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魔王襲来☆ディオの受難 .1 **

魔王が節操なしです。苦手な方はご注意下さい

  

 拠点があるって素晴らしい。

 宿屋暮らしの時は、朝食の時間に合わせて生活していたから、それまで早く起きようなんて思った事なかった。宿屋の食堂が開くまでだらだらと寝て、五分前に着席を目指して身支度して、一日が始まっていた。

 加えて、大きな街や土地の余っているような場所でない限り飛竜を預かってくれる場所なんて、なかなかない。だからこそ、寝泊りの間は申し訳ないと思いつつもエンマとは別行動になる事が、自然と多かった。


 でも、今は違う。食事の支度は、ラングスタに居た頃みたいに自分たちで作る。自然と、時間の使い方のサイクルが変わった。

 日の出の頃に身支度を整え、朝食をこさえて家事をこなす。ラズは朝は相変わらずだから放っておいている。

 中庭に面する窓を開けるとエンマが居て、前よりもずっとエンマとの時間が増えた。それが、なんだか嬉しい。


 宿屋に飛竜を預けられる余裕があったとしても、何度も出たり入ったりするのは迷惑だからって、今まであまり街に入ってからエンマと過ごすって事は出来なかった。でも、こうなったら宿屋のヒトへの気兼ねもいらない。

 朝ごはんを食べた後、エンマと過ごす時間は欠かせないものになりつつある。



 本日は晴天。絶好の飛行日和だ。


 まだどこかひんやりとした空気を感じながら、仕事前の穏やか時間をエンマと過ごしていた。有り体に言えば、エンマと空中の散歩ってところだろうか。まあ、俺は乗せてもらっているだけだけども。

 エンマとの時間をずっと取りたかった、俺の最近の習慣だ。


 けど。


「やあ」


 仕事前ののんびりとした時間を過ごしていたら、その人は現れた。公園で会ったご近所さんの会話って、こんなもんだろう。


「いい天気だね、君もこの陽気に誘われたのかい?」

「あ……はい、そうですね。天気がよかったので、つい」


 ただ、今の俺は結構戸惑っている。


 何でかって、一つ。俺はこのヒトと初対面である。

 まあ、フレンドリーな人なら、こういう話も有り得るのだろうけど。でも、驚きはするだろ?


 二つ。さっきから言ってるけど、俺は今、エンマの背に乗って空を散歩している。


 すなわち、仕事をしてないので客は乗せていない。

 だというのにこのヒト、一体どこから来たんだ?



 …………結論。

 このヒト、なにかしら自力で空を飛ぶ手段を持っている人だと、そういう事なのだろう。



 俺の思い付く限り、飛行能力を持つ種族は数える程度にしかいないはずだ。


 例に上げるとしたら、フェアリーや一握りの竜人。後は……同じく一握りの魔族、とかか?

 そういやエクラクティスも飛べるっつってたな? 力のある魔術使いなら飛べるって聞いたことあるけど、俺にはその見分けなんてつかないから何とも言えない。


「いやいや、嬉しいじゃないか! 普段誰とも会うことのない空で、君のような素敵な者とこうして巡り会えたのだから。よかったら、今から私と食事でもいかがかな?」


 なんか喋りだした、と思ったら、さらっと食事に誘われた。

 すげえな、今世で初めて社交辞令ってもらった。


「せっかくお誘い頂いたのに、申し訳ありません。連れを街に置いているので、急いで戻らなければならないのです」


 ラズ、起きてから俺らがあんまりにも帰ってこないと不貞腐れるのは実証済みだ。

 引っ越しが完了してから数日後の事。なんとなく新居での生活リズムを作り始めた朝に、俺とエンマは散歩に出かけた。ラズはのんびり寝ているから大丈夫だろうって思っていたのだけど、帰ってみたら、かなり不貞腐れていた。

 まあ、幸いなことに、エンマの鶴(竜?)の一声で収まったからよかった。


 けども……。

 うん。このヒトとの食事は、時間的にも俺の気持ち的にもない。


「では、その方もお招きしよう。ご馳走するぞ?」

「……すみません、連れは見知らぬ人を嫌がりますのでご勘弁を。それに、余り待たせると、飛んできそうなので」


 なんて冗談で返したけど、信じてくれたかは怪しい。断り文句としてはうさん臭さしかないのは仕方ない。

 いや、嘘は言ってないからいいよな? ラズなら文字通り飛んで来るから。


「なぜだ?!」


 じっと、こちらを見つめていたその人は、驚きに目を見開いていた。

 いや、何故って、そこまで驚くことか? でも、どうやらそういう事ではないらしい。


「私の魅了が効かないなんて、君は一体何者だ?!」

「は?」


 今、この人なんて言った?

