おまけの外野が見た采配 .6 **
神聖であるだろう、祭壇に土足で踏み込んでいく事に、躊躇いはない。アルマさんがどんなにその表情を忌避感に歪ませたとしても、今の俺には関係なかった。
自分でも、なかなか悪人さながらの事をしている自覚はある。でも、引こうとも思わない。
「あんた、自分が無能って言われたことが悔しくて、巫女になるまで上り詰めたんじゃないのか? 各地を巡る事で地盤を築いて、必死に認めてもらおうってしていただんだろう? なのに、同じように志していたエニスさんをそんな風に貶めて、いいのか? ずっと支えてくれたヒトなんじゃないのかよ!」
「余計なお世話です。第一、貴方に何の関係があるというのです?」
これだけ詰め寄って怒鳴れば、最早脅迫に思われても仕方ない。キッと睨み返してくる表情でさえ、無性にイライラしてくる。
「余計なお世話で結構だ! あんたの側に行かなくっちゃって、あのヒトが俺にどんな無理言って来たか、あんた知らないだろ!」
「意志ある盾が持ち主の元に戻ろうとするのは当然でしょう! それが邪魔だったから、ここから遠く離れたあの地に置いて行ったと言うのに、貴方と来たら余計な事を……。お蔭で計画が狂いました」
「は? ……邪魔、だって?」
「ええ、邪魔じゃないですか。やっと手に入れた力でこれから城の為に、或いは街の為に最前線で戦おうって時ですよ? 危ないから大人しくしていなさいと前に立たれてしまっては、邪魔と言わずに他に何と言えと言うのでしょう?」
「あんたを守ろうとしているんだろう?!」
「お黙りなさい。常に守ってくれとは頼んでおりません。だからこそ置いて来たのではないですか」
「っ…………!」
叱りつけるつもりで言い返せば、しれっと『自分にとっての当たり前』で物を言ってくれるから余計に腹が立つ。
なんで、どうして、解ってくれないんだろうか。
彼女ならばきっと共感してくれるんじゃないかって、心のどこかで思っていた事が、ことごとく覆されているような気がしてままならない。
こんな事する彼女の、こんな姿、どうして信じられるだろうか。
つい、ぐしゃぐしゃと髪をかきむしり、思った事をそのまま口にしてしまっていた。
「っ……こんなおかしな街の為に、戦う理由なんてあるものかよ! あんたにとって大切だったものを、平気で奪うような街の為にさあ!」
「おかしい? 随分な言われじゃありませんか。私の家族が治めている街ですよ?」
「ああ、そうだな! でも今のあんたは――――――」
そこまで言いかけて、フラッシュバックした。
彼女の笑った顔が、歌が、脳裏によみがえる。
ああ、そうだ。
俺がこんなに『この地の姫であるアルマさん』を見ていたくないって思った理由に、気が付いてしまった。
そうじゃないだろって言いたくて、言葉になるよりも先に涙になりそうだった。先程まであんなに持て余していたイライラも一瞬で、もどかしい想いに変わる。目頭を刺すような痛みを覚えたのは、きっと気のせいじゃない。
歌って欲しい。
街の娘と変わらない格好で、荷車の上で風を感じていた時みたいに。
笑って欲しい。
たくさんのヒトに笑顔を届けられる事が何よりうれしいって言わんばかりに笑っていた時みたいに。
言葉に出来ないもどかしさを誤魔化そうとして、それまで怒っていたにも関わらず、今度は無理やり笑って問いかけた。
「……ねえ、アルマさん。貴女の歌は、武力の為にある訳じゃないだろう?」
「は? 何をおっしゃっているのか――――」
「貴女の歌は、ヒトを笑顔に出来る魔法みたいだって、あの街で聴いた時に思ったよ」
「っ?!」
きっと、自分でも笑い飛ばしてやりたくなるくらいに、情けない顔していると思う。だって、俺自身は笑っているつもりなのに、眉間に力が入っているのが自分でも解る。
それでも。
それでも、アルマさんの心が少なからず動いて見えたこの瞬間を逃してしまいたくなくて、懸命に言葉を探した。
こんなこと、もうやめてくれ。
そして願わくは――――――彼らがどう思うかは差し置いて、彼らの手を取ってあげて欲しい。
泣き落としているみたいでカッコ悪いのは解っている。でもこれ以上、沢山の人に笑顔を与えていた歌で、誰かを傷つけるなんて事、してほしくなかった。
