ディオ子とラズ美.5
ソアラさんとパズクさんを隠し通路の入り口にて見送った俺らは、特別なにか言葉を発することもなく、エンマの背中に乗り込んだ。
目指すのは、前方に広がる城塞に囲まれた巨大都市だ。いよいよ大勝負に出るのだと思うと、緊張せずにはいられない。
俺は、先方を警戒させない為にも関所から数十メートル先にエンマを下ろし、手綱を引いた。関所は常に有人のようで、オレンジ色の光がちらついている。
俺の隣を歩くのは、シャラさんだ。交渉は、彼女が行ってくれるそうだ。
「もし、夜分遅くに申し訳ありません」
「ああん? 誰だ、こんな夜中に」
答えてくれたのは、関所内に三人ほどいた番兵さんの一人。夜番の番兵さんは、何とも不機嫌のようだ。目付きだって山賊か何かと見間違うほど悪い。
まあ、それもそうだろう。只でさえ人が寝静まった頃の番だ。自分だけ眠れないのは、相当フラストレーションも溜まる事だろうよ。
ただ、随分と酒盛りしていたらしい。室内から漂ってくる酒の匂いが気持ち悪い。アルコールの匂いに、誰か吐瀉ったんじゃないかって疑いたくなるような酸いた臭い。
どんな安酒飲んだらそんな匂いが染み付くんだ?
そんな番兵さん達を逆なでしないようにする為に、シャラさんは微笑み返した。
「夜分遅くに申し訳ありません。わたくし、光と豊穣の巫女様の使いをさせていただいております。シャラと申します。巫女様が巡礼から戻られます。どうか門をお開けください」
「はああぁ?」
じろじろと、不躾にも程があるだろ。シャラさんを上から下まで舐めるように、そして、少し後ろに立つおまけを品定めするかのように見やがった。
にやり、笑う表情は、見ていて何とも見苦しい。汚い。
「悪いなぁねぇちゃん、ここの規則で、日が暮れてからは誰も通しちゃならねぇ決まりなのよ」
「あの、そこをなんとかして頂けないでしょうか?」
「規則は規則でねぇ? ちょいとそこらで、日が昇るのを待ってくれな」
そう言われることは予測がついていただろうに、がっくりと、シャラさんは肩を落として見せていた。
「そうですか……」
それが他二人のおっさん達の苛虐心に触れてしまったのだろう。
「けど、こんな美人達を夜露に濡らすのはもったいねぇなあ」
「おいおいガド! 美人を苛めてやんなって!」
「そーそ、美人は可愛がってやんねぇとなあ?」
「おおっ? いーこと言うじゃねぇかタブロ! いいぜねぇちゃん。お酌してくれんなら、門は開けれねぇが、特別関所経由で入れさせてやるぜ?」
「うおお、それいいな。ついでにその綺麗な身体に新し――――――!」
「――――――!」
「――――――!!」
あーあ。聞くに耐えない。
伏せ字が間に合わなくて申し訳ないな。
こんなことなら、シャラさんにお願いするんじゃなかった。
深夜番組にも劣る下ネタ。いや、最近はそんなのもやってないのか? 知らねぇけど。
まだ何か言っているこのおっさん達の話を聞く気も失せた俺は、そっとシャラさんの表情を伺った。相変わらず済ました微笑みを浮かべているシャラさん。菩薩のような表情だというのに、その背中には修羅を背負っているかのようだ。
「ディーナさん」
静かに呟かれた声は、おっさん達には届いていない。
ひっと、一瞬息が詰まるかと思ったが、「何?」 と、俺も静かに返す。うん、随分と弱々しい声だった。
「ちょっと、エンマさんたちと席を外して頂いてもよろしいですか?」
「えー……あー、うん。解った。……殺さないであげて、な」
「問題ありません。少々、二度とあのような口を利きたくなくなるように、『躾』をして差し上げるだけですから」
にこりと笑ったままのシャラさんは、今日もとても美しい。けど俺は、そんな笑顔に間違っても、一線越えて余計なことを口にしないようにしようと心に誓った。
「えっとー、それじゃ! また後で」
ぶわっと、脂汗が滲み出る。初めは後退りしていたけれども、エンマの手綱を引っ張って、全力で走った。
俺が動いたのを確認した途端に、シャラさんは『躾』という名の暴挙に出たらしい。
『ぐえっ』とか、『ぎゃっ』とか、耳を塞ぎたくなるような断末魔とか。何が行われているのか想像したくもない悲鳴が、シャラさんが戻ってくるまで俺の背中を追従し続けた。
ひいいいいい!
……これが後に、この地がより宗教国になる原因を担った事件だとかなんとか。煩悩にまみれた者を裁きに現れるという、『白銀の魔女の襲来事件』と、そう呼ばれる事となる。
その白銀の魔女が現れた後には、悟りを開いたものと、とんでもない性癖に目覚めた変態が出るとかなんとか。
まあ、俺の知ったことではない。つーか、何も知らない!
知らない知らない知らない!
さあ、清々しき朝日よ登り給え! 俺は何も聞いていない! 見ていない!
野宿? 喜んでいたします!
