セントシェールの境界線 .3
緩やかな坂は不意に終わりを告げて、前方に開けられたままになっている鉄製の扉を見た。
「先、行ってっ……!」
それを確認してこちらを振り返ったレピュスちゃんは、踵を返して後方へと駆けていく。ついつられて肩越しに伺えば、俺らを追っていた大ムカデ様の脳天に飛び上がるレピュスちゃんがいた。
彼女は鮮やかに踵を落とし――――というか踏みつけて、その進軍を打ち止める。
ナニソレ、レピュスちゃん強いのな……?! そのやわそうな草木染めの靴には、鋼でも入っているのかな? 脚力強靭すぎないか?! …………なーんて。
駆け込んだ先は小さな部屋だった。
恐らく建設当時は事務所か何かに使われていたのだろう。雑然と置かれたデスクや棚に、石膏やら作業道具やら残されている。
部屋にはもう一つの出入り口があった。蛇腹状の鉄格子で仕切られている向こう側が、奥へと続く道のようだ。
青くぼんやりと光って見える巨大な石柱が立ち並ぶ。おそらく上層の街を支えている柱だろう。建物全体が光っているように見えて不思議だ。
「……怪我、ないですか?」
背後で駆けてくる音に振り返ると、足蹴にしたムカデ様を扉の向こうに閉め出していたレピュスちゃんが戻ってきた。その問いに、緩く首を振って答える。
「うん、お陰様でなんともなかったよ。ありがとう」
「よかった……」
目に見えて彼女がほっとしたのも束の間、言って良いものか迷うように、その視線は泳いだ。
「でも、今日は、その……おかしいんです」
「おかしい?」
「は、はい……。普段は、物音程度じゃ襲ってこないので、もしかしたら……」
「ああ、なるほどね」
恐らく――――というか、間違いなくあの野郎が一枚噛んでいるのだろう。そういえば奥の方がざわめいている気がする。
これは何かしらあると思っておくべきだろう。それでも構わないさ。全力で駆け抜けてみせる。
ならばと思い付いて、一度ラズを下ろして上着を脱いだ。これで縛っておけば、少しは違うだろう。
戦いなんて無理だ。極力逃げ回って、奥を目指そう。最悪……うん、カッコ悪くてもいいさ。それでどうにかなるなら、俺はカッコ悪くても逃げる方を選ぶ。
…………決意を胸に、気持ちを改めていたら、だ。
「あの……」
「うん?」
雑多に置かれた荷物の中から、彼女が引っ張り出したのは一振りの剣だった。それを、恐る恐るこちらに差し出していた。
一瞬、俺の思考も停止する。
「えっと、ごめん。剣なんて渡されても困る、かな」
「でも、その……無いよりはいいと、その思います……けど……」
「え……いやあ……」
思わず苦い顔をしてしまったのは仕方がなかった。
剣で思い出すのは、親父殿の呆れ顔だ。
ああ、もう既に知ってると思うが、俺とて昔は剣術を叩き込まれた時期はあったさ? 家を出る時だって振り回していたくらいだし?
……けどさ。剣を握れば取り落とすわ、振ればすっ飛ばすわ物壊すわって、散々だった。それはもう、な? 悲惨としか言いようがない。
始めは親父殿も、俺のやる気がないせいで、そういう態度を取っているんだろうって、シバかれた。そりゃあもう、一体何度蹴られたことか……。
でも、ホントに。ホントのホントに駄目だったんだ。
まるで剣の方が俺から逃げているんじゃねぇの? ってレベルで、手から離れた。飛んでった。危うく、顧客一人を亡き者にするところだった。あの時は親父殿に殺されるかと思った。
いやそもそもなんで、まともに剣を構えられない奴が練習中に真剣振ってんだよって思うだろう。でもな? 俺だって別に積極的に剣を振りたかった訳じゃないんだ。その方が真剣になるから、という親父殿の発想だった。真剣だけに。
………………………………こほん。
結果がそれ。笑えねーだろ?
詰まんないギャグ言ってんじゃねぇなんて聞こえない。
最終的には余りにも酷くてあの親父殿が天を仰ぐ程だった。
終いには? その内専属の護衛でもつけてやるって、投げやりに言われる始末だった。あの時ほど……武術に関して泣きたいと思った事もない。
結果?
