ディオ子とラズ美.4
ぽつり、ぽつりと平野に佇む丸い樹冠の木々を越えて、高低差のある鬱蒼とした断崖の森に見送られる。
空を燃やす太陽は悲しくなるくらいに紅く、次第にその彩度を落としていっている。
……いや、決してコルセットが苦しくて悲しんでいる訳ではない。それほどまでに、太陽が地平線に沈む姿が何だか無性に泣けたんだ。
尾を引く紫は次第に闇に塗りつぶされて、残された空に一等星が忽然と輝いた。
右手に聳えるのは、灼熱の焔をちらつかせているエルド火山。その岩肌を走る赤い光は、今日もそこでマグマが溶岩へと姿を変えているのだろう。
左手に連なるのは、南方に末広がりゆく天嶮の連山。暮れ行くにつれ、黒々とした姿が星空を遮っている。
背後には、ただ広大な大地が広がる。ずいぶん前に通りすぎた街の明かりが、地上に落ちた星のように、ぽつりと光を灯しはじめた。
その光景も、直ぐに、足元に広がる山の影へと隠される。
ここまで来るのに、ノンストップでおおよそ六時間。
あれ? 休憩はどうしたかって? いらないからさっさと山を越えろって、言われた。
いや、もうちょっとオブラートに包んでいたと思うが、まあ、言っている事が同じなら問題あるまい?
後方の座席を伺うと、ブランケットにくるまるミラさんと目があった。てっきり寝ているものだと思ったから、かなり驚かされたのは無理もないだろう。
現にその隣に座っているソアラさんは、ブランケットに埋もれた状態で丸くなっているようだ。おいおい、護衛がそんなでいいの? なんて思ってしまうが、まあ、空の旅の間は俺らが守る。一時くらい気を抜いてもらうのも悪くない筈だ。
さらにその後ろに座る、シャラさんやパズクさんは暗くてよく解んないけど。
ラズ? 舟漕いでいるぞ。俺の隣で。
なんで横にいるかって、専らスカートのせいだ。慣れない格好で動きづらいから、なーんて理由つけて、俺の隣に座りやがった。……はあ、甘やかしすぎただろうか……?
まあ、今はどうしようもないけどさ。
「寒くないですか?」
振り返って訪ねれば、不可解そうに眉をひそめられた。何故。
ただそれも、直ぐに和らぐ。
「……ああ、ええ、大丈夫よ。ありがとう」
はあと溜め息をつく姿に、ひょっとしたら王都に戻ることが憂鬱なのか、なんて邪推をしてしまう。肩書きがあるってのも、大変だな。っていうのも、傍観者だから出る言葉だよな。当人にしてみれば、他人事だと思って! って、怒鳴りたくなる事だろう。
……例えそれが、当人が決めた事だったとしても。
「聞いてもいいでしょうか」
「何……?」
気だるげな声。まあそりゃ、女装しているとはいえ、接し慣れていない俺が話しかければそんな返答も仕方あるまい。まあ、いいや。気にせず聞いちゃえ。
「どうして、教会を出ようと思ったのでしょう。それまでは、巫女として教会に仕えていたのでしょう?」
「それは……」
薄暗闇の中でも、ミラさんが隣の毛玉に顔を向けているのが解った。ソアラさん達が、一枚噛んでいる、と、言うことか?