 魅了、つったか?


 ……俺に対して?


 ドン引きなんですけど。



 つい、俺の余所行きの態度が崩れてしまったのも仕方がないだろう。


「ふふふ……まさかこんなに心踊る逸材がいたとはな……」


 ちょ、何やら不穏な空気発しながらにやにや笑わないで欲しいのだが。怖い。


「よろしい! 君を落とすついでに、その正体を見極めるとしよう!」


 その人は、物凄く晴れやかな表情で、そう宣言した。

 え、何それ。いらない。


 なんか、すごーく嫌な予感しかしないし、このままこの人に関わっているとろくなことにならなさそうだ。

 ちらっとエンマを伺うと、エンマも同意見らしい。むしろ、心なしか落ち着かない様子だ。多分、エンマの方がこの得体のしれないヒトに対して、警戒心が働いているのだろう。俺よりもよっぽど、そういう事に敏感だから。


 うん。考えるまでもないわ。


 逃げるか。


「エンマ!」


 俺の声を合図に、エンマは速度を上げた。同時に俺は、エンマから助走つきで飛び下りる。


「おい?!」


 相手が俺の行動に、少なからず驚いてくれた所で、エンマは宙返りした。

 計画通り、これで相手は落ちてくれるし、エンマが俺の元に戻ってくれば後はこの場を離れるのみ。



 ……と、思ったんだけど。

 まあ、少なからず俺は焦っていたのだろう。


 宙返りしたエンマの下方に、その人の姿はなかった。同時に、俺の身体が重力を受け止めたような感覚に、冷や汗が背を伝う。


 この、後ろから俺を抱き抱えているこの腕は、誰のものか。


 あ、はは。

 考えるまでもない。


「全く、君みたいな威勢が良すぎる人は初めてだよ?」

「ぎゃあああああああああーっっ!!」


 その声に、ビックリしすぎて思わず絶叫していた。


 俺の反応をおくびにも気にした様子もなく、肩になんか落ちてきた。


「いっ……!?」


 ……て! 首筋に髪! あたって痒いし!

 っていうか、髪以外にも、なんか当たってる!! 


「ああ……この馥郁たる香りはなんと甘美な事か」


 耳のそばで、そんなことをのたまう。ぞわっと、全身で寒いぼが立ったのは仕方ないと思う!


 まじで! 気持ち悪い! っていうか、気持ち悪いを通り越して怖い!!


 エンマ!

 エンマ、ホントどこ行った?!


 マジで助けて!!

 この人ヤバい!



 ばたばたともがいてみるも、その腕に力を入れさせるだけだった。


「なんと、抵抗すらも愛おしいな。あまり暴れると、私の腕からこぼしてしまいそうだ」


 いや、マジでこの現状を打破出来るなら、地上に落下する!

 むしろ、その方が百倍……否、千倍マシ!!


「大丈夫だ、君も直ぐに、よくなる」


 いや、何も良くねえし?!

 っていうかもう、怖すぎて声が出ない!


 昔、ニュースで見た、夜道に野郎に襲われた女の子が周りに助けを呼べなかったってあった時には、そんなバカな。って、思ってたけど!

 今、その理由がよく解った!


 今度、そんな現場に遭遇した暁には必ずその女の子を助けるって、誓うから!

 本気で誓うから!!

 誰か、誰か助けてー!!!



 そんな、俺の願いが届いたのか。


 何かが遠くから聞こえる空を裂く音の後に、強い風が吹き抜けた。

 そしてその後には、待ち望んでいた姿が、そこにはあった。


「兄ちゃん?!」


 結構、俺も切羽詰まっていたんだと思う。

 その、待ち望んだ声に、不覚にも目元が潤んだ。


「遅いなあって思ったら、何、それ……」

「ラズっ、ラズ! 助け……っ」


 助けを求められたラズにしてみれば、何とも情けない兄の姿に、さぞ、がっかりだっただろう。

 けど、反射のように無理矢理その腕を解こうとしたら、大人しくしないかと、耳の裏で低く囁かれた。

「い、っ……!」

 同時に、耳を噛まれたのが解った。


 こいつ、マジでない! あり得ねえ!!

