セントシェールの境界線 .2
柔らかなぬくもりのような心地よさを感じながら、俺の意識は浮上した。
「……ぅ」
目を開けば、青みがかった石造りの建物の向こうに、よく晴れた空を見た。あまりにも穏やかな空過ぎて、気絶するよりも前の事が全て夢なんじゃないかと思えてくるくらいだ。
「ああ?!」
……って、そんな訳ねえだろ!
ハッとして慌てて身体を起こせば、散々痛め付けた左肩や身体は驚くほど何ともないのに、首元だけが上手く動かなかった。そのものに触れてみると、金属のようなひやりとした感触に、呪印か何かが刻まれているのが解った。首輪を指でなぞると、刻まれた呪印の凹凸がよく解る。
まさかと思うが、これって――――……。
「大丈夫……ですか?」
伺うような声に驚かされて振り返った途端、その光景に絶句した。
真っ先に目についてのは、彼女のざっくりと裂けるようにした切れた腕から流れる、赤。その赤は、したたり流れ落ちるよりも先に水分だけ蒸発し、残った個体がざらりと崩れて消えていた。
そして座り込むその足元には、ぐったりと横たえられたラズがいた。途端に、脳裏に浮かんが最悪の結末。
「っ――――ラズ!」
慌てて駆け寄れば、微かに上下している胸と、風が不自然にラズに取り巻いていることに気が付いた。大丈夫、なのか? 本当に?
「今のところ……大丈夫、の、筈です」
「え?」
「その、呼吸をつないで、おきましたので…………」
負った怪我を隠すようにして、こちらを伺う彼女の姿にハッとする。
「その怪我は、あいつが?!」
慌てて訪ねれば、緩く首を振られてしまう。
「違います。……その、あたしは――――なので」
「え?」
「あの、ですから……あたし、シルフとウンディーネと、ヒューマン……なんです。その……混ざってて……」
「え……?」
シルフに、ウンディーネ? それって、あの、サラマンダーと同じ部類のモンスター……?
それが、彼女に混ざっている……って、モンスターとの混血、ってことか?
ヤバい、混乱してきた。ちょっと待て?
「あ! そ、そのっ! 気持ち悪い、ですよね……ごめんなさい! でも、その、魔術使うには……こうするしかなくて、ですね……。あ……ああ! その……身体の中身があの、入れ替えられているせい、なんですけど……」
「え、ちょっ? ちょっとごめん。待ってくれないかな?!」
「あっ……その、ごめんなさい! ごめんなさい! すぐに黙りますのでっ!」
いかん、しまった。
考えを整理したくて少し待って欲しかっただけなのに、後ずさりさせた上に、今にも壁に頭を打ち付け始めそうな勢いだ。
違うんだ、そうじゃない。そうじゃないんだけど。
「ええと、聞いてもいいかな?」
「ぁ、はい……」
「その、君が怪我しているのは、魔術を使う為で?」
「はい」
「それを止めさせたら、ラズは……」
「っ、は、はい! ぉ恐らく……ごめんなさい!」
確かめない訳にはいかなくて訪ねたものの、これは中々キツい。ラズをこのままにしたくない。けど、彼女もこのままにしておけない。
……あの野郎、ここまで考えての仕打ちだとしたら、かなり質が悪い。
「その……首輪は、魔術制限のもの、で、多分、本来……あたしに使われるもの、で……」
「うん」
「なので、その……」
ああ、もう。始めっから悩んでいる時間なんてなかったのか。
「やっぱり、無理に魔術使おうとすれば、絞まるかな、これ」
とんとん、と示してやれば、複雑そうにその表情をしかめられてしまった。
「…………多分。ですけど、制限の入る上限は……あります、ので」
「そっか、ありがとう。――――一つ君に、お願いしてもいいかな?」
「は、はいっ! 何でもしますからっ、その……! あたしのせいで、こんな目に合わせてしまって……ごめんなさい!!」
やっぱりそれ、気にされていると思ったんだ。だから……。
「……うん、悪いんだけどさ。道案内、頼まれてくれないかな?」
