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飛竜と義弟の放浪記 -Kicked out of the House-  作者: ひつじ雲/草伽
三章 ドラゴンタクシーの日常
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飛竜の渓のワイバン .2

 

 白。


 ホワイトアウトした視界は、一メートル先すらも見通せなかった。そしてたっぷりと湿り気を含んだ霧は、まだそれほどこの中を進んでいないというのに、もう、髪がしんなりとしてきている。重みを増してきた前髪を払えば、滴となって落ちてきた。

 うーわ、まさかの霧でびちょびちょだよ。びっくりだよ。


 聴覚は常に滝の音と、耳元で唸る風の音以外には、エンマの羽ばたく音くらいしか聞こえない。ばさり、同じく湿気を吸って重々しく振るう音がする度に、巻きおこった風圧に白が揺らいでいる。濃淡が混ざりあって、渦巻いているのが解る。


 ゴーグルが欲しいな……。加湿されまくった目や肌はきっと、スチームで手入れしたみたいにしっとり艶々だろう。女性におすすめ!

 ……なんて、馬鹿なことを言っている場合ではない。このまま気温に下がられると、風邪の一つや二つを引きそうだ。地味に寒い。ぺったりと張り付いてくる髪が邪魔。



 そんな調子で渓谷の底につこうとした時、その異変は起こった。


「お、わ?!」


 ぐらりと、危なっかしく揺れたのはエンマの身体だった。どうした? と、具合を聞くよりも先に、がくん! という衝撃と共に、エンマが地に足を着いたのが解った。ぐっと、エンマがうめいたのが解る。

 それから飛んでいた勢いを殺しきれずに、倒れこんでしまう。御者台から放り出されなかっただけ、マシというものか。


 いやいや! そんな事よりも!!


「エンマ?!」


 慌ててその背から飛び降りて、その表情を覗き込む。いや、俺がどれだけエンマ(ワイバン)の表情読めるのかって、そんなことは差し置いてだな。あからさまに調子が悪い事くらい、いつも一緒にいるんだ。それくらい解る。

 返ってくる声が弱々しい。


「エンマ、怪我はないか? 足は? 翼は?」


 どうにか少しでも情報を得ようと思って、ぐるりと一周回り込んだ。


 地面に植物があって助かった。不時着時の外傷そのものは軽そうでほっとする。

 ただ今度は、それらが解ったからと言って、何が出来るのかって話になる訳だ。俺に出来る事はないかって尋ねても、エンマはうなって蹲ろうとするばかりで答えてくれそうにない。



「兄ちゃん……変だよ、ここ。気持ち悪い」


 遅れてついてきたラズは、不安そうに服の裾をつかんで辺りを見回している。

 エンマだけでなく、ラズも何かしらの異変は感じているようなのだ。けど俺には霧以外にはさっぱり、不快なものは感じられなくて戸惑う。


「どんな風にだ? エンマはなんて?」

「この渓底、誰かの凄い濃い魔力であふれてるよ。多分、この前会ったヒトの……。それでエンマみたいに飛竜が寄ってこれないようにしてるんだと思う」

「誰かの、魔力……?」


 言われて確かに、何となく魔術がここで使われたんだなあなんて感覚はある。辛うじて奴隷魔法のみが使える程度の俺でもそれが解るんだ。多分、ラズ達にしてみれば、かなりのものだろう。



