《番外編》 蟷螂之斧.2 *
「スクロイ……まさか君が来ていたなんて……」
誰かが本当にいると思っていないで声をかけたのか、それとも俺の醜態にさすがのこいつも驚いたのか。戸惑ったような、相手が俺だった事に恐れを感じているような。そんな風に聞こえた。
そう言えば、まともにこうして互いを見たのも、本当に久しぶりのような気がした。
ただ気まずさも手伝って、そいつを見ていられたのも一瞬の事だった。こいつに対しての今までの仕打ちが、親父たちの姿と重なって、また吐き気がこみ上げる。
「でぃ……ぅっ……!」
せめてこいつの前でだけは、せめてまともに話す間だけは。その後に、どれだけこいつにやり返されてもいいから、きちんと話はつけておきたかった。
ただ、それが出来そうにないくらい、こみ上げた吐き気は耐えられるものではなくて、また、堪えるように身体を丸める。
だが。
「大丈夫?」
柔らかく背中に触れた手に宥められたのか、誰かに胃をキツく握られていたような感覚が、ふわりと和らぎ驚いた。何が起きたと顔を上げると、苦笑交じりに俺の背中をさするそいつが居て、戸惑わない筈がない。
「スクロイ、兎に角河原に行こう。立てるか?」
こんな状態の俺なんて放っておいて、この森を出ていくことはカンタンな筈だ。第一、俺はこいつに助けられる道理がない。
「っ……! 俺の事なんて放っておけ……! 獣が出てもお前、対処出来ねえだろ! さっさと森を出て、どこかに行けよ!」
引き上げられた腕を振り回して、掴んだ手を離させた。今森の外を目指しておけば、森に棲む獣たちが活発に動きだすよりも、ぎりぎり先に出る事が出来る。
だと言うのに。
「何言ってるの、獣なんてもんと戦えないのは君だって同じじゃないか。こんな状態の君を見つけて放っておくなんて事、出来る筈がないだろう? さ、行こう。俺の肩に掴まって?」
薄がりで、数歩先の見通しも怪しくなっていく中で、こいつがまた苦笑した事だけは、やけにはっきりと伝わって来た。散々汚れ散らした俺に構った様子もなく、自分の肩を潜り込ませて俺の体重を勝手に預かっていくと、一息に立たされた。
こっちだよ、と、村がある方とは違う方に進路を取る。
「ほら、悪いけど俺、あんまり力入らないからさ。スクロイ、出来るだけ自分で歩いてくれるか?」
おかしいだろ。
今の今まで下されて来たこいつの評価と、今の行動が釣り合わない。もしや、なんて思わずにはいられない。
「お前、俺をどうするつもりだよ。今までの仕返しをしてくれても構わないが、それでも何かが解決する訳じゃねえぞ」
もしかしたら、親切に見せかけて俺を殺すつもりなのかもしれないな、と。そんな事をぼんやりと思った。
俺を殺せば『スクロイ』の居場所が残る。あまりにも似ている俺らは、はっきり言って、畑仕事で得た体力以外は区別がつかないだろう。
むしろ、こいつはいつの間にか俺に成りすまして、違和感なく学舎に足を運んでいたくらいだ。そういう手に出ない方が不思議ってもんだ。
だが、俺の『先手』とは裏腹に、そいつはあろう事か吹き出した。
「ええ? 俺がスクロイを殺すなりして、成りすまそうとしているんだろう、って事? いやあ……流石にそのつもりは無いかなあ……。だってほら、俺が戻ってもさ、畑仕事が始まりでもしたらみんな一発で解るよ。第一、あの村に未練なんてないしさ」
くすくすと笑ったそいつは、今までの気味の悪さがウソみたいにはきはきとよく喋った。
「……お前、まさか今まですっとぼけていたのかよ」
「すっとぼけていた、か……。うーん、それはちょっと違うかも」
「は?」
呆れてつい小言を漏らせば、くすくす笑っていた奴が、悩ましそうに片目をつむる。言っている意味が解らなくって、悩ましいのはこっちの方だ。馬鹿野郎が。
