飛竜の渓のワイバン .1
誰かさんがくれる、腹パン目覚ましの朝は身体が痛い。
言うまでもなく打撲のせいだ。腹いせに事の原因はしっかりとベットから蹴り落としてやった。三日に一度はこれだ。勘弁してほしい。
宿屋《黄色の蝮》の絶品朝食に舌鼓を打ちつつ、これからの予定に俺は思い馳せていた。
とりあえず、食べ終わったら荷物まとめて部屋引き払わないと、だ。
宿屋の女将に暫く戻らないから引き払いたいんだという旨を伝えれば、何故か物凄く心配された。俺が貧弱だからって、さ。
…………またそれ言うのかよ! いい加減しつこいぞ!?
まあ、またこの街に戻ってきた頃にはお世話になるんだ。波風は立てねぇよ。
荷物は全部エンマの背中へ。ラズと共に、人目のつかない街の外れで待機してもらう。
夜逃げみたい? 俺もそう思うよ。
……違うけどな! 違うからな!! 単に親父殿が怖――――いや、止そう。なんでもない。
一人で向かったのはイクスカーロンの店だ。
全く。朝っぱらから酒場に行くだなんて、どんな飲んだくれだよ。我ながらカッコが悪い。
店の方がそもそも開いているのかどうか、なんて心配ご無用。客が少ないから一日中開けているって、前に奴が言っていた。ホント、よくもまあ潰れないよ。
あれみたいだよな。客がいるのか解らないけれど、街の中を毎日軽トラで走っている竿竹屋。商売が成り立っているのか、本当に不思議でならない筆頭だと思うんだ。
それはさておき。
一本入った通りにあるその扉を開ければ、りんっと来訪を知らせるベルが小さく鳴った。うん、やっぱり開いてただろ? しかも、驚かされた。珍しいことに、客が入っている!
隅っこのテーブル席で、むっさい冒険者風なおっさん達三人組が、頭を寄せあって何やらぼそぼそとしゃべっている。正直、滅茶苦茶怪しい。
イクスカーロンを見やれば、さっさとこっち来いと視線で訴えられてしまう。俺はそれに、すごすごと従う他にない。
それにしても……うん。珍しい事もあるもんだ。
それは、向こうも思った事のようで。
「どうした、ディオ。朝っぱらから来るなんて珍しいじゃないか」
中身は違うが俺とおんなじ事言ってらー、なんて。なんか笑えてくる。
「いやさ、昨晩の事で話聞きたくってさ」
「なんだ? 覚えてないのか?」
腹くくってそう切り出してやれば、すっとんきょうな声が返ってきた。うん、まあ、いいんだ。間違っちゃいないから、いいんだ。
恥を忍んで、俺は更に聞く。
「あのさ、昨日俺って玉子の事でイクスカーロンに愚痴ったよな?」
「ああ、そうだな。それかどうかしたか?」
「あの後俺、どうやって宿屋まで帰ってのかなあ……、なんて」
「はあ?! 覚えてないのかよ! ちゃんと自力で帰ってたじゃねぇか」
うーわ、マジか。無意識かー、怖い。飲みすぎ?
なんて思っていたら。イクスカーロンには酔ってないように見えたのになあ、なんて言われる始末。
……うん、なんかこう、こいつにそう言われるのはなんだか不本意だ。解せぬぞ。
「それでお前、行くんじゃないのか? のんびりしていて大丈夫か?」
畳み掛けるように言われたことに、今度は俺が首をかしげる番だった。
「え、なにそれ」
「昨日の兄ちゃんと話していたじゃないか」
……えーと? どうしよう。全く記憶にない、ぞ?
くっ、背に腹は変えられない!
「俺さ、そいつとなんて話してた?」
「何って……飛竜の渓がどうこうだったか」
「ええ? 飛竜の渓?」
飛竜の渓。この大陸の南側、中央を分断する山脈よりも手前に広がっていて、文字通り飛竜が生息している広大な渓谷だ。
何があるかって、エンマのようなワイバンの主だった生息地。断崖絶壁がどこまでも続く渓谷だ。そして人間慣れしていないワイバンはテリトリーに敏感だから、普通のヒトは近づかない場所。
え? どんな普通じゃないやつが近づくんだって?