* * *
山の向こうで、太陽が登り始めたらしい。東の空が白み始めている。
さあて、一体どうなる事やら。
結局俺らは、エンマの背中で一夜を明かした。特別、寝づらいとは思わなかったけれど、エンマは大して眠れなかった事だろう。……悪いことしちゃったな。
開門されてからいの一番に出直して、俺は驚かされる事となる。
「ああ、おはようございます。通行をご希望ですか?」
きらきらと、輝かんばかりの空気を纏う番兵さんに出迎えられた。
え? どうせ別人だろうって? いやいや、多分……同じ人……。
あれ?! どうだろう? ちょっと自信はない。別人に……見えなくもない。
関所の中にいるのは、三人の番兵さん。
一人はシャラさんの姿を見つけると怯えて部屋の奥へと姿を消した。一人はシャラさんの姿を恍惚とした表情で見返し、一人は……先程言った通りだ。
顔触れも……多分、変わっていない。
「ええ、手続きをお願いしますね」
にっこりシャラさんさんが微笑めば、奥の方から『がたたた! がしゃん、ばたん!』 と、何とも騒がしい音がした。
……えーと、昨日何があったかなんて、思わない方が身のためだろう。
「それでは、私と彼女達運送屋に巫女様の手続きをお願いします」
ふと、番兵さんのその張り付いた笑みが曇る。
「申し訳ありません。ワイバンの入場は許可しかねます」
「はあ?」
それには俺が、異を立てずにはいられなかった。何言っちゃってんの、こいつ。昨日の今日で、頭沸いてる?
「ウチの子の一体何が不服だと言うのですか? 冗談はきちんと選んで言ってもらえます?」
「不服でも冗談でも御座いません。ワイバンはその凶悪な容姿故に、街に混乱を与えます。またそれだけ大きな身体では、往来の妨げになりますのでご遠慮ください」
エンマの身体の大きさが邪魔だ、と。この独活の大木マジでむかつく。エンマのどこがでかくて混乱与えるって?
もぎるぞクソッタレ!
「あ、そう」
くるり、踵を返すと、エンマの元へ向かった。
「ディーナさ――――……」
「シャラさん」
俺が遮り振り返れば、とても驚いているシャラさんがいた。申し訳ないけれど、こればっかりは許す訳にはいかない。
ミラさんまでも、心配そうに下りてきた。
にっこりと、絶対立ってる青筋を誤魔化すように笑って見せる。
「私、てっきり勘違いしていたみたいですね」
「ディーナさん、落ち着いてくださ――――……」
「ええ、落ち着いていますよ? ただ、これだけ立派な街を築いているのですもの。どんなに立派な方が統率しているのかと思えば、飛竜の一匹や二匹で揺らぐような軟弱な街に狭量な兵士。ここを納めている人物もきっと、ご大層に肩書き背負った張りぼて何でしょうね? 国の頭が葦なればその下もスポンジ。そりゃ、聡明な巫女様だって見切りをつけてもおかしくありませんね」
「……お嬢さん、それは我が君主に対しての不敬罪になりますよ?」
「不敬罪? あっはは! どうぞ? お好きに主張なさって? 全くお世話になっていない街のぼんくら領主なんて、どんなにクズの無能と周りが蔑み落とそうが、私には全く関係ないことでしょう? むしろ、貴方達のような使えない愚鈍者を外部ともっとも関わりが出てくる『顔』に置くことすら間違っているのよ。いっそのこと発情したオークにでも番兵やらせた方がまだ、心証よろしかったのではないかしら? 大体昨晩あれだけ失態晒しておきながら、よくもまあぬけぬけと言えるわね? そんなこと。少しはその酒で収縮した空っぽの頭に空気以外の役に立つものでも詰め込んだらどうかしら? いっそのことトコロテンが詰まってた方が、まだまともな判断ができそうよねえ? まあでも、私は運ぶことが仕事。ここまでで申し訳ありませんが、これにて失礼致しますね」
いつのまにか怒らせていた肩を落とし、それでは失礼と、優雅に一礼決めてやった。
あーあー! クソッタレが。ほんと腹が立つ。てめえら何様だっつの!
今度こそ踵を返してやると、何処からともなく忍び笑いが聞こえてきた。
「ぷっ……くくっ……」
堪えきれなくなったらしいその声を探して振り替えると、関所の向こうに如何にも冒険者風な男が額を押さえて肩を震わせていた。榛色のさらりとした髪がその度に揺れて、尖った耳がちらちら見える。……こいつ、エルフか。
普段の俺ならもう少し興味を持って話しかけただろうが、生憎虫の居所が悪い。シャラさんに一瞥をくれるとエンマの元へと戻り行く。
「待って待って、勝ち気なお嬢さん。彼らの無礼は僕が変わりに謝ろう。だから少し、話を聞いてくれるかい?」
あんなに離れていたと言うのに、その声はまるで背後で言われているかのようでゾッと来た。
「っ…………!」
「ディーナさん……!」
振り返り様に肘を張って、背後にあると思われる身体に拳を叩き込もうとするが、腕ごと柔らかく受け止められてしまう。
反射で振り払おうとするも、目の前にあった表情はにこにこしながらも振り払わせない。俺よりも圧倒的に高い目線、ムカツク。
「離して」
「ダメ。そしたら君は、怒ったまま帰ってしまうだろう?」
「それが何か?」
「僕はただ、お嬢さんにそんな思いのまま帰って欲しくはないんだ」
「あ、そ。貴方が気にすることではない」
ああっ! もう! 自分の非力も頭にくる!
