嫌な予感ほどよく当たる .4
咄嗟に出来る事なんて、俺にはなかった。
ラズはいつでもエンマの背中から飛び出せるように、身を低くして軽くしゃがみこんだ。俺はと言うと、エンマの背中に全力の腹這いでただ伏せて、来訪者に備えた。
……残念ながら、ラズと共に来訪者と戦う、という選択肢はないからな。大人しくしているほかに出来る事はない。……下手に何かしようとしたら、足手まといにしかならないし。
足音の数は、俺に解るのは一つだ。
隣をそっと伺えば、「二人だよ」 と囁かれる。……まあ、この時点で俺の出る幕が皆無なのはお解り頂けるだろう。
いよいよ相手の輪郭が夜の森に浮かんできた。
ここまで近づかれてしまうと、エンマの姿が向こうに見えたいるのは確かだろう。
でもラズが動かないところを見ると、片方が余所に連絡を回しに行っている素振りもないようだ。
……ああー、もう! だろう、ようだって、予測するほかに状況が解らないなんて、どんだけ情けないの!
戦闘職の勘ってどうやったら培えるんだ?! 誰か教えてくれないか!
……とか何とか。どうでもいいことに打ちひしがれていると、先方が姿を明らかにした。
「良かった、無事のようね」
ほっとしたような、聞き覚えのある声がそう告げた。
慌てて頭をあげてそちらを伺えば、音も気配も何もなく、茂みから出てきたミラさんが微笑んでいた。
いや、何で茂みからかき分けて出たのに無音なの? 驚かずにはいられないんですけど。すげえ。この人本当は猫の獣人の血でも混ざってんじゃないの?
「ミラさん」
「うん? 何かしら?」
「ミラさんって、ケモノ耳かしっぽ、持ってたりしますか?」
「………………それ、どういう意味?」
ひやり、冷たい視線を感じて、俺は「すみません、何でもないです」 なんて平謝りしてしまう。
うん、今の聞き方はマズかったな。どう聞いても動物の耳やしっぽを集めていますか? って、普通の考えならば思うよな。
俺的にはケモミミ属性ですか、って聞きたかっただけなんだけどな。気まずい。
その空気を払拭するために、一つ、咳払いして切り出した。
「それよりもよく、こんな暗い森の中を迷わず来られましたね」
「そりゃね、夜目くらい利かなきゃ。それにパズク様の鼻のお陰で、貴方達の居場所は手に取るように解っていたわ」
「ああ、なるほど」
そして、遅れて茂みをがさがさとかき分けて出てきたのは、パズクさん当人だった。
……と、その背に背負われているソアラさん。ぐったりとして見えたその様子に、俺は慌ててエンマの背中から飛び降りようとした。
「心配要らない。……眠っているだけですから」
俺の事が見えているのか、そうでないのか。静かな声がそう告げて、俺を押し止めた。
「……え? 寝てる?」
こんな時に? 随分と……その、緊張感の欠片もないもんだな、なんて。
まるで俺の内心でも見透かしたかのように、パズクさんはあからさまに不快をあらわにしていた。
「巫女の力は、対象との心の会話が必要ですから。神に祈り力を行使するために、心と神経をすり減らします。それが解らない凡人共ほど欲目でソアラを見てくれるので、私が彼女の手となり足となり、盾であり矛になる」
お解り頂けますか。なんて淡々とたずれられて、その気迫に頷かせられた。
……って、パズクさんめっちゃ喋ってるよ?!
誰だよ、このヒトお飾りかしら、なんて考えたやつ!
俺だよ!
………………。こほん。
それにしても、え? 巫女様って本当にカミサマに通じているんだ。信じていなかった……と言えばまさにそうなんだけど、びっくりだよ。
この場合、八百万の神様の一人に語りかけるのか? 疲れを癒すの? お風呂で接待?
……まあ、何でもいいや。
ソアラさんが何かしらカミサマにお願いしたから辺り一帯が森になったのだ、と、そこには納得がいった。いや、超常現象に違いはないが、魔術がある世界で何を言ってんだよ、って感じだよな。
これだけ大規模に土地の改変が出来てしまうんだ。巫女の力って、計り知れないな……。そりゃ、勘違いもしたくもなる。
けどさ?
「あの、これだけ広範囲にその……影響出していたら、余計にここにいるって言ってるようなものじゃないですか?」
「……ええ。でも、もう見つかってたんです。ならば、貴殿方を守ると同時に、足止めもするのが手っ取り早い。ソアラがそう決めたのであれば、私はそれを助けるまで」
え? 見つかってる……?
なんか、地方の町や村のヒト達に行かないでほしいって言われているにしては、些か事が大きくないか? 気のせい?
