本当の善人なら、見て見ぬフリなんてしねぇよ .6
レトルバに手招かれた部屋に入ると、そこにラズ達の姿はなかった。なんでも、マーセの御し方をイーサが張り切ってラズと深月君に教えているんだ、とかなんとか。
ああ、ラズとイーサ。あれから何だかんだ喧嘩しながらも、深月君に間持たれている内に、少しは打ち解けたみたいだった。今ではなんだか楽しそうに遊んでいる。
正直、深月君含めて子供が戯れているようにしか見えねぇけどな。
ただ俺は、先の事もあってむすっとして部屋に入れば、真っ先にレトルバに笑われた。
「どうした、ディオ。さっきまであんなにご機嫌そうだったのに」
「……レトルバ、必要最低限の躾くらいちゃんとしておけ。手に負えない」
疲れたように言い返せば、「あ~……あれか」 なんて、苦笑いされる。
「あいつ、何を言っていた?」
聞かれて反射のように、食って掛かろうとした。でも、即座にバカらしく思えて、開いた口をただ閉じる。
「……別に」
「自分は周りに陥れられたから助けて欲しいって、言われたんだろ?」
……って、知ってるのかよ! だったらわざわざ聞かないでくれよ!
なんて思っても、内心に留めておく。
無視して用意されていた桶の水で手を洗っていたら、「まあ、間違ってはいないんだなあ、これが」 なんて、レトルバの声色が小バカにしたもの変わった。
「残念なことに、あの女が奴隷の仲間入りしたのは、ディオ達のいるあの街の一つ前のところで、だ。つまり、一週間も経ってない、訳」
「は?」
「ちなみに借金を負わせたのは俺たち。つっても、先にふっかけてきたのはあの女、だけどな」
「はあ?!」
「掛け金は互いの命。あの女が勝てばこのキャラバン丸々プラス俺らをくれてやる。どうやらイーサの容姿がお気に召したようでね。大層熱心に賭けをしようって口説いていたよ。んで、俺らが勝てば女は一億、俺らにぽーんとお支払い。ま、そんな金もなくて当然奴隷落ちだけどな。ただ、それだけの賭けだ」
く、く、く、と喉の奥で笑うそいつは心底楽しそうで。物言いたげな顔をした俺を見て笑った。
「自分の身がかかってる賭けなんて、ヒリヒリし過ぎて愉しいだろう?」
なんて同意を求めてきた。露骨に眉を潜めた俺は、悪くない。
「……俺にはわかんねぇわ」
「ま、だろうな。真面目ちゃんのディオに、そんなことは期待してねぇよ」
「さよけ」
くつくつと身体を震わせて笑っているレトルバは、ついには堪えきれなくなって、ぶふっ、と、盛大に吹き出した。
「いやあ、傑作だったぜ?! 俺らにカードで賭けを挑んでくるんだ。どんな素晴らしいイカサマ使ってくるかと思えば、てんで素人! しかも何をとち狂ったか、イーサを膝に乗せてくれる親切仕様! もう、何やっても手札筒抜け!