 そう思ったのは、俺だけではないらしく。


「このっ……兄ちゃんから離れろ!」


 俺を拘束するこの男に掴みかかる勢いで、ラズは飛んできてくれた。

 ほんとに、その速度は今までに見たことがないくらいに急いでくれたんだと思う。


 ただ、そう。俺は失念していた。

 多分、というか、確実に、今のラズは頭に血が登っていることだろう。その為にか、攻撃は直情的で、この男にカンタンにいなされていた。


 二度、三度と、ラズの方を全く見向きもしないこいつは、何故かその攻撃を見透かしているかのように避けていく。その避け方は、ほんの少し、体を動かす程度。


 後は、何がそんなに楽しいのか、熱心に俺の耳をなぶっている。きもい。


 空中戦に振り回されている事よりも、何よりこの現実に吐き気がしてくる。

 ヤバい、本気で戻しそう。リバース。せっかく食べた朝食をリバースしそうだ。


「全く、私達の邪魔をするとは、野暮な奴だ。消し炭にしてやるぞ?」


 ちょおっ……! こいつ、マジで何なんだよ!


 ぎりっと、歯を食い縛るラズは、かつてない程に怒りに身を震わせている。その証拠に、竜紋どころか竜鱗まで浮き出てる!

 助けて欲しいけど、そこまでか?!


「ん? お前、黒龍か? だか、その姿……」


 やけに知識があるらしいこの変態は、そんなラズの姿に何か気がついたらしい。


「ああ、成る程。半端者だったか。さしずめ、我が愛しきものはお前にとっての育ての親か」


 その言われには、俺も、流石にむっとした。

 何処の色狂いのせいで、ラズがこんなになったと思っているんだか。


 ただ、今のラズには自分の事より俺の事らしい。


「兄ちゃんを離せ」


 何とも大人の対応に、兄ちゃん思わず泣きそうだ。

 ま、俺の感動をぶち壊すこの抱きつき男がいなければ、大いに誉めてやりたかった……!


 と、ここまでが現実逃避を兼ねた感動。直後に、俺は心からぞっとした。


「安心するがいい。私の愛しきものは皆、心底幸せになれる」


 ハ、イ?


 それは、どういう意味でしょうか?

 あ、いやいいわ。聞きたくないからもういいや。


「ふざけるな。兄ちゃんは僕のものだ。誰にも渡さない」


 うん、ラズも安定してブラコンだわ。


 何だかなあ、もう、他人事にしか思えなくなってきた。とにかく、この二人にとっては俺自身の意見なんて、知った事じゃないらしい。くすくすと、俺の耳元で変態は笑っていた。


 いい加減、そっから離れてくれねぇかな、こいつ。うんざりしてきた。


「既に私の腕の中にあると言うのに?」


 それにしてもこいつ、ほんとに楽しそうにラズを煽ってくるな。ちょっと、後が怖くなってきた。

 え? 後がいつって、こいつを振り切った『後』だ。特に、ラズが危ない気がする。


 既に振り切った後の事考えるなんて、余裕じゃないかって?

 ……ふっ、現実逃避し過ぎて、もう、来ないかもしれない未来を妄想するしかないだろ? そりゃ。


「そんなに返して欲しければ、奪い返せばいいだろう? ほら、遊んでやるからかかってきな? 半端者の坊や?」


 はたと、有ることに気がついた。この変態、ラズを半端者の黒龍だと見抜いた。

 って、事は、だ。ラズが黒龍の亜種だって事くらい、知っている筈だ。


 だと言うのに、ガンガンラズを煽るこの余裕っぷり。


 ラズの弱点とも言える、俺を確保しているからの発言?

 否、少なくとも、ラズに勝てる算段がなければ出来ない芸当じゃないだろうか?



 ラズより強いやつって、早々にいるだろうか?

 いや勿論、世界は広いから居ることはいるだろう。何人か心当たりもあるし。


 まあ、それは置いといて。


 野郎に関わらず、俺を食事に誘って。

 空を飛べるだけの力があって。

 ラズを黒龍と見抜けるだけの知識があって。

 そして、(口だけかもしれないが)ラズを消し炭に出来る能力を持つもの。


 …………って、まさかだけど。嫌な予感がする。


「ラズ、待て!」

「どうして、兄ちゃん! そんなやつ……!」


 俺の言葉に、絶望的な表情をするラズ。


 うん、違うからな?