「えーと、エクラクティスはどうしました? あいつも来る、みたいなこと、言ってませんでしたっけ?」
ちぐはぐさを感じながら尋ねれば、それにはミラさんが答えてくれた。
「あのギルドマスターは別件で動いてくれるようで、ここには来ないわ。代わりに、貴方達と共にここから離れるよう言われているわ」
「あ……そうです、か…………」
ああ、解った。
このヒト達、また俺に大切なことを伏せたまま、何かをしようとしてるんじゃないだろうか。そうでなければ、ただの村人に追っかけ回されたくらいでギルマス動かしたり、とっておき使ったりしないだろうよ。
問い詰めても……多分、教えてくれないんだろうな。
疎外感半端ない。まあ、いいけどさ。
そもそもタクシー運転手に対して、事細かに事情話す奴なんていないもんな。
そうだ、そうだ。開き直るもんね。
「ならば、行きましょうか」
「ええ」
「頼みました」
ソアラさんが目を覚ますのを待っている場合でもなくて、俺らは早急にエンマに乗り込んだ。まあ、待つ意味もないしな。
出来るだけ森を騒がせないように、エンマは飛び上がる。上昇気流に揺られた一帯の木々が、俺らが飛び立った場所を中心に風が広がって行き、さわさわとざわめいた。
樹高よりもずっと高く、雲の下に高度を取ると、見渡す限りの大地が大森林へと化けていた。最早、丘というか森林地帯だよ。
緑の野山なんて、久しぶりに見た。こっちの世界じゃ、ただの岩山なんて当たり前だったから、なつかしさすら感じてしまう。……山の絵を書くなら青や茶色が基本、だもんな。
日が落ちた後ですら、俺らが隠れていた場所からエクラクティスのいる街の灯火くらいは見えていた。だというのに、今ではここまで飛び上がらないと見えないんだもんな。
これがカミサマの力なのか。認めざるを得ない。
そりゃ、勘違いの一つや二つ、起こっても不思議ではないなあ、なんて、今更実感した。
勘違い……。
今更思い出して、なんだかへこむ。
うん、そうさ、仕方ないんだ。よくあることだ。うん。
自分に降りかかった『勘違い』を思い出して打ちひしがれてなんかないんだからな。
エクラクティスは揉み消しって言っていたが、そんなこと出来るとは思えない。
……ああ、この仕事終わったら新しい拠点、探さないと…………はあ。
ぼんやりと考えながら大森林を眺めていたら、不意に、首筋に芋虫でも這ったような、もぞもぞとした感覚があった。無意識に軽く首筋を叩いて、あれ、と首を傾げる。
少しだけ、叩いた拍子にひりひりとするばかりで、何かがいる訳でもなく。気のせいか? と神経質な自分に苦笑してしまう。
――――と、その時だった。
まるで引力のように、立木の上に佇む姿が目に留まった。
月明かりの森から浮かび上がっているかのような、その姿に。男なのか女なのか、それすらもさっぱり解らない、その姿に。
そのヒトはとてもじゃないが、手の届かない眼下にいた。
実際指のように細くて小さな小さなシルエットだった。だと言うのに、確かに目が合ったような気がした。
引き込まれる、と言うのだろうか。何故か、その人物の感情や表情が、まるでカメラのピントが合っていくように、俺の中で鮮明に捉えられるようになっていく感覚があった。
そして極めつけに、にんまりと嗤われたのが解り、理解した瞬間にはぶわりと全身鳥肌が立った。
感じたのは、食われる、という恐怖。
でも、目を反らそうにも、引き付けられたままの視線を外すことが出来なかった。
じわじわと侵食されているような嫌な感覚に、俺の力では抗う事が出来ない、そう感じた。息が、詰まる。
「――――兄ちゃん!」
「……っ、あ……?」
不意に、ぐいっと強く引かれた腕にハッとして、俺は隣に目を向けた。心配そうなラズが、こちらを覗きこんでいた。
今のは一体、なんなんだ?
その表情をぼんやりと眺めていると、早鐘のような心音と何度も短く繰り返している呼吸に気がついた。
そんなにも、恐怖と緊張を感じていたのか。なんて、自嘲気味笑ってしまう。
一つ、二つ深く息を吸うと、漸く気持ちも落ち着いてきた。にじみ出てきた脂汗が気持ち悪くて、襟で首もとを乱雑に拭った。
「大丈夫? 顔、真っ青だよ」
「…………あ、悪い。助かったよ、ラズ」
口からぽん、と、出た言葉。『助かったよ』 なんて、自分でも驚いた。
本当は、心配してくれてありがとうってお礼を言おうとしたにも関わらず、先にそれが出ていた。
ヤバかった。本能が、そう言ったのだ。
もう一度、恐る恐る振り返ると、そこには既に誰もいなかった。あの姿がなんだったのか、結局解らずじまいになってしまった。怖い。けど、同時にホッとしてしまった。
これが幸先の不安にならなければ、それでいい。
ああ。いいとも。
知らぬが仏。薮蛇はごめんだ。
…………なんというかさ、ホント、厄災の気配しかしないんだけど。ソアラさん達が絡んでくると。
とにかく早く、目的地に向かおうと思う。