どこぞのお偉いさんの愛人だとかなんとか、金だけはそこそこ持っていたが、巻き上げに巻き上げてやれば、あっという間に都落ち! 文無しになった時点でやめりゃあいいのに、挙げ句その身まで賭けました、とさ」
「お前それさ、わるいな、とか思わない訳?」
「はっ、ぜーんぜん? むしろディオ、お前思ったのか? 俺はそっちの方が驚きだ」
「まさか」
とんでもない事言うのは止せ。つい、嫌な顔をしてしまえば、この笑い上戸はまた腹を抱えたままにやりと笑う。
「あの女、まだ自分がお偉いさんの愛人のつもりのようでな? 自分の我が儘がまだ通ると思っているらしいからさ。いつ、その事実に気がつくか、また俺とイーサは賭けているって訳。じゃなきゃさっさと捌いてるさ。ま! その様子じゃ、俺の勝ち逃げだなあ。く、く、く……」
わー……。こいつ最低だわー。
「お前さ、今すーげぇ悪い顔している自覚、ある?」
「俺が悪人なのは今更だよ。だから緩和材のイーサがいるんだろう?」
「…………見た目だけなら。あいつも思考はお前と同じようなもんだろ」
「ま、そりゃ相棒だからな。互いの食い扶持は互いで支えて稼ぐもんさ。ほら、冷めない内に飲みな。リーベン地方の茶はお前、好きだっただろう?」
「……おう」
勧められるままに、香り高い湯気の立つカップに口をつける。仄かに香るお茶の甘み。掃除はてんでさっぱりだったが、流石にこういうおもてなし的な事の方は得意らしい。
ま、何せ場合によっちゃあ、お貴族様も相手するからな。必然的に作法も身に付くか。お貴族様はどうでもいいところ煩いから。
茶葉も上物、文句ない。苛ついていた思いも、少しは和らいだ気がした。
俺らがのんびりと寛いでいる内に、窓から見える景色に街をぐるりと囲う、黒っぽい塀が見えるようになってきた。
この塀、別に街の防御性能の為にある訳じゃない。じゃあ、何か?
……はっきり言おう、脱走奴隷を逃がさないようにするための物だ。そうでなけりゃ、普通、外に付ける筈のネズミ返しやネズミ落としなんて、塀の内側に付けないだろ。
怖いよなぁ、全く。
「奴隷行商レ・イーだにゃ。今日はお客さま三名と、オークション他に卸しに来た奴隷達にゃ」
外から聞こえてきたそんなイーサの大声。ここまで聞こえてくるなんて、どんだけだよ。
対して相手の低くぼそぼそとした声は曖昧で。「ありがとにゃー♪」 なんて大きな声がしたことで、無事に関所を通過したのだと知る。
……あいつ声、でかすぎでしょ。
通り抜けていく関所に遮られて、部屋の中がうっすら陰る。途中、窓から武装している屈強な兵士が見えて、物々しい関所の様子に無意識に息を詰めていた。
……ああ、いつもながらここのそれは苦手だ。いくら奴隷を逃がさない為とはいえ、仰々し過ぎやしないだろうか。
奴隷達にとってこの街に留まるという事ほど、終身刑を言い渡されるような思いをする場所もあるまい。前々から、そう思う。
街の全てがまるで要塞。どこもかしこも石造りの建物は黒っぽく塗られている。そのように塗られている理由は、建物に傷を着ければ一発で解るからだ、とかなんとか。隙間なく敷かれている石畳は穴を掘っての逃走防止、だとかなんとか。
……いやはやホント、監獄だわ。
遠目に見える、場違いのようなテントの屋根が通りの向こうから見えて来た。ほとんど黒一色のこの街では、一際異彩を放っている。あそこが今回の目的地である、奴隷のオークション会場だ。
はあ、この後の事を思うと気が重い。
「そうだディオ、今後の予定、解っているよな?」
思い出したようにこちらに尋ねてくるレトルバの言葉が、これほど鬱陶しいと思ったことはかつてない。
「…………ああ」
「頼むよ、ホント。お前だけが頼りだから」
「溜め息しかでねぇ」
しぶしぶ頷いたものの、正直気は乗らない。
今後の予定。簡潔に言おう。俺は今回、イーサ達の超個人的な理由でごねられて連られたのだったと発覚した。
「そう言うなって、ヒトを口説くのお前、得意だろう?」
「語弊がある言い方はやめろよ、くそったれ」
「そう拗ねるなって。玉子売りが来るのは今だけなんだ。この時期逃すと、次来るのはいつになるのかわからないんだ。だから――――」