「その歌で、歌声で、誰かを傷つけるなんて事、しないでよ。誰かを幸せにするために歌っていたその口で、誰かを貶めるような事を言わないで。……悲しくなってくる」
「っ……黙りなさい!」
悲鳴にも近いその声に、俺は追及を止めた。
「アルマさん……」
真っ直ぐに伺っていたら、一瞬アルマさんの視線がブレた。だがそれも本当に僅かな事で、憎い敵を睨むような険しさは変わらない。あくまで『自分が敗北する瞬間まで戦い続ける覚悟はある』と、言わんばかりに見えた。
だがそんな戦慄も、長く保たれる事はなかった。彼女が項垂れたせいだ。
「……やはり貴方は、この街に、この城に、終わってくれと言うのですね」
不意に呟かれた言葉に、ハッとさせられた。
「ぁ……それは…………」
ああ、そうだった。
結果論だけで言えば、その通りだ。今もなお背後で戦う姿が居るにも関わらず、唯一の武器を収めて敗北しろと言っているのだから。
そしてそれは、彼女が止まったからと言って、あいつ――――〈ブレイン〉が止まるとは限らない。
彼にしてみれば、俺なんかが出しゃばらなくても既に勝利を目前にしている戦いだ。言ってしまえば、もう目前のアルマさんと王子様の首さえ取ってしまえば勝ちなのだ。わざわざ止まる必要がない。
「……貴方には、解らないでしょうね」
泣きそうなのは彼女の方だって、改めて思い知った。溜め息と共に吐き出されたそれに、言葉を失う。
「たった一つの居場所に戻るためにあがいて、あがいて、やっとそこに行けると思った時には、守るべき場所も、ヒトも奪われて。あまつさえ居場所だと思っていたところですらも、虚構だったと思い知らされた私の気持ちなんて。貴方には、解りませんよね? ディオさん」
「それは……」
解るなんて、口が裂けても言えるわけがない。そもそも彼女がどんな思いで今、ここに居るのかすら解らないのだから。
それでもアルマさんは呟いた。
「――――たったひとり、いつか会えると思っていたヒトは失われ、後に残されていたのは支えるべきお兄様しか居なかった私の気持ち、なんて! ディオさんには解りませんよね!?」
悲鳴のように叫びながら、アルマさんはくしゃりと表情を崩していた。
それ以上、何か言う必要なんて無い。このヒトもまた、失っていたのだと理解させられる。
「……この街のあり方がおかしいことなんて、とっくに知っていましたよ。それで不幸に思う人がいる事も。でもそれ以上に、そんな彼らを踏み台にして幸せに暮らせヒトがたくさんいた事も、知っていました。でも、上に立つ者の行いに、間違いなんてないって信じてました」
今にも泣き出すんじゃないかって思えるほど震える声を聞かされて、それ以上強気に返す言葉が出なかった。
「だからこそ、私だって……! 私がここに戻る事で、より沢山の街のヒトたちに楽しいと思ってもらえる気持ちを届けられたように! この地もまた、笑顔に出来るって、そう信じていましたよ!」
「アルマさん…………」
強く頭を振られて叫ばれてしまえば、もう何も言えない。
つい先ほどまで、あれほど決心してアルマさんを糾弾しようとしていたというのに、もう迷って、彼女の泣きそうな顔にどうしたらいいのか解らなくなっている自分がいる。困って一歩、足を引きずるように後退りすれば、アルマさんも困ったように苦笑して、また首を振った。
「……けれどもう、ディオさんが言った通りです。すべてがおしまいなのです。その、笑顔にしたかったヒトたちを奪われて、戻ってこられた場所は最早瓦解寸前で、一体私にどうしろって言うのでしょう。私にはもう、ここで城を守る事くらいしか!」
その悲鳴のような訴えも、不意に彼女が口を噤んだことで、背後の騒ぎが主張する。
一際大きく、ガシャン! と音を立てて、同時に絨毯の上で強く地を蹴った音がした。
「貴様、アルマから離れろ!」
「兄ちゃん!」
ラズの声に驚いて振り返った俺の目には、〈ブレイン〉そっちのけでこちらに駆け寄る王子様の姿があった。音を立てていたのが、倒された燭台だと気が付いたのは、完全に余計な時間だった。
「火が……」
まるで時間を止められていたかのように、顔面蒼白にしていたエニスさんが漸く我に返ったようだった。
「…………いいえ、貴方にこんな事言っても、無駄でしたね」
けど、俺だって火に気を取られていられない。
