憂鬱な依頼 .1
旧題 転じた日常は願望を掌握す
「ユナン、喜べ! ワイバンの運送屋が、魔大陸行きを請け負ってくれるってさ!」
「ああ、それは良かった」
恐らく私は緊張していたのだろう。魔大陸から遠く離れていると言うのに、魔王が待ち構えているという大陸まで、目前だと言うことに。
だからだろう。今流行りの、ヒトを運ぶことを主体としている運送屋と対面しているというのに、そのヒトとろくに目を合わせる事も出来なかった。
「アルバさん、ユナンさん。それでは明日はよろしくお願い致しますね」
柔らかな表情を浮かべて、ぺこりと一礼される。丁寧な物腰は、眼帯こそすれ、不快を感じさせない。やはり客商売のプロなのだろう。
青みがかった艶やかな黒髪は、最早彼のトレードマークだ。セリーア平原の外れにあるこの街に拠点を構えてそれほど時間は経っていないと聞いているが、彼の事は有名だ。
側に控える彼の護衛はまだ若輩者ながらも、相当腕が立ちそうだ。真っ白な髪が微かに青みがかっていなかったら、つい年を間違えていたかもしれない。
成る程。これが、噂に聞く『青の黒白』か。
「いやいや、こちらこそ! まさか貴方のワイバンに乗れる事になるとは、本当に嬉しいよ!」
アルバの方は私とは違って浮かれているらしい。気持ちは解らないでもないが、決戦前の緊張感はかけらもない。
まあ、それもそうだらう。最も安全な空路と言われている、ワイバンの運送屋に乗りたいとは、前々から聞いていた。だからこそ、拠点である店のある町だって理由だけで、わざわざ遠回りであるセリーア平原を抜けてこの街に来たのだから。
「僕はずっと憧れていたんだ、飛竜の背中ってものにね。こんな仕事を頼まれない限り、飛竜に縁のないものだとばかり思っていたから、本当にうれしいよ」
「そう言って頂けて何よりです。私としても、SS級冒険者を乗せられる機会なんて滅多にありませんから、とても光栄です。いい宣伝になります」
はにかんで笑う運送屋の主の名を、確かディオと言ったか。商売人らしく、強かな精神をお持ちのようだ。
宣伝になると言うからには、相応に期待も高まる。
「兄ちゃん。そんなことより、ちゃんと伝えとかないと」
「ん? ああ、そうだった」
そして護衛の肩書きをもつ弟、ラズ。
弟に護衛をやらせてしまう兄なんぞ、どんな軟弱ものかと思っていた。だが確かに、二人を見れば適材適所だろう事が容易に解る。兄弟の仲睦まじいようで何よりだ。
ただ、伝えておかなければならないこと、に、一抹の不安が過る。
「実はですね。貴方たちの前に一組、同じく魔大陸に行きたいという方達がいまして。同乗してもらう事になると思うのですが、よろしいですか?」
そんな者が他にいるとは驚いた。只でさえ最近は、魔族と聞くだけで恐れを抱くヒトが多い。帝都での噂が、良くない方に広がったのだろうとウチの脳筋は言っていたが……。
特別、彼らが何かをした訳ではないとは思う。だが依頼が来てしまった以上、敵対するのは仕方がないと思っている。こんな時、肩書と言うのは本当にまどろっこしい。
そして流石のアルバも、こんな状況で同乗者がいる事は気になったようだった。
「あれ? そんなヒト、いるんだ?」
なんて、頓狂な声を上げて首を傾げている。
「魔大陸に行きたいだなんて、そのヒト達は魔族かい?」
「いえ、ヒューマンの方達です」
困ったように答える兄に、弟はにやにやと笑った。
「通常料金の二倍もお金積まれて頼み込まれて、断るに断りきれなかったんだよねぇ、兄ちゃん?」
「ラズ! 余計なことは言わないでくれって、いつも言っているだろ」
「押しに弱いのは、兄ちゃんのいいとこであり、悪いとこだよねえ」
「あ、ははは……」
苦笑い、とは、まさにそれだ。
仕切り直すように、こほんと咳払いする。
「空路間の安全は私達が保障致しますので、ご安心下さい」
「うん、それなら全然構わないんだ。よろしくお願いするよ」
「はい。それでは本日はごゆっくり身体を休めてください。明日いらっしゃる時を、一同心よりお待ちしております」
「お待ちしてまーす!」
再び運送屋の兄は綺麗に一礼。続いて弟も兄に倣った。
「じゃあユナン、行こうか」
「ああ」
それを皮切りに、私たちは長旅の身体を休めるべく、宿屋に帰る事にした。
明日から、本格的に彼の地に向かう事になるのか。いよいよ、そう、いよいよだ。
彼らと話したお陰だろうか。緊張は少し、和らいでいた。
心地よい緊張感に、かえって身体が休まる気がした。




