憂鬱な依頼 .3
「なあ、あんちゃん。次の街まではあと、どれくらいだったかなあ?」
手綱を取るディオの為の席に手をかけるその姿は、この空の旅に退屈したのか。何でも構わないが、投げ掛けた質問が質問だけに、ついつられて目を向けた。
「そうですね、三分の二程進んだところですから、あと、三十分かからないくらいです。今回は、思っていたよりも順調に進んでますよ」
「そーかい、そいつはいいな」
その時の私は、彼らが何をしようとしているのかを、全く理解していなかった。
だから。
「ちょっと?! 何を――…………!」
「おおっと! 勇者サン達よ、動くなよお?!」
御者台から引きずり下ろされたディオの姿に、驚かない訳がなかった。
完全にくつろいでいたアルバも、初動が遅れる。座っていた長椅子をひっくり返す勢いで立ち上がったものの、慌てて動きを止める羽目になった。
「さてと。運転手のあんちゃん、ごくろーさん。こっからは、俺たちの指示の元、フライトして貰おうか?」
「ちょっ……お客さん! 落ち着いたください。危ないですから、冗談なら、こんなこと止めてください」
「黙りやがれ。てめえは人質だ」
ディオの訴えも空しい。後ろ手に捕まれ、膝をつかされたディオの喉元には、鈍い光を返すナイフが突きつけられてしまった。
「兄ちゃん!」
「ラズ、来るな!」
駆け寄ろうとした姿の間に、残りの男たちが各々の武器をちらつかせながら立ちふさがる。
くそっ! もっと早くに気がつけなかった、自分が憎い。
少なからず、この空の旅に浮かれてしまっていたのだろう。散々勇者一行だどうのって持て囃されておきながら、人っ子一人もろくに守れないなんて、ボンクラもいいところじゃないか!
「動くなよ? ぼうや。おにーちゃんの命が惜しければな」
「っ……」
そんな事を言われてしまえば、ラズとて動けないのだろう。身を硬くして震わせた姿を見たくなくて、私も自然と彼らを睨んだ。
「それと魔術士のねーちゃん、勝手な事してくれるな? 少しでも魔術の気配をさせてみろ、こいつを盾にさせてもらうからな」
「……解っている」
悔しそうに唇を噛むのは、何もラズだけではない。歴戦の戦士でもあるアルバだってそうだ。アルバにしてみれば、出し抜かれて人質を取られるなんて、間抜けの他に何と言えるだろうか。
「人質だと言ったね。お前達の目的はなんだ」
「はっ! 天下の勇者サンともあろうお方が、そんな事もわかんねぇのか? あんたらに魔王倒されちゃ困るんだっつーの」
「魔王……そうか」
成る程、こいつら私達の妨害のために雇われた者たちか。予めどこで動くか、どう制圧するか、よく考えているらしい。
「兄ちゃん……」
「ラズ、落ち着け。俺は大丈夫だから」
身構えながらも、今にも泣きそうな弟を宥める声は穏やかだ。自分の状況云々よりも弟が心配なのだろうが、私もしては彼自身の身が心配だ。
せめて彼でなく私が人質であれば、まだやりようがあったと言うのに、口惜しい。手札の魔術はどれも威力が強すぎて、状況はひっくり返せても関係のない彼らを巻き込んでしまう。
恐らく人質の交換を申し立てても、受け合うつもりはないだろう。随分と私たちが分担している役割を理解しているみたいで、下手に動くことが出来ない。くそっ。
私たちに差し向けられるだけあって、彼らもやり手らしい。卑下た笑みを浮かべる頭の悪い蛮人に見えるのに、隙がない。
「卑怯だぞ」
ぎりと、隣で歯を食い縛るアルバも同じ気持ちのようだ。隙あらば、こいつらを一思いに断ち切ると言わんばかりに、重心を前に倒している。
私もいつでもすぐに動けるように、魔術式を立ち上げた。式だけならば、彼らも気が付く事はない。あとは、ほんの僅かな隙があればいい。
「卑怯で結構! てめえらを行かせるなと、とある方からのご命令でな!」
成る程。他国同業者からの妨害か。我々が魔王を討って栄誉を得る事を面白く思わない者――――と考えれば、隣国の手の者に間違いないだろう。
