竜には竜の掟がある.2
「マーヤセレルさん、次に出ても大丈夫ですか?」
「ああ、お願いするよ」
「はい。では出ましょうか」
小一時間の探索を終えて街の外れで待ち、おやっさんと合流する。
いやね、なかなか面白かったよ、竜人の街。
民族的な部分が強いみたいで、色彩豊かな竜鱗の加工品が多く並んでいた。それこそ武器や防具、日頃使える日用品から装飾品まで様々だ。
竜の鱗だ。当然、それから作るものの性能は総じて高い。その分外の街で買おうとするとなかなか手が出にくいものも、ここでは破格と言える値段で手にはいる。だからつい俺も、使うのをためらってしまう竜鱗の鍋を買ってしまった。
いやあ、お買い得感ってやっぱ、購買意欲を刺激させるな。
でも焦げ付かない鍋なら誰だって欲しくなる、よな? しかも竜の鱗製。なんとなく、贅沢な感じもする。わーいわーい!
ただ、竜鱗の加工はそれだけ難しいらしく、細工が凝れば凝るほど数が少なく、値段も上がっていた。装飾品がその代表。装飾品への加工技術を持っているだけで、かなり熟練の職人と言えるらしい。
指先の器用さは勿論、竜鱗の一つ一つにあるクセを見極めて、適切な加工が出来る判断力と技術力がいるそうだ。
おやっさんの店には、確か装飾品、結構あったような気がするから……。実はおやっさん、すごいヒトなのかも……。
それから竜人の切り盛りする酒場は、他所の酒場と大差なかった。昼間にも関わらず、すでに出来上がっている陽気なおっちゃん達に絡まれながら、この街の特産品や噂話、自慢話を滾々と聞かされた。
驚いたことに、絡み酒はしてきても酒そのものを進められることはなかった。最も、カウンターの向こうにずらりと並んでいる酒樽の種類がどれも、ヒューマンが飲むにはキツいだろうとマスターが叱ってくれたのだからありがたい。
いや……勧められても俺、飲まねえんだけど。興味はあるけどな。飲めねえよ。
中でも目を引かれたのは、その名も『竜殺し』の名を持つ強い酒だ。アルコール度数いくつ、なんてよく解んねえが、酒にめっぽう強いと聞く竜人が、数口で酔っぱらう、なんて代物だ。
これこそ本当に俺は飲める訳がないから、完全に宝の持ち腐れ。だが、竜人の街で買った『竜殺し』だなんて、ユーモアに溢れていると思わないか? だからつい、即決で買った。
あれの隣に並べたい。日本の有名(?)な酒、その名も鬼ころ――――げふんげふん。危ない。
『キラー』シリーズ、探してみるか。
それよりもこの、ドラゴンキラー。今度、イクスカーロンに盛ってやろう。この前の仕返しだ。へべれけになっちまえ。情けで戸締まりだけはしてやるよ。
ははっ! どうなるか、今から楽しみだ。
そうこうしている内に時間は過ぎて、余裕を持つ為にも俺らは早めに切り上げ待ち合わせ場所にいた。まあ、早めに来たのはエンマを連れているせいもあって、どこも長く居られなかったって理由もあるけど。お客様を待たせる事にならないからこれはこれでいいと思っている。
つつがなく竜人の街を出発し、山岳地帯へと突入した。後方に目を向ければ、地平線がずっと向こうまで続いている。全く、大した広さだよ。
エンマには奥に行けば行くほど高くなっていくこの山脈を、北寄り――――エルド火山寄りに避けてもらった。この前立ち寄った断崖の森が、右手の向こうの方に広がっているのが良く見える。
