いつも通りの災難 .1 *
ここでは話もままならないから、と、間もなく俺達は王子様によって城の中を連れられた。
「ここなら落ち着いて話せるだろう。暫し待ってくれ」
「ああ」
俺達って?
事の中心であるローレンスを筆頭に、俺とラズと、それから聖堂の外で震えていたレイトである。うん、ちょっとメンツが色々可笑しいと思うけど、今は突っ込まないでおこう。
王子様が扉を手ずから開けたところで、どこからともなく現れた侍女さんが扉の隣に立っていた。いつ来たの? って、驚いたのは言うまでもない。
黒を基調とした爪先まで隠すエプロンドレス、ごちそうさまです。コスプレじゃない侍女さん、品性が違くてぐっとくる。……いや、ぐっと来てる場合かよ。
あと、今更だけと、彼に扉開けさせるのって不敬だっただろうか? 不敬に問われない、って……信じてる。信じたい。
小心者で何が悪い。
つくづく住んでいる世界が違うんだなあって、身をもって感じてしまう。
そもそも自分がこんなところに居ることが場違い過ぎる。身の置き場に困って、そわそわと落ち着きなくても許して欲しいところだ。
「ラズ、レイト。下手に周りを触るなよ」
「え? うん」
「は、はいぃ……」
気の毒な事に、さっきからレイトは尻尾を丸めて俺の腕にしがみついている状態だ。ひとり廊下に取り残されていた事と、自分が隷属している騎士団の、さらにその上の場所にいる事が相まって、震えが止まらないのだとか。
まあでも、気持ちはとても解る。
これだけぴかぴかの空間、手垢でもつけた日には殺されるんじゃないだろうかって思う。そんな予感が怖い。この場所の雰囲気とか空気とか、兎に角自分の肌に合わなすぎて窒息しそうだ。
ただ、レイトには悪いけど、レイトがあわあわしてくれて助かった。隣で自分以上に切羽詰まっている奴がいると、案外冷静になれるものだなって痛感する。自分がしっかりしなくちゃって思うからなんだろうな。
王子様が侍女さんに伝令を集めるように指示している間に、精々もう少しこの異次元を体感して慣らしておくとしよう。それでも居心地の悪さは半端ないが。
通されたのは会議室、だろうか。足を包み込むくらいふっかふかの青い絨毯の引かれたそこに入って行くと、如何にも重たそうな長テーブルが俺らを迎えた。
一枚の木を削りだして作られているテーブルの天場は、ニスで磨かれているのか顔が映り込むほどだ。
テーブルのサイドにずらっと並べられている椅子も同じ木製だと思う。ベルベットのクッションがきちんと張られていて、如何にも高そうだ。……座るのも怖い。
怖気づく気持ちを逃がしたくて部屋の中を見渡してみるが、この地の王家の紋章らしい、ハープと竜の描かれたタペストリーと、部屋の中を照らす大小三つのシャンデリアくらいしか飾り気がなかった。当然、シャンデリアの光がテーブルに反射していて、上と下からぴかぴかと眩しい。
眩しさから逃れるように視線を反らす。右手にはバルコニーがあった。
何気なく足を運ぶと、街の様子が遠目ながら見えて、驚いた。
真っ先に目に着いたのは、街で燻っている煙だ。幸い、火の手は上がっていないみたいだけども、俺が城の中にいる間に一悶着あったのは明らかだ。
遠くでは建物が半壊していて、通りそのものがすっかり潰れてしまっている。その上空を飛竜が忙しなく行き交い、地上に降りたり飛び立ったりを繰り返している。その光景だけならば、海鳥が魚を捕食しているみたいだって呑気に思えた。事態はそんなに和やかではない事はもちろん理解しているけれど、何故かピンと来ない。
中には、こんな水気のない盆地で濁流でもあったのか? って首を傾げたくなる光景も見受けられた。城と同じような石造りの街が、泥水をかぶって通りの正体をなくしてしまっている。
なんでだろう。その中を泥まみれになりながら活動しているヒト達がいて、既視感を得る。
……泥の、ヒト?