 誤解してそうで嫌だけど、この状況でどんなに説明しても、無駄な気がする。


 ラズには悪いが、ちょっと放っておこう。それよりも、確かめなければならない事がある。


「なあ、あんた! 聞きたいことがあるんだが」

「なんだ? 我が愛しきものよ」


 ラズを見る時とは違い、嬉しそうに笑う。

 あれ、なんか、デジャヴ?


 いや、今はそんな事いい。

 けど、兎に角ソレ、止めろ。寒イボが止まらない。


 ええい、無視だ。無視!

 悟りを開け! 俺! 無心……、そうだ、無視より無心だ!!


 そして、最大の疑問を、こいつにぶつける。


「あんた、まさかとは思うが、今世の魔王じゃねえよな?」


 違ってくれ、という、願いもあった。

 でも、俺の期待とは裏腹に、そいつは嬉しそうに笑みを深くする。

 だから、確信した。


 くっそ! 嫌な予感ほど当たりやがる!!


 しかも、この反応! なんでデジャヴしたかって、ラズとおんなじじゃなえか!

 本当に嬉しいときに、にっこりと笑う癖! 血は争えねえ!! マジで!


「ああ……怖がらせてはいけないと思い黙っていたが。愛しい程にやはり、伝わってしまうのだな」


 いや、もう既に十分こええよ! 稀代の色狂いに目をつけられた俺って、俺って!


 なんだかすっごく悲しくなってきた。

 どうせなら……どうせなら! 女の子にここまで熱烈に迫って来て欲しかった……。切に。

 俺のヒロインどこ行った?!


「まおう……?」


 そのフレーズに、反応したのは何も、色狂いだけじゃなかった。


「魔王……そっかあ、魔王。へえ……」


 ぶつぶつと、そんな事を呟いている、ラズ。


 ……やべえ。

 すっかり失念していたけど、ラズのやつ、心底から父親を毛嫌いしていたっけ。っていうか、気が付いていなかった?


「ふ、ふふふふふふ」


 マズい、マズい!

 ちょ、この手マジで離して! 俺を巻き込まないで!


 そんな願いも空しく。


「会えて嬉しいよ、パァーパ? ふふっ、死んでよ」


 にっこりと笑うのとは裏腹に、目が、全く笑ってないです。ラズさん。

 その手に構えている魔法は、カマイタチですか? 俺、巻き込まれそうで、本気で泣きたいんだけど。


「ああ、やはり。お前、ラズベルクエルケストルティーダの子供か。懐かしい臭いがすると思ったら」


 んっとー? こちらも初対面ですかー?

 いや、もう、何でもいいけどな。


「お前みたいな半端者を生むくらいだ。さぞかし、元気にやっているのだろうな?」

「ママは死んだよ! あんたがママに手を出したせいでね!」


 ああ、なんだ。

 なんか、安心してしまった。


 前に、ラズは、ラズの母親が、自分の糧になったのは本望だから気にしなくていいと、言っていた。その時俺は、薄情なもんだって思ってたけど、本当にそう思っていた訳ではなかったんだと、今さら知った自分が恥ずかしい。


「ああ、食い殺したのか。全く、いい女ほど哀れな末路だ」

「あんたにだけには! そんな事言って欲しくない!」


 嘆かわしいと。溜め息をこぼしているけども、俺は、ラズの意見に賛成だ。何言っちゃってんの、こいつ。

 じゃあ、女じゃなければ哀れな末路にならないから、手を出そうって? ざっけんな! 却下だ変態!


「まあ、それもそうだろうな。だが……」


 次の時には、ラズは、魔王の腕に抱かれていた。


 片腕にホールドされたままの俺は、やっぱりそのままです、ハイ。

 手足がぷらぷらして、不安定で落ちそうです、ハイ。

 女の子がお人形さん抱えてるスタイルです、ハイ。



「私は、そんなお前を愛そう」


 なーんか、そんな事言ってるけど、あんま説得力を感じない。

 低く、そう告げる言葉を、当然ラズが受けとる筈もなく。


「ふざけんな! それと兄ちゃんの事は別だ!」


 ん? あれ?

 別に、お前息子だったのか、発言はいい、ってこと? あんなに怒ってたのに?