「……解ってる」
そう、玉子売り。
確かにオークションに出品、っていうのもこいつらの目的でもある。けれどそれ以上に、この時期にだけふらりと現れる『魔女』と呼ばれている奴が売る、『魔女の玉子』なーんてすっげぇ怪しい代物を手に入れたくて、無茶を承知で同乗させたらしい。
なんで俺がかって、その『魔女』はどうも品物売る奴を滅茶苦茶選ぶらしい。だから心身捻じ曲がったレトルバや、外見詐欺のイーサが行くよりかは、幾分か心証のいい俺に白羽の矢が立ったそうだ。
そうならそうって、正直先に言えよって感じだ。
「だから、俺がそれに行ってやる変わりに深月君の事、ちゃんと危害のないように見てくれるって約束、忘れんなよ」
そう、それでこの約束。
ぶっちゃけ俺が心配しなくても、俺より深月君の方が圧倒的に腕は立つ。
……けど、彼は散々騙されやすい事が解っている。こんな街では尚更心配。せめて俺が側にいれば、腕っぷし云々差し置いて、舌戦ならば多少は立つ。騙されないように、注意してあげられる。
だから、ちゃんと見てやってくれと、お願いした。
我ながら過保護なことやってる自覚はある。けど、ここの害意っつーのはほんとに度が過ぎているんだ。マジで。
「大丈夫だ。その為にイーサにはべったりくっついていてもらってるんだ。それよりも、お前の飛竜の方はいいのか?」
「ならレトルバ、試してみれば?」
「……いや、遠慮するよ。ただでさえ、お前を連れ回そうとしてるって言っただけで殺されそうなのに」
「ははっ、解ってんじゃん。頑張って俺を守ってね? まあラズがいるから大丈夫だろうけど」
にっこり笑ってそう言ってやれば、珍しくレトルバがぶるりと身震いしていた。まあ、いざと言う時に何が起こるのか、想像したのだろう。
雑念を振り払うように頭を振って、ひょいと肩を竦めている。
「はいはい。変わりにしっかり交渉頼みますよ、っと」
さあて、気を引き締めて行きますかね。
* * *
「それじゃあ行ってくるから、エンマ」
馬車はオークション会場の指定場所に停められ、イーサやレトルバ達は荷下ろしをしている。
その間、俺はエンマのいる荷台にお邪魔して、主に一方的に事情を話していた。心配そうに見つめ返されて、不満のように、喉の奥で唸っている。
多分、またお留守番かって、怒っているんだろうなあ。反省がない、って、言われていそうだ。ラズ曰く、今回はラズも連れていくようだからギリギリ許すと、妥協してくれたらしい。
ホント、俺らの姉御には頭が上がらない。
そこまでするくらいなら、断ればいいだろうって?
うーん、まあ、そうなんだけどさ。実は俺も、興味が有るんだわ。その、玉子売りの魔女ってやつ。
その魔女が売るのは確かに玉子なんだけど、そこから生まれるのは生き物だけじゃないんだとか、何とか。どんなものなのか見てみたいな、っていう、ただの傍迷惑な好奇心故に、だ。
「ディオ、行くぞ」
「ああ、すぐ行く」
レトルバの声に急かされて、既に荷下ろしが終わったことを知る。イーサがにゃーにゃー嬉しそうに、深月君に説明している声が聞こえてくる。
「エンマ、すぐに戻るから」
もう一度言えば、エンマも諦めてくれたらしい。渋々鼻先で俺を押し出すと、不貞腐れたように丸まっていた。つい、笑ってしまったのは仕方あるまい。
パタリ、と、向こうの方で尻尾を振っていた姿に苦笑をこぼし、「行ってくる」 なんて、今一度声をかけて荷台を降りた。
「イーサ達はもう会場入りした。俺らもいいか?」
「ああ」
同時に、待ちわびていたらしいレトルバとラズ、それから、先の噂の女に迎えられて驚く。そいつは騒ぐどころか、レトルバに怯えているようにすら見えて、つい、眉をひそめてしまった。
「行こうか」
それに目敏く気が付いているだろうに、レトルバは喉の奥で笑うだけで踵を返した。遅れないように、慌ててレトルバを追う彼女の姿に疑問を感じえない。
あいつ、また何か彼女に言ったのか? 知らねぇけど。
「兄ちゃん、行こ」
「おう」
うっすらと曇ってきた空は、この後の暗示だろうか? あんまりいい予感のしない幸先に構わず、俺はラズに手を引かれるまま、レトルバ達の後を追っていった。