戦ったことのあるような気がしてならないけど、気のせいだろう。多分。そう思っておこう。
遠目だから確かな事は言えないけれど、ヒトの被害は少ないんじゃないだろうか。既に街では救援や復興作業に取り掛かっているみたいで、こまごまと見える姿たちがせっせと動き出している。
こうして眺めていても、どのくらいの範囲で何が起きていたのか、俺には解りかねていた。感覚で言うと、テレビの向こうの被災状況、みたいなものだろうか。
イマイチぴんと来ていないせいもある。俺にとっての戦いは、この目で見た範囲の事だけであり、その外側で起きたことまで把握出来る程、俺の視野も広くない。
……うん、他人事でいられる自分が恐ろしい。
バルコニーから街の観察は諦めて、部屋の奥に目線を移した。突き当たった外側に、バルコニー続きの広い空間が設けられていて、もしかしたらそこからも飛竜の出入りがあるのかもしれない。
――――出入りがあるのかもしれない、なあ……。って思ったところで、長テーブルの向こう側に座っていた姿に気が付いてびっくりした。
「っ?!」
人影……で、良いのだと思う。ケープというか、マントというか。フード……いや、埃除けの布? どれも自信ないな――――を、かぶせられた誰かが座っていた。
対面の『お誕生日席』にひっそりとあったにも関わらず、本当に気が付かなかった。
ただ、人影と言うには、存在感は薄い。『誰か』って自分で言ったけど、それすらも自信無くなって来た。
「あれが、独尊王か」
俺の視線に、それまで王子様の方を伺っていたローレンスが答えてくれた。
「独尊王……?」
すごい肩書だけど、王って言うからには……多分、王子様の父上……だと、思うのだけど、様子はどうもおかしい。そもそも、俺みたいな凡人がこんな所に土足で踏み込んでいて、何も言って来ないなんてありえないのではないだろうか。イメージだけど。
恐る恐る伺った俺に、そいつは横柄に頷いた。
「辣腕を奮っていたかの王も、あのようになってしまうとは末恐ろしい地だ」
「はは! それは褒め言葉として受け取らせていただくとしよう」
指示を終えたらしい王子様は、苦笑しながらもどこか嬉しそうに見えた。恐ろしい王様だって他人に言われているのに、喜ぶ理由が解らない。
目ざとい王子様は、そんな俺にくすりと笑った。
「私はこれで、先王の血を引いている事を有りがたく思うのだよ。おかげで、己の意思で、街の為に正しいと思える利己を貫くことが出来る」
「やれやれ。その意思一つで肉親に手をかけ、街一つを窮地に落とすのだから、末恐ろしい男だ」
「すべてを察した上で蹂躙しに来てくれた貴方がたには、とても感謝しているとも」
ローレンスはただ呆れていたみたいだけれど、俺はそうもいかない。ぞくっと、首筋の肌が粟立つのが解った。
笑われてから、初めて王子様が晴れやかな顔をしていた事に気が付いた。城を陥落させられてさっきの今だと言うのに、もうこれだけ生き生きをしている所を見せられると、どこまでが彼の計画のうちなのかって計り知れない。
「あ、あそこに座っているのって……本当に……」
聞くのも恐ろしかったけど、聞かずにはいられなかった。ちらっと、テーブルの上座に据え置かれたまま、微動だにしていない姿を伺っていたら、事もなさげに王子様は肩を竦めた。
「見苦しいものを見せたね。まだあの方が必要だったから亡きあとも魔術師たちに頼んで残していたが、万一玉座に座らせたまま焼かれてしまったら困るのでね。仕方なくこちらに移していたが、その心配ももうない。父上にはご退席していただくので、気にしなくていい」
「気に、って……」
わお。
マジか。
理解が一瞬追いつかなかった。
俺の頬が引きつってしまったのは無理もないと思わないか。
焼かれてって、焼かれてって……!