今までは刺客が多く、その全てを返り討ちにしてやった。だが一介の商人を巻き込むような外道だ。そうでなければ我々に勝てないとは、情けないの一言に尽きる。
まだ、正面から立ち塞がれた方が、清々しく打ちのめせるというのに、甚だ迷惑な奴等だ。
「さあて、勇者を気取ってるお前は、動くなよ? ねーちゃん、その杖を捨ててこっちへ来な。そしたらこいつは解放してやるさ」
これはチャンスに違いない。向こうからその様な提案をしてくれるならば、私は喜んで杖を捨てよう。
所詮は魔術式を安定させる為の媒体。これが無くとも、こいつらを叩きのめす為の魔術なんて、いくらでも使える。それを知らないで居てくれるとは、有難い。
だが。そんな私たちを、ディオが止めた。
「心配には及びません、お客さま。貴女が言うことを聞く必要な――――」
「黙らないか、クソヤロウ。てめえは、取引材料でしかねえんだっつの!」
しかし余程、ディオの対応が気に入らなかったと言うのか。
「っ……」
「兄ちゃん!」
奴らはあっさりと、ディオの首を掻き切った。咄嗟に駆け寄ろうとした姿を、アルバが慌てて留める。
「解った! 解ったからやめろ! 君達の要求は飲もう。僕たちはただちに国に戻る。だから、彼を渡してくれ! 無関係な者を殺す気か!」
今ならまだ治療も間に合う。もう少し側に寄ることさえ出来れば、最上級の治癒魔術で一気に治してやれるというのに。
こいつら、治癒魔術の有効範囲を知った上で、近づかせないつもりらしい。
「は、こいつさえ死ねば、あんたらが魔大陸に改めて行く術はねえ。はなっから、生かしとくつもりなんてないっつの」
「なんてことを……!」
これ程怨恨が深い相手が居たとは。だからと言って、彼らを巻き込むのはお門違いにも程がある! それがどうして、このボンクラ共に解らないのか。
まるでもう用済みだと、彼らはディオの姿を打ち捨てた。次はラズだと言わんばかりに、卑怯ものたちがこちらにじわりと壁をつくってにじり寄る。
「この、外道が……」
「放して、アルバさん! 僕はこの運航中の護衛だ。あいつらには、目にものを見せてやる」
「君に相手は無理だ、ラズ君。僕たちに任せ――――」
「関係ない。兄ちゃんに手を出すやつは、みんな、僕が殺してやる……!」
「ラ、ズ……君?」
ぎりっと歯を食い縛る姿を見れば、竜人の特徴とも言える竜紋が浮かび上がっていた。怒れるときの彼らの気性は激しいと聞く。
アルバがいつまで彼を押さえておけるだろうか。
「アルバ、私が奴らの気を引こう。その隙に」
「あ、ああ。すまない、ユナン」
「構わない。風に気を付けろ」
軽い段取りを囁く。後は、アルバが合わせてくれるだろう。
ラズには申し訳ないことをしたが、今我々が守るべきはこの子の身だ。ラズには申し訳ないが、逆上して、人質を手放してくれたお陰で、いっそのこと動きやすくなった。
小さな姿を背中に隠して、卑怯もの達と対峙する。
「いくぞ、ユナン」
「ああ、目にものを見せてやる」
本気の戦闘に魔導の杖を構える。
立ち上げていた式に魔力を込めて、一瞬の内に風魔術を編み上げた。今度こそ臨戦態勢を取る。
それを展開させるタイミングを伺っていた……の、だが。
「ラーズ? そのすぐにカッとなる癖、どうにかしろっていつも言っているだろ?」
不意に、どこか呆れた様子の声がした。途端、あり得ないものを聞いた周りが、凍りついたのが解った。
「……あー、大丈夫とはいえ、へったくそ。ナイフの使い方くらい、もうちょっと練習しといてくれよなあ。適当にめった刺しとか、信じらんねぇわ」
ぶつぶつと、そんな声がしたかと思ったら、のそりと倒れた姿が起き上がる。先程確かに首を切られた筈だった、運送屋の兄に他ならない。
「全く、マナーのない客を乗せるのも、考えものだな」
ぐいと首元を乱雑に拭い、深く溜め息をついて身体を起こしている姿に、誰もが動けずに居た。
「だったらちゃんと、断ってよね兄ちゃん!」
こうなる事は解っていたのか。拗ねたように頬を膨らませているラズは、特別不思議と思ってはいないらしい。