俺はなかなかの卑怯ものだと思う。彼女が断れないのを知った上で、こんなことを頼むんだから。
* * *
彼女がモンスターの血を引く云々さておき、俺なんかよりもよっぽどその能力が高いことが幸いした。お陰で全呼吸を止めれていたところを、窒息死しない程度の微かな呼吸が許されるものへとシフトさせる事た。
とはいえ相変わらずラズは目を覚まさないし、変わりに俺の首は少々締まった。これ以上の事をするには、俺の方に余裕がなくて無理だ。でもこれで、時間を稼げる。
…………奴隷商人が奴隷の命を握っているってこういう事なんだって、今更のように思い出す。
「ここから奥?」
俺らが前にしているのは、あの野郎に蹂躙された場所からそう離れていない、第二階層の建物の中にある大扉だ。普段は一応、鍵のかけられているらしいそこは、錠前が引っ掛かっているだけだった。
俺の言葉に、隣が身を固くする。
「は、はいっ! 第三階層は、その……開け方を知っていれば、カンタンに入ることの出来る、巫女様管轄外の場所でして……」
「なるほど……」
この街にあるのは全部で五階層だ。
聞けば、この地の長にして巫女の管轄域は、空の下にある一、二階層。そして海の下にある四、五階層とのことだ。
だが、この場所はそれだけで成り立っているわけではない。二つの街の基盤となり、表に出ない三階層が存在しているとのだ。
その場所は、自然の光が入る事のない、無法地帯だということだ。不安がないといえば、嘘になる。
「うん、ここまで案内してくれてありがとうね」
「あ、あのっ! 中の案内も、任せてください!」
「うん、頼りにしているよ。…………よし、行こう」
改めてラズを背負い直して、勇み足。招きに応じて、扉を堂々開いてやった。
途端。
初めに思ったのは、建物内部だというのに、全く暗くないこと。光が入らないって言うからてっきり、地下に潜った時のように、暗くてじめじめしているところを進まないといけないのかと思っていた。だから一瞬、見間違いかと思ったほどだ。
微かに湿った空気が抜けていく。
内部はかなり広そうだ。その証拠に、外の道と同じように大の大人が四人ほど余裕で並んで歩けそうな広さに、三メートルはあるんじゃないかと思われるくらい高い天井が俺らを招き入れた。
そんな通路に足を踏み入れようとして、あるものが真っ先に目についた。俺が扉を開けたことで驚いたらしい、カピバラよりもでっかい鼠の姿と、天井を丁度わさわさと這っていたでっかいムカデに。
ぱたん……、と。つい、無意識の内に扉を閉じていた。
――――え、ナニアレ。滅茶苦茶気持ち悪いんですけど。
でっかい鼠はまあ、そういうモンスターいたなあ、なんて心当たりも無いこともない。むしろ、野生の○ッタと思えばゲームっぽくてやる気も出てくる。
けどさ、けどさ?
俺の腕の太さと同じくらいの足を持つムカデ様が、扉を開けた事によるまぶしさから、天井を逃げようとしてみ?
キャタピラみたいな胴体がちょっとずつ伸び縮みして、奥に奥に目指していて、ずらっと並んだ沢山の足が、バラバラに動いていて! しかも、色が……頭の色こそは見えなかったけれど、足の色が鮮やかなオレンジ、あるいは毒を絶対持ってそうなどぎつい紫。胴体は黒光り。
……下手なことをしなければ襲ってこない――――と思いたい――――にしても、その下を通るのはかなり勇気がいる。
無意識に、ラズを背負い直してしまう。
「あ、の……?」
「えっと、ねぇ? レピュスちゃん。ここっていつも、こんな感じなのかな?」
「えっ?」
訪ねれば、不思議そうな顔をされて、どうやら俺の質問がおかしいらしいと知る。ここは一つ、腹をくくって行くしかないのだろう。
「……っ、はあ。よし、行こう!」
「うんっ……!」
ばん! と、決意を込めて扉を開けて、一息に突撃していった。俺の脇をすり抜けた彼女は、先導を始めてくれる。
天井は、見ないようにしておこう。うん。カサカサいってるけど、怖くない。
鳥肌なんて、立ってない。うん! 俺は怖くない!