 直ぐに浮かんだのは、ここに招いたというあの青紫。夜空の天幕があった場所だけ、魔力の残渣(ざんさ)が酷かったっけ。

 ……あいつが何か、やっているのか? いや、断言するにはまだ早い。


「エンマ、動けそうか?」

「無茶言わないで、兄ちゃん。視界が回ってて、とてもじゃないけど動かせないよ」

「そんなに……」


 返ってきたラズの言葉に、それが解らない俺には何とも言えない。ここで指をくわえているだけで、早く良くなるといいね、なんて無責任はまっぴらだ。


 都合のいいことに、また、例の手のりニワトリが脇目も振らずに霧の向こうへと向かっている。ここでじっとしていても、事態は好転しない。

 ならば。


「ラズ、お前はエンマとここにいろ」

「でも兄ちゃん!」


 きっぱりと言い切れば、非難がましい表情が食ってかかってきた。


「動けないエンマを、ひとりにさせる訳にはいかないだろ?」


 しっかりと、目線を合わせてそうやって言ってやっても、目の前の表情は納得出来ないと言わんばかりだ。つい、苦笑をこぼしてしまう。


「大丈夫、無茶はしないさ。ちょっと、休めそうなところを探してくるから」

「そんな事言って兄ちゃん、無茶するよね?」

「絶対しないって。やばそうならすぐ引き返してくる。エンマも辛そうだし、動ける俺が行くのが一番だ。そうだろう?」


 あの手この手でラズを言いくるめているのは、いつもの事だけれど、今回なんて、いつもより余程危険は低いと思うんだ。人なんて居ないし、生き物の類いもからっきし見られない。多分、それほどに酷く体調を崩してしまうような濃度なのだろう。



 魔術の残渣だとか、魔力の濃さだとか。一体何の話だよって、感じだよな。

 俺はこの通り、魔術についてはさっぱりなもんで、あんまり詳しい事は言えない。ただ、この世界には魔術があって、それを行使するためには魔術式と魔力が必要だ。


 魔術式は文字通り、魔術を使うにあたり行使する道筋を示したもの。魔力はエネルギーだ。例えるならば、電化製品と電気の関係。

 ――――あれ、余計に解りにくかったか? ま、いいや。



 魔術の残渣は魔術を使った後の名残。それはどんな些細な魔術を使っても残るし、使われたものが巨大であればあるほど強く、残る。……と、聞く。悪かったな、生憎俺にはよく解らない感覚なんだよ!


 まあ、残渣は兎に角、強すぎる魔術の名残が不快に感じる代物。触れて気持ちのいいものではない。あれだ、ガラスや黒板を全力で引っ掻いた後の余韻、みたいな。耳の奥にへばりつくように残る余韻のせい、みたいな。

 …………うん、我ながら酷い例えだ。



 現実逃避はさておき。


「ならさ」


 え? なんで現実逃避かって?

 ……ずっと、ラズがこちらを真っ直ぐに見上げていたんだよ。それ自体はよくある事だけどさ? こんなにも真剣な表情をしていたから、つい、嫌な予感に逃避を始めた訳よ。


 次に来る展開を考えることを拒否。

 そんな気持ちもむなしく、ぐったりとしなだれているエンマの下に、潜り込む我が義弟。

 えっとー? まさかと思うけど…………?


「僕が××××××を背負ってくよ。これなら、兄ちゃん一人で行かせなくて済むでしょう?」


 得意気な表情に俺は唖然。ウチの弟は何処まで物語の主人公(ヒーロー)キメ込めば気がすむんだ? 俺が三枚目以下の立ち位置過ぎて泣けてくる。



 あれ、こういうの『食われた』って言うのかな? ほら、舞台とか芝居でさ、主人公でないちょい役がさ、観客の目をみーんな奪っちまうやつ。

 俺今、確かに『俺が先に安全そうなところ探してくるから、怪我人連れたお前らはゆっくりきてくれ』 なーんて、俺の背中について来い! をアピールする美味しい役演じたと思ったのに。


 だったら俺がエンマを背負えばいいだろうって?

 無茶言うなって! 無理だから! 流石に!

 仮にも『女の子』に言っていいセリフじゃねぇけど、身体の構造上、圧倒的にエンマの方が筋肉量も骨密度もあるから!



 あれ? でもこれ、よくよく考えたら真っ先に消える奴のパターン?

 ホラー映画なら鉄板中の鉄板なフラグのような?


 もう、いの一番に忽然と消えて、中盤ごろに悲惨な血みどろ死体になって出てくるやつ……的な?


 あ……はは。………うん、ここは大人しく、ラズに頑張ってもらうしかないかな。

 流石に血みどろ死体は嫌だ。死ぬならさっくり綺麗に死にたい。



 …………いや、そうじゃなくて! なんで死ぬ前提の話になってるの?!