静かに告げられた言葉に吊られて、アルマさんに慌てて目を戻す。それを見越していたのか、アルマさんは淡く微笑んだ。
「もう、いいのですよ。ディオさん」
「っ……待って、アルマさん! もう少しだけ、俺の話を聞いて!」
アルマさんに訴えるけど、迫って来る足音にも不安を煽られてまたそちらを見やる。王子様を、遅れを取った〈ブレイン〉が追っているけど、恐らく彼は間に合わない。
警戒して身構えたラズが間に入ってくれたものの、王子様の気迫が完全に俺を捉えていた。
やられる。
ぞくっと首筋を撫でた悪寒は、俺がやらかした事を十二分に知らせてくれる。
「もういいのです。もう……私の視界に映らないでくださいませ。貴方、目障りなんですよ」
「ッ、アルマさん! 待っ……」
やばい。
怖い。
でも、どうしてだろう。彼女の表情を改めて見たら、その一瞬だけ恐怖すらも忘れて言葉を失った。
最後の最後までアルマさんは突き放すような言葉しかくれなかったと言うのに、どうしてそんなに泣き出しそうに見えるのだろう。なんで、そんなに苦しそうにしているのだろう。
答えは、やっぱり。俺には解らない。
「っ?!」
彼女が何かを呟いた途端、目に見えない壁に、背後を気にしていなかったラズもろとも弾かれて、王子様の攻撃の軌道から投げ出された。彼が薙いだ先から、ばたばたと通路を作っていた燭台が切り落とされる。
……結果的に、アルマさんに助けられたって奴だろうか。打ち付けたみたいに身体は痛いが、五体は満足だ。その事に、ホッとする。
王子様は俺らを追従する事無く、アルマさんを背中に隠すように立ち塞がった。
ラズと共に祭壇から投げ出されて、絨毯のない石の床に転がる。
ぱちぱちと、焚き火が爆ぜるような音に気が付いて確認したら、火の手が絨毯から長椅子に移りかけていた。
その向こうに、エニスさんの姿はない。ホッとするような、彼女の行方が心配になるような、複雑な気持ちだ。
廊下の方から聞こえる怒声は、もしかしたら異変に気が付いた誰かが掛け合っているのかもしれない。
だから、だろうか。余所見をしていた俺は、アルマさんたちの手短な会話を受け流してしまっていた。
「塩梅はどうだ」
「もう、整っております」
「十分だ。お前は下がれ」
「……ご武運を」
二人の小さな確認に気が付いた時には、アルマさんが王子様に小さく礼をしてしていた。
直後、彼女の姿が空気に溶けるように消えていく。
「アルマさん?!」
驚いて、慌てたところで意味はない。俺を守るようにして立つラズに阻まれているのもあるし、何より王子様の視線に足が縫い止められた。
それだけで、俺は身動きすら取るのも躊躇ってしまうというのに、そんな俺をからかうみたいに、ゆったりとした歩調が近づいてくる。せめて自分の視界だけでも射るような視線から逃げたくて振り返ったら、クセの強い藍色の髪を微かに揺らしているそいつがいた。
「やれやれ。敵前逃亡か」
呆れたように肩を竦める〈ブレイン〉に吊られて慌てて振り返ると、アルマさんは姿を消した。ふっと、まるで初めからそこに居なかったかのように、なんの名残もない。
「そんな……!」
俺の必死の説得も、結局何の意味も無かったのだと言うのか。
空しさが、込み上げる。すうっと内臓が冷える感覚から逃げたいのに、もう、膝に力が入らない。
だが、それだけで終わる訳がなかった。
途端の事だ。まるで彼女が居なくなった事に驚いたみたいに、空気がざわめいた。
……多分、気のせいじゃない。そうでなければ、どうしてこんなに嫌な予感がするのだろう。
変化は、すぐに起きた。
あり得る筈はないのだけど、誰かがへたくそなバイオリンを弾いたのか。耳障りな音が、ステンドグラスを震わせた。途端に、ガシャンともパンッとも区別がつかない音と共に、砕けたステンドグラスが七色の砂に変わって降ってくる。
何が来るのか解らなくって、咄嗟にラズを抱えて腕で頭を庇った。「兄ちゃん逆!」 ってラズが焦っていたのは、この際聞かなかった事にしよう。
「神に力を貸してくれるよう、祈りをささげていた巫女が突然その席を離れたらどうなるか。知っているか」
王子様の静かな声が、笑みを含んだような声で訊ねて来た。それに、呆れた様子が淡々と返す。
「宥められながら得ようとしていた力が、制御を失って暴発する、か?」