意を決したのか、視線がこちらに帰ってくる。
「確かに教会に仕えていました。けれどそれは、あくまで目的の為」
「目的の為、ですか」
「……ええ。光と豊穣の巫女の仕事は名前の通り、土地に与える祝福。だと言うのに、王都にある教会に出向き、寄付して、媚びへつらうもの達の為だけに祈祷を捧げるのはおかしくないかしら?」
思わず、絶句してしまった。
「…………成る程」
教会って、そういう場所なの? って事と、ミラさんの考え方に。
「とは言っても、それを口にしたのはソアラ様であって、私は説得されたに過ぎないけれども」
くすり、苦笑を漏らされて、返す言葉を見失う。
「西側の各地を巡ってみて、驚いたわ。王都から離れれば離れるほどに、生き物が住めないような荒野が広がっているんですもの。……私はそれまで、王都に何を見てきたと言うのかしらね」
教会が、どういう体制をとっているのかは解らない。でも少なからず、肩書きと力のある者が、必ずしも生きたいように生きれる場所ではないようだ。
……俺、今まで本当に好き勝手やらせてもらっていたんだなあ、なんて、しみじみ思う。
「その点、東側は良かったわ。街の個々が自立していて、活気があって」
「……そう言って頂けると、何だか嬉しいですね」
つい、はにかんでしまうも、「ただ……」 と続けられた言葉に、黙らされる。
「西側の様子に、貴女は驚くのでしょうね」
………………えーと。そんなに酷い、有り様なのか? なんか不安を煽るようなこと言うの、やめて欲しいところなんだけど。
まあ、でも、今からその事に不安を思っても仕方あるまい。
「安心して。『巫女』の問題に、貴女達を巻き込むことはしないから」
「あ、はは……助かります」
そうは言われても、運送を請け負った時点で、関わりないとは主張できなくなっているんだけどなあ。……なんて、言うことすらも無駄、なんだろな。
「それよりミラさん。テクトアについてからは動くのでしょう? 休んでいた方がいいですよ」
「ありがとう。……でも、眠れないのよ。特に、こんなに生き物の気配する場所では」
「あー……」
それって、ラズやエンマの事ですね? 解ります。
巫女様って、周りの気配にも敏感なのな。
まあ、こればっかりはどうしようもない。慣れろ、とは言えないし。
「いいのよ、貴女は気にしないで。いつもの事だもの」
「……すみません」
他に、言い様がなくてつい、謝ってしまった。俺に責任がある訳でもないのに、謝った事が可笑しかったのだろう。ふふふ、と、隠すこともない笑いが聞こえた。
「おかしなヒト」
「あー……まあ、否定はしないです」
酷い謂れだとは思えなかった。事実だし、反論しようがない。……そもそも女装している時点で十分変人なんだ。全部今更、諦めもついて来る。
* * *
どれくらいの時間が過ぎただろうか。
テクトア。その昔、オアシスの隣につくられた太古の街に、俺らは降り立ったのだ。
かつて王都が『王都』になる前より、二つの街は互いに競いあうようにして発展していたと、聞く。その結果。『王都』は今の王都となり、テクトアは長い年月の間に干上がり、今や廃墟同然だ。
遺跡と言うには石と泥で出来た建物の殆どが正体をなくし、荒野と言うには目線よりも高く残る人工物が目につきすぎる。
常に砂塵の舞い上がるそこは、どうしてここまで土地が干上がるのか不思議なくらいだ。先程まで満天に見えていた星空も、何だか霞んで見える。
「テクトア……。何だか全く知らない島に来てしまったみたいだ…………」
ぽつり、そんな事を呟けば、ずっと起きていたミラさんにくすりと笑われた。
「だから言ったでしょう? 最もここは、王都にオアシスを盗られたせいでこうなってしまっているだけで、他所はここまで酷くなかったわ」
「じゃあ、王都はテクトアを渇かす為だけに?」
「それはどうかしら。たまたま、オアシスの水脈が進路を変えただけかもしれないでしょう?」
「……ああ、なるほと」
まあ、自然相手に言う文句ではないわな。
頭を刷り寄せてきたエンマを撫でながら、ありがとうな、と労る。暫くは休憩させてやれるだろう。ああ、食事も用意してやらないと。
「でぃ、ディーナさん」
エンマの脇に立っていた俺に、漸く目覚めたらしいソアラさんは、おっかなびっくりやってきた。ミラさんは、黙ってソアラさんを迎えている。
うーん。エンマに怯えているのか、俺が男だと知った上でその事に怯えているのか。どちらにしても、まだ慣れてもらえない事に少々傷つく。
……あ、でも、向こうから近づいてもらえるようにはなっているのか! そう考えれば、これは凄い進歩じゃないだろうか?