俺には怖いものなんてない!
緩やかに下る斜面が続くこの路地は、思っていた以上に広い。
街中を歩いていた時は、空を見上げても閉塞感を確かに感じた。でもここは、建物内部の割りに天井が高く、幅も広い。
建物を造る際に、荷車やら大型の動物やらを使って資材を運び込んだからだ、とかなんとか。お陰で、天井のムカデ様の存在感も薄らいでくれる。
……ダンゴムシみたいなやつらが、ムカデ様の移動に合わせてうわっと――――うじゃっと、動いたのは気のせいだ。
うへえっ! 大群がわさっと動いて気持ち悪――――――ああ、いや、俺は見ていない。見てないともさ。
……ぶるり。
俺と彼女の足音が、妙に響いて緊張する。さっきまでは、青が美しい街だったというのに、まるでどこか別世界のようだ。
床や壁が石畳でなかったら、それこそ洞窟に迷いこんだと思ったかもしれない。湿った空気がそう、感じさせているのかもしれない。
そんな現実逃避もいいところ、ぼんやりと考えていた時だった。
ばたん! と、これまた俺が開けたときよりも盛大な音が、通路に響いて来たのだった。当然、俺はそれにビビって、身体が跳ねてしまった訳だが……。
「うわっ?」
「っ……こっち! 急いで!」
駆け出したレピュスちゃんの声にハッとさせられて、慌てて駆け出した。直後に、俺が居た場所よりも、少し後ろから聞こえてきた。
どんな音って? どさっという、何かが降ってきたような音に決まってる。
もう、それだけで背筋がぞわっとした。
……振り返るまでもない。俺と同様、扉の音に驚いたらしい何かが降ってきた、それだけの事である!
振り返ってはいけない。
落ちてきた音が一つや二つではない。
首筋が意味もなくざわざわする。
睨まれているとか、殺気を感じたとかではなく。純粋に、ただ純粋に生理的に受け付けないだけだ!
シャーッと、威嚇のような音がする。
いやいや、ちょっと、どんだけなのよ!
まさか扉が閉まった音だけで、ここまでパニック起きる?!
こんなことならちゃんと閉めてくればよかったよ!
ちらりと見てしまったのが、運の尽きだった。
ものスッゴク億劫そうに首をもたげた、これまた毒々しいくらいの赤い顔が、俺丸々噛み砕かれるんじゃねぇ? ってくらい立派な大顎をジャキッジャキッと打ち鳴らしていた。
その体長、何十メートルよ? 気分は風の谷のお姫様だよ。
そいつの上に、でっかいダンゴムシもどきが落っこちる。途端、俺の二倍はありそうなそいつの胴体が、あっさりとムカデ様に千切られて、緑の体液と白い肉片を散らして真っ二つになった。
「ああああっ! 無理だっ、ぁ――――――……!!」
ぞぞぞ、と、ラズを背負っているにも関わらず、背中を這い上がってきた恐怖が勝った。
気持ち悪さが振りきって、そんな事を叫んでしまった。
はい。それが更に失敗を呼ぶ。
ぐりん、と、複眼がこちらに向いた。
ジャキッ、ジャキッと打ちならしながら、ずるり、滑るように動き出す。
いかん……いかんいかんいかんいかん! こっち来る!
既に走り出している俺としては、これ以上下手に速度を上げるのは無理だ! ラズが落ちる!
「……こっち!」
レピュスちゃんの声に導かれて、慌てて方向転換して、俺は遮二無二走り出したのだ。