 ……ああ、何だかんだ言って、ラズの怒りは執着度に依存しているのか。

 長年恨んだ父親の事よりも、目の前の俺の現状って事か。



 ……そろそろラズの巣立ち訓練を、本気でどうにかしねぇとなぁ。またマーヤセレルさんに頼らないといけないけど、参考にさせて貰うかあ。

 むしろリーシュさんに聞いてみるかぁ。リーシュさん、元気かなあ。竜ってお土産なにがいいんだろう。


「やれやれ、我が息子は諦めが悪い」

「当たり前だろ!」


 なんて、一人で別の事考えていたら、魔王の腕の中でまたばたばたするから、揺れる揺れる。


 あ、これ、今なら万歳すれば、降りれるんじゃねえかな。地上に。

 流石に、地面に叩きつけられるのは勘弁してもらいたい。が、まあ、そこは何とかなるだろ。



 そういや、エンマはどこ行ったんだ? 見回す範囲に、その姿は見られない。

 まあ、相手が魔王だって、気がついていて待避したのかもな。あいつ、何だかんだ言って、俺らの中で一番賢いから。

 ……気が付いてたなら、もう少し何らかの方法で教えて欲しかったな。贅沢な注文だろうか。


 ふっ。見捨てられたからって、泣きはしないさ。


「あと少しで、兄ちゃんも僕と『同じ』になってくれそうなのに、お前が手なんか出したら、台無しじゃないか!」

「ああ、彼に私の魅了が効かなかったのは、お前の仕業か」


 んー……。なんか、外野は盛り上がっているし、逃げるならホント、今しかないな。


 はい、万歳!!

 ついでに、少し身体を揺すって、下に反動をつける。すると、予想通りに、するりとその腕を抜けた。

 ラズには悪いが、お前はお前でどうにか逃げてくれ! 俺は、自衛で精一杯だ!


「あ、おい!」

「兄ちゃん?!」

「はははははは! 俺は気にするな、勝手にやっててくれ!」


 なーんて。一先ず逃げる事ばかりに気を取られていたけど、背中から落ちるのって何気に怖い。これ、どーしようかな?

 ちらりと下、見ると、思っていたよりかはゆっくり落ちてはいるけれど、確実に地面近づいているだろうし。


 耳元で過ぎる風の音は、ビュービューって言うよりぼぼぼぼって感じだ。

 え? 意味解んないって? まあ、とりあえず、強風が耳元で鳴ってるって事だ。

 スカイダイビングって、こんな感じかな?


「兄ちゃ、待って……!」

「抜け駆けかい、息子よ」

「うっさい! 邪魔だってば!」


 それにしても、あのバカ親子。お互いがお互いの足引っ張りあっててマジでうける。何やってんだか。


 なんて、冷静にそんな様子を見ていたら、太陽の中に、何かがいるのが解った。


 ああ、あれは……!


 キイーンと。

 昔聞いた、戦闘機が通りすぎていくような音をさせて――――って、エンジン駆動でもないのになんでそんな音がするのか、かなり謎なんだが――――艶やかな深緑が、矢のように飛んできた。


 見間違えるはずもない。最初に逃げたと思っていた、頼り甲斐のある、その姿。

 それは、バカ親子を追い抜き、俺の下に回り込むと、どさりと受け止めてくれた。べちっと、受け身すら取れずに背中から落ちて、正直もんどり打つほど痛ってえ。身に覚えあるぞ、この感覚……! ちょっと嫌だ!


 けど、地に足を着けたときのような、頼もしい背中がそこにはあった。


「エンマ、わりい。助かった!」


 心からそう述べれば、明るく唸り返してくれる。どうやらずっと、タイミングを伺っていたらしい。

 マジで、頼れる。


「立て続けに悪いんだけど、このままどうにか逃げ切ってくれ!」


 俺は、身動きとれそうにないから。お前に頼るしかない。

 そう思っていたのだけど、ぞぞぞと、今シーズン最大の悪寒がやってきた。はっとして先の姿を見れば、嫉妬に駈られた視線が二つ、こちらを見ていた。



 そう、二つ。


 魔王は……気持ちは全くわかんねえけど、まあ、何となく理由としては解る。けど、ラズ。お前までエンマに嫉妬してどうすんだよ、おい。


 エンマも、身の危険をひしひしと感じたのだろう。かつてないほどのスピードに、危うく振り落とされるとこだった。

 慌てて這いつくばってしがみつこうとしたけど、下手にこの体勢から変えようとすると、強風に煽られて吹き飛ばされ兼ねなかった。現に、体勢を動かそうとしたら、身体が持ち上がったような感覚があった。