だとしたら嬉しいな。
「本日中にテクトアについて頂きまして、あ、ありがとうございます! その、それで、ですね。今後の動向について、お話しても、よろしいですか」
緊張した趣のソアラさんに、ついつい苦笑をこぼしてしまう。
「ええ、構いませんよ」
「ありがとう、ございます。まず、なのですが、私とパズクはここで一度別行動を、取らせていただきます」
「別行動?」
「は、はい! すみません」
……えっと、責めている訳でもないのに、謝られてしまった。
「いや、構いませんが……ミラさんの護衛は大丈夫ですか?」
「は、はい! シャラさんにお願いしていますので……。それに、私とパズクは特に、王都で顔が割れています。多分、関所に行けば、一発で見つかってしまうと思うんです」
あー……まあ、冒険者だもんなあ。納得せずには居られない。特にケット・シーとクー・シーなんて、目立つことこの上ないだろう。例えそれが低ランクだったとしても、だ。
王都を出る際も一悶着あったんだろうなあ、なんて光景が、容易に目に浮かぶ。
「あっ! 心配はいりませんよ! 実は、あの王都には、ずっと昔に造られた、関所を通らずに王都に入る方法があるんです。ここに寄って貰ったのも、その為です」
「ええ?! そんなものあって、大丈夫なの? ……ですか?」
ヤバい、ヤバい。びっくりしすぎて危うくいつもの調子に戻るところだった。
っていうか、王都のくせにそんなものあっていいのか?! 二重三重の驚きを慌てて取り繕うも、ソアラさんが気にしている様子はない。
「大丈夫です、大丈夫です! その道は大地が隠していて、誰も知るものはいない、筈なのです。もし、知るものがあったとしても、光と豊穣の巫女様を初めとする、地の声を聞く事が出来る者のみ、だと思います」
わーお、巫女様マジで万能だな。そりゃ、それで一儲けしようなんて輩は囲いこみたくもなりますわ。
「ソアラさんとパズクさんはそうして王都に入るとして……私の方は如何いたします? 空から入りましょうか」
「いいいいえ! そんな事したら射られてしまいますよ! ディーナさん達は、この後正規に関所を通ってくださいな。……多分、朝をそこで待てと、言われてしまうと思うのですが……」
ああ、なるほど。つまり俺たちは囮って訳ね。
巫女を連れてきたから、中に入れてくれ。門限は過ぎているから開けられない。一夜、そこで待て。なーんて間に、向こうはすっかり巫女様を出迎える用意が万全。
でもそうやって俺らの方に目を集めて、その合間にソアラさん達は背後を取る、と。
その後何をするかって、多分、合流を果たした後に『巫女様の志』を悪と唱えている奴を、ふん縛るなり、巫女様の正当性を訴えるなりするのだろう。はてさて、それが上手く行くのかどうか……。
下手したら巫女様、一生教会に首綱ものじゃないだろうか。
うーん、それは……気の毒だけど……。それよりも俺は、自分達の身の方が心配だよ。
ラズもエンマも、危険には晒したくない。俺も、そんな目に合いたくない。
ああ当然! 保身、大事だよ。そういや久しぶりにこれ、言ったな。
だってほら、俺は熱血漢でも感動しいでもないからな。
あくまでお仕事として、彼女達をここまで連れてきた。それ以上でも、それ以下でもない。
いざこざに巻き込まれるのは真っ平ごめんだ。
それに、『巻き込まない』 って、言われている訳だし!
……まあでも、巫女様送ってきただけであれば、そこまで酷い目には合わないだろうよ。
多分。
多分、な。王都の上層に住む奴がどう判断するか、なんて知らねぇけど。
そう、自分を納得させて、解りましたと神妙に頷く。
ああ……頷いた直後からずーんと胃の辺りが重い。やだなぁ、危ない橋を渡るなんて。
「あ……ありがとうございます! ディオ、さん……」
ぱっと微笑んだソアラさんは、恐る恐る、俺の名を口にした。そして俺の手を取って握る。
それには流石の俺も、びっくりした。近寄っただけで全力後退りしていたソアラさんが、自ら触れてくるなんて、と。
当人は、いっぱいいっぱいなのだろう。それが維持できたのは、ほんの数秒だった。
「そそそ、それでは私! 荷物を纏めて来ますので、失礼しますね!」
直後、彼女の姿は脱兎の如く、縄梯子の方へと消えていった。猫なのに。
それをただ、呆然と見送る。ソアラさんはこれほど勇気を出して立ち向かおうとしているのに、俺は。
俺は……。
ただ、ひたすらに。
先程の感触を思い出すかのように、指先をいじる。そこに残るしっとり柔らかな肉球が、しばらく忘れられそうになかった。
「ちょっと、貴女。いつまでそうやって指先いじっているのよ。気持ち悪いわよ」
「う……」
そして、ざっくりと。
夜も更ける中、一部始終を見ていたミラさんに切られて撃沈するのだった。
豆腐メンタルの心を抉られ、ぐうの音も出なかった。




