここは大人しく彼を見送るべきなのだろう。
「……強いて言うなら、怪我に気を付ける事だ」
「えっ?」
ぽそりと呟かれた言葉に、虚を突かれたのは言うまでもない。きょとんとして見返した時には既に、ウサギのお兄さんは自身の飛竜の背に登って行ったところだった。
聞き返すよりも先に飛び立ち、対岸に向かって行ってしまう。……もう、なるようにしかならない。
本当にこれで公平って言えるのかが、かなり謎だ。そこのところ、声を大にして言いたいが、まあ言うだけ無駄だろうな。
――――そして今、雑な説明を終わらされて、ドワーフのおっちゃんの出す合図を今か今かと待ちわびている状態だ。
視線の先にて待機する、エンマとおっさんの飛竜をぼんやりと見つめる。エンマの背中に乗るところをどのようにするべきかと、何度も脳内で繰り返しシミュレーション行う。
俺とラズとエンマはいつも通り、そのままに。
山男のおっさんは、自分の飛竜から荷物を下ろして。……うん、まあ、その方が早いからなんだろうが、気合いの入り方が何だかイラッとする。
絶対負けない。誰がエンマを渡すかよ。
――――そして。
「よぉおおおおーい!!」
目の前に、集中。おっさんの事は一先ず無視だ。
「はじめぇ!!」
叫ばれた合図と共に、「ゴォオオオオッ!」 と、ドワーフのおっさんのワイバンが天に向かって炎を吐く。遠くにまで始まりを知らせる、狼煙の代わりだ。
同時に俺らはエンマに向かって走る。
俺はラズに手を借りて、確実によじ登る。それにラズが続いて、エンマは飛翔した。飛行機の離陸の時みたいな胃の辺りの浮遊感に負けないように、座席にしがみつくのに必死だ。
上昇と同時に対岸を目指す。
自分で言うのもなんだけど、ベストと言えるスタートだった。
ラズと共にエンマの手綱をしっかり握り、風圧に備えてから漸く余所に目を向ける。
遅れも取らずにいらたしい。例のワイバンも右手にいて、おっさんと目が合い不敵に笑われた。……何だよ、余裕かましやがって。
張り合う必要なんかない。そう頭で解っていても。
「悪くねぇ離陸じゃねえか! そうこなくっちゃ!」
後ろから叫ばれたのは、豪快も豪快な笑い声だった。楽しくって仕方がないと言わんばかりだ。……というか、なんでこのおっさん地上と話してる時と声量変わらないんだ? 声量凄いわ。
感心半分しつつ、でも相手をするまでもないと、エンマに加速をお願いする。こっから先は、俺と風圧との戦いなのだ。俺の事さえ気にしなければ、エンマはもっとずっと早く飛べるのだから。
そう思っていたのだけれど。
「だが、競争ってものを解っちゃいねぇな?」
如何にも『ただただ速く飛んで終わりだ』 と思うなよ、なんて。そう言わんばかりに聞こえた。
どういう事だよと疑問に思って振り返れば、ぱかりとおっさんのワイバンが口を開いたところだった。
次に来るものを、瞬間的に理解する。
「っ……エンマ!」
俺の一声と同時にエンマは動く。サッと身体を捻るようにして左に旋回、勢いに振り落とされないように、しがみつき、耐える。業火のようなブレスを回避した。
その熱によって起きた突風に攫われそうになって、また身を屈めてしがみつかざるを得なかった。風から目をかばっていたら、あっさりと羽ばたく音に追い抜かれていく。
呆然とする、ということは、こういうことなのではないか。え? だって、ズルはしないって、言ってたよな?! ちょ、おい!!
もの申したくてたまらない俺らに、先行くおっさんが振り返って悪だくみしかしてない笑顔で言いやがった。
「解ってねえな~? 青二才! 競争っつーのは争ってなんぼだ! せいぜい追いつけるように頑張れよ~?」
「なっ……おい!」
じゃあな! なんて嬉々として言われる始末。すっげー腹立つ。対抗して、エンマが加速しようとした。
途端。
一体いつの間にここまで来ていたのか。荷物を余分に下ろしていたらしい、何も背負っていないワイバンが二匹が過る。まるで進路を阻むように、飛んできた。
それを避けてエンマが飛ぶから、揺れる揺れる。三半規管がかき回される。
「ちょっ、おい! なんだよこいつら!」
「おーおー、悪いな! どうも躾が足らなかったみてぇだ! ついて来ちまったもんは、しゃーねぇよな??」
「嘘つけ! こいつら、あからさまに邪魔っ…………クッソ!」
俺らが焦っている様子に、がはは! なんて笑いながら、おっさんは颯爽と飛んで行く。その得意げな顔が、おっさんワイバン共々ムカつくったらありゃしねぇ。
いやもう、何がムカつくかって、あの顔!
人の事小バカにするならまだしも、特におっさんのワイバンのあの伸びきった鼻っ面!