苦笑いするディオは困ったように頬をかく。
「……ははっ、悪い悪い。つい、昔のクセでさ。押しに弱いのは元日本人のさがかもなー」
運送屋の兄弟は、まるで、普段と変わらない調子だ。遠い目で笑っていたディオが賊共を真っ直ぐに捉えると、底冷えする笑顔で言い放った。
「さてと。取り合えず、運行を守れないおバカさん達には、お仕置きが必要かな?」
「兄ちゃん、兄ちゃん、血祭りにしてもいい?」
「だーめ。他のお客様に迷惑だろう? あと汚い。それに確か、この人たち手配書もらってたからな、生きて渡せば賞金高くつくよな?」
「だったら空に出る前に引き渡してよ、もー!」
「しょうがないだろ? 街中で事を起こして、ラズに不要な怪我させたくなかったし、家で暴れられて壊されたりでもしたら、たまったもんじゃないんだから」
「……それ、ほとんど兄ちゃんの都合じゃん」
ぽつり、呟く声は脱力して項垂れる。彼らがのんびり話す程に、この場の温度がどんどん下がっている気がするのは、何故だろう。
「でも、自分が怪我してたら世話ないよねー?」
「はは、そう拗ねるなって。さ、文句はしまって。まずは――――」
その先は、私達には聞き取れなかった。何かを発しているように、その唇は動いている。だと言うのに、だ。
ただ、弟のラズには聞き取れたらしい。それを聞いた途端、弟はにっこりと笑みを深くした。
「おっけー」
身体を軽く傾けるように。私たちの間からすり抜けて、たった一歩踏み出した。
だけだというのに、小さな風が起きた。気がついた時には、ラズの姿は賊共の側にあった。
――――刹那。
ギィン! と。剣と剣が鍔迫り合いをし、重くぶつかった時のような金属音が響く。その音の正体が、衝撃を受けた剣が音叉のように鳴ったものだと、一体誰が思うのだろうか。
同時に、彼らが手にしていた短剣が、蒼穹に打ち上げられていた。ぶらんと、剣を握っていたらしい、賊の手が力無く下がっている。
「あっはは! 腕の骨、折れちゃった? ねえ、折れちゃった? ごめんね? 僕、加減できなくってさ!」
何よりも驚かされたのが、ラズが動いたモーションが全く見えなかった。事が終わってから、彼がそいつの得物を蹴り上げたのだと知る。
剣を蹴り上げられた反動で腕が砕けるだなんて、なんて豪脚なのだろう。護衛の肩書きも、あながち嘘ではなかったと、そういうことか。
「でもさ、でもさ? 兄ちゃんに手をあげたんだもの、これくらいの代償は、覚悟してた筈だよね?」
にっこりと笑う姿は小悪魔のようだ。
かわいらしい笑顔とは裏腹に、歴戦の戦士のようなプレッシャーを放っている。
こんな奴が、冒険者以外にいたというのか。
息が、自然と止まっていた。
「っ……アルバ!」
止まった呼吸を無理やり取り戻すために、その名を呼んだ。
私たちが戦闘に置いてひけを取ってどうする。悔しさを感じながら、普段よく使う高火力の魔術を放つ変わりに、奴らの動きを圧力でキツく止めてやる。
それは、アルバも感じた事らしい。
「ああ、解ってる! せぇいやあ!!」
いつもよりも数段力の入った声が、一息の間に間合いを積めた。
鞘を抜かない峰打ちが、ひとりの鎧を打ち砕く。その衝撃は内蔵にまで達している事だろう。糸の切れた人形の如く、正体をなくして崩れ落ちる。
「ごふっ……」
「ちっ、クソが!」
あれだけ重い一撃をくらって、まず動ける筈もない。
即座に剣を返したアルバの剣は、ふたり目の足の骨を砕き、主犯格の男の横っ面に、剣の柄を叩きつけた。
アルバが動いてしまえば、事は一瞬だ。
「僕らの事が気にくわないなら、それでもいい。けど、無関係な者を巻き込むな! この外道が」
決まった、と。そう言わんばかりに胸を張っている、私の相方が本当に恥ずかしい。
仕上げと言わんばかりに、半ば意識を失っている輩たちを隅に追いやり、意味もなく威圧している。
この際はっきり言っておこう。
なんでこの脳筋は、したり顔で彼らを御するのか。まあ、いつも通り過ぎるのだが。
……些か、恥ずかしすぎる。




