ありふれた俺の日常は奴隷によって変わる.2
〈ヤナ〉の話をしよう。
種族は竜人。ウチの商品の中でも、品物の質としてはかなり高額な部類に入るだろう。
真っ白な肌は透けるように染み一つなく、青みがかった白髪から見えたうなじは同性ながらも神秘的だと思った。変態じゃねえ。
相反するように瞳は赤く、全てが憎いと言わんばかりに、周りを睨み付けていたのを今でも覚えている。……それがなければ、そこらにいる下手な女の子よりも可愛らしい顔立ちだというのに、残念でならないところだ。
容姿はヒューマンと変わらず、俺の腰に届く程度の背丈しかない幼い子供。だが、怒りをあらわにした時に見られた竜紋と呼ばれる紋様があったから、竜人に間違いない。
本来ならば彼の容姿の可愛らしさからも、愛玩用として身形に磨きをかける筈だった。相手の懐で如何に可愛がられるかの為の術を身に付けさせていく筈だった。
だった。……つまりは全て過去形なのだ。
竜人は竜の血を引くという事もあって、幼いながらも誇り高い種族だ。だからだろうか。ウチに連れてこられた当初の彼は、大層荒れていたのは言うまでもない。
思い付く限りの罵詈雑言。それはあっさりと親父殿に奴隷魔術の罰を行使されて、声を封じられていたっけ。
……奴隷魔術はこの世界にある古代魔術の一つ。扱うためには相応の知識と特殊な魔術式が必要である。その力はある意味絶大で、打ち破るには高位の魔術師が何人も必要な代物なのだ。本来ならばとても個人で扱えるものでもない気がするのだが……。
まあ、奴隷の歴史なんて掘るもんじゃねえ。真っ黒過ぎて笑えないから止しておこう。
かく言う俺は、魔術が使えない。魔力が極端に低い事と、魔術を扱うための魔術特性というものがまったくなかったせいだ。……べつに、この世界でそれが珍しいことではなかったから腐ってはいない。
ありがたい事に唯一、一子相伝でもある奴隷魔術は親父殿に文字通り叩き込まれた。でも、本当にそれだけ。
せっかくの異世界なのに、普通の火や水の魔法一つや二つすら使えないなんて、それってどーよ? なんて誰かに問いただしたいところだが、出来ないものは仕方あるまい。
……まあ、折角唯一使えるようになった奴隷魔術そのものも、俺が日和っているせいでほとんど日の目を見ていない。実用性のない魔術なんて、あっても……なあ?
代わりにそのせいで宝の持ち腐れだと、カミュには遠回しに嫌味を言われる。あいつは多分、何でもできるけれどこれだけは持ち合わせていないから。
ただ……まあ、妬まれても正直困る。
話が反れた。今は〈ヤナ〉の話だった。
〈ヤナ〉自身が、奴隷にされた事に納得がいかない気持ちはとても解る。けれども彼をその立場から解放するには、俺の立場が弱すぎる。だからいつも罰されて傷つけられた彼の姿しか見られなくなった。
初め親父殿を含む周りは、どうにかその高すぎるプライドをへし折って、商品に仕立てようと躍起になっていた。それはもう、思いつく限りの体罰と枷を与えて屈服させようとしていた。……思い返すだけでぞっとしない。
俺は当然、見て見ないフリ。加担も反対もしなかった。
何度でも言おう。俺にはどうしようも出来ないのだ、と。
隙あらば脱走、与えられた仕事の放棄。どんな体罰を与えても、彼が諦める事も従順になることもなかった。むしろ反発は強くなるばかり。
いつしか誰もがその調教を諦めて、他の奴隷を仕付けるための捌け口に使われるようになっていた。
勿論、彼の扱いが変わった事にすぐに気がついた。伊達に、毎日奴隷達の様子を見ていない。
ああ。あの体罰に耐えきった彼の精神もなかなか強固というか、頑固と言うか……。そこはホント、尊敬に値する。こいつただものじゃないって他人事ながら感心した。
じゃあ、見兼ねた俺が何をするか? ……答えは特別何もしない。
いや、ねえ? そもそも自分の立場を危うくしてまで奴隷を助けるほど熱血漢でもないし、ヒロイックな精神も持ち合わせていないんだわ、これが。
…………そんな精神は持ち合わせていない。
