ありふれた俺の日常は奴隷によって変わる.4
その朝は、昨日よりも早いくらいに目が覚めた。窓の外を見れば夜明けよりも随分前だ。
俺のやる気も自然と膨らむ。
さあ、今日はやるべき事が山積みだ。寝ている場合なんかじゃない。
いつもより軽く感じる足取りで身仕度すれば、朝飯前の日課よりも前に動き出す。向かうのは、昨日遅くまでお邪魔していた別館の彼のいる独房だ。親父殿の言葉を覆す為の下準備は、入念にやっておいて損なことは何もない。
今にもスキップの一つや二つ踏んでも可笑しくないくらい、足取りは軽い。途中、早起きして当番を請け負わされてる奴隷たちには、挨拶の他に意外なものを見たと言わんばかりの顔をされた。
いや、俺がご機嫌だとそんなに変かね? 解せぬ。
しかしそんな周りの目なんてものは、今の俺には些細なことだ。自然と早まる足取りに、今までこんなにも必死に物事を考えたことあっただろうかと疑問に感じてしまうほど、自身の計画に胸が高鳴る。柄にもなく、やる気に満ちているのが自分でも解る。
誰かの命をたやすく手折るなんて間違っている。それが前世の倫理観やただの俺のエゴだとしても、貫ぬいて初めて解ってもらえるのではないだろうか。
親父殿は有言実行の人だ。
殺処分といえば必ずそうするが、再更生でも手を打つと言えば、やりさえすれば必ずそうしてくれる。俺の努力一つで変わることが確約されているなら、やらない手はない。
自分の中に、まだ何かに対してこんなにも頑張れる情熱があったのかと驚くくらいだ。それくらい、今の俺はやる気に満ちている。
別館に入ると、まっすぐに彼の独房に向かった。昨日の今日で心境に変化が起こってなければいいのだけれど……。なんて、考える必要のない心配までもしてみる。我ながら、バカみたいに考えが忙しない。
一人、期待と不安に焦るのもここまで。後少しでたどり着くと言う時になって初めて、向こうから来る姿に気がついた。程なくして退屈そうに歩いてくるそいつも、俺の姿に気がついたらしい。にやっと不敵に笑われて、嫌な予感を感じ得ない。
「おはよう、ディオ。ご機嫌だね~?」
「カミュ……なんでお前がそっちから来るんだ?」
挨拶もそこそこに、何もよりも先に出た第一声。
疑問に思わない訳がなかった。何故ならその先には、こいつにとって『周りを仕付けるための道具』でしかない、彼がいるだけなのだから。
俺の反応があまりにも予想通りだったのだろう。吹き出すのを堪えているような、にやけた口元を握ったこぶしで隠そうとしていた。いや、隠す気なんてそもそもないのだろう。
「嫌だねえ、ディオ。そんな怖い顔しないでくれる~?」
くっくっく、と喉を鳴らす様はかなりイラッとする。
カミュは俺の心情になんて興味はないようで、笑うことを止めようとせずに斜に構えた。どうせこの次に来る言葉なんて、目に見えている。
「俺は、君がちゃんと事実を教えてあげたのかなって思って、わざわざ足を運んだに過ぎないんだよ? だって君、そういう話題をストレートに伝えるの苦手でしょう?」
ほらな。
「ああ、そう。せっかくだからありがとう」
「どういたしまして?」
皮肉って言ってやったというのに、笑われてこちらだけが釈然としないのはなんでだろうか。気持ちの余裕っぷりに、妙に悔しさを感じてしまう。
「心配してもらわなくとも、ちゃんとそれらを話した上で殺処分なんてさせないって、彼と決めた。だから余計なことはしないでくれ。頼みごとがあればこちらから言うから」
「はいはい、それじゃあ俺は失礼するよ? 君の分まで他の商品を面倒見なくちゃいけないからねえ」
「その心配もいらないさ。お前に迷惑はかけるつもりはない。時間までに俺も通常業務に戻るからな」
「そう? ふうん、そう! じゃあ期待しているよ。精々頑張って~?」
俺のあからさまな態度も全く気にしていないらしい、カミュのいつもの薄ら笑いにイラっとせずにはいられない。カミュは行く手を阻む俺をひらりとかわすと、颯爽と去っていった。その背中を、睨み付けて見送る。
「そうそ、夜明けまであと二十分もないからねえ」