……知っての通り、文武両道の奴が、な。側に居ただろ? あいつだよ、あいつ。本来俺の護衛の予定だった奴。ははっ。
見事に食われたな、居場所。笑える。
ま、今更そんなこといいんだ。俺にとってはもう、価値の無い場所になってしまったのだから。
そういう理由があるからこそ、断ろうとした。訳なのだが……。
「……でも、うん。レピュスちゃんがそういうなら、持っておくよ」
捨てられたチワワみたいにしょんぼりされると、無下にも出来なくなった。良心をチクチク突付かれてつい、それを受け取ってしまった。
俺、ホントに駄目だわ。意思弱すぎ。
「あ、れ……?」
そして、受け取ってから気がついた。金属の剣にしては、やけに軽いと言うことに。
俺が驚いていれば、恐る恐る告げられた。
「その……風が、助けになってくれます、ので……」
「風が――――? っと、驚いた。魔剣ってやつ、か?」
驚かない訳がなかった。
魔剣。言うなれば、魔道具の極めつけに出てきた魔術式と魔力が込められた武器の一つだ。
その効果は様々だ。刻まれた魔術式と込められた魔力によって効果は変わる。だけれども、魔力を物質に貯えて『魔術』にするにはあまりにも心許ない。
故に、実用出来るのは実質的には武術と魔術に優れたものが、己を動力源として使うくらいだと聞いている。
故に、とてもじゃないが俺が使いこなせる代物だとは思えない。実際問題、実用には向かない夢の武器だと言う話だ。
そんな武器が、これだと?
ただこれって、そんなにカンタンに入手できるものだったか?
「ニセモノ、ですけれども。でも、これなら、少しは……」
「え……? あ、そう……」
深まるのは、謎。どうしてそんな代物がここに無造作に置かれているのか、ということ。そしてどうして彼女が、そんなものの存在を知っているのかということだ。
……多分、訪ねても謝られるだけな気がするな。今は忘れた方がよさそうだ。そういう曰くのある、気休め程度の護身用の剣。そう思っておくのが妥当だろう。
改めてラズを背負った所で、レピュスちゃん共々奥へと目指す。
蛇腹の鉄柵を横に押しやった先には、第一、二階層を支えている柱の数々が緩やかな弧を描いていた。そのせいで、先がとても見通しずらく、柱の並んでいる様がいつぞや見た千本の鳥居みたいだ。
……まあ、こちらは青いとか、スケールが圧倒的に違うとか、そういう事はさておいて、な。鳥居みたいに見えるってだけの話だ。
そして恐らく生き物がいるのだろう。ざわめきが反響となって、山彦のように聞こえてくる。
その、生き物だが。
遠くに聞いたのは、イヌのような遠吠えと、誰かの悲鳴が聞こえてきた。遅れて、向こうから何かがやってくる気配がした。
巨大な虫が這ってくるようなわさわさという音ではない。明確に動く、二本以上の爪のある足で駆けているような、そんな音。
「あ……離れないで、お願いします」
レピュスちゃんは開いた格子をきっちりと閉じ直すと、すぐに柱の影に逃げ込むように向かっていった。
後を追って柱を回り込んでから気がつく。その巨大な柱に視界が遮られて気がつきにくいが、その裏に、通路がずらりと並んでいたことに。
のぞき込めば、蟻の巣よろしく分岐しているのが見えてしまった。
……こりゃ、一本でも入られて姿を消されたら、俺は探索不能になりそうだ。しかも迷子で脱出不能。笑えねー。
右へ左へ。明確な意思を持って進む彼女の目には、この通路は一体どのように映っているのだろうか?
俺には似たような場所、あるいは同じところを延々と歩いているようにしか思えない。
時おり、柱と壁の間に生活感あふれる天幕が張られていて、驚いたのも何度目だろうか。まるで河川敷の橋の下みたいだった。
考えるまでもなく、表に住めない住人が、ここに居着いているのだろう。……メイさんはこの事、知っているのだろうか?
表の明るい街の印象とは随分と違って見える。
柱の森を抜けた先で、不意に視界が広がった。一際開けたその広場に出た瞬間に、俺はその光景に息を飲んだ。
初めに目に飛び込んできたのは、逃げ惑う人々だった。
ここは確か地下階で、ヒトなんていないと思っていた。……いや、生活空間がちらほらあったから、全くいないとは思っていない。でも、まるで何かの集会でも行おうとしていたのだろうかと首を傾げてしまうような人数が、広場の中で逃げ惑っていたら、流石に何かが可笑しいって思わずにはいられない。。
どこからか連れて来られたのだろうか? 服装、人種様々で、何故か彼らは右往左往しせども、広場からは出ようとしていない。遠くに聞こえていたざわめきが彼らの悲鳴だったのだと、否応なしに理解させられる。
……ここを、通らないといけない、のか?