「ご名答だよ。なら、こちらも少しお答えしよう。魔王第二子、ローレンス・カルディアナ。正直あんたの存在にたどり着いた時は焦ったが、神の力そのものならば、あんた程のバケモノだって殺せるだろう? あんたさえどうにかすれば、この地の脅威はリリアンナがどうにかする」
耳鳴りが酷く、七色の砂塵が舞う。頬を切る風が恐ろしくて一層身を屈めていたら、不意にその風が感じられなくなった。多分、ラズの仕業だ。
砂塵は遮断されても、緊張感が高まっているのは肌で解る。
「やれやれ。それでも舐められたものだ」
でも、こんな時でも〈ブレイン〉――――ローレンスは、緩やかに首を振って溜め息をこぼしていた。
そんな姿に向かって、「もうやめろ」 って、俺は叫んだのだろうか。
それすらも、よく解らなかった。
その瞬間に、俺らの周りから、今度は完全に五感が消えたせいだ。
逆巻く空気の渦が障害物にかき消された、とでも言えばいいのだろうか? 音のない風が、俺らを避けて抜けて行ったみたいに錯覚する。
壁に叩きつけられなかったのは、一重にラズが庇ってくれたお蔭だと思う。……確証はないけど。
聖堂内に整然としていた長椅子や沢山の燭台は後方の壁に叩きつけられ、木端と化しているに違いない。
何が今、起きたのか。俺の理解を超えている。
ただ、運がいいと言えばいいのか、燻っていた火の手までもが消し飛んでいるのは、見て解った。
恐る恐る、かがんでいた身を起こしたら、まるで彼らの周りでは何事もなかったかのように、ふたりの姿があった。
いや、何事もなかったわけじゃない。一瞬目を離した隙にローレンスは王子様の元にいて、当の王子様は、地に組み伏せられていた。
「さあ、ほら。これで満足しただろう?」
「チッ! 離せ!」
一体どれほどの力で押さえつけられているのだろう。王子様は、腕を震わせながら自分の上に居る姿を押しのけようとしている風に見えるのに、対するローレンスの表情はちっとも動いていない。強いて言うなら、王子様の抵抗に呆れているみたいだ。
「生憎だったな。そも、死して逃げようなんて楽な道を選ばせてやるつもりは微塵もない」
「っ……?!」
驚きに見開かれた王子様の表情は、初めて怯えを含んでいるように見えた。
「今度こそ、あんたの負けだ。諦めろ」
「冗談じゃない。ここで終わらなければ、何のためにこの瞬間を作り上げたと思っている!」
「やはり、か。悪いが、負けた王子に命の自由があると思わないことだ。あんたには、してもらわないといけない事がある。この地を変えていくために、な」
「……何?」
王子様の動きが止まる。
それは、その腕から降ろされても、ありえないものでも見たかのようにまじまじと見返すだけだ。
ただやはり、尋ね返した声は震えていた。まるで、隠しておきたい粗相を親に追及されている子供みたいに見えてしまう。
「そんな……事、今更! 私に何をさせようと言うのだ」
「言っただろう。この街を変えろ、と」
呆れたのかもしてない。溜め息をついたその姿に対して、次来る言葉を身構えていた。
驚かされてまた、言葉を失う。
「これからは、末姫もいる。この地は、ここから変わるさ」
「……ふざけるな。逆賊に屈した王族に、一体どこの民が付いてくる」
「敗者なのだろう? 逃げるな。示された道に立ち向かえ。その手にかけた者の分も、意地をみせろよ」
「っ…………」
突きつけるような言葉に、王子様の視線が揺らめく。
自分に本当にそれが出来るのか、あるいはこいつの言っている事は信用できるのか。何をするべきで何を成せばいいのか、それらをもう一度探すように、その表情を見返した後、自信を失ったみたいにまた目を伏せていた。
押さえつけられた腕の中で、居心地悪そうに身じろぎする。やがて、気まずそうに王子様は告げた。
「離してくれ。……もう、下手な事はしない」
「信じろと?」
「信じろ、としか。だが、私にもこの地を守る者としての意地はある」
まっすぐに言われた言葉に、ローレンスも受け入れられたらしい。彼の上から退くと、王子様の腕を引き上げた。
「ああ。なら、解っているな?」
促されて、首肯を返す。
「敗北宣言を、ここに。直ちに城は、戦闘行為を終了しよう」
長い闘いが、終わった瞬間だった。
そして俺は。
そんな瞬間もギャラリーである。完。