ふと足を止めたかと思うと、背中越しに残していくのは余計な一言。引き留めていたのはそちらの癖に、そういうところは抜け目ない。
心底では、俺のあがきなんて無駄だとせせら笑っているに違いない。絶対に事は覆らないと思っているのだろう。それが何よりも腹が立つが、だからこそ火の灯りはじめたこの感情が、酸素を得て薪を得て、爆発的に燃えるそのタイミングを伺っているのだと思う。
今日はその布石。あいつの驚く顔、絶対に拝んでやる。
……いつまでもあんな奴の事なんてを気にしている場合じゃない。急いで彼の待つ独房へと向かえば、昨日と変わらない様子で彼はそこにいた。
俺の姿を見つけた彼が、心なしかほっとしてように見えたのは、俺の都合のいい解釈だろうか? まあ、いい。
「おはよう、ラズ。よく眠れたかな」
「おはよう! お兄ちゃん」
返ってきた声は至って元気そのもので。今までの不貞腐れて反発していた彼は嘘か幻、あるいは別人のような錯覚をしてしまうほどに、屈託のない表情がそこにはあった。そのことに驚かずにはいられないが、きっといい兆候なのだ。周りに賛同者がいないからこそ、彼の心境の変化を大事にしていきたい。
「早速だけどいいかな? 今日の予定」
「うん」
独房の鍵はどこの部屋も基本的にかかっていない。鍵をかけているのは厨房や倉庫、別館の出入り口くらい。出入り口で手招けば、とことこと素直に従ってくれる。こちらにやって来た姿に目線を合わせて屈んだ。
「当番制の仕事はさ、もうすでにラズは弾かれてしまっているんだ。だからそれ以外をいくつか見繕って来た。ひとりでやり切れるか解らないけれど、そこはしっかり指示を出す。他の従業員に見せつけないといけないから俺は手伝えないけれど、いいかな?」
「うん、平気。何すればいい?」
「ありがとうな。朝一で悪いんだけど、手始めに厨房の裏手で薪を割ってくれるかな」
「薪割り?」
数ある雑務の中でも、みんなが嫌煙しがちなこれ。斧は重いし全身運動でしんどいし、そのくせにうまく割れなくて時間ばっかりがかかって、成果が出にくいせいで皆がやりたがらないこの仕事。
慣れとコツがあるらしいが……俺にも無理だ。残念ながら。斧がブレてしまって、まともに振り下ろす事すら出来ない。
……ああ、間違いなく俺の体力は、うちの奴隷達にも劣ると思う。
悲しい事に。ああ、悲しい事に。
大事な事だから二回言った。別にっ、悲観なんてしてねぇさ!
定期的に強制で、しかも大量に人員を割いてやらせているが、何せ薪は毎日使うものだ。それでもしょっちゅうなくなるし、あって損はない。
それを彼ひとりにやらせるなんて正直俺も、自分のチョイスを疑いたくなる。なんという無茶振りをさせようとしているんだって。
――――でも、さ。
ヒトの考えを覆してこちらの意見を通そうとしているんだ。それぐらいの役回りこなさないと、説得力が付いてこない。
だからこそのこの提案。正直、普通の感覚持っている奴ならば、嫌な顔の一つくらいしても文句は言えないところなのだけれど……。
「うん、解った」
彼はしっかりと頷いてくれて、俺は心底ほっとした。それぐらい切羽詰まっていることが、どうやら彼にも通じてくれたらしい。
……ああ、普通に考えたら奴隷の立場で嫌な顔が出来る筈がないなんて、そんなことは気にしないとも。この際それは、考えない事にしておこう。うん。
「もし、他の奴に何か別のものをやれって言われたらさ、出来る事なら進んで引き受けて欲しい。あからさまに無理な事言われるようであれば、俺に他を捨て置いても薪割り全部やれって言われたって、言ってくれればいいからさ」
「うん……。兄ちゃんの為にも僕、頑張るからね!」
「ん? ああ、頼むよ」
普段の俺なら絶対に言わないであろう言葉で指示しているって自覚はもちろんある。だけれども、返ってきた言葉が何よりも頼もしい。張り切った様子が有り難い。
彼の頑張りがきちんと実を結ぶように、俺も働きかけなくてはと、改めて思う。
時は有限。こうして喋っている時間も惜しい。故に、俺らは早速場所を移した。