迷うことなくそこに踏み込んでいくレピュスちゃんに続いて、俺も駆け出した。
そこでようやく、彼らが何から逃げていたのかに気がつく。彼らを追いかけ人垣を割る、黒い獣の姿に。
山犬のような、狼のような。あるいは大きな猿に見えなくもない。
ワーウルフ。ヒトを襲いヒトを食らう、なんて悪名高いモンスター。そんな奴が街中に堂々生息しているなんて、信じられなかった。
それも、一匹や二匹などではない。沢山――――そう、数える間もなく動き回る姿に、羊飼いの犬の姿を見た気がした。
同時に理解する。ここは、彼らの餌場なのだと。そしてレピュスちゃんに頷かれて、避けて通れないのだと知る。
逃げ惑う彼らを尻目に駆け抜けようとしていた事で、少なからず俺は、傍観者の気持ちでいたらしい。断末魔が向こうで上がっていても、その声に怯みこそするが、自分は大丈夫だと思ってしまっていた。
だが、そんな都合のいいことなんてものもない。
当然のごとく、鼻がよく利き、目敏いやつらが見逃してくれる訳もなかった。
ぶつり、また一つ悲鳴が途絶えたかと思うと、俺らの横を絶命したばかりの蒼白な顔が飛んできて、こちらを向いていた。
その上に一匹、馬乗りになったやつと、目が合う。
あ、マズイ。
狙いをつけられたと、俺でも解った。躍りかかってくるところまで予想が出来たから、慌てて剣を強く握り締め構えて、迎え撃とうとする。
刹那。
「っ…………!」
ガギン! と、あからさまに金属と歯や爪が打ち合った音ではない。大きな石でもぶつけられたかのように、腕が痺れて、片腕では生憎受け流すことすらままならなかった。
タイミングの悪いことに、ラズに重心をとられて、ふらり、バランスを崩してしまった。
「痛っ?!」
弾かれたせいで腕が上がり、ガラ空きになった脇腹に当然のごとく突っ込まれて来て身体が浮いた。咄嗟に身体を丸めれば、肩にその鋭い爪が食い込んできたのが解った。
「あっ…………!」
その痛みと衝撃に、意識が一瞬、あっさりと持っていかれそうになる。
あ、本気でやばい。
……いや、意識飛ばしてる場合じゃねぇ!
一瞬の内に俺を支配した覚悟に、踏ん張りを込めて押し返した。力んだ拍子に肩が痛もうが何しようが、押し負ける事だけはしたくないと、毛皮に埋もれた獣を睨み付けてやった。
「いつまでも俺が! 弱者だと、思うなよなクソッタレ!」
ラズには申し訳なかったけれども、上着で縛った上から支えていたその手を離して剣を両手で握った。ありったけの力を込めて吠えてやれば、一瞬、目の前の獣が怯んだような気がした。
だが、そのほんの一瞬で、十分だった。
直後にその黒い影が、視界の端へと吹き飛んでいった。
「……っ、大丈夫、ですか?!」
己の情けなさよりも先に、間一髪、ほっとしていた。じくじくと、えぐられた傷から血が滲み始めたが、幸い深くはなさそうだ。
力任せに握り締めた手が、腕が、今更のようにじんと痺れてひりひり痛む。
「あ、ありがとう、レピュスちゃん」
「先に、道を、開いてきます。……離れすぎないように、来てください」
「ああ、解った」
「こっちです……!」
へたりこみそうになる俺の腕を引き上げて、真っ先にまた先へと向かっていった。
どうして、俺よりも年下の奴に限って、その背中がたくましく見えてしまうのか。見送って、なんだか泣きそうになってしまう。
だが現状俺は、そんな背中を追うことしか出来ないんだ。だから……せめて、必要以上に足手まといになってしまわないように、追いかけるだけ。
なんだかホントに情けなくて、ついつい視界が滲んでうつむいてしまう。
――――ただそれが、油断と取られてしまったのだろう。何かに足を捕まれて、心臓がこれでもかというくらいに縮み上がって跳ねた。
また襲われる! そんな恐怖に俺はさっきの今で、一瞬の内にパニックになったのだろう。時間が止まったかと錯覚するほど怯み上がった。
「い、あ……離せ!!」
だから、よく周りも見もせずに剣を振ったら、すぱん! と小気味よい音が俺の耳に届いた。そして、どさりと後方に何かが吹っ飛んでいった。
捕まれたことによる痛みはない。後から音につられてその物を振り返れば、明らかにヒトの手だと解る、物体がそこにはあった。
肉を切る感触は、骨を断つ感覚は、食肉調理で知っていた。
けど……。
「ひぎゃあああっ!」
直後に足元から上がったのは悲鳴。時間は瞬間的に戻ってきたのに、叫び声に怯んでしまった。動き出そうとしていた足を縫い止められて、熟れたトマトが踏み潰されたような血飛沫をモロに浴びた。
視界が一瞬にして赤に塗り込められたような、そんな感覚。
恐る恐る視界を落とせば、信じられないものでも見たかのような、腕が吹き飛び胴をずらす男と目が合った。
え。ウ、ソ……だろ?