あんなデレデレ顔に出し抜かれて驚かされたってだけでなく、既に勝利している気分なのが何よりも腹が立つ。
「兄ちゃん」
それは、俺だけに限った事ではないらしい。静かな声に確かめるようにラズを見、そしてその向こうのエンマに目を向ける。そろってふたりに頷かれれば、総意は取れた。
「ああ、何がなんでも勝ちに行くぞ!」
飛び付くようにして、御者台に座り込む。普段使うことがないと思っていた安全ベルトをしっかりと締めると同時に、ラズが動いた。
展開するのは風の魔術だ。一瞬の内に術式を立ち上げて、即座に起動した。
途端、強い追い風が吹き乱れる。ごっと、雲まで動いたようだ。そしてそれだけで、ぐんっ、と、前に引っ張られる感覚か強くなる。
続いてその風を使って、更に上昇。一番天候か穏やかな高度から、雲を抜き、気圧が下がる。耳の奥がつんと痛むが、そんな些細な事は、今はいい。
先を見やれば登っていた分、やはり引き離されてしまっている。それも今のうちだ。
俺らを追って、この高度まで来る無人のワイバン達がマジで邪魔だわ。目障り。
故に。
「ラズ、エンマ。叩き落とせ」
「おっけー、兄ちゃん」
端的に告げてやれば、嬉しそうに笑ったラズが、パッと隣から消える。
「あ、殺すなよー」
「任せて!」
一応、思い出して言っておけば、声だけが返ってくる。
一体ウチの子はどこ行ったんだ? なんて後方に目を凝らしていたら、ワイバン一匹の姿がなくなっていたことに気がついた。
直後。遠くの方でザバンッと、何かが落っこちたような音と水飛沫が上がる。……今の、ラズか?
一匹目が、状況も解らずあっさりと消える。流石。
首を傾げているのも束の間。ベルトに身体を押さえつけられて、ガクッという衝撃と共に視界が揺れた。
一瞬だけ見えたのは、迫り来る濃い緑だ。黒に近いその緑の物体が残像となって流れ、三半規管の揺れと共に視界が宙返りした。空と海が混ざって、天地が逆転する。
直後に後ろの方で、エンマの身体に――――しなやかな尾が何かにぶつかった。その振動が、御者台から伝わってくる。
数秒の時差。やがてまた聞こえてきた、大きな石を川に投げ入れた時のような音がどうにか聞き取れた。
間違いようもない。二匹目が、エンマに文字通り叩き落とされた。強靭な尾によって、な。
「ただいまー!」
「お帰り、ラズ」
ベルトを締めた状態で飛行中に下手に駆け寄る訳にもいかず、嬉々とした声に顔だけ向けた。驚くほど清々しい表情のラズが、得意気に笑っている。
「ありがとな、ふたりとも」
「当然っ、でしょ?」
その頭をくしゃりと撫でてやると、一層嬉しそうだった。
だがまだ始まったばかりだ。本題が片付いちゃいない。
三度先を確かめる。遊んでる間にもう、あちらは既に半分は行っているじゃないか。こなくそ。
空気が薄くて少し、苦しい。冷たい風が頬を、手を冷やしてくる。
……うん、あまり長くいられそうにないわ。
「よしっ、もう一仕事頼むわ」
「うん、行くよっ! ******!」
安全ベルトと手綱をついつい握り締めて、身構える。
直後にきた、ふわっと胃の辺りだけが浮かぶ感覚に身が竦んだ。
無意識に身体が高度を保とうとして、肩が上がる。背中の真ん中辺りが、落ちる感覚のせいでざわざわとして、また身が縮んだ気がした。
緩く、エンマが高度を下げたのだ。まるでジェットコースターの落ちる寸前、恐怖を与える余韻のような時間に思えてならない。
否、ゆるくそうしたのはその時だけだ。一息の後、エンマは頭を下げていく。すなわち、身体の傾斜角度をどんどんと増やし、重力を味方に加速した。
その後押しするようにまた、追い風が吹き乱れる。
俺はただひたすらに、その身を低く小さくして、風の抵抗から身を隠すしか出来ないのだ。
俺が落っこちるよりも、エンマが急降下する方がやはり早い。故に、安全ベルトに引っ張られて、一緒に落ちている状態だ。
見れば先程まで見えていた対岸は、大河の向こうに地平線のごとく消え失せている。
アクリルを盛って作ったジオラマのような水面は、次第にその質感を取り戻した。キラキラと輝く、沢山の魚が集まったような反射が俺らの後を追って来る。
空気が重たくぶつかってきて、正直目なんて開けてられない。風が強くて、肌か切り裂かれそうだ。
だけれども、流れる景色が美しくて、ついつい魅入っていた俺はアホである。
……正直に言おう、目が乾く。こんな事ならゴーグルでもするんだった。今更だけどな。
――――そして。
気がつけば、雲より下に高度を落とし、水面ギリギリで飛んでいた。しょぼつく目で先を見据えれば、遠くに行っていた筈の先行く姿が、どんどんと大きくなった。
ほんと、エンマのこの速さには惚れ惚れする。それは、あっという間に大きさを取り戻して、驚愕に目を見開く姿が目に見えるほどだった。
にやりと笑うのは、今度はこちらの番だ。ただもちろん、向こうから手を出してこない限り、同じ土俵に立ってやるつもりは無い。
「エンマ、あそこだ!」
だから俺は、追い抜き様におっさん達に一瞥くれて、ゴールである先を見据えた。
俺はもっと高みに行く。だから、低俗な押し問答なんてするつもりはさらさらない。
俺は――――俺らは、正攻法で勝ちを掴む。あとは下らない喧嘩売ってきたこのおっさんが、自ら勝手にみじめな思いをすりゃいい。
だけれども。
「ふっ……いいねえ、若くて熱いじゃねえか。久しく滾るなあ! エドラぁ! 行くぞおおおおお!!」
鬨の声を飛竜と共に上げられて、驚かない訳がなかった。
おっさんとて本気じゃなかったのだと、改めて、知る。