と、言うのもだ。南下すればするほど、連なった山頂が雲を突き破るほど高いせいだ。飛行機じゃあるまいし、生身のヒトが雲の上を長時間飛んで大丈夫かって考えたら……まあ、怖くもなる。
山の中を抜けて、乗り越えて。ついでに成層圏もちょっとばかり超えてみて……なんてしていたら、多分、俺が変死を遂げる気がしてならない。それは、流石に嫌だ。
そういう訳で、遠回りにはなってしまうが、北寄りのルートを取って、出来るだけ低い高度で移動できるようにしたって訳だ。
一つ、気になる事がある。というのも、すっかり大人しくなってしまったラズの事だ。
初めは運行中の定位置としている最後尾に座らせていた。でも気がつくと、御者台に背を預けて座っていた。
普段であれば、『後ろに戻れ』 って言っていたところだ。けど、今回ばかりはしゃーないな、なんて、隣に座らせる俺は甘いのだろうか。
「ラズ、そんなところに居ないで、隣に来たらどうだ?」
「…………うん」
全く、こういう時だけはしおらしくしているんだから。可愛げのある我が弟にはホント、手を焼かされる。
ラズを呼んだとき、おやっさんと目があって、にやにやと笑われてしまう。少し不本意。つい眉をひそめてしまったのも、仕方がないだろう。
四個目の山を抜けた頃。高度は上げてない筈なのに、空が随分と低くなってきた気がした。
いや、『空が低くなった』 というよりも、『雲が』だな。
暗い。そして吐く息が白くなってきた。少し、肌寒い。
「マーヤセレルさん、寒くないですか?」
シャラさんから学んだ教訓。あの後俺は、軽くて暖かいブランケットを捜した。お蔭で準備は万全だ。
その逆の、納涼を取るためのものは流石に用意しなかったけどな。……だって、風なんて常に吹いてるし。
そんな事を振り替えって訪ねれば、まるで聞かれるとは思っていなかった、なんて顔された。
「ああ、心配ありがとう。でも大丈夫。おれの心配よりもディオ、君は少なくともちゃんと上着を羽織った方がいい。これからどんどん冷えるぞ」
「そうですか? まあ、確かに少し、肌寒くなってきてなあ、とは思いますけど……。これでも、旅用の外套でそれなりに寒さは凌げー……ない、ですかね?」
「それと同じものがもう一着あるなら、その上から羽織らせる必要がある程度には冷えると思うぞ」
なんてやり取りをしている内に、ちらちらと、視界を横切る白い花弁が頬に触れて解けた。その冷たさに驚かされて空を見上げれば、暗雲をバックにして、沢山の雪が舞い降りてきていた。
「わあー…………雪、かよ」
つい、うんざりとそんな事を呟いてしまう。そりゃ、寒くもなるし、当たり前だよな。
既に俺らの眼下にある、鬱蒼と繁っているらしい森が雪化粧している。今はまだ、エンマの背中も風が気になるほど強くないが、こりゃおやっさんの言う通り寒さに備えた方がいいかもしれない。
「ラズ、手綱を頼むわ。お前はなんか着るか?」
「……僕は大丈夫。いいからディオ兄ちゃん、早く上着着て」
「解った、解った」
そろいもそろって上着を着ろ、と。
思ったことはただ一つ。竜って、温度感覚ないのかね? それとも体温高いのか?