「それはどういう――――」
「――――ああ、ほらスクロイ。着いたよ」
問い詰めようとするのと同時に、森の切れ目に差し掛かって薄暗さが少しだけ晴れた。頭上で鬱蒼としていた林冠は切れて、雲の浮かぶ星空が、月の光にぼやかされていた。
さわさわと水の流れるここは、俺らの村以外にも利用する奴の多い唯一の水源だ。森の中からやってくるこの水を独占しようものなら間違いなく、村と村は潰し合いを始めた事だろう。
普段どんな時間に来ても混んでいる筈のここも、こんな日暮れ後に来る奴なんて居やしない。居たとしたら変人か、余程の物好きに違いない。物取りや冒険者の線もありだ。どれにしても、あまり接触したい相手ではない。
固い地面は、森の中とは打って変わって、岩盤がむき出しになって浸食が始まっている。もしかしたら、いつかはここも渓谷になるのかもしれねえな、なんて、得たばかりの知識でぼんやりと思った。
「とりあえず、匂いが染みつく前に上着洗っちゃおう。貸して。スクロイは顔、洗った方がいいよ」
水辺に座らされて開口一番、そんなことを言われてバツが悪い。「ほらほら早く。口の中、気持ち悪いんだろう?」 と急かされてしまっては、悔しくても、こいつに従うしかなかった。
ぼんやりと水辺を覗き込めば、その水面はあまりに黒くて吸い込まれそうに錯覚した。
あいつのお蔭で、一度はあの場所に置いて来た筈の、心苦しい何か。それが、ちくちくと背後から、俺の事を突いている気がして落ち着かない。誤魔化すように、ざばりと思い切り音を立てて、手で水をくみ上げた。
冷たい。でも、じわりと体温を奪っていく冷たさが、今の俺には心地よかった。
無我夢中で、何度も何度も口をすすぐ。
やがて、手ですくうことももどかしくなって、何もかも流れてしまえばいいと願いながら頭を水の中に沈めた。
水の流れるこうこうという音と、耳に蓋をした奥で微かに唸る脈拍が、焦りを少しずつ押し流してくれる気がした。
いつまでもこうしていたい。そうすればその内にでも、先程俺を追い立てた何かも過ぎ去ってくれるのではないか、とすら思えた。
けれども、そうしたくても息が続かない。
「ご……ぷはっ……!」
耐えられなくなって顔を上げると、少し離れた下流にしゃがみこむ姿があった。星空の下では辺りの様子が見えないせいか、余計にそいつの姿が目を引く。
どこか楽しそうに俺の上着を洗う姿を見ていたら、先程から何度も俺を責め立てる憂鬱が、また背中を突いてくる。だからだろう。
「……そんな事今更したって、何の点数稼ぎにもならないぞ」
どうにも詰まらない事をつい、口にしてしまっていた。
しまったと思ったが、そいつの反応は予想と違った。はたと手を止め、こちらに向けられた表情は、面白いものでも見たと言わんばかりだった。それも一瞬の事。また手を動かす。
「うん、そうだな。だからこれは、ただの俺の自己満足。スクロイが気にすることじゃないさ」
ね? と同意を求められたのは不本意だった。そんなの、なんて答えれば良いのか解らない。
誤魔化す言葉も持っていなくて、気まずさにそっぽを向けば、俺をダシにまた、そいつは笑っていた。
「俺さ、ずっと夢の中で生活しているような気分だったんだよね」
「…………何の話だよ」
「すっとぼけてるのかって、君が聞いたんじゃない。とぼけているというよりも、毎日の生活が夢の中みたいだった」
ぽつりと呟いた時、あいつがどんな顔をしていたのかは解らなかった。うつむいた姿は、これでもかと言うほど俺の上着を絞り上げる。
やがてこちらを伺った表情は、さっきから見せる困ったような笑みだった。
「なあ、スクロイ。ずっと昔の事を覚えているのって、やっぱり変だよな」
「ずっと……?」