「ひえっ」


 ホント、肝が冷えるってこういうことか。

 情けない事に、身が縮みあがった。


 仕方なしに、仰向けのまま張り付いた俺は、さしずめひっくり返ったカエルにしか見えないと思う。

 でもこれでもう、大丈夫。なんて思っていたら、そんな事全然なかった。


「全く、我が愛しきものは妬ける事してくれるじゃないか」

「ぐえっ……」


 腹に何かが落ちてきて、同時に首根っこ押さえられちゃ、身動きすら取れない。見れば、魔王様に膝蹴りされてました。鳩尾いてえっす。


 どうやら、俺の逃走が気に入らなかったようで、首にその爪が食い込んでいるのが解る。

 ああ、やべえな。こりゃ、死んだかも。


「全く、私の魅了がここまで効かなかったのは、君で二人目だ」

「……は、光栄だな。一番目は、ラズの母親か?」


 呆れたような声に意地悪く笑ってやれば、驚いた顔をされた。それも直ぐに、くすりと笑われる訳だが。


「ご名答だよ、愛しきものよ。もっともティーダの時は、自分が欲しければ力を示せと、言われたがね」


 にっこりと、また笑みを深くされる。だから、こうしたよ、と。


「あっ………つ……」


 そんな事を囁かれて、突然の事に驚き、見返す。直後に感じたのは、先程とは違う、焼ききれるような腹の痛み。

 痛い、を通り越して、熱い。


 何が自分に起きたのか、理解しがたくて視線を下げれば、魔王の腕は、俺の腹を引き裂きやがったらしい。

 俺を覗き込んでいる表情は、微笑を浮かべたまま微塵も変わらない。そのせいか、自分に起こっている事が全て、夢のように思えてきた。


「まだ、君は現実から目を背けるというのかい?」


 ぴっと、そいつが軽く腕を振っただけだといつのに、完全に腹裂かれ、俺の左腕が飛んでいくのが見えた。

 わーお。あー……まじか。


 どんどん、身体から血の気が引いているのが解る。死んだなー、こりゃ。俺の死にざまってあっけなさすぎねえか?



 どんな色狂いっつっても、 こういうところは、やっぱ魔王なんだな。なんて、ぼんやりと思う。


「夢だろ、全部」


 だから、つい、そんな事が口をついて出た。


「俺にしてみれば今までずっと、この目で見たものも、俺自身の事も、全部、現実味があった試しがねえよ」


 ああ、そうだ。親父殿に追い出された時も、ゲームの中のイベントのようにしか思えなかった。


 だから追い出されても、それほど慌てなかったし、どうにかなるって思っていた。実際、親父殿との間もどうにかなったしな。

 ひやっとしたことは確かに何度かあったけど、結局いつもどうにかなったし。


 命が軽いこの世界でも、昔みたいに曖昧に生きていたせいか、常に『画面の中の話』みたいに思ってた。

 俺にしてみれば、世界が常に隣で流れっぱなしになっているテレビのような感覚。こうして自分が死にそうな事でさえ、他人事みたいだ。


 このまま目蓋を閉じてしまっても、うたた寝していた時の夢、程度にしか思わないんだろうな。



 ……なんて思うと俺、本当に薄っぺらく生きていたんだなあ。失笑ものだ。



「だ、そうだ。我が息子よ。お前は、この御仁をどうする?」

「例え、兄ちゃんがそう思っていても、僕には兄ちゃんと生きる事が、僕にとっての真実だよ」


 いつの間に、そこにいたのか。魔王の隣に立つ、ラズの姿が、霞んでよく見えない。



 ああ、眠いな。

 そっか、やっぱりこれ、夢か。


 夢の中で眠いって、俺の睡眠欲計り知れねぇな。

 起きたら身支度整えて、朝食作って、それから晴れてるなら洗濯もしてえな。


 ……ええと、それから……。


「兄ちゃんを殺しても平気な夢なら、そんな夢から、僕が兄ちゃんを奪っても、問題ないよね?」


 にっこりと、また、いつもみたいにラズが笑ったような気がする。

 けど、それを確かめるよりも先に、俺の視界は暗転した。

 

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