全身全霊を込めて振り払おうともがくも、ピクリともしない。
「さて、とー。君たちちょっと、席を外してくれるかな」
俺の苛立ちなんてまるで関係ないと言わんばかりに、そいつは関所のクソッタレどもに声をかけた。すると、それまでテコでも譲ろうとしなかった奴らが、あっさりとそこから姿を引っ込める。
……ああ、俺のこういう軽率な所が冒険者にはなり得ないのだろうな。なんて、頭に登っていた血が少しは冷めてくる。
こいつ、何者なんだ? 今更ながらに警戒してみるが、うん、遅すぎるってのは解っている。
「それで、ミラ? 巫女様はどうしたのかな」
「は?」
番兵どもが居なくなって第一声。エルフの野郎は俺の背後に目を向け宣った。頓狂な声を上げた俺は、悪くない。
「その様子じゃあ、暗殺は完全に失敗したようだね? おかしいと思ったんだ、『巫女様が自ら戻られた』だなんて」
え? 暗殺……?
振り返れば、苦虫を噛み潰したようなミラさん。そして、野郎の肩から向こうを伺えば、シャラさんには申し訳なさそうに目を伏せられた。
おっ、と……? これは一体、どういう展開だ?
目の前のエルフに目を向ければ愉悦に唇を歪ませる姿があり、振り返ればやっぱり苦々しい表情のままのミラさんがいる。
く、く、く、と、エルフは喉を震わせた。
「あーらら、お嬢さんには知らせていなかったんだね」
「貴方にとやかく言われる筋合いはないわ。その子はただ、運ぶことを頼まれただけ。離しなさい」
命令口調のミラさんから、ぴりっとした空気が伝わってくる。つい、生唾を飲み込んだ。
そんな俺を知ってか知らずか、エルフの野郎の左腕に抱き込まれる。
うーわー! 誰かー!
「筋合いはあるよ? 本当は僕の仕事だったんだから。それに、この子は離さない。君達のウィークポイントを、早々に離すと思う?」
ああ……全く。俺は一体何度自分の非力を怨み、妬めばいいのかね?
鍛えていない訳でもないのに。いつまで経っても人並みに自衛する事も出来ない。
悔しい。
「君達が大人しく付いてくると言うのであれば、お嬢さんには危害を加えないよ」
「貴方の言葉が信用出来ると思って?」
「やだねぇ、ミラ。僕は、約束事は守るよ?」
交渉相手は俺以外で、俺は、交渉材料と。……ああ、ほんと、やるせないな。悔しさも、感じる資格がないだなんて。
ふと、顔を上げれば心配そうにこちらを見ているエンマと目が合う。ラズには、何があっても降りてくるなと言っておいてよかって。俺のせいで負担をかけてやりたくない。
だからこくりと頷いて見せた。頭のいいエンマの事だ。すぐに意味は理解しているだろうに、背中のラズを気にして動けずにいる。
「エンマ、行け!」
そう後押ししてやれば、エンマは一息溜めると力強く飛び立った。風が吹き抜けその身体が浮かび上がっていく。
「あらら、君もなかなかじゃじゃ馬だね」
隣がなんか言いながらエンマの方へ行こうとするから、全力の当て身をかましてやった。結果として余計に抱き抱えられたとしても、あいつらが逃げ仰せることが出来るのであれば文句ない。
「いつまでこんなところで立ち話させるつもり? 連れていくなら、さっさと連れて行けばいいでしょう?」
じろりと睨み付けて言ってやれば、紫の瞳がきょとんとして見返していた。それもすぐに笑みを深くして、顔を上げられる。
「だってさ、ミラ。大人しく来てくれるよね?」
「ディーナさん……」
肩越しに辛うじて見えたシャラさんは、深く溜め息をこぼしている。ミラさんは、諦めたように肩を竦めていた。
「勘違いしないでもらえるかしら、セレネ。遅かれ早かれ行く他になかっただけなのだから」
あ、あれ? 俺、この期に及んで選択肢を間違った、のか……?
「素直じゃないねぇ。まあそこも、君の可愛い所だけれども」
「気色の悪いこと言わないでちょうだい」
なんて、考える間もなく。引きずられるようにして、俺は関所へと連れていかれる。
「ちょっ……離せ! 歩きにくい!」
なんて俺の訴えも空しく。
「離さないって、何度も言っているだろう? 君のお陰でせっかくミラが戻る気になったんだもの。君も少しは諦めて?」
にこにこしながら一刀両断されるのであった。
あああああ! やっぱり俺のせいでミラさんもシャラさんも、身動き取れなくなったんじゃねぇか! 俺のバカ!! 大バカ者!!
二人の足引っ張ってどうするんじゃボケェェェエエ!