言っている意味が解らない。
「別に普通だろ。思い出話なんて誰だってする事だろうが」
だから鼻で笑ってやったのに、そいつは困った様子で眉を寄せた。
「生まれる前の事でも?」
「は?」
「だから、生まれる前。ずっとずっと前。俺じゃない誰かだった記憶」
「………………真面目に言ってるのか?」
「あっはは。……ごめん、冗談だよ。村が嫌いだったから、出たかった。それだけさ」
じっとそいつを伺えば、表情がろくに見えなくても俺の視線に耐えられなかったのか、そいつは空を見上げて立ち上がった。ぱんっと広げた上着から、わずかに残っていたしぶきが飛んでくる。それ以外、言葉を発しない。
だからこそ確信する。後者の方が、より嘘だ、と。
でも、ずっと昔の記憶がある事が本当だとしても、それが今日までのこいつの『奇怪』な行動の理由なのかが、その時の俺には判断しきれなかった。だから。
「お前、これからどうするつもりだよ」
話を変えるように、尋ねていた。
それは勿論筒抜けていたいたのだろう。二回、三回と、俺の上着を叩きながら、沈黙を決め込む姿が怖い。
「そうだなぁ……ここが途中になっちゃうのはちょっと惜しいけど、そうも言っていられないし……。一先ずこの村を離れて町に出るよ。運が良ければ、何とかなるだろ」
にっと笑って、あっけらかんと告げる姿は本気なのだろう。きっと、身一つで森に連れられていた筈だろうに、全く気にした様子がなくて、開いた口が塞がらない。
あとは乾かせばいいから、と。差し出された上着をただ、受け取る事しか出来なかった俺の顔は、さぞかし間抜け面晒していた筈だ。
「ああ、そうだスクロイ。その内でいいからさ、ここの整備を村で訴えてみてくれない? 設計図は先生に預かってもらってるから、言えば返してくれるだろ」
不意に、すっかり忘れていたと言わんばかりに、そいつは大袈裟に手を打った。
心当たりに、先生が言っていたのはこれか、と、苦々しく思ってしまう。
「ここの整備、って……どういう事だよ」
「ん? いや、整備は整備だよ。だってここ、ほら、ただの川だろう? 雨に水量左右されるし、水を貯められるようにしたり、村の方まで水を引けたら少しは楽になるとは思わないか?」
何を言ってるの? なんて言わんばかりに首を傾げてくれるが、それは俺のセリフだと思った。
俺よりも頭が切れる癖に、なんでこんなに馬鹿なんだ。こいつは。
「…………お前、ずっとそんなこと考えていたのか?」
「ま、考える時間は嫌って言うほどあったからね」
「嫌味かこの野郎」
「勿論。たまにはいいだろう?」
にやっと笑った姿が、初めて小憎たらしかった。でもそれは、今までずっと抱えていたこいつに対する鬱陶しさとは全く違って、不思議と心地よく思えた程だ。
だから尚更、このまま行かせる訳にいかなくて、懐を探った。
「ディオ」
「うん?」
「やるよ」
大した足しにはならない。それでも、ないよりはマシだと思って、俺の全財産の入った麻の袋を放り投げた。
「でもスクロイ、これ――――」
「いいから。受け取らないなら川に捨てる。整備もやらない」
本当は、写本を買おうと思ってこっそり貯めていた金だ。その目論見は遠退くが、惜しくない。いざとなれば、先生に代案を相談すれば良いだけだ。
受け取れないとか抜かしやがるから、先回りすれば苦々しく眉を寄せられた。もう、その袋は俺のものではないからと、突っぱねれば溜め息をつかれた。
「解った。ありがとう、助かるよ」
諦めたように肩を落とし、自分の懐に袋をしまったそいつは、何を思ったのかまた溜め息をついていた。
「……どうせなら、もっと早く君と打ち解けて置けば良かったなあ」