そりゃ、需要の為にワイバンの子供や玉子を手に入れようって奴、あるいは実力を試したいとち狂った馬鹿くらいか。
「……なんでまたそんな所に?」
「俺に聞くなよ」
「目の前で話してたのに、なんで聞いてないんだよ!」
使えねー! なんて思っていたら、呆れ顔が返ってくる。
「ヒトに聞かれたくないからって、テーブル席に移ったのは何処の誰だ? ――――って、本当に覚えていないのかよ」
「うっ……」
ぐうの音も出ない。正に、そんな想いだ。反論の余地、なし。
だが、まあ。約束していたって言うならば、行くだけ行ってみるのもいいだろう。
どうせ、シャラさんにはこの街を暫くあけるって伝えてあるから、ここでの仕事は今日からはない。その為に、宿も引き払った訳だし。丁度いいかな。
「とりあえず、確かめる為にも行ってみるよ。飛竜の渓」
「ああ、そうしな」
「暫く来ないと思うけど、また来るまで潰れんなよ?」
「はっ! 余計なお世話だ。ほら、酔っぱらわない内にさっさと行きな」
「うっせ。じゃーな」
暫しの別れに軽口叩いてみただけなのに、的確に痛い点突いてきやがる。
そうなんだよなあ。ここで何も飲まずに素面でいられるのも、そう長くない。悔しいけれど、俺はイクスカーロンに従って、店を出ていくのだった。
それにしても、飛竜の渓か。
確か、渓流の魚が脂のってて意外と旨いって聞いたことがあるな……。
うん? 真剣に考えているように見せかけて、食べ物の話かよって?
うっせぇな。自分の記憶になくてイクスカーロンの証言一つの、不確かな情報で赴くほど、俺の腰は軽くないんだよ。
まあ、どちらにしてもかの街に居座るって選択肢はないんだけどな。親父殿のほとぼりが冷めないことには。怖いし。……ははっ。
…………うん、早く行こう。悪寒が……風邪かな?
うん。きっとそうだ。
* * *
と、言うわけで来ちゃったぜ飛竜の渓!
なーんて、エンマに乗ればひょいひょいって移動できる感じが、前世の交通手段と似ている部分があるなあ、なんて染々思う。
だってほら、ここのヒトの為の交通機関、最速で馬だから。馬。隣の町に行くためには駿馬を乗り換えて捨て換え駆って何日。なんて世界よ?
ワイバンに乗って最速で移動しようなんてやつ居――――ないことも、ないけど、まずそれだけの速さで飛ぶってことはあり得ないからな。大体貨物を大量に乗せているから、普通は飛竜の最速なんて出す機会はない。
我ながら、いい商売見つけたものだ。
じゃなくて。
眼下に広がるのは、まるで天然迷路のような、あるいは蟻の巣のような複雑な道筋を描く、えぐれ切った絶壁だ。今もなお豊かな水源であるここは、何処からともなくごうごうと水の流れる音が聞こえてくる。
そう。音は聞こえてくるだけ。
水の実態が見えないくらいに、底が見えない深い渓だ。霧状に舞い上がる水しぶきが渓底を隠してしまっているせいでもある。
そしてその水しぶきの霧は、あたりに水の恩恵を与えているのだろう。切り立った崖であるにも関わらず、低木や草本類が絶壁の所々に青々と生い茂っていた。それほどに水が多い証拠だ。
音しか聞こえない渓って、ちょっと、ゲームのBGMっぽいなーなんて、一人でにやけたのは内緒だ。
例えるならば、そう。グランドキャニオンに来たときの感動って、きっとこれに似ているのだろう。
行ったことねぇけど。
でも、写真で見た景色に似ていると思う。
頭上を見上げれば、霧は全くと言っていいほどない。よく晴れている。
遠くの空には、灰色に霞んでいる連山のシルエットが見てとれた。まるで知らない土地に立ったような感覚すらあるけれども、ここもやっぱり、島の一部なんだなあなんて実感する。
エンマには一度渓谷の天辺に降りてもらって、俺とラズはその深い崖をのぞき見た。やはり、水の落ちる音以外は何も様子が解らない。
きっと、ここから落ちれば走馬灯が三回は見られるのではないだろうか。
……いや、縁起でもない。やめよう。
同時に、ぐるる、と、頭をすりつけて甘えてくるエンマに、いつもと様子が違うような気がした。
やめろよー、落ちるだろー。高いところでふざけるのは止めろって。……なんて冗談なんか言っている場合ではなく。どこかそわそわとしていて、辺りを見回している。落ち着かない、というのが正しいか。
ラズもそれは察しているようで、落ち着かせるようにその身体を撫でてやりながらこちらに顔を向けた。
「兄ちゃん、そのヒトとはどこで会おうって話していたの?」
聞かれて困った。つい勢いで来てしまったけれども、こんなにも広い渓谷でどうやってヒトと会えばいいのやら。
「エンマがね? あんまりここに長居したくないって」
言われるまでもなく、解ってるよ。――――とは思えども、言う訳にはいかなかった。こんなところでしょうもない反論してもな。
「やっぱり、ヒトに育てられたエンマは野生のワイバンにとって、攻撃対象なのか」
「それもあるかもしれないけど……。狙われるから、だよね?」
可能性を訪ねれば、ラズは気まずそうに視線を流した。伺っているのはエンマ。途端、エンマがものすっごく嫌そうに唸っていた。
「ああ……歓迎されないって事か」
「そうじゃなくて、兄ちゃん。つがいとして狙われるんだよ」
「は?」
今『つがい』、つった? 番?