「……こっち、走って!」
「っ…………!」
やっちまった。
そう思うよりも先に、追い立てられた事を理由にその場から逃げ出した。込み上げる吐き気を、歯を喰い縛って耐えた。
嘘だ、嘘だ。
転がる肉片をいくつもまたぎ、飛び越してはそれらに躓きそうになる。目を開けば蹂躙された遺体が転がり目も当てられない。
そこから少しでも視覚的情報を遮断しようと試みるが、その度に、先程の光景が網膜の裏に蘇るようだった。もはや、俺の視界には、逃げ場がなかった。
「……くそっ!」
目を反らす訳にはいかないんだと、自分に言い聞かせながら走っていれば、不意に景色が一変した。阿鼻叫喚の地獄絵図から、辺り一帯に沢山の綺麗な遺体が転がっていた。
青の世界に眠る人々。それだけ見れば、そういう絵画か舞台の演出に思ってしまったかもしれない。
そういえばワーウルフも、向こうでは未だに遠吠えが騒いでいるが、こちらに近づこうともしない。そしてまるで、辺り一帯で眠っている間にガス中毒でも起こしたかのように、みな一様に穏やかに瞼を閉じて小綺麗な顔しているのだ。
何故? なんて疑問に思っていた刹那。
びくん! とその遺体が動き出して、アンデットが遺体に擬態していたのかと本気で驚いた。
だが、その考えも一瞬の事。まるで内側から金づちか何かで殴られているのではないかと錯覚してしまうほどに、ぼこっぼこっと音を立てて人間があり得ない形で膨れ上がった。
「ダメ、こっち……!」
レピュスちゃんの招きに応じて振り替えれば、既に彼女は目的の場所にたどり着いていたらしい。閉ざされた扉の前に、彼女はいた。
慌ててそこから離れれば、背後でぱんっと、風船でも割れたような小さな音を立てていた。
そこから沸き上がってきたのは、モルモット大の青白く光る芋虫の大群だった。うねうねとその丸ぼったい胴と脚を空で遊ばせては、弾けた勢いのままに拡散していた。
あれに捕まったら多分、弾けた人たちの二の舞だ。そんな警鐘が、脳裏で鳴った。あれはヤバイ、と。
その破裂はまるで連鎖のように、あるいはポップコーンのように断続的に始まって、芋虫達を打ち上げた。絶対にかぶりたくない芋虫の雨から全力で逃げれば、ようやく彼女のもとへとたどり着く。
どうやらまた扉の鍵がかかっているらしい。懸命に解錠を試みてくれているレピュスちゃんに背を向けて、その光景を改めて振り返ってしまった。
――――変化は、芋虫の雨だけでは済まなかった。
まるで地面そのものが水になったかのように、土が湧いてきているのが見えた。
いや、『かのように』ではない。
土が盛り上がって、残っていた肉片の残骸を取り込むように蠢いたのが、はっきりと見えてしまった。急速にヒトの形を取っていくその様に、恐怖以外に何も感じ得ない。
ふと思い出すのは、毛皮から骨の髄まで残すところはないのだと、全身くまなく使われる動物のようだと思ってしまった。
見ていてはいけないと解っていながらもつい、その光景から目が離せないでいた。
そしたらどうだろう。まるで俺の視線を感じていたかのように、完成された泥人形はぐりんとこちらに顔を向けたのだ。眼球のない、土塊が落ちくぼんだ無表情に見定められたような気がして、慌ててそっぽを向くも、遅い。
次の瞬間には周囲に俺らの事が伝わったかのように、意思もなく、その場でふらふらとしていた泥人形が一斉にこちらを向いてきた。
……あ、無理。気持ち悪い。
一歩、一歩。まるでゾンビ映画の鉄板みたいに、その姿は迫り来る。
「レピュスちゃん……っ」
「っ……開きました!」
蹴破る勢いで開いた先にはやはり、通路。柱はなく、石畳の壁は天井が低い。何処までも延々と続いていそうなそこに、俺らは駆け込んだ。
「さっきのあれって、もしかして……?」
俺の予想が正しければ、あの泥人形は死んだ人が核に使われている。それを、あの野郎が?