だけれども、こうも毎日続くと流石に気の毒になってくるもんだ。
だから何度かこっそり傷の手当をしたり、罰で抜かされた食事を与えたりしていた。多分、少なくとも親父殿にはバレているとは思うけれども、今のところ何も言ってこないから好きにさせてもらっている。
……どうせ親父殿の事だ。都合のいい捌け口として〈ヤナ〉の体調の維持が出来ているなら、何も問題ないって思っているんだろうな。
ホント、仕方がないとはいえ、それが解っていて何もしない自分のクソっぷりに反吐が出てくる。
見回り、朝食、出荷予定の奴隷の身支度と、一通りの日課を終えて、ようやく一息ついた。後は親父殿が〈レイト〉をはじめとする幾人ばかりの奴隷を、本日のお客様に引き渡してくれることだろう。
今日の客は上客だ。下手に俺ら一従業員が出て行って客の機嫌を損ねた日には、俺らとて親父殿に半殺しにされること必須だろう。
そんな目に合う危険性があるくらいなら、大人しく俺は別館の方でやることを見つけて息をひそめるさ。早々に昼食の下ごしらえに取り掛かってもいいし、普段奴隷たちがやらない場所の掃除に勤しんでもいい。
「ああ……そういえば」
ふと思い出して、本日もまた打ち捨てられていた姿を探し始めた。出来れば親父殿の目に触れない今の内に、手当くらいはしてやりたい。
それにもし、まだあそこに転がされているのであれば、サボりとしてまたカミュが罰を与えかねないからな。それくらいの回避はしてやらないと、さすがに可哀想だ。
どうやら意識は取り戻したようで、先ほどの場所に彼の姿は見られなかった。だからといって、彼が与えられた当番の仕事をしているとは思えない。
……いや、そもそも日誌上も彼の仕事はここ何日も空白になっている。そろそろマズい。
日誌は俺しか利用していないとはいえ、親父殿には時々奴隷たちの様子や経過を尋ねられる。そのあたりは俺が一番把握しているのを知っているから。あるいは、俺を使えば、親父殿の鞭同様程度に彼らがスムーズに動くことを熟知している。
親父殿が使うのは飴と鞭、のものの例えである鞭ではない。『鞭(物理)』の方であり、都合よく俺が飴役を請け負っている。
そこになんら不満はないのだけれども、情緒不安定になっている奴隷たちのケアもすべて引き受けているのが俺の現状。なので、適度に彼らに働いてくれるように促さないと、俺がシバかれる。それは嫌だ。痛いのは嫌いだ。
カミュには嫌味を言われる。別にいいけど、嫉妬を混ぜられるのは正直鬱陶しい。
〈ヤナ〉は一体どこに向かったのかなあ。なんて考えてみるも、彼が行けるところなんてものは、限られてくる。
ヒト目が多い所に行けば、間違いなく俺ら従業員の耳に動向が入ってくる。それが全くないということは、あまり動いておらず、なおかつ隠れていられる場所。――――該当する心当たりなんて、たかが知れていた。
「〈ヤナ〉?」
声をかけながら開けたのは、植木の多い中庭の片隅にある物置のための掘っ建て小屋の扉だ。
畑仕事に使う資材であるとか、掃除の道具であるとかが雑多に放りこまれている。ひどい扱いを受けている道具の中には、鍬に雑巾がかけられている。
……うーん、ぼちぼちここも片づけてやらないとなあ。
あまりの散らかり具合に溜め息をこぼしていたら、道具に遮られて見通しの効かない小屋の奥の方から、小さく身じろぎしたような、ぎしっと床が軋んだ音がした。やっぱりいるんだな、なんて苦笑せずにはいられない。
「〈ヤナ〉、ここにいるよりいい隠れ場所教えてやるから、出てきてくれないか?」
その場に留まって声をかけてやるが、返ってくるのは無音。……うん、まあ、声を出せなくされている奴に返事をしろっていうのは、無茶苦茶にも程があるか。
「〈ヤナ〉、今なら親父殿も見ていないから、場所を変えよう? ここだとサボりの言い訳もできないからさ」
他の奴隷であるならば、大概のやつはここで出てきてくれるだろう。しかしながら、相手が〈ヤナ〉では勝手が違う。親父殿を始めとする他の従業員は勿論、何もしない俺とて彼の嫌悪対象なのだろう。ぎりぎりまで俺は動かないし。仕方がないといえばそうだ。