……いや、そんなことない、ような? 膝に乗ってくるラズは、至って子供体温。他のちびっこ奴隷と比べても、目立って高くない気がするけど……。ま、いいや。
六つ目の山を抜けた頃には風があまりに強すぎて、柔らかな雪が鋭利な凶器に変わり始めた。雪と言うか、微細な雹とでも言えばいいのか。
兎に角これ以上この高度のまま飛ぶのは、俺が危ないと思った。真っ白な雪景色に、真っ赤な雪が混ざりかねない。うーん……。それはちょっと、頂けないよな。エグい。
「エンマ、木の高さ程度に高度を下げてくれ」
なんて言っている内に、ぴっと、雪が当たって痛かった。とっくの当に冷えていた頬が、切れたのかと誤解する。指を触れると、触った感覚が辛うじてある程度だ。幸い、切れてはいない。
俺はこんなにスキーやらスノボーやら、ウィンタースポーツを存分に楽しんでしまった時みたいな状態だと言うのに。ラズはいつもと変わらない、マントを着ただけの姿で俺の膝に乗っている。
ああ、隣じゃなくて、膝の上に。
情けない話だが、子供湯タンポ、バカに出来ない。客用膝掛けを、使うわけにもいかないからな。ぬくい。割と本気で子供湯たんぽが手放せなくなりそうだ。
客といえば、おやっさん。残念ながら、俺と感覚を共有して貰えそうにない。むしろ、御者を変わろうか? なんて言われてしまって情けないったらありゃしない。
……っていうか、俺の地方行きへの備えが甘すぎた。なんで雪山行くって解った時点で、熱源を用意しなかったかね? ほんと、バカだ。
「大丈夫か? ディオ。あともう少しだ」
「マーヤセレルさん……いつもこんな所を徒歩で来ているんですか……?」
「ああ、まあ陸路だとここまで吹雪かないから――――って、おいおい! エンマちゃん! 火、吐けるか?! 断続的に頼む!」
凍えながらもそう訪ねれば、焦ったように言うおやっさんの言葉にエンマがドラゴンブレスを吐いた。途端、冷えきった体には熱すぎる熱気が通りすぎる。
ぼふんっ! と。火にあぶられた雪が、一気に蒸発したらしい。真っ白い湯気に、ホワイトアウトだ。まさかこんなところで起こると思っていなかったぞ、水蒸気爆発! ……違うか。
って、いうか、何でドラゴンブレス?
「ディオ、ちったあ自分の体調に目を向けろ! 唇、紫色だぞ!」
ああ、うん。どうやら俺は思っていた以上に凍えていたらしく、肩を捕まれておやっさんに怒られた。そういえば、歯の根が全く噛み合ってない。かたかたかたかた。よくある首降り人形みたいな音を立ててしまっている。ウケる。
…………あちゃー。自覚したところで、止められねえわ。
エンマが断続的に吐く炎に暖められた空気に、少しだけ寒さが和らぐ。
……っていうかエンマお前……、使えたんだな。ドラゴンブレス。
それを聞いたラズもびっくりしたようで、ばっとこちらを振り返り、顔色を真っ青にした。
「兄ちゃ……寒い?」
「え? あー……ま、そだな」
おいおい。それじゃ、どっちが具合悪いかわかんねぇな? なんて。
はは! なんか、可笑しく思えてきた。
そんな事を、思っていたのも束の間。
「××××××急いで! 兄ちゃんには僕が結界張るから!」
ラズには我慢ならなかったようだ。さっさと行けと、ゴーサイン出されました。
急に加速されまして、危うく放り出されるかと思った。ラズを膝に乗っけてて良かった。
同時に俺の膝に座ったまま、ラズは何やら魔力式を展開したらしい。ああ、そういえばラズは魔術の方面も強かったんだっけ、なんてぼんやりと思う。
俺、今回の仕事で、一体何が出来ているんだろうか。鈍る頭でそんな事を思う。
あーああ~、情けない。ホント、役立たずだな、俺。
はあ。
溜め息をついていたら、先程まで吐く息全て凍りついていたと言うのに、今はそれがなくなった。同時に、僅かに露出していた頬や手などの肌を刺す風や雪が、当たらなくなった事に気がつく。
まるでエンマを包むようにして、そこに障壁が出来たように雪も、風も阻まれていた。
「へえ、やるねえ」
ヒュウッ、とおやっさんが称賛の口笛を吹く。
……どうせなら、始めっからそれやって欲しかったな。……なんて思うのは、贅沢だろうか?
「次の山を抜ければ、一先ず吹雪も止む。それまで耐えろよ、ディオ」
「……ああ、解った」
そんな事を言われて、ついぼんやりとしてしまう頭で頷いた。
…………あれ、俺が、この仕事の主人、だよな??
なんて疑問も、寒さに沈む。