道中、従業員はもちろん奴隷たちがこちらを見る目は、そろいも揃って奇異なものを見るようだった。理由は解らなくもない。あの〈ヤナ〉が、首輪で引きずり倒しても体罰を与えてもてこでも言う事聞こうとしてこなかった〈ヤナ〉が、俺の後を大人しく付いているなんて眉唾ものだったのだろう。
多分、何も知らなければ俺も驚いていた。
薪割り仕事を選んだ理由はいくつかある。
別館の中でも中庭の外れに薪割り場があるとはいえ、ここは何よりも厨房に近い。俺が朝の日課をこなしている間は薪割りの音くらいしか聞こえないだろうが、厨房からならばしっかりとその姿を見ることができる。
……つまり、ヒト通りの多い中庭と俺の潜伏場所と、二つの要因から一番都合がよかったのがこれだった。最悪、何かあっても、すぐに駆けつけてやれる距離でもあるのが最大の決め手だ。
「それじゃあラズ、みんなの様子見てきたら戻って来るから。それまで、ひとりでやっててもらえるか?」
尋ねれば、こくりと頷かれる。
周りにしゃべっている所を見られたくないのか。だとしたら、深く言及するところではない。
じゃあ後でね。なんて声をかけた時も、〈ヤナ〉が不満そうにする様子はなかった。それどころか任せてくれと言わんばかりに、山のように積まれた、薪には大きすぎる切られただけの状態で放置された乾燥木に向き直ってくれる。
この様子で仕事してくれれば、悪いようにならない気がして嬉しい。
中庭には既に、ちらほら他の当番請け負っている奴隷たちが出てきていた。俺が彼から離れるのを待っていたかのように、挨拶してくる者や駆け寄って来る者がいた。
彼らは何か聞きたそうにしているが、〈レイト〉のようにそれを恐る恐るでも聞いて来る者はいない。どうした? なんてこちらから聞いてみても、揃いも揃って首を横に振るので思わず苦笑してしまった。
問いがないのに答える言葉もない。それじゃあ皆頑張ってね、なんて。周り含めて声をかけていた俺の言葉が、白々しくなかったことを願うしかない。
当番を持っていない奴隷たちを見る為にも、俺は別館へと向かって行った。
「あれ? 本当に来たんだねえ」
建物に入っていくや否や、そんな驚いた様子の声にムッとさせられた。
「来ちゃ悪かったか? そっちに迷惑はかけないって、言っただろ」
「うん、そうだねえ~」
俺の反応が如何にも予想通りと言わんばかりに、くすりと笑う。かと思えば、遠くの方に意識を飛ばすように、カミュは視線を流していた。
耳を澄ませて聞こえて来たのは、中庭から聞こえてくる農作業に勤しむ奴隷たちの声と、たん! っという、斧と木が叩きつけられた時の小気味良い音。こいつにしては珍しく「へえ」 と感嘆の声を上げた。
「どうやら手始めにお仕事させる事出来たんだね、おめでとう~」
「そりゃどうも。俺とてやる時はやる男だって、解ってもらえるかよ」
「あはははははははっ! 何それ? 面白いね~」
言われた相手がこいつだというのにうれしくってつい、そんな事を口にしてしまう。けれど、あしらわれるように笑われてしまって、天狗になっていた俺が一人で何だか恥ずかしい。誤魔化すように咳払いしてしまったのは、不可抗力だ。
「く……ほら、さっさと行くぞ。ただでさえ予定、詰まっているんだからな」
ここは早々に、朝の日課をこなすよう仕向けるべきなのだろう。そう思ってさっさと廊下をよぎっていけば、遅れて長身もついて来る。嫌味ったらしい溜め息が聞こえてきて、次の言葉が予測出来て渋面する。
「ああうん、そうだね。君が遊んでいるから遅れそうだよ。今日はただでさえ、新しい商品の搬入があるんだからねえ」
ほら、な。だから俺の口も、自然と悪くなっていくんだ。
「はいはい、遊んでいて悪かったな。代わりが俺の分も働いてくれるみたいで、とても嬉しく思うよ」
「やれやれ、口ばっかりはいっぱしで、可愛くないねえ君って奴はさ」
「野郎に可愛げを求めるお前に驚愕するっつの」
「ほら、そういうところ。全く、ルディスもよくこのままにさせたよね?」
「うっさいな。誰のせいだ誰の。黙って仕事しろよ」
「はいはい。君に言われなくとも、俺はいつだって店の為に動いているよ」
「あ、そ。なら、黙ってそうしてくれよ、鬱陶しい」
お馴染みのやり取りだが、今日だけはこんな事ですら楽しく思えたから不思議だ。