予想通り、リアクションを得ることが出来ない。
うん、これは仕方ない。きっと彼としては放っておいて欲しいところだとは思うのだが、俺は踏み込んでいく事にした。
邪魔するよ? なんて声をかけたのは、せめて少しでも彼が怖がらなくて済むようにと思ってのことだった。いや、まあ、既に嫌悪されているのに今更過ぎる気遣いどーよって、思うけどな。
まあ、まあ。そんな些細なことは棚上げして、だ。小屋の奥に入っていけば、その姿はすぐに見つかった。
その姿を見たときふと思ったのは、手負いの獣のように見えたことだ。
できるだけ小さく身体を丸め、視線だけがこちらを警戒して威嚇してくる。今にも牙を剥いてきそうだと感じたのは、それほどまでに一瞬、気迫を感じたせいだろう。
……こんな立場にいなければ、間違いなく関わり合いたいと思わなかった事だろう。
どうしたものかと頭で考えるよりも先に、彼の領域にまでずかずかと踏み込んでいった。
そしたら少しでも俺から離れようとして身動ぎ、不自然に身体を震わせた。恐らく鞭打たれて出来た怪我が痛んだのだろう。しゃがんで目線を合わせても、睨んでくる事に変わりはない。
「その怪我もみてやるから、行こう? ここにいたら、傷口が膿む」
差し出した手をじっと見つめられて、今度こそ俺は待つことくらいしか出来なかった。手っ取り早く拐っていっても良かったのだが、そうしたら今度こそ本当に、拒絶されてしまう気がしたから。
そうなってからでは、本当にこの店は彼にとって絶望しか無くなってしまうだろう。……そもそも彼の現状が絶望的とはいえ、わざわざ希望を断ってやる必要もない。
何時間でも、彼が手を伸ばしてくれるのを待つつもりでいた。向こうとて、それを理解したのだろうか?
気がつけば、俺の方を見上げていた睨むような視線は、疑う物へと変わっていた。それに微かに笑いかけてやれば、彼の中で意は固まったのだろう。
そろりと僅かに伸ばしてくれた手を、引っ込められる前に俺の方から掴んでやった。
「っ…………!」
「行こう〈ヤナ〉。手が冷えきってるじゃないか」
息を飲んで身を震わせたその手を強く引いて、無理矢理ながらも立たせてやった。歩けるか? なんて尋ねれば、ぷいっとそっぽを向かれてしまう。ついつい苦笑したのは言うまでもない。
颯爽と手を引けばちゃんと付いてくるので、俺は十分満足だ。
真っ直ぐに向かうのは俺の部屋。その間、誰に見つかるかとひやひやしていたのは言うまでもない。
他の奴隷に見つかるのはまだいい。どうせ誰も、連れている相手が〈ヤナ〉である以上気にしやしないさ。触らぬ神に祟りなし、ってな。
けれど、これが従業員の誰かだったら話は違う。俺が引き連れている時点で、また匿い甘やかそうとしているとピンと来てしまう事だろう。
……あ、そう思うのは奴隷の誰かでも同じか。それに対して何も思わないか、面白く思わないかの違いだけだ。
前者はまだ楽でいい。親父殿の耳に入るような事さえしないでくれれば、今度そのお礼を還元してやればいいのだから。
けれども……例えばカミュにでも見つかってみろ。嫌みをたっぷり言われるだけならまだしも、〈ヤナ〉の方にサボりのペナルティー付けられるのは目に見えている。本末転倒だ。
辺りを警戒しつつ、そして彼の姿を俺の後ろに隠しつつ。本当は俺が先に部屋に戻って窓から招き入れれば手っ取り早いのだが、その間に〈ヤナ〉が逃げてしまう気がしたので、手を放すことが出来なかった。
そうやって漸く彼を俺の部屋に放り込んで、ほっと息をついた。
俺個人の部屋を開けて入る奴なんていない。だからこそ成せる技。何をするにしてもまずは手当だと、救急道具を取りに行く。
「いいか? すぐに戻ってくるから、ここでじっとしていろよ?」
部屋にひとり残していくのは大層不安しかなかったが、小さな子供に言い聞かせるよろしく、何度も何度も振り返って言いまくった。部屋の扉を閉めるころにはすっかり苦い顔をされてしまったが、これで出ていくことはないだろうと、ほっとしたのは俺が勝手すぎるのか?