確かめたくて訪ねれば、ハの字に眉尻を落として緩く首を振られてしまった。
「違い、ます。チルオール様ではなく……その、それは〈ブレイン〉様の指示で――――が……」
「ブレイン?」
初めて彼女の口からでた、あの野郎以外の名前。そいつが事の現況で、こんなことを彼女に強いているのだろうかと思ってしまう。
「ねえ、聞いてもいいかな。レピュスちゃん」
「はい」
「君はなんでこんなところで、こんな事をする奴らといるの?」
疑問をそのまま口にしてやれば、返答は、すぐにはなかった。やはり、聞いてはマズい事だったのかもしれない。
でも、撤回するよりも先に、レピュスちゃんは口を開いた。
「……そこにしか、あたしには、行くところがなかったんです」
「えっ?」
先を行きぽつり、呟いた彼女に返す言葉が思い付かなくて、ただ、肩を上下し息をつくばかりだった。
「こんな身体になってしまった、あたしには、なかったんですよ。他に選べる、場所、なんて……」
「…………ごめん」
「いえ、いいんです。……ほんとのこと、ですから」
絞り出すように告げられた言葉のせいか、心が痛かった。まるで心臓の奥が握られているような、そんなしょっぱい感情。
返す言葉も解らずに足を止めて息をつくと、何か言ってやらなければという焦燥感に駈られてくる。
顎にまで伝ってきた汗が鬱陶しくて、乱雑に拭ってやれば、返り血や泥土をかぶってしまって拭う意味がない。シャツが汚れているのか、伝ってきた汗に血が滲んでいるのか解りやしない。
正直……ベタついて気持ち悪い。海の潮風とか圧倒的にヌルかったわ。
だが、俺らには感傷に浸っている時間さえ与えられない。
ばくばくと鳴り止まない心音と対称的に、微かに感じるラズの鼓動に鼓舞される。再び走り出した途端に、落ち着きかけた俺の心音が煩いほどに騒ぎだした。
「はあ……はあ! くそっ……はあ、キリがねえ……!」
走りに走ったせいでまた、縛っていたラズが落ちそうになる。背負い直すついでに空を見上げれば、やるせない思いが湧いて止まない。
そして思うのは……、どうしてこうなったんだと。それだけである。
「っ……うしろ!」
のんびりしている場合じゃなかった。
レピュスちゃんの一声に反射的に身体をひねれば、ついでに遠心力に振り回された剣に手応えを感じた。
「くそっ……! しつっこい奴らだなあ!」
振り返れば、俺らを追って止めない土塊ゴーレムの生気のない顔がそこにはある。何度殴り返して、頭を吹き飛ばしてもやってくるこいつらには、いい加減うんざりだ。
「ぃっつ……! 負、ける、か……よ!!」
「こっち……!」
バックステップで距離を取りつつ、レピュスちゃんの姿を確認する。ああ、もう。この剣邪魔だ。ラズを抱えて走った方が早そうだ。
それに何よりも、苦しそうなラズを、もうこれ以上見たくない。
俺が駆け込むのと同時に、彼女は開けておいてくれた扉を閉めた。全力で抑えてくれているのだろうが、奴らが扉にぶつかる度に、どん、どん……と、危なっかしく扉が揺れている。
ああ、もう! やるしかない。
「いくよ……!」
「ああ!」
その一言の間に、彼女は支えていた扉を離して一躍俺の隣に並ぶ。同時に扉は開け放たれ、ありえない数の泥人形がなだれ込んできた。
くそっ、なんて数だよ。意味が解んねえ。けど。
「けど俺は! 引くわけにはいかねぇんだよ!」