誰が? エンマが?
…………あっれー? もしかして適齢期、ってやつ?
もしかしてさ。俺らといる事で、エンマの『女の幸せ』的なものを奪っていたり、する……のか?
いやでも、狙われる事を嫌がっているくらいだから、望んでいない、ってことで、いいんだよな? いいんだよな?! 俺、その辺よく解んないぞ?!
うん。この話掘り下げるのは、希望がちゃんと入っているか解らないパンドラの箱を開けるようなものだ。止めておこう。
「大丈夫だよ、××××××。望んでもいない奴が寄ってきても、僕や兄ちゃんが守るから」
保身に走る俺とは違って、マジでヒーローだよな、我が義弟は。でもさ、そこに俺を数に入れないで。無理だから。
いや、確かに何処の馬の骨――――いや、竜の骨? とも解らない奴に、ウチの可愛い姉御は渡さねぇよ?
とんでもない舅たちが出てきちゃったよって? 知ってる!
ウチの娘が欲しければ、我が屍を越えて行け! そんな思いだ。
けどさ。本格的な戦闘になったとき、俺が役に立つのか? って、思う訳よ。
答えは否! 恋の壁になってやりたいのは山々だけど、無理だよ。イチコロだよ。瞬殺だよ。
むしろ、竜種族の大乱闘に一般ピープルな俺を巻き込まないで欲しい! 切に!
しゃーない。尋ね人は直ぐに見つかりそうもないし、引き上げるとするか。エンマの為にも、今はそれがベストだろう。
「ラズ、エンマ。折角だけどで――――」
なんて、思っていた時だった。
とことことことこ、と。俺らの前をわざとらしく横切る姿がそこにあった。とにかく目を引く。
首を前後に揺らし、鶏冠を震わせている、手のりサイズのその姿。……なんか、すっごく見覚えがあるのだが。
そいつはとことことそのままの調子で崖の方に向かっていくと、あっさりと崖から落ちやがった。「こけーっ!!」 なんて断末魔に、それまで気がついてなかったらしいラズやエンマがびくりと身体をすくませていた。
おいこら、今の何ね? 俺はどうリアクション取るのが正解だったのか、誰か教えてくれ。
と、思っていたら。
また、とことこと、歩いてくる姿があった。さっきと同じ、手のりサイズのそれ。
そしてまた、崖から落っこちる。断末魔が絶壁に木霊する。
エグいからやめてくれ。
けど、まあ、何となく意図は解った。頭が痛い。
「……エンマ、もう少し付き合ってもらってもいいか?」
訪ねれば、ラズには複雑な表情で頷き返された。まあ、気持ちは解らないでもない。
エンマは? なんて見れば、はいはい行くんでしょう? と言わんばかりに、背中に乗れよと体制を下げてくれた。うん、ほんと、カッコイイ姉御だと思うよ。俺にもその男前さが三パーセントでもあれば良かったんだけどなぁ……なんて。
あ、無理無理。俺ヘタレだから。
知ってる、自覚してる。
直そうとしないのかって? 出来るものなら直したいが、前世から引きずる往年の日本人気質捨てない事には、改善されないと思うんだ、こればっかりは。
そうこうしている間にも、五匹目の手のりニワトリが崖から落ちた。あーもう、やめろよ趣味悪い!
ふわりとエンマは俺らを乗せて、濃霧に包まれた渓谷の底に向かって突っ込んでいった。しっとりとした空気が、次第にその密度を増しているのが解る。
先に待つのはあの、『夜明けの空』なのだろうか? まあ、行けば解るだろう。後で絶対文句言ってやる。
……先に落ちていた筈の姿は、落下中、一度も見ることはなかった。
からかっているんだろうな。そうに違いない。