 ここが渓谷の底で、加えてどこかしら水まで流れているような場所で良かったと、心から思った。

 そうでなければ――――。例えばこの真っ白な視界で、ただっ広い場所に放り込まれたとするぞ? だとしたら、迷うこと筆頭。酷くすればおんなじところをぐるぐる回る、なんてこともあったかもしれない。


 その点、ここはおおよそ一本道だ。かつての大河の跡をたどれば、少々手のりニワトリを見失っても、追跡は十分に可能だった。水の音は、ずっと先から響いてきているのだと知る。


 ゆったりの歩調でラズに合わせてやれば、まるで朝もやに包まれる湖畔でも散策しているかのようだ。



 場違いにも程がある想像をしている内に、そびえる絶壁がドーム状に天井となっていった。巨大な岩に、長い時間をかけて水が大穴を開けていったような。そんな、打ち寄せられた波に削られたような、幾重にも連なる岩場に出た。

 ごうごうと唸る水の音が強くなる。感覚から、対岸に水が落ちているのだろう。


 気が付いたら、俺らは河岸を歩いていた。ここまで来て初めて、先ほどまで一寸先も()で全く見通せなかった視界も、数十メートル先まで見える程度に薄らいだ。 お陰で漸く見えた景色は正に、静かな湖畔。そんな印象が深い。



 音だけだった水面をのぞき込めば、底まで透き通る程に透明な水だった。ぽこぽこと揺らいでいるのは、きっと、ここでもこんこんと水が湧き出しているからだろう。島を縦断するあの連山からの水だと考えれば、不思議はない。


 つい、飲んでみたいな。なーんて思ってしまったが、危ない危ない!

 雪解け地下水だったとしても、飲んでいい訳ではない。生水、ダメ。危険。



 給水を諦めて、長閑とも言える景色の中を歩くこと数十分。……多分、数十分だと思うけど、何分太陽なんて出ていなくてな? まだ空が明るい、以外の時間感覚なんてものはさっぱりなんだ。


 ま、そんな事はどうでもよくてだ。

 不意に霧の向こうから聞こえた話し声らしきものに、俺は固まった。


「兄ちゃん……?」

「静かに」


 誰もいないと思っていた場所で、話し声。びっくり通り越して、混乱した。それも、一人や二人ではない。少なくとも、三人以上はいるような、そんな感じ。


 別に、何か悪いことをしている訳でもないのにさ。何故か慌ててしまった。

 こっそり音を立てないようにだけ気を付けて、岩場の影に駆け込んだ俺は悪くない。ラズにはすっごい不審な顔されてしまったけどな。


 場所が場所だけに、人と出くわす事ですら怖く思えた。こんな霧の中でこそこそ話している奴等が善人かどうか? なーんてアンケートを取ればもう、即座に否と答えが出ると思うんだ。

 特に今はぐったりしたままのエンマがいるんだ。手荒な事に遭遇したくない。だから。


「こっちは身動きが取りづらい。そんな時に襲ってこられても嫌だろ?」

「………………うん、そうだね」


 今度こそは、納得してくれる。

 たださ。「でも」 なんて続けられたラズの言葉に、俺はまたやらかしたことを思い知らされる。


「あのニワトリ、行っちゃうよ? よかったの?」

「あっ……!」



 気がついた頃には、時既に遅し。暫しのタイムラグの後、「なんだこいつ?!」 なんて、驚きに満ちた声が聞こえてきた。

 同時に、「コケェッ!?」 と、驚いているらしい断末魔が聞こえた。


 あー……コケスケ七号…………(俺命名)。お前の活躍は忘れないからな。



 先案内だったあいつ、先方に捕まったらしい。もー、どんだけ間抜けなの。

 ただ、その登場にあちらさんも一気に緊張感が増したのが解った。

 聞けば、口々に上がるワイバンと玉子。そして、この地の守人。騒ぎになればなるほど、その守人に見つかりやすくなり、そして返り討ちにされかねない、と。


 それ、おんなじこと俺らにも言えるんですけど。怖い、ヤダ。さっきの会話で粗方相手が解った。だからこそ、怖い。



 どうやら彼らはワイバンの巣から玉子や生まれたばかりの子供を(さら)ってくる専門職らしい事が解った。うーん、このタイミングでの遭遇は好ましくないよなあ。


 思われるとしたら、運が良ければ同業者。でも、多分倒しておくべきライバルか、迷いこんだカモが関の山だろう。いや、後者の方が確率としては高い。

 こちらとら、エンマが動けなくてラズがそれにかかりっきりな今、俺しかまともに動ける奴がいない事になる。


 あれ? これ、マジで死亡フラグかも?

 困ったな。コケスケを当てにするのであれば、あいつらの向かう方向にこそ、俺らも用があるっていうのにな。

 

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