声の調子を落としてぽつりと呟かれた言葉に、返す言葉なんてない。お前にそれは言われたくねえよって、口に出さなかっただけマシだろう。
「最後に話せてよかった、スクロイ。ありがとうな。気分、どうかな」
改めて顔を上げたそいつは、少々無理矢理ながらも笑った。
この期に及んでまだ俺の事を聞くのかと、呆れて何も言えなかった。ここまで病的なバカだとホント、救いようがない。
「こんな夜中に行くのか」
だから思いっきり無視してやれば、向こうも諦めてひょいと肩を竦めていた。
「暗い方が、今の俺には動きやすいだろ? 村の誰かに見つかったら、今度は森に置いていかれるだけじゃ済まなくなる。……それに、君と一緒にいると迷惑かかるから」
「はあ……。お前って、ほんとバカだよな」
「酷いなあ、そのバカと同じ顔してるくせによくいうよ」
「黙れくそバカ」
無駄口に、いらいらする。
「…………こんな詰まらないところで死ぬな」
「はは、解ってるよ」
兄弟なんて高等なものではなかった。同じ顔をしていたのに、いつだって目障りな他人だった。
でも、あの時は確かに、『こうならなければ』 と思っていた。『こうならなければ』 もしかしたら、設計図や写本でも囲んで、熱く議論でもしていたのかもしれない、と。
それじゃあ、俺は行くね。と。村とは反対に続く小道に足を運ぶ背中を、俺はどのくらいの間見送っていただろう。
あっという間に暗闇の中に消えた姿を、随分と長いことそうして見送っていたような気がしてならない。
……あれから俺も、村に戻ることはしなかった。
その足で、学舎のある町に向かった。
あいつを引き留めてここに来ればとは、思わなかった。確かにその考えは過りもしたが、それは、今更取り戻せる道ではないと解っていたから一人で学舎の門を叩いた。
幸いなことに、遅くまで学舎にいると聞いていた先生が驚きながらも迎えてくれた。それは今でもよく覚えている。
事情を洗いざらい話したら、お前の事を先生は酷く惜しがっていたぞ。まあ、今更知るよしもないか。
勉学に集中したいと願った俺に、先生は出資主をつけてくれた。三人の恩師のお陰で今、こうしていられるなんて、お前は夢にも思っていないんだろうな。
『それより僕としては、とっても驚かされたよ、スクロイ。だって、君と瓜二つの子がいるだなんて思いもしなかったんだから』
『何だかんだ言って気にしていたんだ?』
不意に先ほど言われたばかりのそんな声がよみがえって、かき消すように、羽ペンをインク壺に投げ入れた。面白そうに覗き込んできたあいつらの顔にいらいらする。
グラスに残っていた酒を一気に煽ると、またボトルから並々と注いだ。昼間っから飲むのは止めろと、やる気のない暗殺者は言いそうだが、こんなの、飲んでないとやってやれない。
「チッ……んでよりにもよって尖塔壊したんだあのバカ。経費がかさんで、払えるもんも出ねぇだろうがボケナス」
俺に宛がわれた書斎に、再びガリガリと羽ペンの擦れる音が響く。報酬を正規で計算してやってくれだなんて、出資主の解った上で言ってくれる呑気な言葉もいらいらする。
だがふと、窓先から見えた街の景色に手も止まる。優雅に旋回したあの大きな鳥のような影が、きっとあいつの竜なのだろう。
「…………好き勝手してるみたいで楽しそうじゃねぇか、ディオ」
ふっと、苦笑が漏れたのも仕方ない。乱雑に木の引き出しをあければ、俺に任されている城のもの一式の他に、数少ない私物の箱を取り出した。
「仕方がないから修理費は、お前の先行投資に免じて肩代わりしてやるよ」
出した拍子にじゃらりと音を立てた、巾着の中身は確認する程のものではない。書き上げた書類と巾着を乱雑に掴むと、隣に続く部屋の扉を蹴り開けた。
「おい、セレネ! これをさっさと、あのクソバカの所に届けてこい!」