だめだ、考えちゃいけない。考えるべきじゃない。
件の人影が、静々とやって来た執事さんに抱えられて退席していく様は、椅子の足の数を数える事で見送らないようにした。執事さんが運んでいるものを直視してしまったら、俺が何よりも後悔するのは目に見えている。
俺の反応が、王子様のお気に召したのだろう。こんな時でもくすくすと笑っていらっしゃる王子様は、間違いなく悪趣味だと思う。ローレンスですら呆れていたのだから、今回ばかりは俺の反応に間違いはない。
俺があっけに取られていたら、並んだ窓がにわかにガタついた。振り返ると、大きな羽を広げたグリフォンがテラスに降り立っていた。その背中にあった姿たちにまた、あっと驚く。
「流石、貴殿らは心得ているみたいで驚かさればかりだよ」
「やれやれ。どこまでも白々しい王子様だ」
グリフォンの背中から降りて来たのは赤髪の歌舞伎野郎と、俺の目の前で幻みたいに消えてみせた、アルマさんに他ならなかった。その組み合わせが、何だかとても不思議に見える。
チルオールが開けたガラスの扉をくぐったアルマさんは、早速法衣の裾を引いて、深く腰を落として礼を取った。
ついでに言うとその後ろで、ローレンスに一瞥くれた歌舞伎野郎はさっさとグリフォンと共に飛び去ってしまう。
あの野郎……ついでと言わんばかりに、俺の事見てせせら笑っていた。やっぱ、地味に腹の立つ奴だ。
「ただいま戻りました、お兄様」
「ああ、無事で何より。結局逃げ切れなかったみたいだな」
王子様の言葉に、アルマさんは拗ねたみたいに上目遣いで頬を膨らませていた。
「お兄様を置いて逃げられる程、私は薄情ではないつもりです」
「ははっ、手厳しいな。頭が下がる」
「そう思うなら少しは遠慮してくださいませ」
そのやり取りを見ていたら、何故か無性にほっとしてしまった。ずっと胸のどこかに引っかかっていたアルマさんへの心配が、俺のただの取り越し苦労だったって思えたから。
でも、ほっとしていたのも束の間、拗ねてそっぽを向いていた彼女の視線が、今度は俺を捉えていた。あれ、って思ったのも束の間、彼女に詰め寄れられて、後退りしてしまった。……レイトを腕にくっつけたままだったから、大した距離逃げられなかったって事はここだけの話。
でも、逃げた事で見咎められたみたいで、すっと彼女の視線が鋭くなった。
「ディオさん」
「へ、はい?!」
「私に言う事、ありませんか」
「言う、事……?」
尋ねられて、首を傾げる。
一体どれの話だろう。エニスさんを連れて来た事? それともアルマさんの邪魔した事? 心当たりがあるようでないので釈然としていなかったら、非難するように、また一歩詰め寄られた。
「心当たり、ないとは言わせません。散々説教してくださりましたよね? 貴方の言葉に私、謂れがなくてとても傷つきました。謝罪してください」
一息にそんな事言われて、一瞬理解が追いつかない。
傷ついたって、あれか? 他人に馬鹿にされるのが悔しくて頑張っていたのに、『同じような立場のエニスさんを悪く言うな』、とか、一生懸命戦ってるアルマさんに『こんな戦い無意味だ』って言った事とか? その辺の事か?
まあ、まあ。確かに今振り返れば、彼女のやっている事は全否定して、若干暴走気味のエニスさんを擁護していたって風にも聞こえなくはないだろう。それに俺の主観で、周りを楽しませるための手段を戦争の道具にしてくれるなって、唯一の武器を取り上げようとしたのも事実。
でも、さあ……。
「いやだ」
「は?」
王子様はさておき、アルマさんってこんなに頭悪かったっけ? って思った俺、悪くないって思いたい。
出来るだけ言葉尻がキツくなってしまわないように気をつけながら、俺もにっこり笑ってみた。
「だから、俺は謝らないって言ってるんだよ、アルマさん。それにさ、実際どっちが間違っていたか解っているから今、そうやって俺に突っかかってきているんだよね。俺に謝罪を求める前に、貴女が傷つけた相手をどうにかしてから言うべきなんじゃないの?」
「それはまた話が別です」
「別じゃない。自分の非が認められないような、我儘なお姫様に謝る言葉なんて、不作法者の俺は持っていない。それでもどうしても謝って欲しいって言うなら、権力でも振りかざして言わせればいいんじゃない? そしたらいくらでも土下座、してあげるよ」
「……ふっ!」
結局嫌味っぽくなってしまったなあと感じながらも、反省はしていなかったら、明後日の方向から笑われてしまった。