まあ、いい。
なすべきミッションに気合を入れて、廊下を行こうとしたその刹那。
「ちょっと~ディオ?」
「う、わっ?!」
そんな声と共に何かがしなだれかかってきて、危うく顔面から倒れこむところだった。
すんでのところでたたらを踏んで身をかわせば、振り返ったそこには長身の会いたくなかった姿があった。自然と顔だってしかめたくなる。
肩にかけてくれやがっていたその腕を振り落として、怪訝な目を向けてしまった俺は悪くない。
「なんだよカミュ」
でも、俺の反応に心底呆れたと言わんばかりに、カミュには溜め息をつかれてしまう。何故と、問い正すよりも先に、嫌味な野郎は口を開いた。
「ねえ、ディオ。君さあ? 一体何を考えている訳?」
「は?」
尋ねられた意味が、正直解らなかった。解らないままに眉をしかめてしまえば、まるで俺の反応は見越していたと言わんばかりに空を仰がれ頭を抱えられた。
「君って奴は阿呆じゃないかと薄々解っていたつもりだったけれど、ここまで考えなしだったとは思ってもみなかったよ?」
「は?」
何こいつ。喧嘩売っているのか?
……いや、まあ、こいつが何かと喧嘩吹っかけてくるのはいつもの事だ。改めて目くじらを立ててやることでもない。
そう結論付けて、放っておいてくれるよう受け流そうとした俺を、カミュは行く手を遮ってその場に押し留める。今日に限って、やけに絡んでくるこいつが解らない。うざい。
「何」
イライラを誤魔化す事無くつっけんどんに尋ねたら、いつもの斜に構える様子もない。糸目がスッと微かに開いたかと思うと、いつになく真剣そうな琥珀の眼差しに射抜かれて、少なからずたじろいだ。
「君ね、履き違えていないかい?」
「何をだよ」
「なんで、息子の君が、ルディスの意思もくみ取らないで、勝手している訳?」
「親父殿の、意思?」
一言一句切って言われても、何の事かさっぱり解らない。……というか、解る気がしない。
親父殿の、意思?
……そう言われて思い当たったのは、平和ボケした日本人晒して日和人の立場に甘えていること、くらいだ。なんだか今日までの俺のやり方そのものを否定されたような気がして、流石に気分も悪くなる。
「俺に今更、親父殿の背中を見習えって事か?」
「あのね、出来ない事は口にしないでもらえる? おこがましいよ。第一どうして君はそんなにバカなの」
「は?」
ああこれは。間違いなく喧嘩を売っているのだろう。
どういうつもりなのかは知らないが、兎に角こいつは俺のやってる偽善活動が気に食わない、と。そういう事か? 自分でも、自分の表情が険しくなっているのが解る。
「君は奴隷商人が何なのか、本当に解っていないんだねえ?」
「…………何が言いたいのか、はっきり言ったらどうだ」
「そう、じゃあ言うよ」
ここまで言っても解らないのか、と。腕を組みこちらを見据えるその姿にたしなめられたような気がした。
「君が目にかけるべきは、そんな廃材の商品なんかじゃない。ラングスタの為、そしてルディスの為に、君の力を発揮するべきところは、もっと有る筈だけど? なんで無駄な時間を費やしている訳? そんなのは放っておいて、さっさと奴隷のひとりの面倒でも見たらどう?」
「何だと……!」
なんで、俺がそこまで言われないといけないのか。毎日、毎日、お前らの何倍も彼らに気を使っているだろう! と。周りが雑多な扱いしている部分を、みんなフォローしているだろう! と。
つい詰め寄って怒鳴ってやりたい衝動に駆られたが、同時にハッと思い出す。こんなところでこいつに構っている場合じゃないんだ、という事を。
「……ちっ、言いたいことはそれだけか?」
「うん。ま、こんだけ言っても解んないおバカさんには、どんな忠告も無意味だったねえ」
詰め寄るのもやめて睨みつたら、あほでも見る目を向けてひょいと肩を竦められた。一体何なんだよって、文句の一つでも言ってやろうとしたら、しゃなりとして踵を返されていた。
「まあ、好きにしなよ。君の良心は利益になるけど、君の偽善は何の得にもならないって。思い知るのはディオ、君自身だからね」
「は?」
颯爽と言い捨てられて、俺だけが納得いかない。
けど、まあ、わざわざあいつが吹っかけて来た喧嘩の意味なんて、考える必要もないだろう。
あいつはそもそも、親父殿からほとんど無条件で一子相伝の魔術を引き継いだ事を気に入っていない。嫌味、妬み、嘲りに失笑。そんなの日常茶飯事だ。
だとしたら、今回とて同じことだろう。相手にしても、仕方あるまい?
今度こそ思い出したように応急道具を取りに行く。ついでに〈ヤナ〉は何か食べるんじゃないか。そんな事を考えながら、俺はあいつが残していった胸糞悪い感情について考えないようにした。
ああ、もうホント、目の敵にされるのって、めんどくさくて嫌になる。早く物資を調達して、部屋に戻る事にしよう。