「アルマ、ここの事は気にしなくていい。行って来い」
宥めるように王子様に告げられて、アルマさんはじと目を向けていた。
「ですが、お兄様……」
「これ以上彼の不興を買う事は、お前の為にならない」
すぱっとアルマさんの反論を切ってくれたのは有りがたいけれど、俺の不興ってなんだそれってツッコみたい。それでもアルマさんには効果があったみたいで、仕方がなさそうな表情がこちらを捉えた。
「ディオさん、またあとで伺いいたします」
「え? あ、はい。……お好きに?」
勢いのまま頷いたら、何故かアルマさんに満足そうな顔をされた。え、何故。
釈然としないまま、彼女が消えるのを見送った。
「さて、もういいだろう? 話し合いを始めよう」
場を改めるようにローレンスは告げた。
「ああ、それもそうだ」
王子様は好きな席を勧め、彼自身も一足先に席に着いた姿の対面の下座に座った。
二人の視線がこちらに向けられるから、慌てて近場の椅子に座ろうと手をかけた。――――ところで、はたと我に返った。
「って、ちょっと待てよ! なんでそんな、如何にも国に関係あるような話を、一商人の俺の前で話そうとしてる訳?!」
意味が解らなくて異を唱えた俺に、王子様は『何言っているのこいつ』って、呆れたような目を向けられた。
「調停した証人に、第三者を使うのは当たり前だろう?」
「当たり前って……いや、ふざけてる? 俺、通りすがりだよな? むしろ巻き込まれただけだよ? なんでそんな責任重大みたいな役割押し付けられねえといけない訳?! 一筆、ここにいる俺たちへの免責を認めてもらわないと困る!」
「ッチ。……責任なんて感じなくていい。一筆書けと言うならばその様にしてやろう。要は見届ける誰かが要る事が重要だからな」
「ちょっ?! 今舌打ちしたな?! 悪意を感じるぞ、おい! そっちがそうやって、この期に及んでちゃっかり巻き込もうとしてくるっていうなら、俺らは今すぐお暇させてもらう! ラズ、レイト、来い!」
肩を怒らせてバルコニーに続く扉に手をかけたけど、そうは問屋が卸さなかった。
「今、この場を去ると言うならば、貴様を間者として手配せねばなるまいなあ」
「は?!」
何を言われても絶対に、これ以上は関わらないって思っていた。だと言うのに、たったそれだけの言葉ですぐに打ち砕かれた。
事もなさげに言われた意味が解らない。さらっととんでもない事言ってのける王子様を振り返ったら、綺麗な顔して腹黒そうに笑いやがる。
「お前、この城に罪人として捕えられていた事を、忘れていないか?」
「あれは、手違いだって……!」
「ああ。もちろんそれは解っている。それに、あの場では実験に回す事を容認しなければ、牢から出すための時間が稼げなかったからそうしたに過ぎない。だが、正式な手続きを通さない限り、お前がこの城の捕虜で有る事に変わりはないんだよ」
「っ……そんなの、屁理屈だ」
「お前が暫しそこの席で傍聴してくれると言うならば、手続きを通して捕虜の立場を破棄し、要人として謝礼を出そう」
この野郎。追い詰められてた立場のクセに、良い性格してる!
「この期に及んで脅しですか、王子様」
「動かせる金があっても、どうも人手が足りなくてね」
「最初からそのつもりだった奴がいけしゃあしゃあ良く言えるな?!」
「はて、何の事だろう」
この兄にして、あの妹! むしろあの妹にしてこの兄、か?!
アルマさんが『あとで』って言った意味がなんとなく解った気がしてならない。
あーっクソ!
じっと伺うと、にっこりと見返される。
視界の両側ではラズやレイトが不安そうに見上げている事で、俺の返答に一つによって背負わなくていい厄介事があるのだと気がついた。溜め息が、深い。
「……迷惑料も上乗せして貰うぞ」
「ああ、いいとも」
「ここにいる、個別に」
「勿論」
「エニスさんに言った処遇もなしだ」
「それはアルマに言ってくれ」
「くっ……! 何度も言うけど、責任も厄介事も関係ない立場を、あんたの持てる権限全てで保証して貰うぞ!」
「そちらが何と言おうとも、私は諦めてやるつもりはないんだ。全力を尽くそう。解ったら、潔く座ってくれ」
最後の抵抗も、最早空しかった。既に座った二人から距離を置いて、いつでもテラスから逃げ出せるようにローレンス側に陣取った。そんな俺にラズは習い、レイトだけは恐縮して俺らの後ろに立った。
「さて、お待たせして申し訳ない。今度こそ始めよう」
「ああ」
面倒くさいやり取りが、幕を開ける。




